「医療事故調査と医療の安全を考える」をテーマに開かれた研究大会
医療従事者や医薬品・医療機器などの製造販売者、医療の安全に関心をもつ市民などでつくる「医療の安全に関する研究会」(名古屋市、島田康弘理事長)は2015年12月13日、名古屋市内で「医療事故調査と医療の安全を考える」をテーマに第20回の研究大会を開いた。主要プログラムのシンポジウム「医療事故調査が医療の安全に繋がっていくためには何が必要か」では同年10月1日から施行された新たな医療事故調査制度を踏まえて3人の専門家が現状の取り組みなどを報告した。
信憑性と透明性を担保する外部委員
「医療事故調査と専門学会:日本心臓血管外科学会の対応を中心に」
上田裕一(奈良県総合医療センター総長、日本心臓血管外科学会理事長)
上田裕一氏
わが国では1999年の重大医療事故を契機に医療安全への取り組みが始まり、大病院での医療事故調査結果も注目された。
私が関与した、あるいは学会に相談が寄せられた病院では、医療事故が発生した後「院内医療事故調査委員会」の設置については、病院長を含む執行部と医療安全管理部が各施設のマニュアルに従って決定されていた。
医療事故調査委員会は「医療過誤か否かの判断を行うのではない」ことを明確にして、事故原因を究明するスタンスに立ち「なぜ医療事故が発生したのか」を突き詰めて検証すること、そして再発防止策の提言が目的であることを明記すべきである。院内医療事故調査委員会で問題となるのは、専門医療に関わる医療事故の場合、当事者や関係者を委員から外しているため、院内で精度の高い調査は困難で、専門性の観点からは不十分な調査にとどまることである。従って、調査の対象領域の専門医、看護師や技師などの複数の職種が、十分納得できる専門性の高い調査を行うためには専門学会の調査への支援が不可欠である。その際、専門医の資格だけでなく、分析手法の知識と委員会に参加した経験がある外部委員が加わることによって、実効性のある調査が可能となり、信憑性と透明性を担保できる。
日本心臓血管外科学会の取り組み
日本心臓血管外科学会は医療事故の軽重にかかわらず、当該の施設長から要請があれば院内事故調査委員会に外部委員を複数名、推薦してきた。外部委員には専門的医学知識だけでなく、専門領域の診療経験が十分にあること、すなわち医療の現場を知っていることが求められる。公平で正当な評価をするには、大学関連を越えた複数名の外部委員・専門医の参画が不可欠である。
医師だけではなく、臨床工学技士(体外循環技師)も必要に応じて推薦している。推薦委員だけでの判断では不確定な要素が残ると委員が判断した場合には、理事会にその疑義内容を相談できる仕組みも設けており、日本心臓血管外科学会としての公正、中立な分析と判断になるようにしている。調査委員会で十分な審議が行われるためには、委員長の裁量も大変重要であることは言うまでもない。
昨今は「医療の質」が問われる診療関連死が注目されている。心臓血管外科をはじめ、手術死亡も想定される外科領域、重症例や緊急手術などの場合には、単純な死亡率だけでは判断できず、個々の患者のリスクスコアを検討しなければ診療実態の評価はできない。
心臓血管外科では日本心臓血管外科手術データベース機構(JCVSD)に手術実績が登録されており、個々のリスクスコアに基づいてわが国の標準的成績とのベンチマーキングも可能である。なお、手術成績は執刀医だけでなく、心臓外科医と麻酔科医、多職種とのチーム体制、診断から適応判断や術後管理までの連続した診療体制が問われる。従って、複数の診療科が参加する死亡症例と合併症例検討会が定期開催されているか、医療職の労務管理体制の視点からも評価することが重要と考えている。
専門学会が事故調に関与する仕組みが急務
有名な『人は誰でも間違える:より安全な医療システムを目指して』は医療関連学会と医療専門職団体の役割について触れているが「真の医療の実績評価を可能にする唯一の存在は専門学会であろう。社会にとっての医療を評価し、改善するプロセスを主導しない限り、学会は自らの役割を果たしていないといえるのではないか」と記載されている。この重要な役割として、院内医療事故調査委員会へ各専門学会が関与する仕組みを早々に構築する必要があろう。
日本心臓血管外科学会のホームページのトップページを開くと「Circulation」というバナーがある。ここをクリックすると米国心臓協会が公開した心臓手術室の医療安全や患者安全などについての科学ステートメントの翻訳をPDF で提供している。無料公開しているので、ぜひ読んでいただきたい。
医療者は自分たちの足元を見つめ直せ
「Risk Vaccination」
尾崎孝平(神戸百年記念病院 麻酔集中治療部、尾崎塾)
尾崎孝平氏
ギリシャ経済破綻の原因は国民気質ともいえる恩顧主義にあると言われる。誰か上の人がやってくれるから自分は動かない、この考え方を聞いて私は即座に日本の医療事情によく似ていると思った。行政がレールを敷く医療事故調査制度に依存するだけでは、医療業界に存在するリスクを排除できないと考える。問題が起きたときに、医療者は当然わが身を守る方策に敏感になる。しかし、患者に降りかかるリスクにはそれほど敏感になれないし、事故が起こった際の患者への対応は教育もされていないし関心がないように思う。
医療事故調査制度を否定するわけではないが、医療者が医療のプロであると言うからには自身の問題を自ら解決しなければならない。そのために正論を100回唱えるよりも、不幸がどのような形で生じるかを具体的に知るべきで、そのほうが遥かに効果的だ。そこで、私はRisk Vaccinationという考え方を提唱している。具体的には訴訟となった医療事故の鑑定書(意見書)をすべての医師が顕名で書く義務を負うことを提案する。このワクチンは危険事象を認識するばかりでなく、疑似体験を持つことで医療者の心の奥底に潜む危険な逃避的思考が発動しないようにできる。
また現在、褒める指導が推奨されるが、褒めるだけで真に危険事象を回避できるであろうか。研修医を褒める一方ではなく「バカヤロー、それじゃ患者が死ぬだろう!」ということを熱く語る。言われたほうも怒ってもらえてよかったと感じる、本当はそのコミュニケーションを形成することのほうが大切ではないかと思う。
やむにやまれず立ち上げた「尾崎塾」
私は医療事故調査会の世話人になって20年以上経つが、この間に27件の鑑定書を書いてきた。鑑定書を書くのは一種の疑似体験であり、どのような不幸が患者を襲うのかを知り、私自身も事故の恐ろしさを身に染みて知った。
実はその27件のうち6割強が上気道閉塞、狭窄である。上気道の癌で窒息して患者が死亡する場合には、家族は納得する。しかし、検査時の鎮静措置などで原疾患と関係のない上気道閉塞で亡くなると、恨みを買いやすく非常に訴訟化されやすい。このような現実がありながら、私のもとには毎年毎年同じような事例が上がってくる。教訓がまったく生かされていない現状が放置されている。
まず、正確な分析ができないままに教科書的な記述だけが独り歩きし、対応策の多くは「呼吸を注意深く観察する」というだけになる。では、注意深くとはどういうことなのか。「なぜ」をきちんと知らされないままで終わらせ、早々に蓋をしてしまう。
こうした現状を目の当たりにして、なんとかしたいという思いで個人的に立ち上げ、啓蒙活動しているのが「尾崎塾」である。尾崎塾では私が書いた鑑定書を原文そのまま出している(ただし、個人名や施設名が特定されるものはすべて消去)。医師向けのセミナーでも学術的な考察内容を詳しく教えるよりも、実際に起きた事故の鑑定書をぜひ読んでほしいと訴えた。反響は良かった。
一方、鑑定書を書くのはつらい作業だ。筆が重くて仕方がない。それでもしっかり公平な立場で、原告側にも被告側にも偏ることなく誠意をもって臨まねばならない。その作業は当事者になって事故を疑似体験することに他ならない。供述調書には家族の肉声や医療者の隠したい気持ちがすべて出てくる。それらを知るということは事故の生ワクチンではないかと私は思う。
医療者の多くが知らないボンベの扱い
「医療ガスが止まったとき、どう診断し、どう対応するか」について講演した際、そのことに関する既知と未知の割合を自分の感覚で書いてほしいと参加者に頼んだ。医師は346人で麻酔医が約8割を占めたが、65.9%が未知と回答した。同じく未知の割合は看護師75%、理学療法士73%で、臨床工学士が48%と最も低かった。経験年数が関係するのかといえば、まったくそんなことはない。知らない人は死ぬまで知らず、教育もできない。そして、事故を起こして、やっと知る。
高圧ガスで満ちた酸素ボンベは口を切ると50メートル以上飛んでいく鋼鉄のロケットだ。しかし、そのことを実感する人は非常に少ない。毎日使っているボンベの扱い方を半数以上の医療者は知らない。医療ガスひとつとっても、高圧ガス保安法を遵守する他業種と比較すると医療はまさにブラック業種といえる。
救えるべき人を救うには、医療事故調査も大切だが、まず自分たちの足元を見つめ直せというのが私の結論である。
迅速かつ網羅的な事故報告が不可欠
「大学病院における医療事故の抽出と同僚評価の取り組みと今後の展望」
杉岡篤(藤田保健衛生大学副学長、肝・脾外科教授)
杉岡篤氏
医療法上の医療事故とは、医療に起因し、または起因すると疑われる死亡または死産であって、しかも予期しなかったものと定義されたが、不確定な定義である。医療事故という言葉には医療者自身の抵抗感が強いため、速やかな届け出につながらないという問題が根底にある。実際に医療者の過失によって発生したものは医療過誤であり、不可抗力による有害事象も含む医療事故とは明確に区別しなければならない。一般社会でも用語の使い分けをきちんとすることが第一歩であろう。
医療の進歩によって、本来助からない患者が助かるようになった。例えば、多くの医療機器に囲まれた集中治療室の重症患者は毎日200近い処置が施されていることがある。仮に99%確実に実行したとしても事故の確率は1%であり、毎日2つの事故が発生し、場合によっては致命的な事故につながりかねないことになる。高度な医療はそうしたリスクと背中合わせであり、医療者の負担は天文学的に増大している。
求められる、自発的な報告文化の醸成
当院の医療の質・安全対策部は部長、副部長以下23名のスタッフから成り、弁護士が常駐し、安全管理、医療の質、感染対策に携わっている。最近は安全管理専従の医師も誕生した。安全管理は片手間にできる仕事ではないので、これは当院の安全管理にとって画期的なことである。医療事故の報告件数を集計してみると、診療科ごとに大きな開きがあることが分かる。しかし、報告件数が多いから危険な診療科という訳ではなく、逆に安全意識が高いほど早い段階での報告件数が多く安全性が高い。自発的に事故を報告できる文化は自浄作用の現れだからである。
当院では重大事故の報告は網羅されているが、リアルタイムに報告されにくいことが一番の課題である。しかし、外圧で報告を強制しても改善には結びつかない。あらゆるネットワークを通して自発的な報告文化を醸成するべきである。WOM(word of mouth)と呼ばれる口コミ文化も重要である。院内で顔を合わせたときに「ちょっと大変なことがあったんだ」などと耳打ちされた情報は有益だ。われわれは安全管理室の中にとどまっているのではなく、さまざまな人と積極的にコミュニケーションをとりながら、些細な報告から重大事故の芽を摘むことが大事だ。そのためにも事故報告を個人の責任追及につなげないという信頼関係が前提である。自発的に事故報告ができる組織でなければならない。
自浄意識の高い専門医の育成、発掘を
われわれは重大事故が発生すれば、直ちに緊急事例検討会を開き、死亡・死産例では、まず異状死かどうかを確認する。今回の医療事故調査制度では異状死の取扱いは従来通りなので、問題が疑われれば警察にも届けたうえで、事故調査委員会を開く。事故調査委員会の課題はいかにして適正な専門委員を確保するかである。独立性、中立・公正性、透明性などの条件をすべて満たす専門医は限られているが、自浄意識の高い適正な人材を確保し、あるいは育成することは、大学病院の責務である。
医療事故調査制度の施行に伴い、われわれ大学病院には他施設の医療事故に対する支援団体としての役割も求められている。そのためには、医師会や基幹病院と協調して地域で有機的なネットワークを築き、日ごろから信頼関係と連携体制を構築しておくことが大切だ。重大事故の対応には迅速かつ網羅的な事故報告とともに情報収集や資料確保が不可欠で、そのためには大学病院の医療安全の経験に基づく人的、物的な支援が有効だ。事故調査委員会の開催に際しても大学病院の専門委員が加われば、高い専門性と独立性、公正・中立性、透明性を求めることが可能になる。医療の健全かつ安全な発展は、医療従事者の持続的な自浄、自立努力に基づく患者との信頼関係の確立によってのみ実現できると思う。