神奈川県立保健福祉大学 保健福祉学部 栄養学科 学科長 教授 中村丁次氏
今回は医療機関における栄養・食事面の安全について考えてみたい。スペシャリストは、社団法人日本栄養士会の会長であり、神奈川県立保健福祉大学保健福祉学部栄養学科教授・学科長でもある中村丁次氏。栄養士・管理栄養士の医療機関における活動は食事提供、栄養指導、臨床栄養管理の3領域に渡る。それぞれの領域にどのようなリスクがあるのか伺った。(取材日;平成17年5月23日)
医療機関における栄養士・管理栄養士の業務
医療機関における栄養士・管理栄養士の業務は主に次の3つです。
第1に「食事提供」。栄養士は、医師が発行した食事箋をもとに、その栄養量を満足するような献立を作り、調理、加工し、患者に提供します。
第2に「栄養指導」。生活習慣病のように慢性的な病気の場合、長期の食習慣を変えなければなりません。病院の中だけでは管理できないため、家庭の中でも自己管理できる能力をつける必要があります。そこで、入院、外来の患者に管理栄養士が栄養を指導します。
第3は「臨床栄養管理」。これは新しい領域です。管理栄養士が積極的に患者のベッドサイドに行き、直接栄養状態を評価判定し、計画をたて、その後の栄養状態をモニターしていくというものです。
では、それぞれについて、安全の視点からお話していきましょう。
(1) 食事提供
食中毒
食事提供に関しては食中毒対策が最大の課題です。食中毒の予防に関して、栄養士は食材の発注管理から保存、調理、加工まで、日々気をつけています。
しかし、どんなに厨房の中の衛生管理を徹底したとしても、入ってくる前に既に材料が劣化していたら防ぎようがありません。では入る前のチェックをどうするか。例えば豆腐の鮮度がどれくらいかという場合に、その豆腐屋がどれくらい食品衛生に厳格に取り組んでいるか、豆腐屋の工場まで行き、衛生管理が徹底されているかを見て、納入業者を決定することになります。
厨房を出てからの問題もあります。看護師が多忙で、食事を載せたワゴンが病棟内に放置される、患者が引き出しにしまっておいた食べ残しを後で食べようとする。こうしたことが原因で食中毒が起こることもあります。
実際に食中毒が発生したときの対策をたてておくことも大切です。食中毒が起こったらすぐに保健所に通達しなければなりません。保健所は通達を受けて調査立会いをし、厨房を閉鎖するかどうかを決定します。小規模な食中毒の場合、原因となった食材をメニューから外すことで厨房を再開できることがあります。しかし、大規模な食中毒の場合、厨房が閉鎖されます。500床の病院で厨房が1週間全面閉鎖されたら、毎日500食をどこから調達するかという問題がおきます。通常の飲食物であれば近所のお弁当屋から調達できます。しかし、治療食は個々人で異なります。その食事をどう供給していくか。対策としては、あらかじめ別の委託業者を決めておく、近所の病院の院長先生同士で食中毒の際には助け合うという書類契約を交わしておく、といったことなどが考えられます。地元の保健所とも相談して危機管理マニュアルを作っておくべきです。
薬は、運搬が楽で代用も見つかりやすいですが、食事の場合、生もので、1日に朝昼晩3回の大量になります。信頼できる委託先を決めておかないと、臨時調達のお弁当からまた食中毒が発生するという二次災害の可能性もあります。
厨房内でのリスク
厨房の中では、栄養士が献立を間違えて作る、使用する材料を間違える、調理員が料理の段階で間違える、お皿に盛り付ける段階で間違える、というように、さまざまな段階でミスが発生する可能性があります。
情報が正しく伝わらないという問題もあります。医師が入力した情報が、最初から最後まで、厨房の隅々まで伝わるシステムを作る必要があります。ただ、このようなオーダリングシステムにも問題があります。医師の最初の指示に間違いがあると全部間違って伝わり、途中で修正がききません。キャリアの少ない医師からは、理論的にあり得ない栄養量が指示されることがあります。たんぱく質○○gで、脂質△gで、総カロリーは□□と、計算したら献立として成り立たないものが指示されることがあります。もし、栄養士が内容を確認しながら入力すれば、「こんなことはメニューとしてありえない」とチェックすることが出来ます。トレイに載った食事を厨房から出すときに、食札と合わせて正しいかチェックする最終責任者も必要です。厨房内の多くのプロセスでは、いろいろな人間が関わりますから、誰も責任を取らなくなる可能性があります。チェック機能が働くような合理的なシステムで、責任の所在を明らかにする必要があります。
厨房を出てからのリスク
実はあまり言われていないのですが、食中毒以上に発生頻度が高いのは、配膳ミスや異物混入です。
厨房から正しく出されても、配膳ミスによりAさんの食事がBさんに出される、減塩しなければいけない患者さんに減塩食ではない通常の食事が出されてしまう、ということがあります。
普通、腎臓病の方には低たんぱく食となっており、肉や魚はほとんど出ません。それなのに、大きな肉が出てきたら患者さんは驚きます。患者さんが気付けばよいのですが、減塩食は見た目ではわからないから、そのまま食べてしまう。こういうリスクがあります。
(2) 栄養指導
薬と栄養の相互作用
ある食べ物が、薬の効き方に影響を与えることがあります。例えば、ビタミンKを含む納豆を摂取するとワーファリン(抗凝血薬)の効き目が弱くなる、血圧降下剤の服用時にグレープフルーツジュースを飲むと血圧降下作用が増強されて副作用の発現が高くなる、等です。
逆に、薬が栄養状態に影響を与えることもあります。例えば、抗がん剤によって食欲が落ちている、利尿剤によってカリウム排泄量が増大している。薬を飲んでいるために味覚が変わったり、消化吸収能力が落ちたり、栄養素の代謝が変わることもあります。管理栄養士が医師や薬剤師と情報を共有していなければ、正しい栄養指導ができません。医師は管理栄養士に検査値や投薬状況など臨床系の情報を流し、管理栄養士はこういう指導をしましたという報告をすべきです。これが現場で必ずしもうまくいっていません。医師は依頼しっぱなし、管理栄養士は指導しっぱなし、ということがあるのです。医師は、管理栄養士がどのような指示をしたのか時々チェックしたほうがいいです。直接話す時間がなければ、カルテの中に管理栄養士の書くコーナーを作るなどして書類上で情報交換する工夫をしたらよいでしょう。
例えば糖尿病患者の血糖値が下がった場合、情報が共有されていなければ、管理栄養士による食事療法が効いたのか、食事制限を守らなくても薬が効いたのかがわかりません。もし、食事で効果が出たのなら薬物をそんなに使用する必要はありません。逆に、食事制限を守っても血糖値が下がらないなら、それなりに薬物を強くしていかなければならないでしょう。そういうところの情報を密に交換していく必要があります。
患者の話を聞きだす
栄養指導では、カウンセリングで、患者さんの生活の中に入り込んだ話もしますから、患者さんが信頼してくださることが多いです。医師や看護師に対する不満、治療に対する不満を聞くこともあります。よく食事に不満を言う患者さんがいますが、話を聞いてみると、実は、食事ではなく病院のやり方が気に入らないということがあります。主治医に文句を言えないから、身近な食事に対して文句を言っているのです。薬や医療機器と違って、食べることは現象が身近でわかりやすいから、不満の対象になりやすいのでしょう。患者さんにとって身近な「食」を扱う栄養士・管理栄養士もまた身近な存在なのです。表面に出てこない不満を聞きだすことは、リスク管理の観点からも良いことだと思います。
(3) 臨床栄養管理
病院内栄養失調とコストパフォーマンスを背景に生まれた領域
1970年代、アメリカでHospital Malnutrition(病院内栄養失調)ということが発表されました。入院患者の半分以上が栄養失調になっているのではないかという報告が出たのです。そこで栄養の専門家である栄養士がもっとベッドサイドに行って、医師と協力、連携しながらこれを治していこうという動きが世界中で出てきました。
今後、日本人の疾患は生活習慣病がメインになってくるでしょう。生活習慣病の治療には、生活習慣を改善するのがFirst Choiceだと思います。医師の方にお願いしたいのは、非感染性の慢性疾患についてはまず食事療法をしていただきたいということです。食生活を改善してもらい効果をみていただきたい。また、入院中に栄養状態が悪くなると、薬の効き方が悪くなりますし、入院日数は長くなる、QOLは低くなる、免疫機能が落ちるということがあります。栄養状態をまず良くすることで薬の効き方も良くなりますし、QOLも上がるし、在院日数も短くなります。
欧米で臨床栄養学に興味が持たれはじめた原因はコスト面にもあります。コストパフォーマンスの観点からも、むやみに薬を使わずに、栄養に関心を持っていただきたい。食事療法、栄養療法は薬と比べると安上がりの医療です。
こんなときは管理栄養士に相談を
医師の方は、管理栄養士をもっとベッドサイドに呼んだら良いと思います。食欲がない患者がいたら、なんとかできないかと相談してみて下さい。管理栄養士は食欲や味覚の具合や摂食能力や嚥下能力を考えながらアドバイスすると思います。
最近は病気の状態が大変複雑になってきています。高齢者には、糖尿病、肝臓病、心臓病の合併症という方もいます。すると糖尿病には低カロリー食、肝臓病には高カロリー高たんぱく食、腎臓病には高カロリー低たんぱく食という矛盾が生じます。そこで1人ひとりの栄養状態を見ながら、例えば、この患者はまずたんぱく質を制限することが大事だとか、プライオリティの高い項目を決めていくことが必要になります。そういう相談も管理栄養士にし、個々に対応できるような栄養のプランを作らせ、医師が見て良いと納得できたらそれを処方すればよいと思います。
経腸栄養剤は50~60種類ぐらいあり、内容はどれも異なります。医師は、これだけの内容をおそらくご存知ないと思います。薬ではないから薬剤師もわかりません。しかし、管理栄養士に聞けば、大体わかります。下痢が止まらない患者の栄養剤を変えたいときには、管理栄養士に「浸透圧の低い経腸栄養剤はないか」などと相談したらよいと思います。
栄養に関連した事故
中心静脈栄養(IVH)で高濃度のグルコースを入れる際にビタミンB1を併用しなかったために、アシドーシス(血液のpHが生理的範囲を越えて低くなった病態)を起こして死者が出たことがありました。ビタミンB1は解糖に必要な補酵素です。グルコース(ブドウ糖)の解糖にはB1がどうしても必要なのです。これは栄養学では基礎中の基礎です。
この事故が起きたとき、日本の医学教育には栄養学が含まれてないからこういうことが起こるのだと言われました。しかし、アメリカからは日本の管理栄養士は何をしていたのかと言われました。死に至るまで放っておいた管理栄養士がいけないと責められました。B1が不足していれば脚気症状が出る。それを主治医に報告するのは管理栄養士の役目だ。何故ベッドサイドに管理栄養士を置いていないのかと。ベッドサイドに管理栄養士を置いていない国はそれほどめずらしいのです。
通常の臨床検査で、血中のたんぱく質、脂質、糖質、ミネラルの関連物質は計っていますが、ビタミンを計っているところはほとんどないと思います。今の日本の方法では、患者にどのビタミンが欠乏しているのかわかりません。
アメリカの臨床栄養士はペンライトを持ち歩いています。患者さんの口を開けて口腔の粘膜を観察したり、眼底や、血管、皮膚症状を見たりしながら、ビタミン欠乏症を見つけているのです。そして、例えば「ビタミンAを測ったらどうですか」とrecommendationを書きます。ビタミンを計る検査にはお金がかかりますが、まず外見を診てから検査すれば大体当たります。日本でも臨床教育を受けた管理栄養士がベッドサイドに行っていれば、あのような事故は防げたのではないかと残念に思うのです。
栄養士・管理栄養士をとりまく環境の変化
医療法施行規則では、栄養士は100床以上の病院に1名以上いればよいことになっています。どんなに大きな病院でも最低1名の栄養士がいればそれでかまわないわけです。
欧米では給食(フードサービス)を行う栄養士と、ベッドサイドで医師と一緒に仕事をする臨床栄養士(CD;Clinical Dietitian)の2種類が存在します。そして1病棟に1人以上のCDを配置することは常識です。
日本ではこのCDの養成をしてこなかった。これは日本の医療制度の中で大きなミスだと思っています。
栄養状態を評価、判定する専門家がいないから、患者さんは栄養状態が良いのか悪いのかわからないまま入院期間を過ごしているのが現状です。これからは管理栄養士がベッドサイドで栄養アセスメントをし、その結果を主治医に報告するようにすべきです。栄養状態の評価、判定に管理栄養士は貢献できると思います。
平成12年3月の栄養士法改正により(平成14年4月1日施行)、それまで曖昧だった栄養士と管理栄養士の違いがはっきりしました。栄養士は献立、調理といった対物業務を中心に、管理栄養士は医師や看護師と一緒に患者を診る対人業務を中心に、というように役割分担を明確にしはじめたのです。管理栄養士の教育内容は「臨床栄養学」を中心とした新カリキュラムに沿ったものに変わり、人を対象にした栄養の話で貫かれています。人を扱う業務になりますから、生命倫理やインフォームド・コンセントから、カウンセリングの技法や心理学の知識まで網羅しています。また、疾患ごとの栄養療法や治療の内容も含まれています。
コストパフォーマンスの高い医療が求められる中で、臨床領域での栄養は重要性を増しています。しかし、今の医学教育には栄養学が含まれていないので、栄養学に興味がない医師が多いというのはやむを得ません。これは日本だけでなく世界に共通して言えることです。医学教育はますますタイトになっていますから、栄養学まで要求するのは難しいでしょう。ただ、医師も栄養に関心は持ってもらいたいと思います。そして、細かい各論については管理栄養士がそれなりの教育を受けはじめていますので、管理栄養士をもっと活用したらよいでしょう。
医療機関の安全に、栄養士・管理栄養士が貢献する部分がとても多いことがわかった。管理栄養士が今以上にベッドサイドに赴くことで、栄養・食事面での安全が高まることを期待したい。