立教大学 文学部心理学科教授 芳賀繁氏
今回のスペシャリストは、「ミスをしない人間はいない~ヒューマンエラーの研究~」等の著書がある芳賀繁氏。鉄道総合技術研究所の主任研究員、JR東日本安全研究所の主任研究員、東和大学工学部経営工学科の助教授などを経て、現在は立教大学文学部心理学科の教授。最近は、病院での講演や、「医療事故防止マニュアル」のビデオ監修などもされ、医療機関とのかかわりも多い。そこで今回は、産業心理学や人間工学の視点から、ヒューマンエラー、うっかりミス、違反、そしてリピーター問題について伺った。(取材日:2004年2月18日)
I ヒューマンエラー
ヒューマンエラーという言葉について強調したいことがあります。最近、医療事故の原因としてヒューマンエラーが重大な関心事になっていますが、ヒューマンエラー=医療ミス、失敗ではないということです。
「ヒューマンエラー」とは、人間工学、安全工学、信頼性工学という分野で生まれた言葉です。人間工学では、人間と機械が同じ目的に向かってパートナーとして協力して働く「ヒューマン・マシン・システム」というとらえ方を、よくします。人間はボタンやスイッチなどにより意思を機械に伝え、機械はランプ表示などによりその状態を人間に教えます。小は携帯電話から、大は手術室の複雑な医療機器まで、このような循環で人間と機械とが、一緒の目的に向かって働いているシステムと考えるとよいでしょう。そのときに人間側がやるべき仕事、人間に割り当てられた仕事をしくじった、ちゃんとできなかったというのが、ヒューマンエラーです。だから、エラーの前に「ヒューマン」がついているのです。
ヒューマン・マシン・システムの中では、人間が、どこまで、どれぐらいの精度で、どの位のパフォーマンスレベルでやらなければいけないか、というのが決まっています。システムの中で、人間がこのくらいは理解できるだろうというメーカー側の想定があります。複雑な医療機器を使うオペレーターにも、複数のボタンの意味の違いや、点滅ランプの意味、その時何をしなければいけないのか、といったことが当然わかるものと想定されています。本来はそのシステムを理解して、それを受け入れた上で、使っていなければならない。そこでそれが失敗した場合に、ヒューマンエラーと言います。
鉄道や航空の世界では、人間がやるべき仕事やパフォーマンスのレベルが明確に決まっています。つまり、ヒューマンエラーか否かが明確なのです。鉄道であれば、自分が走行する路線の全部の信号の場所と名前を覚えていなければなりません。全部のカーブの直径とポイントごとの制限速度も記憶してなければなりません。制限速度の標識を見てからブレーキをかけたのでは遅いですから。それができなければアウトです。
何が人間に求められているか、何が人間の仕事なのか、というのが相当明確なので、ヒューマンエラーについても理解しやすい。よっていろいろな対策が行われてきました。
そこで、それ以外のシステムの人たちが、「ヒューマンエラー対策をいろいろやってみたけれど事故がちっとも無くならない。鉄道や航空業界ではそういうのが進んでいるようだから、教えてもらおう」とくる。しかし、この使い方は、どうもヒューマンエラーが失敗と同じ意味になってしまっているような気がします。何で「ヒューマン」がついているのかを理解せずに、失敗の防止策とかミスの対策ばかり考えていると、システム全体として考えるという発想になかなかいきません。人間をどう訓練したらいいのかとか、ミスをしない人間をどう選んだらいいのかとか、そっちの方にばかりいってしまいます。ヒューマンエラー対策というのは、人間の信頼性を高めるというだけではなく、例えばシステムをどの位自動化したらよいのか、人間と機械の仕事の分担を変えるところまで考えることなのです。その中で、見間違えやすい機械や情報の提示の仕方を変えるとか、いろいろな対策を行います。鉄道業界の勤務時間でいえば、どこまで行って交替するか、連続ハンドル操作時間はどの位が最適なのか、ということをデータに基づいて評価しながらヒューマンエラー対策を考えています。
システム全体を見る、という大きな視点無しに、ヒューマンエラー=医療ミス、失敗ということばかり考えているような中で、「ヒューマンエラー」という言葉を使ってほしくありません。ヒューマンエラーという概念がどういう時に有効なのか、なぜヒューマンとついているのかを考えてほしいと思います。
-ヒューマンエラー=ミスではないことがわかりました。では次にミスについて教えて下さい。
II うっかりミス
(II-1.うっかりミスの防止対策)
- 1)ミスを誘発する外部要因を改善する
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ミスは、外からの刺激をきっかけにして起きるもので、人間がものを認知するシステムそのものに密着しています。勘違いや早合点は、断片的で不完全な情報の一部をとらえるだけで、そこから全体を推理する力からきています。しかし多くの場合、外からの情報はあいまいで、不完全で、断片的です。おまけに、完全な情報を待っていると何も判断できないし、手遅れになるかもしれません。そこで、不完全な情報に過去の経験や知識を加えて、「次はこうなるはずだ」「こうに違いない」と推測して判断を下すことになります。例えば、網膜には二次元の画像しか映っていないのに、三次元の世界を認識することができます。竹やぶがガサガサ動いたら、トラが出てきて襲ってくるかもしれないと思って逃げたりします。しかし、本人には「推測した」という意識はありません。はっきりそう見えたり、聞こえたりするのです。
ミスを誘発する外からの刺激(外部要因)を改善する一案として、医療者は、医療機器の値段や機能だけではなく、人間工学的な配慮に対して、もっと働きかけをしていいと思います。今まで医療機関で使っていた機器に慣れている人が、新しい機器を使った時にどんなミスを起こす可能性があるか、そういうことを考えて、新しい物を選ぶという姿勢が必要です。
先日、医療関係者と話していた際に「今まで自分たちは、与えられた機器にあわせて間違えないように操作することしか考えていなかった。物を選ぶ時や買う時に、もっと自分たちが関与するという発想が必要だとわかった」と言ってくれました。ミスを誘発するような外部要因は改善するべきです。
- 2)人間の信頼性を下げる内部要因を排除する
次に、情報処理をする人間の信頼性を下げるような内部要因も排除するべきです。行動の精度を高めようとしても、寝不足や、経験不足、心身の不調などがあると、認知システムがちゃんと働きません。そこは、自分自身の節制や努力で防げるものもあるし、組織的な取り組み、あるいは国の力が必要なものもあります。研修後間もない医師や、徹夜明けの医師に、大手術をさせたりするという要因を排除するには、組織的な取り組みが必要でしょう。
- 3)忘れ物対策
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記憶のエラーに対しては、自分の頭の中のメモを信用しないこと、頭の中のメモをこまめに外に出すという対策が有効です。私は、今日中にすべき仕事は付箋に書いて目につくところに貼っておいたり、帰りがけにチェックリストを見たりするようにしています。また、他人の頭の中のメモを借りて、「今日の私の予定はこうです」と周りの 人に言っておくと、忘れていても思い出させてくれることがあります。
確認する動作を習慣化することも有効です。動作が習慣化すると、自分で意識しなくてもその動作ができます。毎日するようなことであれば、順番をパターン化することで、手順のもれをなくし忘れ物を防ぐことができます。たとえば、車に乗ってシートベルトを締める動作も習慣化していると必ずします。逆に、普段電車の網棚に荷物を置いたことがない人が、その日に限って何か置くと、きっと忘れると思います。
また、忘れても目的が達成出来てしまうものは忘れます。運転をする時、運転免許証を忘れることがあっても、車のキーは忘れません。キーがなければ車は動かせませんから。そこで、車のキーと運転免許証を一緒にしておくという対策が考えられるわけです。
(II-2.うっかりミスとのつきあい方)
- 1)ミスをこわがらない
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先程、外部要因のところで話しましたが、ミスは外からの断片的な信号を自分の推理力や知識や経験で補って完全なものにするというプロセスで発生するものです。このように進化的に能力を発達させてきたものに、ミスをするな、注意しろといっても、それは人間の能力を殺さないとできません。むしろ、ミスをするのは自分の能力の高いことの証明だという位に思ってもいいのではないでしょうか。
もちろん、医療現場で生死にかかわるようなことが起きたら困ります。ただ、ミスを気にしすぎたり、あらゆる小さなミスを一切なくさなければならないと思って、目くじらを立てたりするのは、かえってやる気を失わせるもとになり、医療サービスの低下につながると思います。ミスを怖がらずに積極的にチャレンジしましょう。
- 2)ミスを防ぐよりも事故を防ぐ
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ミスが起きても事故にならないというような発想で対策をたてましょう。その方がいろいろな発想ができます。
私は以前、大学で授業がある日の前の晩に、予習のために教科書を家に持ち帰ると、当日教科書を忘れてしまうということがありました。その後も、いくら気をつけていてもやっぱり忘れてしまうことが何回かありました。そこで、教科書を2冊買い、1冊は必ず大学においておき、もう1冊を家に持ち帰ることにしました。忘れものをしないように考えてあれこれ対策を立てるよりも、要は授業に教科書があればいいのですから。
- 3)ミスを責めずに違反を責めよ
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ミスはわざとするわけではないので、いくらミスをした人を叱ったり罰したりしても、具体的な対策がとられないとミスは減りません。なぜそういうミスに至ったのかということを調べるのが大事です。ミスの情報、ミスの要因と事故との関係等、事故が起きた背景を洗い出すことができないといけません。そこでミスをした人を責めては、口が重くなってしまいます。本当は何があったのかを知るためにも、罰したり、個人の責任を追及したりということはなるべくしない方がいいのです。
もちろん、その人が自分の意思で朝までお酒を飲んでいたとか、ミスの確率を増やすようなことを自分でやっていたら話は別です。
そうではないうっかりミスを責めてはいけないと思います。一生懸命注意していたのにまちがってしまい、患者さんの容態が悪くなってしまったという時に、「けしからん、それでもプロか」と言って責めたてるのは逆効果です。何故そういうふうになったのかということをよく聞き出して、情報を共有して、対策に結びつけるということが大事だと思います。
一方、安全規則違反やマニュアル違反といった違反は、自分の意思でやったりやらなかったりすることができます。手を洗わないとか、手術室に入る時に靴の上にカバーをつけないとか、そういうことはきちんと組織で止める。それこそ罰していいと思います。取り締まったり、罰したりすることで、違反はかなり減らすことができると思います。そのためには、意図的なマニュアル違反なのか、意図しないうっかりミスなのか、きちんと識別して対応することが大事です。
-では、次にうっかりミスと区別するために違反についてお聞きします。
III 違反
違反は本人が意図的におかすという点に特徴があります。意図的な行動ならば「してはいけない」と呼びかければ、すぐにでもなくなりそうに思えるのですが、なかなかそうはいきません。
人が意図的にリスクをおかすのは次のような理由があるときです。
- 〈リスク行動の要因〉
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- リスクに気づかないか、リスクが小さいと感じられる
- リスクをおかしても成功した場合のメリットが大きい
- リスクを避けるとデメリットが大きい
医療行為には多かれ少なかれリスクを伴います。たとえば医師は手術をすると決定する前に、失敗するリスクと、成功した場合の効果と、手術を避けた場合の問題点を検討し、患者にも説明した上で手術を行います。したがって、リスク行動のすべてが悪いことではないのです。しかし、自分が行おうとする行動の重大なリスクに気づかなかったり、患者のリスクより作業遂行上のメリットを優先したりすることは、エラーや事故に結びつくリスク行動として戒めなければなりません。
また、一般的に、次のような場合にルール違反が起きやすくなります。
- 〈違反の要因〉
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- ルールを知らない
- ルールを理解していない
- ルールに納得していない
- 多くの人がルールを守っていない
- ルールを守らなくても注意されたり罰せられたりしない
幅の広い直線道路でのスピード違反、電車内での携帯電話、駅前の駐輪禁止場所への自転車放置、18~19歳の飲酒・喫煙などを思い浮かべれば理解しやすいでしょう。
図 リスク行動の要因と違反の要因がたくさんあるところで
危険な違反行動が多発する
違反行動は、リスク行動の要因と違反の要因が共にたくさんあるような場合に起きやすくなります(図参照)。違反をなくすには、リスク行動の要因と、違反の要因を一つ一つ職場から取り除く努力をしなければなりません。
-最後に、今問題になっている医師のリピーターについて、ご意見をお聞かせ下さい。
IV リピーター問題
- 1)リスクへの曝露
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確かにミスの多い人、少ない人、多少個人差があります。同じ状況で同じ外部信号が入ってきても、比較的騙されにくい人とすぐ騙されてしまう人がいます。 しかし、ミスにはいろいろなタイプがあります。錯覚とか、勘違いとか、早合点をしやすい人がいれば、記憶の失敗が多い人もいます。お茶碗をひっくり返したり、物を落としたり、手先のところでのうっかり動作が多い人もいます。ミスは状況の落とし子だと思うので、一概に、全部のタイプの事故がこの人は多いとか、なかなか決めがたいものです。また、そういう状況におかれる回数の多い人とそうでない人を、回数で比べてもあまりフェアじゃありません。
専門的には「リスクへの曝露(Risk Exposure)」という言葉を使うのですが、リスクにどの位曝されているかということを標準化して、分母を同じにして比較するのは非常に難しいのです。
- 2)適性検査の使い方
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医師の仕事は、鉄道の運転手の仕事のように誰もが同じ仕事を求められているわけではありません。いろいろな診療科があり、一般の診療所もあれば救急病院もありますので、仕事の質も内容も違います。
鉄道の世界では、何年も心理の専門家が適性検査を作ってやってきたという歴史があります。自動車ドライバーの適性検査についても交通心理学会の人たちと議論しています。しかし、医師に対して、ある種の検査で適性をみるというのはほとんど不可能に近いのではないでしょうか。確かに適性検査をすると成績には差がでますが、それがこの先数年後、数十年後の医師免許を保証できるかというと、そこまで先を短時間の検査で予測することは非常に難しいです。
仮に、ミスの起こしやすい人を判定できる、すごくいいテストが開発されたとしましょう。それでも、医学部を出たばかりの人達の個人と個人の間の差よりも、個人の中のその日のコンディションや、日々努力をしてきたか、ずっと怠けてきたかという年月の積み重ねで変化する差の方がずっと大きいと思います。
フランス国鉄では、事故を起こしたら適性検査を受けなければならないそうですが、このように心身機能をチェックするという意味で使うのはいいと思います。
また、検査ではなく診断という目的で使うのはある程度有効なのではないでしょうか。あなたはどういうミスが多いですよ、こっちを注意していたらこっちが疎かになる傾向がありますね、すごく急いで何かをしなければならない時にミスが多くなります、というように、診断結果に基づいてアドバイスをするという使い方です。日本でもバス・タクシー・トラックなどの職業ドライバーは、3年に1回、自動車事故対策機構の支所で適性診断を受けることになっています。結果は会社の運行管理者に通知されます。それを見て、話し合ったり、日ごろの業務の安全管理に利用したりしています。
- 3)ミスを責めずに違反を責めよ
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では、医師のリピーター問題をどう考えるか。
ミスを起こしにくい人なのか、起こしやすい人なのかで分けてはいけません。
多くのリピーターは、自分はどういう時にどのようなミスを起こしやすいか、自分で認識せずに同じミスを繰り返していると思われます。自分の失敗をカバーするための工夫をしないで繰り返しているとしたら、医師としての資質に問題があるのではないでしょうか。
患者さんの生死に関わるようなミスをした時に、それを繰り返さないためにその人なりの努力や工夫をしたのか、していないのかということが問われるべきです。もし、そういう努力や工夫をする意欲がないとしたら、それは処分されるべきです。
ただし、かつての失敗はしないように努力していたけれども、全く別のところで違うタイプのミスをした場合、そこは一旦許していいのではないか、と思っています。環境が変わったことや外部要因の影響が大きい可能性が高いですから、そこでまた学べばいいことです。
リピーターが処分されなければならないとしたら、少なくともまず
- 違反があったかなかったか
- 悪気のない、意図しないうっかりミスだった場合に、繰り返さないような努力を自分なりにしたのかどうか
この二つがポイントだろうと思います。
交通事故多発者は、違反常習者がほとんどです。大体の場合、安全意欲がありません。つまりルールを守ることができず、他の交通利用者の迷惑について配慮する気もない人なのです。本来そそっかしい人というのとはちょっと違いますし、必ずしもうっかりミスが多い人ではありません。
医師のリピーターも、安全意欲の欠けている人がミスを繰り返しているとしたら、それは裁かれるべきです。責任を問われても仕方がありません。免許を停止してもいいと思います。うっかりミスには寛容であっても違反には厳しくあるべきです。
先生が監修をしたビデオは、実際の医療従事者が出演し、現場を舞台に作成されたそうだ。その裏話を聞いた。高さを調整できるベッドをすごく低くして寝ている患者の血圧を測るシーン。通常ならちょうどよい高さに戻して測るところを、そのまま測り、医師が患者にひざまづくような形になってしまったという。試写会で「これは通常の状態ではないだろう」という話になり、撮り直したそうだ。ビデオ撮影用のカメラが回っているという、いつもと違う環境だったために、このような行動になってしまったのだ。こんな風にミスはいつでも起きると心得ておきたい。また、自分がどのようなミスを起こしやすいのか弱点を知り、それを予防する努力、工夫を怠らないことが大切である。