第3回医療の質・安全学会学術集会(2008年11月22日~24日)で、11月22日にシンポジウム「医療の質と安全確保のための医学教育」が開かれました。座長は中島和江氏(大阪大学医学部附属病院中央クオリティマネジメント部 病院教授)と森本剛氏(京都大学大学院医学研究科医学教育推進センター講師)。シンポジストは柳田国夫氏(東京医科大学霞ヶ浦病院 副院長)、小泉俊三氏(佐賀大学医学部附属病院総合診療部長)と座長2名が務めました。その内容をレポートします。出演者4人は、「医療の質安全学会」と「日本医学教育学会」が立ち上げた医療安全教育カリキュラムに関する合同ワーキンググループのメンバーでもあり、現在、医学生向けのテキストを作成中です。シンポジウムでは同ワーキンググループの議論内容も紹介され、医療安全教育への熱意を反映した討論が行われました。
小泉俊三氏
森本剛氏
中島和江氏
柳田国夫氏
「医療安全教育のデザイン」(森本剛)
医学生に対する医療安全教育のありかたについて、教育デザインの立場からお話しします。教育とは学習者の行動(知識・技能・態度)に価値ある変化をもたらすことで、逆にいえば学習者の変化が教育効果の証となります。教育のためにはカリキュラムが必要で、それは単なる時間割ではなく、学習のプロセスに基づいた教育活動計画でなければなりません。カリキュラムを作るときは目標、方略、評価の3要素を明確にして決めていきます。
これを医療安全に当てはめて考えると、患者さんの取り違えをしない、院内感染を予防したいなどのニーズがあり、ニーズを満たす目標、方略、評価方法を決めなくてはなりません。現状では医師国家試験出題基準や医学教育モデルカリキュラムの中に医療安全が触れられ、教養試験や国家試験で問題が出されたり、実地試験が行われたりしています。つまり目標と評価はありますが、方略がありません。
では具体的に、カリキュラムをどう作るのか。目標には一般的な目標と、「うちの病院は何百床のどういう病院だから何が求められる」という個別の目標が必要です。教育デザインではそれをさらに、知識・技能・態度の3つの分野にきちんと分けて設定することが重要です。米国ナショナルトレーニングラボラトリーの調査では、講義は6週間後には学習者の頭には5%しか残っていないという結果が出ています。自習で10%、視聴覚教材で20%、レポートで30%、討論で50%、実習で75%です。教授は講義をして教えたつもりでも、知識は定着していないのです。そこで方略(学習者がそれぞれの目標に到達するために必要な学習方法の種類と順序を具体的に示し、必要な人的資源と物的支援を選択して準備すること)が重要になります。医療安全の態度を身につけて欲しければ、講義を聞くという受動的な学習ではなく、カンファレンス、ケーススタディ、研究発表などの能動的な参加型の学習が必要です。技能を身につけて欲しければ、シミュレーション、実習などの体験的な学習が必要です。
評価のありかたも検討すべきです。何をどう評価するのか、誰が評価するのか。目的に合った測定方法を取ることが重要です。
「医療安全管理者が担当する医療安全教育」(中島和江)
私は大阪大学医学部などで平成11年から医療安全教育を担当していますので、その内容を中心に現状と課題をお話しします。
阪大では医学部3年生には他学部の学生と一緒に、生命倫理・法・経済の講義の中で医療安全の講義を90分行います。講義の目標は「To Err is Human」を認識してもらう、その一点に絞っています。エラーは日常的にあるというところから、医療現場でのSlip(似た名前の薬や外観が似ているために間違えるなど、意図しない間違い)、Lapse(日常診療でやるべきことをやり忘れたなど、記憶違い)、Mistake(行為は適切だが、意図や判断に間違いがある)というエラーの分類と具体例、医療安全は事故当事者の責任追及ではなく防止システムにつなぐ必要があるという概念、個人の安全マインドと全体の協力が必要であるという講義をします。レポートは身近なエラーとして、日常生活における自分の失敗談に基づく根本原因分析が中心です。
5年生に対しては「臨床医学特論」の中で90分3コマを取り、医療事故の頻度、疫学、用語、病院の取り組み、諸外国の取り組み、事故が起こった場合の対処、法的責任、医師法21条を取り巻く諸問題、医師賠償責任保険などを講義に組み入れています。各論はどれだけやってもきりがないので、具体例に深く入っていくよりは、医療安全マインドを育てることにフォーカスを当てています。
約10年の経験でうまくいかなかったことがいくつかあります。インシデントの事例分析、シナリオ提起に基づくロールプレイはうまくできませんでした。学生からの要望で招いた病院関係者、弁護士の講義もさっぱりわからないという結果に終わりました。医学的な知識も経験も不十分な学生に何をどこまで教えるべきか、難しさを感じます。
病院での医療安全教育は、講義が中心です。回数を増やす、出欠を取る、シールを渡す、DVDを配るなど、さまざまな工夫により参加者を大幅に増やすことができました。しかし全員対象の講義ですので、個人やチームのパフォーマンスを上げるにはどうすればいいかといった問題や、新しいトレンドとしてEラーニングなども取り入れたいがマンパワー・設備などインフラが不十分であるなどの問題を抱えています。また教育効果の評価も課題です。卒後教育まで含めた体系的・科学的な医療安全教育学の確立や、現場のインストラクターとしての人材をどう育てるかなど、多くの課題があると考えています。
「医療安全教育におけるモデルカリキュラム」(柳田国夫)
日本医学教育学会と医療の質・安全学会は平成19年11月に、医療安全教育について指針を策定する合同ワーキンググループを作りました。目的は医学教育、卒後臨床教育、生涯教育と、卒業して医師として成長する段階までの医療安全教育の指針を策定することです。その最初の活動として、現在、教育教材の開発に向けたたき台を作ったところで、2009年3月にはテキストを発行する予定です。
テキストのベースは、森本先生からお話があった教育デザインの概念に基づき、医療上の事故と対処の仕方、医療従事者の健康と安全、コミュニケーション、患者と医師の関係、患者の個別的背景理解などについて、一般目標と行動目標の両側面から目標を設定し、方略、評価を考えました。
テキスト作りは試行錯誤しながらの作業ですが、現状では講義のある大学とほとんどない大学の差が大きく、テキストが使用されるのかどうかという問題があります。しかし、医学生向けの標準的教科書を作り、求められている教育レベルを明示する役割を果たしたいと考えています。
「新しいdiscipline、医療安全学」(小泉俊三)
「discipline」とは「しつけをする」というような意味ですが、学生をしつけることが医学教育全体のどこに位置付けられるのか、米国の例で説明します。
米国では1911年にアメリカ医科学会が定義した「医学教育は自然科学をベースにしたものである」から医療安全理論がスタートしました。そして、今から40年ほど前、カナダのマクマスター大学で生まれたPBL(問題解決型授業)とEBM(根拠に基づく医療)が医学教育の原点となっており、これがdisciplineの基本になります。
日本では明治期にドイツ医学を取り入れ、第二次世界大戦後に米国式の医学を取り入れるという変遷があり、6年生で2年間の臨床研修制度という今の制度も戦後に作られました。 現在、医療安全は国家試験にも出る必須項目になっていますが、一方で大学の自由度が高まり、独自カリキュラムに予算が付くなどの制度があるため、一般教養がどんどん圧縮され、基礎的な自然科学知識に乏しい学生が増えるという芳しくないことも起こっています。もう一方で、新しい医師像として、グローバリゼーション、地球環境問題など広い視野を持った医師が求められています。こうした中で、医療安全だけでなく、医学生の教育カリキュラム全体について見直し、患者の生命と安全をベースにした知識、臨床現場でのマネジメント能力、コミュニケーション能力、対話能力などを育てるべきではないかと考えています。
討論
小泉俊三(佐賀大学医学部付属病院)
◎森本剛(京都大学大学院医学研究科医学教育推進センター)
◎中島和江(大阪大学医学部付属病院)
柳田国夫(東京医科大学霞ヶ浦病院)
◎:座長
- 森本
- 小泉先生は医学教育のカリキュラム全体についても触れられたのですが、「医療安全学」の中でのカリキュラムの変更についてはどう考えますか?
- 小泉
- 医学教育の発想そのものの変更の中で、安全教育のカリキュラムの見直しが必要な時期にきていると考えています。
- 森本
- 佐賀大学は比較的新しくてカリキュラムも新しいものを組み入れやすいのではないかと思いますが、逆に縦割り組織の中で、新しいものが非常に入りにくい現実的な難しさがあるのではないかと思いますが。
- 柳田
- 医療安全学を教える人間がいないというのがまず大きな問題です。医療安全学にどこまでを含めるのかというのも難しい問題ですが、臨床現場で医療安全を教える人間ということであれば臨床医は誰でも安全学を教えられる立場にいるのだと思います。
- 小泉
- 「看板」が大切で、中島先生のような先生がいて、こういう内容の講義が必ずあると明確にわかることが重要です。ほとんどのところは、そういう形がないまま、授業の中で教員が触れるという方法になっています。
- 中島
- 個人的には医療安全学は一つの領域として、サイエンスに基づく学問であるべきだと思います。大学においても「医療安全学講座」があり、専門家と若い教員がいて、学生に教えるというのがあるべき姿だと思います。横浜市立大のように1年から6年まで体系的なカリキュラムと学習の機会があるのが理想的だと思いますが、現実にそれが難しい場合でも、トピック講義でもいいから、なんとかそこで教えなければいけません。
会場からは「必要に応じて専門教員が教えている」「別々の教員がばらばらに教えている」といった各大学の現状や、「現況を把握するところから始め、医療安全学を独立させ系統立てて教育すべき」「医療安全教育の全体像を把握しマネジメントする人が必要」「卒後のコメディカルの管理も含めた安全管理学が必要」「教科書は医学生、看護学生どちらでも使えるものが望ましい」といった今後の課題や希望の声が上がりました。