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医療機関におけるヒューマンエラーの分析と対策

医療現場において、事故防止のためのインシデント・ヒヤリハット事例を集めてみたものの、その後の分析や対策までなかなかつながらないといった状況がよくあるのではないだろうか。今回のスペシャリストは、ヒューマンファクターズの考え方を基本にして、現場から取得できたデータをもとに、分析・対策の立案に取り組んでいる慶応義塾大学理工学部管理工学科岡田有策助教授をご紹介する。

慶応義塾大学理工学部管理工学科 岡田有策助教授

慶応義塾大学理工学部管理工学科
岡田有策助教授

ヒューマンファクターズとは

まず、ヒューマンファクターズという考え方を押さえておく必要があります。ヒューマンファクターズとは、大きく次のようにみることができます。

A:ユーザーと機械・製品との関係に焦点を当て、比較的ミクロな視点から行う研究。
B:作業者と機械・製品だけでなく、作業者を取り巻くシステム、組織・社会までを対象とし、そこにおける人間に関わる諸要因を総合的に評価するといったマクロ的な視点にたった研究。

ここでは後者の考え方に沿って、組織の体制なども含めた形で考えて行きたいと思っています。もちろん、ヒューマンファクターズの考え方は、医療界に限ったことではありません。人間が関わる全ての業界に共通したものです。

フレームワーク評価

私どもの研究室ではまず、医療機関において医療安全対策を実施していく枠組みがどれだけ整備された状態であるかを測るために、フレームワーク(枠組み)の評価を行っています。そのツールとして、ヒューマンエラー・マネジメント(HEM)セルフチェックシートを活用しています(表1)。

対象となる医療機関の医療従事者がこのチェックシートに回答することで、医療安全体制がどの程度整備されているかを測ります。いわば医療機関自体の健康診断です。この健康診断によって大きな枠組みから見た場合の組織の問題点を洗い出します。回答結果は集計され、不毛状態からHEM充実状態までの6段階で評価します(図1)。

表1

表1
表1-2

図1

図1

単にHEMチェックシートの点数が高ければよいという問題ではなく、組織内の意識のバラツキ(分散)も重要な指標です。組織間の意識のバラツキがあるということは、組織内に医療安全に対して非常に詳しい理解をもつ人もいれば、まったく無関心な人もいるという状態であります。これは意識統一ができていない状態であり、改善の余地があるということになります。

ただ、もちろんこのシートは、医療従事者の自己評価であるので、主観的な要素を排除することは困難です。性善説にたてば、つまり評価する医療従事者が恣意的に高い点数をつけず、正直に答えるといった前提を置いた場合に、医療安全対策の一つの指標になると思います。

またHEMチェックシートはあくまで、事故を未然に防止するためのフレームワークができているかどうかのチェックです。中身の問題については、ここでの評価対象とはしていません。

ちなみに、私どもの研究室では、このセルフチェックをコンピュータ上にソフトウェアとして作り込んでいます。コンピュータ上から必要な項目に答えることで、ヒューマンエラーマネジメントの活動状態とその解説、根源的要因と改善方針が直ぐに表示されるようになっています(図2、図3)。

図2

図2

図3

図3

傾向分析と対策指針

改善案をより具体化させるためには、発生事象の傾向分析を行います。つまり、中身の分析です。事前に集めておいたインシデント・ヒヤリハット事例からカテゴリ別にわけた件数グラフ(図4)を作成します。グラフからはどのカテゴリのインシデント・ヒヤリハットが多いかが視覚的にわかります。このグラフから、発生事象の傾向を分析します。この傾向分析は、それぞれの要因を抽出し、その要因別に背景となっている因子を見つけ出し、個別に対応策を練っていくという流れです(図5、図6)。

そのデータをいかに読み解くか、また組織の実態がどうなっているかを合わせて、答えを導きます。ただし、ヒューマンファクターを深く学んだからといって、適切な対策を指摘できる訳ではありません。これは、ヒューマンファクターの専門家は、分析の専門家であって、対策立案といったコンサルティングの専門家ではないからです。したがって、現実的には、これらの要因の抽出や対策の立案は、(ヒューマンファクターとコンサルティングという両面の)センスがある人でないと難しいです。さらに、このようなセンスはただ経験をつめばよい、誰かに学べばよいというわけでもありません。「組織の中を歩けばわかる」という人もいるようですが、これは極めて稀なケースです。

収集したデータから、その背後要因を的確に分析し、その現場に即した適切な対策を立案するということは、一般のリスクマネージャーにとっては非常に難しいといえます。現場での他の業務をも行いながらという状況では、現場のリスクマネージャーに任せられるのは、インシデント・ヒヤリハット事例の集計までが限界でしょう。データを収集さえできれば、病院にいる人ならだれでも適切な対策を出せるということはありません。道具は誰でも使うことができますが、道具をつかって何を行うかはその人のセンスに依るところが大です。これらのことを踏まえると、現場の医療安全担当者に求めることは、ヒューマンファクターの基本的な考え方を知り、組織がどのような特性をもつかを把握するところまでだと思います。適切な対策立案まで求めることは、酷だと思います。

現実的には現場のリスクマネージャーにヒューマンエラー防止活動すべてが任せっきりになっている場合が多いかもしれません。しかし、より実質的なヒューマンエラー防止を確立させるためには、分析し対策を立てることができる能力をもつ人材を探し、そこに組織のデータを回し、対策方針立案までを依頼し、そのような人・組織からの提案を、現場のリスクマネージャーが検討する。できれば、そのような人・組織と現場のリスクマネージャーが定期的に検討会を開くことが理想的です。ただ残念ながら、そのような人材は(現在の日本では)非常に少ないです。

したがって、プロフェッショナルな問題解決のセンスをもった人材をどのように体系的に育成していくかが、今後、医療現場に関わらず種々の分野における課題だと思います。

図4

図4

図5

図5

図6

図6

私どもで作成した「対策指針と対策」の例を図7に示します。現状をあまり知らずに対策を立案すると、忙しい現場に対して、単に人を増やせばよいとするような指針が出されることもあります。しかし、現実的に人員を増やすのは難しいでしょう。リスクマネージャーが人員の増加を院長に提言してもなかなか実現しません。したがって、人員の増加を想定に入れずに、現行の人員体制の中でどのように工夫していくかといった対策を検討すべきです。

このように、それぞれの現場の状況・事情に即した対策を立案しなくては、結果的に対策が実行されず、結果、ヒューマンエラーの発生も抑制できないということになってしまいます。そうなると、せっかく苦労して収集したデータも意味がなくなります。さらに、悪いことに、そのような意味のない対策しか出せなかったということが、組織における種々のヒューマンエラー防止活動の縮小へと傾くことにもなりかねません。

組織全体に、ヒューマンエラー防止活動の輪を広げていくことが、実はヒューマンエラー防止には一番効きます。活動の輪を縮小させることのないよう、活動が"なんか効果ないね"と思われないようにしていくことも、非常に重要なことです。

図7

図7

ヒューマンエラー対策は一般化できない

医療に携わる人間にとっては、ヒューマンエラー対策を一般化し、全国的に実施する必要があると考えるのが普通かもしれません。しかし、対策は、A医療機関はA医療機関の対策、B医療機関はB医療機関の対策と個別に違い、この対策を実行すればよいといった一般化は非常に難しいと思います。たとえ、病床規模別や診療科別の傾向をわけたとしてもやはり一般化するのは難しいでしょう。このため、分析と対策の立案には、医療機関毎に個別に対応する必要があると思います。さらに、分析と対策の立案を行った場合でも、その発表には気をつける必要があります。ある対策が、当該医療機関で効果があったとしても、必ずしも他の医療機関でも効果があるとはいえません。これは、それぞれの医療機関が抱える、潜在的な問題が異なるからです。まずは、自らの組織の問題点を明らかにし、自らを知ることが大事です。そのことにより、自機関が抱える問題に対する改善のヒントを、他の医療機関の活動から得ることも可能になります。

われわれの研究室では、医療機関に関わらず、それぞれの企業・組織の状態を評価し、ヒューマンエラー発生に関わる諸問題を明らかにする方策を検討しています。さらに、個別の企業に対しては、それらの分析結果をもとに、各組織に応じた現実的な対策の指針を示すことも行っております。ただ、これらの活動は、まだ特定のフィールドに留まっています。今後は、よりフィールドの範囲を広め、システマティックに問題が解決されるような仕組みを構築していきたいと思っています。

ヒューマンファクターズ概論

本の紹介:ヒューマンファクターズ概論

著者:岡田有策
出版社:慶応義塾大学出版会
ISBN:4-7664-1171-4
価格:\2,625(本体価格\2,500)

<取材を終えて>

「ヒューマンエラー対策は一般化できない」という岡田助教授の言葉から、医療の多様性という基本的な事項を再確認させられた。しかし、有効な対策が普及されること、これが医療機関や患者の願いであるはずだ。医療安全確保における実効のある国家的政策が打ち出せていない中、岡田研究室のオピニオンリーダー的な今後の活躍に期待したい。

注:ここで紹介したフレームワーク評価は、岡田研究室でプログラムされております。ご興味のある方は、岡田研究室メールアドレスまで、ご連絡ご相談いただければ、岡田研究室で評価していただけるとのことです。評価自体は、55項目へのチェックという作業だけですので、およそ15分/人で終了し、図2、図3の結果とその組織におけるヒューマンエラー防止活動における大局的な問題点を表示することができます。

カテゴリ: 2006年5月30日
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