大会長講演「学びを続ける。~継続的な学びを通じた安全文化の醸成を考える~」要旨採録
北里大学病院 医療安全推進室
副室長/医療安全管理者 荒井有美

荒井有美さん
医療の質・安全学会は2024年11月29、30の両日、パシフィコ横浜ノースで「第19回医療の質・安全学会学術集会」を開いた。今回の開催テーマは「学びを続ける。The Power of Sustainable Learning.」。大会長の荒井有美さんは30日の講演で「学びを続ける。~継続的な学びを通じた安全文化の醸成を考える~」と題し、自らの足跡を踏まえながら、学ぶことの大切さや、医療安全にもたらす学びの効果などに寄せる熱い思いを語った。
自ら経験した薬学と看護学の学びの違い
今回の学術集会ではテーマを「学びを続ける。」とした。「学び続ける」ではなく「学び」という名詞と「続ける」という動詞を「を」でつなぎ、最後に「。」を打った。「学び」が強調される効果を狙ったものだ。何から学ぶか、何を学ぶかは立場や職種などで一人一人異なる。そのうえで、各々の目線で学術集会に参加していただきたいと考えた。
ポスターの図柄は、知識と学びの象徴である本を土台とし、情報の最新化が常に行われるという思いを託した。その上に描かれているさまざまな人々は医療チームの専門性と多様性を表す。連携によって患者の多様なニーズに応え、医療の質と安全性を高めるという意味合いも込めた。背景の点と線のネットワークは医療の進化と知識の共有を示すと同時にグローバルをイメージしてもいる。
私は1990年から1997年まで北里大学病院東病院の病棟薬剤師として働いた。病棟に薬剤師がいることがまだ珍しかった時代である。看護学部に通っていた1997年から2001年までは保険薬局やドラッグストアで働いた。
看護師という新しいキャリアをスタートした2001年から2006年までは北里大学病院の個室病棟に勤務し、領域を問わないさまざまな診療科のケアに従事した。2006年以降は医療安全部門に籍を置いた。薬剤師と看護師を経験したことで、職種や専門性による認識や常識の違いを痛感。また、教育方法にも大きな違いがあることを実感した。
端的に言うと、薬学は患者に適切な薬物治療を提供し、安全で効果的に薬物支援することを学ぶ。これに対して、看護学では身体的ケアに加え、心理的・社会的・環境的な側面を包括的に捉え、患者のQOLや日常生活の自立支援、治療への適応支援などを学ぶ。
2004年に当施設でメディケーションエラーを経験した。この事例では口頭指示や薬剤を病棟常備することで薬剤師のチェックが入らないことが問題視された。
医療安全管理者としての学び
すでに述べたように、薬剤師と看護師を経験している経緯から、私は医療安全管理部門に身を置くことになった。任務を受けたものの、何から手を付け、何をどう進めていけばよいのか分からない。そこで、日々寄せられるインシデント報告を読み込むことから始めた。
そんななか、2007年に厚生労働省から「医療安全管理者の業務指針および養成のための研修プログラム作成指針」が示された。指針は、医療安全管理者の職務として(1)安全管理体制の構築(2)医療安全に関する職員への教育・研修の実施(3)医療事故を防止するための情報収集、分析、対策立案、フィードバック、評価(4)医療事故への対応(5)安全文化の醸成――を挙げている。
このうちでは、演題にも用いた「安全文化の醸成」が特に重要であり、非常に難しいと思う。英国の心理学者であるジェームズ・リーズン氏は著書『組織事故―起こるべくして起こる事故からの脱出』で「安全文化の4つの構成要素」を言及した。「報告する文化」「正義の(公正な)文化」「柔軟な文化」「学習する文化」である。ここでも「学習する」ことの大切さが説かれている。
私は医療安全管理部門に配属されて2年後の2008年に、医療安全管理者の役割を担うことになった。受動的に医療安全に取り組むだけでなく、主体的に管理、すなわちマネジメントが求められる職務である。
この役割が導入された当初、多くの病院で私と同じように看護職がその任を担うことが一般的であった。しかし、看護師として入職したにもかかわらず、突然医療安全に関わるように指示されると、当時の私のように何から始めればよいのか戸惑う看護師は少なくないだろうと思った。
そこで、医療安全管理者の実態を体系的に捉えることに興味をもった。当時は働きながら大学院の修士課程で学んでいたので、医療安全管理者の心理的負担を研究テーマとして面接調査することにした。そのまとめは2011年の学術集会で発表している。
知識を共有し明確化することの大切さ
『有害事象の報告・学習システムのためのWHOドラフトガイドライン』(一般社団法人日本救急医学会、中島和江監訳)は、有害事象やエラーの報告の目的を「過去の経験から学ぶ(learn from experience)こと」と位置付けている。これは患者安全を推進するうえで最も基本的な要素であり、この考え方は私の支えとなった。
同時期に知ったナレッジマネジメントという言葉も私にとっての大きな学びとなった。ナレッジマネジメントは「暗黙知」を「形式知」に変換することだとされている(参考:野中郁次郎、竹内弘高『知識創造企業』、東洋経済新聞社、2016)。
暗黙知は人間一人一人の体験に根ざす個人的な知識信念やものの見方、価値など無形な要素で、いわゆる「職人技」であろう。形式知は数学的表現やマニュアルなどに見られる形式言語で表現できる知識である。
医療安全管理者が日々対応するインシデント報告には、医療従事者の経験や気づきが蓄積されている。これらの知識を活用するナレッジマネジメントはチーム医療の役割拡大とともに重要性を増している。
私が看護師になった時、先輩の採血技術には教科書に書かれていないコツのようなものがあることを目の当たりにした。現場にはそういう一人一人が体得した工夫や技がたくさんある。一方で、現場で経験したヒヤリハットとその対処法は自分だけの知識や経験にとどめるのではなく、みんなで共有して活かすことが大切である。このような知識の共有と明確化は、まさにナレッジマネジメントではないかと思う。
薬剤師と看護師を経験したことで痛感したのは多職種連携のシナジーである。各職種が専門的な知識を持ち寄り、協力して医療を提供するプロセスで知識と経験を共有する。つまりナレッジマネジメントの視点で専門性を統合・活用することにより多職種連携のシナジーを最大化することが大切ではないかと思う。このことから、個別では気づきにくいリスクの顕在化や適切な予防措置の実施に大きな効果を発揮すると考えられる。
組織変革のプロセスを学ぶ
医療安全管理部門では、日々さまざまなインシデント報告に目を通す。報告を受け取るだけでなく、解決の道筋を示し、フィードバックを行うことが求められる。その思いは常に臨床の現場に向けられている。
問題解決には多職種がチームで取り組む必要がある。北里大学病院では、ワーキンググループやプロジェクトなど約13のチームが常に活動している。こうした活動を通じて、一つの職種だけでなく、さまざまな職種の知恵を合わせることの重要性を学んだ。
半面、多職種が集まると、コミュニケーションエラーを起こす可能性がある。その背景には価値観の違いや「言ったつもり、聞いたつもり」といった認識のズレがある。そこで、チームで仕事をする際に起こり得るコミュニケーションエラーを回避する方法を知りたいと考え、米国・ミネソタ大学で「チームSTEPPS」と呼ばれるチームワークトレーニングプログラムを学ぶ機会を得た。
チームSTEPPSは「組織変革のプロセス」でもある。「チームSTEPPSによって組織をどうしたいのか」を考え抜く必要がある。これが米国でのチームSTEPPSの学びであった。実際、配布された分厚いテキストには「文化の変革には時間がかかる。本当に終わることはない」と書かれている。
また、同トレーニングでは「指標の大切さ」を学んだ。「Key Metric! How to measure?」すなわち「あなたのしたいことは測れるか。それを測る指標は何か」を問われる。だから「チームSTEPPSを実施することが目的ではなく、なんのためにするのか」を明確に言わねばならない。この視点は、同じく米国のメイヨークリニックでの研修に参加した時にも強調され、医療安全管理者として大きな学びとなった。
ビジネスから学ぶ
医療業界とは直接関係のないビジネスの世界からも、多くのことを学んだ。米国でチームトレーニングを受けた時、事前課題図書として読むように勧められたのが「Our Iceberg Is Melting」(邦題:カモメになったペンギン)であった。これは、ビジネスの問題解決手法を学ぶ内容であった。
著者のジョン・P・コッター氏は企業におけるリーダーシップ論、組織改革論の権威であり、さまざまな著書を執筆している。医療安全管理者としてマネジメント力を身につけたいという動機から、ビジネススクールの単科を受講した。そこでは、ケーススタディ(ケースに学ぶ)やボードミーティング(ホワイトボードに書きながらミーティングを進める)といったビジネスナレッジを学んだ。クリティカルシンキングという論理的思考力のメソッドを通して、どんな会議でも、どんな活動でも「目的や論点・課題・問題」を明確にすることの重要性を学んだ。
ビジネスメソッドからはチーム活動を展開していくうえで、ロゴマーク作成の大事さを学んだ。ロゴマークは院内の医療安全活動の周知を図る上でも有用だった。これを活用することで、チーム全体で共有するビジョンやミッションの明確化と統一を図ることに役立つ。メンバー全員が同じ方向(目的達成)を向いて活動することができる。
例えば、当院でRST(Respiratory Support Team)を立ち上げた際にロゴマークも作成した。RSTは医師や看護師、理学療法士、臨床工学技士などで構成される呼吸療法サポートチームだが「院内をうろうろしている人たちはなんなの」と訝(いぶか)しがられることもあった。そんな時に「RST」の意味するロゴマーク入りのワッペンを付けていることで、その役割を周知した。
私たち医療安全管理者が付けている「医療安全」のワッペンのロゴマークも、自分たちがどういう活動をするチームであるかを示すために作ったものだ。企業がCI(Corporate Identity)の一環として活用しているロゴマークを採用していることから学んだ事例だ。
今回の学術集会では、テーマや目標に込めた思いを形にするため、ロゴマークを作成した参加者にその思いがしっかり届くよう意識し、デザインに反映させた。
安全文化を構成する4つの要素
これまでの経験を踏まえ、医療安全学の視点で、その要点を考えてみたい。医療現場で最優先されるのは適切な医療の提供であり、それを支える基盤として医療安全が不可欠であることに異論はないだろう。
この点について、優れた警句が形式知として残されているので、2つ紹介する。「問題なのは『優れた完璧な医療』という美辞麗句によって『日常の医療』についての議論がかき消されてしまうこと」(チャールズ・ヴィンセント、レネ・アマルベルティ)、「優先事項は患者に対する医療の提供」(チャールズ・ヴィンセント)。
こうした言葉が書かれた書物は、改めて医療安全について考えるきっかけを与えてくれる。私たちは日々、さまざまな場面でさまざまな選択を迫られる。そのとき頼りになるのは多くの「引き出し」をもっていることだと思う。学術集会はまさに、そうした学びを得るための場所であると思う。
学会を閉じるにあたって、安全文化を構成するのに大切な要素を4つの言葉にまとめた。
第一は「医療現場の変化に対応する適応力」だ。高度かつ複雑化していく医療に対応できる深い知識と高度なスキルは不可欠である。
第二は「医療安全の概念や技術の進化に適応すること」。他の業界と同様、医療の質と安全についても新しい視点が加わる。医療安全管理者にはそれを理解し、実践に反映することが求められる。
第三は「グローバルな標準化と国際的連携」だ。より高い医療を目指すためには、WHOや各国の取り組みから学び、国際的な医療安全基準を理解・導入する必要がある。
第四は「持続可能な安全文化を醸成すること」だ。安全文化を実践可能な行動指針として具体化し、医療現場の信頼性と安全性を向上させる基盤を作るためには医療安全管理者としてのキャリアの確立と継続的な学びが欠かせない。
A rolling stone gathers no moss.
薬剤師としてのキャリアに一区切りつけた時、多くの人から「辞めてどうするの」と問われた。すでに、看護師になることを決めていたので、そのように答えていたが、私の生き方や選択に対して「A rolling stone gathers no moss.」(転石苔むさず)という言葉をかけてくれた先輩や上司が驚くほど多かった。
それが良い意味なのかそうでないのかは確かめずじまいで今日に至るが、moss(苔)の捉え方には2つの立場がある。英国は「転々と職業や住居、行動などを変える人は成功できない」という捉え方だ。一方、米国では「絶えず活動している人は常に新鮮でいられる」と受け止められるそうだ。日本は「石の上にも3年」という諺があるくらいだから、英国寄りかもしれない。無論、私の気持ちは米国流の解釈だ。
どちらの意味であれ、物事の捉え方や価値観は個人個人によって異なる。「安全」という言葉一つとっても、その考え方や受け止め方は時と場合によっても変わる。どちらが正しいではなく、患者にとって何が正しいかに集中し、学びを続けることで最良の選択肢を増やすことが必要である。
その意味で、ナレッジマネジメントの実践こそが医療安全管理者にとって極めて重要な能力であることを強調したい。
取材:伊藤公一