福岡地方裁判所平成18年1月13日判決 判例時報1940号140頁
(争点)
- 新生児仮死発生の機序
- 胎児仮死遷延回避義務違反
- 胎児仮死遷延回避義務違反と損害との因果関係
(事案)
平成4年9月1日、X1は、Y医療法人の開設する産婦人科(以下、「Y医院」という。)で、Y医療法人の理事長でもあるH医師の診察を受けたところ、出産予定日は平成5年4月29日であると診断された。以後、X1はY医院において妊娠経過の診察を受けてきた。
平成5年4月28日16時22分、(以下、単に時間のみを記載する場合は、同日の時間を指す。)Aが娩出した。その際、Aは、筋緊張がだらりとしており、刺激反射は反応なく、皮膚色は全身蒼白又は暗紫色、弱々しい泣き声で、生後1分のアプガースコアは3程度であった。
H医師による搬送依頼を受けてT病院のO医師がY病院に到着したところのAの心拍数は100以下であり、重度の新生児仮死状態にあった。また、全身に緑色の胎便が付着していた。
O医師はその場でAに対して気管内挿管をし、保育器に入れて100パーセント酸素を投与しながらドクターカーで搬送し、17時5分、T病院新生児センターに搬入した。
なお、O医師が上記気管内挿管をした際、肺への空気の入り方は良好であった。また、挿管した際、気道内の胎便が引けたが、胎便の量は、気道内を完全に塞いでしまうほど大量ではなかった。
T病院新生児センター搬入後の診断では、低酸素症による新生児重症仮死、胎便吸引症候群、アシドーシス、低酸素性脳障害がみられた。
上記診断を受けた処置として、気管内洗浄をした後、呼吸不全を予防するためにサーファクタントを補充し、アシドーシスを改善するためにメイロンを投与し、低酸素性脳症による脳浮腫の予防のためグリセオールを投与し、痙攣出現及び肺炎に対して薬剤投与などを行った。
なお、Aの血液ガス検査の経過からは、肺への損傷は重くならなかったことが認められ、胎便吸引症候群はそれほど重度のものではなかったことが伺われた。
Aは、平成5年6月26日、T病院を退院した。
もっとも、Aの回復は悪く、低酸素症による脳損傷が深刻であり、重篤な低酸素性脳障害(精神発達遅滞、脳性麻痺、続発性てんかん、小頭体)を後遺した(以下、「本件後遺障害」という。)
なお、Aに対しては、免疫不全及び胎内感染を疑った検査を行ったが、いずれも異常を認めなかった。
また、Aには、小頭症が見られたが、低酸素性脳症のために脳の萎縮が生じる二次的な小頭症であり、出生時は正常値であった。他に、Aに先天性疾患を示す所見はなかった。
AはT病院退院後も全介助を要する状態であり、両親が毎日介護した。退院当初は経管栄養摂取で、2歳までしばしば上気道炎、気管支炎を起こし入退院を繰り返した。
平成7年9月(当時2歳)から平成12年3月(当時7歳)まで、肢体不自由児通園施設に通園し、同年4月からは養護学校に入学したが、その間も重症低酸素性脳障害が改善することはなく、全介助の状態は変わらなかった。
平成13年10月、Aは、風邪でF大学病院を受診したところ、気道が閉塞していると診断され気管切開手術を受け、同年11月以降、気管支炎などによる入退院を繰り返すこととなった。
平成14年8月29日、Aは気管狭窄による窒息を直接の原因として死亡した。
そこで、Aの遺族(父母)であるXらは、Aの後遺障害及び死亡は、Y医院の医師が胎児仮死遷延回避義務及び娩出後の救命義務を怠ったためであると主張して、Y医療法人に対し、債務不履行に基づき損害賠償請求をした。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 1億768万1180円
(内訳:逸失利益3916万1180円+慰謝料2500万円+介護付添費3352万円+弁護士費用1000万円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 6873万9416円
(内訳:逸失利益2072万9417円+慰謝料2500万円+入院付添費1676万円+弁護士費用625万円。相続人が複数のため端数不一致)
(裁判所の判断)
1 新生児仮死発生の機序
この点について裁判所は、Aは娩出後重度の新生児仮死状態にあったこと、全身に胎便が付着し、羊水が混濁していたこと、蘇生後の回復は悪く、本件後遺障害を後遺したこと、本件後遺障害は、それほど重くなかった胎便吸引性症候群のみでは説明できないこと、Aに他の先天性疾患などの原因もないこと、分娩監視記録上では、13時7分ころから胎児の異常を示す所見が認められたことを考えると、Aは、胎内において、13時7分ころから、継続した胎児仮死状態にあり、その胎児仮死が原因で、新生児仮死及び胎便吸引症候群となり、その結果、本件後遺障害を負うに至ったと判断しました。
これに対し、病院側は、Aが新生児仮死となった機序は、羊水過多症によるものと主張しました。しかし、羊水過多症の臨床症状としては、胎動が強く、胎児の回転が多い、子宮底の上昇、静脈瘤、嘔気などがあるが、X1について、これらの臨床症状は認められていないこと、H医師は、「羊水過多症と考える理由は、児頭が娩出するときに泡が出てきたし、胎児が出た後に羊水が多量に出たからであり、泡についてはO医師に伝えた」旨供述するが、O医師は、「泡を現認したことはないし、Y医院においてはH医師と詳しい引き継ぎをする時間はなく、Y医院においてH医師から泡をぶくぶく噴いたという話を聞いた記憶はない」と証言していること、H医師自身、羊水過多症を疑ったのは後になってからであること、Y医療法人及びT病院の診療録には、そのような記載がないことからして、H医師の上記供述を直ちに信用することはできず、他に、羊水過多症を認めるに足りる証拠はないと判示し、病院側の上記主張を採用しませんでした。
2 胎児仮死遷延回避義務違反
裁判所は、H医師には、Aが胎児仮死状態にあった13時7分ころ以降できるだけ早い時点において、分娩監視記録から胎児の異常を読み取り、母体の体位変換及び酸素投与などを実施し、改善しなければ急遽遂娩を行うべき注意義務を怠った過失があると判断しました。
3 胎児仮死遷延回避義務違反と損害との因果関係
この点について裁判所は、本件後遺障害に至る機序は、胎内において胎児仮死状態に陥り、それが原因となって新生児仮死となったことにあると判示しました。そうすると、本件では、仮にH医師が、13時7分以降胎児の状態が悪化したころに母体の体位変換及び酸素投与等を行い、改善しなければ急速遂娩に移ったならば、Aは健常な状態で娩出された蓋然性が高いといえるとしました。即ち、胎児仮死遷延回避義務違反がなければ、本件後遺障害は生じなかったといえると判示しました。
また、Aの死亡も、直接の死因は気管狭窄による窒息死であるが、これはそもそも本件後遺障害の状態下で生じた気道閉塞に端を発したものであることに照らし、Aの本件後遺障害と死亡との間の相当因果関係があると判断しました。
以上から、裁判所は上記(裁判所の認容額)の範囲で、Xらの請求を認めました。その後、判決は確定しました。