セミナー情報:最新記事

教育セッション「安全マネジメントシステムの功罪~鉄道・航空・原子力・医療におけるSMSの実態と今後の課題~」

2008年11月22日(土)から24日(月)にかけて標記学術集会が東京ビッグサイトで開催されました。22日に行われた教育セッション「安全マネジメントシステムの功罪~鉄道・航空・原子力・医療におけるSMSの実態と今後の課題~」の概要を掲載します。座長・松月みどり氏(北野病院)の進行で、芳賀繁 氏(立教大学現代心理学部教授)の講演の後、指定発言者・小松原明哲氏(早稲田大学理工学術院創造理工学部経営システム工学科教授)を交え討論が行われました。

芳賀繁氏
芳賀繁氏
松月みどり氏
松月みどり氏
小松原明哲氏
小松原明哲氏

芳賀繁(立教大学現代心理学部教授)

2005年のJR福知山線事故について、私はJR西日本の安全マネジメントの失敗の結果と考えていますが、では安全マネジメントの責任者(当時の鉄道本部長)を刑事罰に問うべきかと問われたら、そうすべきではないと考えています。理由は二つあります。一つは責任追及をして刑事罰を加えると事実が隠ぺいされてしまい、再発防止につながらないから。もう一つは、責任追及は安全マネジメントの活動そのものを阻害するからです。

リスクマネジメントは人が死んでから対策を取るのではなく、人が死ぬ前に対策を取りましょうという予防安全の考えです。また人は誰でもミスをするということから、リスクに関する情報をなるべくたくさん集めてそれに対応しようというのが基本です。現在の交通・産業システムでは、新幹線、航空機、原子力発電など、非常に大きなリスクを内包しています。リスクをゼロにするためには、例えば新幹線を走らせないという方法しかありませんが、それはできないからリスクマネジメントが必要になります。では、公共交通部門ではどのようなリスクマネジメントシステムが取られているのでしょうか。

2005年はJR福知山線の尼崎の脱線事故、JALのドアモードの切り替え忘れ、東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切事故などが相次いで起きた年です。国土交通省は、福知山線の脱線事故についてはヒューマンエラーと判断しましたが、その背景には経営陣が安全を最優先にしていなかったことと、企業内コミュニケーション、つまり社内の風通しの悪さが原因ではないかと考えました。その後、非常に早く対応し、翌年3月までに12本の法律改正をしました。事業者が安全のしくみとその運用実態をチェックすることを運輸安全マネジメントの基本的枠組みとし、具体的には(1)事業者に安全管理規定を作り国交省に届け出ること(2)責任者を決めること(3)国交省が立ち入り調査すること(4)安全情報を公表すること―などが法改正のポイントでした。立ち入り調査では、運輸事業者の経営管理部門、つまり社長や経営者などにヒアリングをして、経営者が交通部門にどの程度コミットメントしているのか実情を調べたり、インシデント報告システムがあるかなどを調べたりします。そのために、国交省は22人の安全調査官を置きました。

このような対策は、ヒューマンエラーは個人の問題ではなく組織の問題であるという観点に立っている点では評価できますが、問題も多く含んでいます。一つは、最初に立ち入り調査が行われたのはJR西日本、日本航空など事故を起こした企業で、事故に対する懲罰的な意味合いが強いこと。もう一つは、本当に安全性を高めて事故を減らそうと思えば、国が「ATSを付けろ」「踏切を立体交差にしろ」など相当お金がかかるチェックをするわけですが、安全対策があまりできないような小さな企業は法律では立ち入り調査の対象外になっていることです。

国交省のやり方は、すでに1999年に厚生労働省により作られた労働安全衛生マネジメントシステム(OHSMS)と基本は同じです。これは、生産工程が複雑化し、有害化学物質の使用も増え、リスクが拡大しているため、「事業者が自分でリスクを見積もり、リスク軽減措置を取りなさい」というものです。昔は労働安全行政の中で、有害化学物質を列挙し、取扱責任者を決めて管理するようにしていたのですが、対象となる有害化学物質が世界的にどんどん増えていくため、役所がそれらに対応して基準をアップデートすることができなくなりました。自分のところで使う有害物質については自分たちで評価し、自分でルールを決めるようにという管理の仕方に変えたのです。厚生労働省は何をすべきかのガイドラインだけ作り、それに基づいて中央労働災害防止協会が認定するというやり方にしたのです。

原子力でも同様のことが行われています。2002年に東京電力の記録改ざん問題が起きたのを機に、原子力保安管理事務所を全国の原子力発電所の近くに配置し、日常的に駐在する検査官が検査するという方法を取っています。また、ヒューマンエラーの中でも、現場が暗かったとか段差があったというような具体的事象はすぐに改善できますが、その背景にもっと根本的、組織的な原因があるに違いありません。ですから「その原因を分析し、一つの発電所で問題があると分かったら、他のすべてで同じように点検し対策を取りなさい」という「水平展開」を義務付けました。

しかし実際には、どこまで分析したらよいですかというお伺いを保安院に立て、やりなさいと言われたらやり、その分析内容を保安院が審査するという方法です。根本事故原因分析が非常に表面的、形式的なものになっています。自分から「チェック体制に問題がある」などということは書けないため、逆効果になっています。

現場のリスクをいちばんよく知るのは事業者ですから、セルフマネジメントがうまく機能すれば、最小の行政コストで最善の安全対策が実施できるはずです。しかし実際には、専門知識の不十分な調査官が来て監査するため、形式的になりがちで、事業者側はその監査のためにたくさんの書類を作成しておかなければならず、ヒヤリ・ハットやインシデントレポート作りにも大変なエネルギーを割かねばなりません。その上、結果的に事故が起きたということになると、安全マネジメントをきちんとやっていなかったと責任が問われるから、本当のことは書かなくなります。よく効く薬には副作用があるように、強力な安全対策には副作用があるのです。

医療におけるリスクマネジメントでも同じことが言えます。よく「うちの病院の看護師は転倒防止にこれだけ頑張っている」という話を聞きますが、重大事象への対応にこそ重点を置くべきで、転倒件数をいかに減らすかということに大きな精力を割くことによって、重大事象への注意を怠るということではいけません。

セッション

■参加者

松月みどり(北野病院)
芳賀繁(立教大学現代心理学部教授)
小松原明哲(早稲田大学理工学術院創造理工学部経営システム工学科教授)

◎:座長

小松原
安全マネジメントシステムはキリスト教的な神への説明責任という考え方に基づいているため、一人ひとりの資質を高め、職人的な技で安全を保とうと考える日本にはなじまない部分があり、帳面は付けるが形式的になりがちという問題があります。

しかし、医療安全において、医療事故は個人の努力で回避するのではなく、取り扱いやすい器具の開発など組織的な対応が要求されます。また、医療過誤においては、医療職の個人の資質が大きな意味を持ち、個人の資質を高める組織的な取り組みはどうあるべきかが問題になります。

事故が再発するパターンはたいてい決まっています。事故が起こっても原因を分析しないで注意喚起だけで終わらせているところ、分析はするが誰が対策を取るか責任者を決めていないところ、社長がお金を懐に入れてしまうような風土の悪いところ。この3つを解決しないで型にはまった対策を続けていると、システムは疲弊して、機能しなくなります。
松島
安全に対するアプローチとして、組織的な安全管理システムのあり方とヒューマンエラーを減らすという二つの側面はどのように両立させるべきでしょうか。
芳賀
安全のしくみはあくまでもツールであり、それを使うのはマインドです。病院長など、トップの姿勢が大事であるとともに、安全に対する嗅覚の優れた人を要所要所に配置し、組織全体が安全対策に取り組む風土を作る必要があります。完璧な安全対策をしようと頑張ると苦しくて疲れてしまうし、客観性や責任追及に走るのもよくないです。「これだけのことがあったのだから、なんとかしなくてはいけない」という全体の雰囲気、共同主観と言えるような意識を作っていくことが大切なのではないでしょうか。
(取材:山崎 ひろみ)
カテゴリ: 2009年2月 3日
ページの先頭へ