医療現場の現状改善の手立てに
医師と患者の円滑なコミュニケーションを説く
病と向き合っている患者がどんなことに苦悩しているのか、それに対してどのような解決策があるのか、医学と社会学の連携を推進していく中で、いくつかの論点から様々な意見がなされている。
医療従事者と患者の間では、同じ言葉を用いていても、その意味が同一に捉えられていない場合がある。患者は、治療についても純粋な医学情報ではなく、自身の理解範囲内であって、自身の生活に伴った医学関連情報が欲しい。医師が同じ言葉で話し伝えても、患者の受け取り方は様々に異なる。
「同じ言葉でも共通して理解を得ることは難しい」
それを認識したうえで、両者の距離を縮めていくことが必要だ。患者が満足できる医療とは何か、医療安全と患者を結ぶコミュニケーションを指南するヘルスケア・コミュニケーター 岡本左和子氏にお話を伺う。
満足できる医療とは何か
満足できる医療のためには、医療者と患者間の信頼が何よりも大事であり、「患者中心の医療」である必要があると、医師・患者ともに同一の意見として挙げられています。患者中心の医療のためには、患者の医療への参加、医療提供者側(医師)の思いやりが大切であり、それを実現するための両者の良好なコミュニケーションが不可欠であると考えられています。
医師と患者の間で、同じ言葉を使っていても内容が十分に理解されないという問題があります。同じ言葉を用いても、なぜ捉え方が異なってしまうのでしょう。それを医療従事者側に問うと、「患者さんが言うことを聞いていない」「医療に参加してくれない」という意見が返ってきます。一方、患者側では「自身の言うことを聞いてもらえない」「言いたいことが伝えられない」という不満が見られます。医療者は患者に適切な情報を、的確に伝えているにも関わらず、どうしてこのような状態を招いてしまうのでしょうか。この現況を踏まえて、医療従事者と患者を上手につなぐコミュニケーションの方法を理解し、解決策を考えていかなければなりません。
「患者中心の医療」を考えた時、医療者に求められることとして(1)コミュニケーション・スキル(伝える力、聞き取る力、合意点を見つける力)を持つこと(2)患者が話しやすい環境を整備すること—があります。
患者側に求められることは、(1)質問をすること(2)医療情報を提供すること(3)心配事などは伝えること(4)治療計画および医療上の指示に従うこと—です。しかし、患者サイドでは、「言いたいことがあるが、躊躇してしまう」「言いづらい思いを引き出してもらいたい」「気持ちを慮ってもらいたい」という心理傾向があるようです。このような患者特有の性質が、両者のコミュニケーションにズレを生じさせている場合があります。
コミュニケーションとは、ただ単に会話を交わせばいいというものではありません。互いのメッセージを的確に伝えて、的を射た会話のキャッチボールができるようなものでなければ、それは正しいコミュニケーションとはいえないのです。言葉一つひとつの意味をお互いに丁寧に確認しながら、医療者の話す意味と患者の解釈をそろえていく姿勢が大切です。
上質なヘルスケア・コミュニケーションのために
医療現場にある潜在的な力の不均衡を知る
患者主体の医療を実現するためには何が必要でしょうか。患者中心の医療が叫ばれる一方で、「やはり患者は弱者」という声も寄せられます。医療従事者が患者とのコミュニケーションを考えるうえで、両者に潜在的に力の不均衡が存在していることを理解しておくことが必要です。
言うまでもなく、医師は患者より医療知識を持ち、情報収集力に優れており、また権威を持っています。したがって知識や情報を持たない患者に対して、数字やエビデンスデータなどの理屈ばかりを話しがちな傾向にあります。患者に医療知識が備わっているはずがないことはわかっていて、できるだけ容易な説明をしたつもりでも、内容が伝わっていないということが多々あります。これでは、患者の意向を考慮したコミュニケーションの焦点が合わなくなってしまいます。
コミュニケーションには、メッセージの送り手と受け手が存在します。送り手が送った情報が受け手に的確に届き、受け手からフィードバックがあることが重要です。フィードバックがなければ、コミュニケーションが取れているとはいえません。
ここで注意したいのは、コミュニケーションにはさまざまな「ノイズ(Noise)」が発生するということです。ノイズとは、両者の社会的立場や精神状態、地位、個性、その時の興味、家庭環境、教育レベル等です。ノイズには一時的なものもあれば恒久的なものもあります。医療現場に当てはめると、まず、医師と患者が持っている知識には相当の差があります。そのため、医師のメッセージを患者が受け取る際には、大きな温度差が生じています。患者の「わかりました」という言葉は、本当に医療者のメッセージと共通のものであるか、検証していくことが必要になってきます。
患者になるということ
患者になるということは、いつもと違う状態、不確定要素の多い状況に身を置くということです。病を診断された患者は、医療以外にも、自身の生活に根付いたあらゆる不安や悩みが一挙に押し寄せてきます。「仕事ができなくなる」「今後の生活が困る」「年老いた両親をどうすればいいか」「子供の学費は」・・・など、医療と関係のない一連の不安が一緒くたになって訪れます。そのような状況下では、誰かに頼りたいという依存心が現れます。しかし、頼りたいと思いつつ、それを躊躇する気持ちも同時に発生します。それらを抱えた患者の声は、医療従事者に非常に届きにくいものになります。患者は自身の気持ちを押し殺したままで、悩みや不安は解消されることなく、ふつふつと湧き出る思いを心の中で抱え込んでしまうことになるのです。患者の悩みは多種多様で、医師や看護師ではどうにもならないものかもしれません。しかし、それらの不安を払拭していかなければ、治療に専念できないのです。
医療従事者は、患者に対して、治療だけに専念した情報提供に留まる傾向にあります。医師は、特にEBMに基づいた一本の道筋を歩いていきがちです。それは無論、医師として重要な役割です。しかし、それを日常業務としている医療従事者と患者の間では、気持ちのうえで大きな裂け目が生じていることを認識しなければなりません。
重篤な病を診断された患者は、死に向かって歩いていることを嫌でも認識します。一方で、その診断をする医療従事者は、日常の医療行為の中での作業になっているため、患者の立場での言葉の受け止め方や、時間の感じ方はまったく異なります。医療従事者はこのような傾向を考慮して、肝に銘じて医療行為にあたっていかなければなりません。また、患者側でも、医療者のそのような立場を理解するという気持ちが大切です。
マルチ・ヴォイス(Multi-Voices)を推進
患者の不安を取り除きたくても、患者は思っていることを医療従事者にきちんと伝えられないという大きな問題があります。患者は、「悩みを言いづらい」「恥ずかしい」「馬鹿にされたくない」「表現できない」「病気や医学のことではないし」・・・といろいろな思いを抱えて相談するのを躊躇しています。そんな時、医師、看護師、薬剤師、栄養士、ソーシャルワーカーなどと連携したチームワークが重要な役割を果たします。
患者や家族の医療への参加を推進するために、「マルチ・ヴォイス」(説明などを同時に複数人で聞くこと)の体制構築は効果的です。医療従事者と患者の関係に限らず、人間誰もが「人の話を自分の興味のある事柄だけ覚えて、都合のいいように理解する」という特質を持っています。病気をかかえ弱気になりがちな患者は、その傾向が強くなるでしょう。患者の拡大解釈を防ぎ、適切な情報伝達を推進するためにも、マルチ・ヴォイスは有効な手段の一つです。治療は医師がイニシアティブを取るのは当然ですが、医師と患者は一対一で情報を伝えるのではなく、医師、患者のほか、看護師またはチーム、家族など、なるべく多くの人で情報を聞いておくのは、「言った言わない」の問題を防ぎ、聞き違いによる患者の不信を軽減します。ほかのマルチ・ヴォイスの方法として、医師や看護師などではない、同じ病を持った患者と情報を共有するなども考えられます。ただし、大事なことは、わからない事や新しく得た情報について担当医ときちんと話すことです。
ペイシェント・アドボケイト(Patient Advocates)とは
私はアメリカの病院で、患者と医師らの間の調整役を務めるペイシェント・リプレゼンタティブとして、日々、医師・患者の上手なコミュニケーション法を考えてきました。私のペイシェント・リプレゼンタティブとしての役割は、米国人医師と在米日本人患者のコミュニケーションを円滑にし、診療など一連の医療をサポートすることです。一般的にはペイシェント・アドボケイトと呼ばれています。
ペイシェント・アドボケイトは、「患者を擁護する人」と訳せます。具体的には、医師と患者の間に立ってコミュニケーションを促進し、患者が納得できる最適な治療や、満足できる医療を受けていただくことが役目です。病気になったことで患者が不利益を被らないように配慮する役割もあります。
例えば、病気になって仕事を解雇されるような場合に、医療に詳しい弁護士が助けたり、保険適用について専門家が交渉したりします。病院内で医療に直接関わることならば看護師が、看護師でない方がいい場合は、医療資格のない私のようなソーシャルサイエンスの専門家が、それぞれの問題をサポートします。一般的にこれらすべて、患者をサポートする者がアドボケイトと呼ばれます。
「医療者は医療について責任を持ち、患者は医療の結果に責任を持つ」ことを前提に、ペイシェント・アドボケイトは次のような役割を担います。
- 中立を保ち、患者と医療者間に摩擦を起こさない
- 支援する姿勢は強調するが約束をしない
- 患者の責任範囲と医療者の責任範囲を明確にする
- 治療・医療の判断はしない
- 公平な解釈で、患者の不満や問題になっていることを明確にする
現場でつくづく実感したことは、「人は意外に相手の話を聞いていない」ということです。診断を受ける時の患者は、不安で緊張もしています。きちんと医師の説明を聞ける精神状態にないことが多いのです。医療者側だけが努力するのではなく、患者側も医療を理解し、知識の習得に努力する姿勢を持つことは必要不可欠です。
医師と患者の溝を上手に埋めていくための様々なコミュニケーション理論はありますが、実際に行っていた例をご紹介します。例えば、患者と医師の理解が異なっている場合には、「患者さんがわからないようなので」と医師にそのまま聞いては患者に失礼なので、「私が混乱してしまったので、もう一度説明していただけませんか」というように、患者を尊重しつつ、医師に丁寧な説明を求める手法もあります。患者に「それは違いますよ」と言ったり、医師に「今の説明ではわかりませんよ」と言うのでは、双方のコミュニケーションや感情を害することになってしまいます。
診断の報告において、患者に悪い情報を伝える時は、十分な時間をとり、希望を持たせる伝え方をすることが大切です。米国では、日本のように不告知の習慣がないため、どんなに重篤な病でも、必ず患者に伝えなければなりません。
その際は、「余命○ヶ月です」のような、余命の告知だけではなく、それよりも、「厳しい状況にあるけれどもやれることをやりましょう」と前向きなもので、明日確実にこなせるであろう医療の話をしたり、患者には「やりたいと思うことは是非やってください」と伝えていました。患者に楽しい時間を持たせること、今日これができてよかったと思えるような時間をつくることなど、前向きな医療の実践がなされています。大事なのは、患者自身が病に対する前向きな姿勢を持つことであるということも忘れてはなりません。
患者の医療決断を促すこと
患者中心の医療を実践するためには、「医療安全」と「患者の医療決断」という二つの柱があります。「医療決断」とは、患者自身が治療を決めたということを、患者自身に納得していただくことを指します。医師に聞いた治療を、自分で決めたと思うところまで持っていくことは大切です。そのために、セカンド・オピニオンを聞き、病に対する理解度を深め、悩んだり迷ったりして、自身で納得した治療を選択できるのも一つの方法です。ソーシャルワーカーやアドボケイトなど、それぞれの専門家に医療のアドバイスを促すことも得策と言えます。患者を精神的にバックアップできる人や、患者といつでも気軽に連絡が取れる人を準備しておくことは、患者の心の支えになることでしょう。
最後に患者さんへ、医師と上手に会話するポイントを3つお知らせしましょう。
一つ目に、メモをとること。聞き忘れや、伝達のもれを防ぎ、医師の話を自分なりに整理することができます。
二つ目に、「先生、よくわかりません」という勇気を持ちましょう。
三つ目に、「わからない」が言いづらければ、そのほかの医療従事者や家族、患者同士のグループをつくって、積極的に医療について聞きましょう。セカンド・オピニオンを聞くことも一つの方法です。
双方の歩み寄り
平成16年に行われた、独立行政法人国立国語研究所の調査では8割以上の国民が、医師の言葉について、分かりやすく言い換えたり説明を加えたりしてほしいものがあると回答している(独立行政法人国立国語研究所「外来語に関する意識調査Ⅱ」より)。この結果が示しているように医師の言葉は素人である患者には分かりづらい。しかし、岡本氏が「患者が医療を理解したいという気持ちは、医師との円滑なコミュニケーションにつながっていきます」と述べるように、患者にもまた理解するための努力が必要である。医師患者間の信頼関係の構築のために、まずは双方歩み寄った上でのコミュニケーションが望まれる。
プロフィール
岡本 左和子(おかもと さわこ)
ヘルスケア・コミュニケーター
1957年兵庫県生まれ。
同志社女子大学学芸学部英文学科卒業。
1995年より約5年間、米国ジョンズ・ホプキンス病院国際部にてペイシェント・アドボケイトとして勤務。
2006年米国メリーランド州立タウソン大学コミュニケーション学修士取得。
2007年4月より東京医科歯科大学大学院博士課程医療政策講座に在籍。
著書:「患者第一〜最高の医療」(講談社α新書)
企画・取材:石田 和歌子