2008年1月27日、医療安全推進者ネットワーク主催「インシデント・アクシデント分析手法セミナー」の概要を報告する。最初に佐々木会長が挨拶し、その後、河野龍太郎氏が講演した。
会長挨拶
ヒューマンエラー発生のメカニズム
安全は存在しない
安全とは「受け入れることのできないリスクがない」ことであり、「リスク」は存在するが「安全」は存在しない。安全の目標は「可能な限りリスクのレベルを下げる」こと、すなわちリスクの数を減らすか、一つひとつのリスクを小さくすることである。
ヒューマンエラー発生の古典的解釈
- 看護師Aは、薬品交換時、警報がうるさいため装置のアラームスイッチを「OFF」にした。
- 交換を終わって、看護師Aは、アラームスイッチを「ON」にするのを失念してしまった。
- 幸い、別な看護師Bが、スイッチが「ON」になっていないことに気がついた。
「注意しなさい」「気をつけなさい」「真剣さが足りない」という注意。
本人は「申し訳ありませんでした。以後気をつけます。」
このように「一人前のプロはエラーをしない」、エラーの原因は「精神がたるんでいる」または「注意力が足りない」せいであると理解されている。
これに対して、
- 「気をつけること」と文書で配る、または、ミーティングで周知する
- 「安全優先」のポスターを貼る
- 「安全に関する講演会」を開催する
が対策として取られるが、これらは安易な対策ワースト3である。
何故なら、効果が期待できず、加えて、担当者がすべきことを終えたと思うからである。効果が期待できない最大の原因は全て意識高揚であるという点である。何もしないよりはした方が良いが、意識のコントロールは非常に難しい。
- 注意は持続できない
- 記憶は永続的ではない
- 忘却する
- 記憶は変容する
- 外部環境の影響を受ける
- 心理学的環境の影響を受ける
→「注意も記憶も完璧ではない」という前提の下、対策を考える必要がある。
ヒューマンエラーとは
「人間の生まれながらに持つ諸特性と人間を取り巻く広義の環境により決定された行動のうち、ある期待された範囲から逸脱したものである。」
強調して言えば「ヒューマンエラーは、人間の本来持っている特性と、人間を取り巻く広義の環境がうまく合致していないために、引き起こされるものである。」
- 2つの変数
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- (1)人間が生まれながらに持つ諸特性
- (2)環境
がヒューマンエラーに影響している。
事故報告書を読むと、ヒューマンエラーは原因で書かれている。
ところが、ヒューマンエラーの観点から見ると、エラーは前のプロセスからの結果である。ヒューマンエラーを原因と考えず、結果と考えて、その前のプロセスに目を向けるべき。大事なことは見方を変えるということ。
人間の特性
睡眠不足による機能低下 | 24時間働き続けた場合、ビール大瓶2本を飲んだのと同程度 |
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加齢による機能低下 | 20代前半に比べ50代後半は視覚・聴覚・平衡感覚・記憶・夜勤後の回復力 が目立って低下 |
認識のゆがみ | 曖昧な情報は、「こうあって欲しい」情報に簡単にゆがめられる |
記憶 | 3日経つと20%しか記憶していない。以前の記憶が新しい記憶をゆがめる。新しい情報が古い記憶をゆがめる。 |
社会的手抜き | 人数が2倍、3倍になっても、力の合計は2倍、3倍にならず、1人が出す力は人数が多いほど少なくなる |
集団浅慮 | 自分たちは優秀であるという意識と、仲間同士の強い結びつきがエラーを起こす。 |
以上の特性を理解し、対策を立てる必要がある。
エラー防止対策の思考手順
事故の構造
- 特徴
- (1)連鎖切断による事故の回避可能性
- (2)背後要因はすでに類似事象で発生
- (3)構造は類似
背後要因の特徴は、木の根のような形になる。構造が分かれば、それを切ればよい。対策を取れば防ぐことができる。さらに小さな事象は類似事象として起こっていることがほとんどである。したがって、ヒヤリハットを集めて小さな段階で潰す必要がある。ツリー構造を分析する方法がMedical SAFERである。
事故事例を多数分析していくと、いくつかのパターンがある。
- 忙しいときに新人が処理オーバー
- 暇なときベテランが犯すミス
は全く事情が異なる。パターンで分類して対策を取るのが、一番効率がいい。
- 1.やめる(なくす)
- ヒューマンエラーを誘発する可能性のある作業をやめる。その作業(投薬、処置)は本当に必要か、必要でも、なるべく人を介さない、作業を減らすべき。「やめる」ことはもっともお勧めの方法。
-
- ○与薬行為
- 「グリセリン浣腸実施に伴う直腸穿孔」(財団法人医療機能評価機構)事故を防ぐため、ある病院では手術前の浣腸を止めることになった。やめることにより、リスクは減り、さらに別の仕事に時間を割くことが可能。
- ○転記
- アンプルについているラベルをそのままシリンジに貼る。さらに進めたものがプレフィルドシリンジ。既に貼り付けてある。
- ○針刺し事故
- そこに針があるから針刺し事故が起こる。それをシールドすればよい。
- 2.できないようにする
- 物理的・コンピュータで制約し、ある決められた方向にしか入らないように「形」や「大きさ」等を変えて機械的に制約する
- ○順番を間違うとピンが外れない
- ○ブレーキを踏まないとギアが入らない
- ○酸素と窒素の送風口の形状を変え、接続しないような誤接続防止デバイスを採用する。
- 3.わかりやすくする
- ○認識しやすい表示に
- ○間違いやすいものをそばに置かない
-形状の似た薬品は隣合わせに置かない
-同姓同名の患者・類似性名の患者は同室に入れない(山本勲(Yamamoto Isao)と山本久夫(Yamamoto Hisao)、江田恵美子(Eda Emiko)と伊田美恵子(Ida Mieko)) - ○定数管理、換算表、色分け(ただし、色分けが有効に働くのは、記憶の介在しない「照合時」だけ)
- 4.やりやすくする
- やりにくいと、注意が奪われエラーを起こす。やりやすくし注意の分散を防ぐ。
やりやすくすると作業が早く終り、別の作業に時間を割くことが出来る。
安全と効率は同じベクトルである。製造業では安全・効率・品質は同じベクトルであるという認識がある。 - 5.知覚能力を持たせる
- ○ベストな身体状態の維持(深酒、睡眠不足などの回避、休息をとる(とらせる))
- ○自分の感覚感度の理解(加齢による感覚器官(反応時間・記憶力・順応力)の劣化を理解)
- 6.認知・予測させる
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- ○KYT(危険予知トレーニング)
- 「○○する時は、注意してやりなさい」が有効に機能するためには、その状況に置かれたとき、エラー発生予測ができないと、「どこに、どのように」気をつけていいのかが分からない。写真でトレーニングし、危険感受性を高める。
- ○TBM(tool box meeting,作業前のミーティング)
- 作業前のミーティング。勤務交代時に皆で集まり、「インシュリン1mlは何単位?」といった簡単なクイズをする。一年間で相当量の復習が出来る。
- ○経験の共有化
- 1人の経験できる範囲は限られている。インシデントレポートを自分の立場に置き換えて考える。
- 7.安全を優先させる
- 管理者が言葉ではなく、行動で示さなければならない。
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- ○職業的正直(Professional Honesty)の実践
- 安全のために「分からないことを分からない」と勇気を持って言う態度。後輩看護師から聞かれて、知らなかったのに「OK」と返事をし、事故になった事例もある。専門外のことを知らないのは当たり前という認識で、分からないことは「やらない」「聞け」「答えるな」。
- ○患者からのクレーム
- 「今度来た看護師は人の名前を何度も聞く。馬鹿じゃないか!」というクレームによりわかることは、この病院のほかの看護師は「患者の同定に名前を聞く」というルールを守っていないということである。
医療安全システムは油断すると病棟ごとにローカルルールができやすい。病院全体で決められたことは守らなければシステムが脆弱になる。不安全行動の多くは先輩が示している。
- 8.できる能力を持たせる
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- (1)タスク遂行に必要な身体的機能チェック
- (2)タスク遂行に必要な技能のチェック
- シリンジポンプは極めて危険な器械にも関わらずマニュアルを読んでいない。シリンジポンプの原理をよく理解する事が事故を防止する("Know how"から"Know why"へ)。
- 9.自分で気づかせる
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- (1)リチェック-上からチェック、下からチェック、ダブルチェック、トリプルチェック
- (2)指差呼称
実験で、3分の1~6分の1程度にエラーが減ることが実証されている。病院では「呼称」ができないので、自分の行為が他人に分かるようにする(show and be shown)
- (3)セルフモニタリング
- 10.検出する
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- ○チェックリスト
- 抜けたときに気づかないので、原則暗記は禁止。
ある一定の能力が無いとチェックリストを使ってはいけない。「誰が」使うかがポイントとなる。使用者の能力管理が重要。
操作が終了したら「○○チェック完了」とコールアウトすることが重要。 - ○警報
- 医療システムにおける警報はフォールスアラームが多いなど、問題がある。心電図モニタは音だけでは判断できず、画面を見なければ判断できない。フォールスアラームを減らすためにはシステムを理解しなければならない。
- ○道具の管理
- 工具類を吊るしてある壁にその工具の絵を書き、何がないのか分かるようにしておく。
本棚に置いてあるファイルの背表紙に連続した絵を書いておく。 - ○チーム
- 人間環境を良くし、コミュニケーションをとりやすいようにする。
多職種に渡るチームで事例解析を行うことにより、色々な意見が出て、人間関係も変わってくる。医師を参加させることにより、医師の意識も変わる。
与薬プロセスにおいて、医師のエラーがその後のプロセスで発見される確率は48%。医師は、エラーのかなりの部分が看護師、薬剤師により発見されているという事実から、間違いの可能性を指摘してもらうことでセーフティーネットを手に入れることができる。そのためにもコミュニケーションのとりやすい職場環境を。一方看護師のエラーは2%しか発見されない。看護師は自分で発見するしかないという事実を受け入れ、指差し・ダブルチェックなどの対策を考える。 - ○ダブルチェック
- 人間だから確認する。「君という人を信じないのではない。君が人だから信じないのだ」
- ○Finger check list
- 指に意味を持たせチェックリストとする。「親」は「時間」にうるさい、「人」の「名前」、「中」に入れるルート、「薬」、「小」児は量が大事。
- 11.備える
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- ○物理的エネルギー緩和
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転落 ベッドから落ちることを予想して、ベッドを低くする。下にクッションを置く 代替手段 Aが失敗したときのためにBの手段を用意しておく バッテリーバックアップ 主電源が切れたときに、バッテリーが機能を維持する。人工呼吸器は止まると人命に関わるのに、オプションでしか付いていない。 - ○保険
- 金銭的損失に備える。
- ○組織的対応
- 事故が起こった時の対応を決めておく。
- ○記者会見の心得
医療安全のための活動
医療システムの構造上の特徴
- (1)中断作業が多い
- (2)多重タスクである
- (3)制御対象(患者)の状態が異なる
- (4)時間的圧力が高い
- (5)情報の種類が多く、量が多い
- (6)通常状態はなく、常に異常状態である
- (7)やるべき作業そのものが多い
- (8)常に危険なものを取り扱わなければならないため大きな緊張を強いられる
- (9)標準化が遅れている
など、たくさんのエラー誘発要因につながる可能性のある問題が備わっている
5Sの自己チェック
□1 | 職場は書類が整理されているか | →間違った書類に記入する可能性がある |
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□2 | 必要な書類がすぐ取り出されるか | →探す時間がかかるので仕事の余裕時間がなくなり、急いでやると間違う可能性がある |
□3 | 院内の廊下には不要なものが置かれていないか | →患者が転倒する可能性がある |
□4 | 使用していない医療機器が置かれていないか | →間違った機器を使う可能性がある |
□5 | ナースステーションの掲示は整頓されているか | →必要な情報が伝わらない可能性がある |
□6 | 掲示するものの掲示場所は決められているか | →情報が伝わらない、探すのに時間がかかる可能性がある |
□7 | 不要な掲示物が壁に貼られていないか | →大事な情報のじゃまとなる |
□8 | 受付は患者さんが混乱しないようになっているか | →混乱すると説明に時間がかかる →患者が混乱して間違う可能性がある |
□9 | 汚れた制服を着ていないか | →感染の原因になる可能性がある →患者が不愉快になり、不信になる可能性がある |
□10 | 仕事の手順は標準化されているか | →必要な処理が実施されない可能性がある |
□11 | ゴミ箱のごみがはみ出ていないか | →感染の原因になる可能性がある →作業のじゃまになる可能性がある |
(NDP,福丸、2007より)
分かりやすくすることにより、1分/1人のロスタイムが改善されると仮定すると50人規模の医療機関では、1年間で1分/1人×50人/1日×365日=18,250分≒304時間の節約になる。
安全と効率は同じベクトルである。
- 分かりにくい指示書の場合、
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- (1)看護師が判読のために費やす時間のロス
- (2)言葉による情報伝達のリスク
- (3)問い合わせの電話による中断作業
5Sで期待される効果
- 直接的メリット
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1. 効率の向上 探す時間が少なくなるので、仕事の正味時間が増え、集中度・リズムが良くなる 2. 品質の向上 仕事上のミスや、機械トラブルが減り、品質が良くなる 3. 安全の向上 不安全行動・状態が減り、障害や事故が減って、安全が確保される - 間接的メリット
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1. 自主性の向上 職場ごとの小集団で、次々と身近な改善に取り組んでいくので、各人やグループの能力向上が図れ、自主性が発揮される 2. リーダーシップの向上 集団目標達成のために、メンバーが連帯感を持ちながら自分のリーダーシップを向上させていくことができる 3. チームワークの向上 5S運動を通じて各人の長所をうまく組み合わせれば、集団として大きな力を発揮し、チームワークを向上させることができる
カイゼン活動
- ○少なくとも、ナースステーションなど皆が使用する場所は整理・整頓をしなければならない。コツは、全てのものに収納場所を作り、小さな違反をも逃さないこと。漏れがあるとどんどん広がってしまう。
- ○タスクとリソース
- ○乗っ取り型のエラー
看護師Aは、点滴パックに指示された薬剤を詰める作業をしていた。点滴パックに患者の名前(田中義之さん)を書く直前、同僚看護師Bから聞かれた。
看護師B:「昨日、301号室に入院した患者さんは誰だったっけ?」
看護師A:「あーあの人?山本義男さんだよ。」
点滴パックに「山本義男」と書いた。
タスクとリソースを考えなければ仕事が増える一方である。タスクとリソースを考えた作業で工程を短縮し、別の仕事に時間を使う。
クリティカルポイントは中断禁止。「点滴の準備中は私語厳禁」等のルール作り。
まとめ
- ヒューマンエラーは原因ではなく結果である
- 事故には、時間軸と因果関係軸がある
- 「5S」とそれに引き続く「カイゼン」の実施
- エラー誘発要因を一つでも減らして行く
- 多重のエラー防止対策を付け加えて行く
- 出来ることからやる
- 100件のエラーを防ぐのは難しいが、1件のエラーは防げるかも知れない
河野龍太郎
元航空管制官。航空管制業務中に航空機を衝突コースに誘導するというエラーを経験。エラー防止を目的に心理学を専攻する。東京電力(株)では原子力発電プラントのヒューマンファクターの研究に従事。現在は自治医科大学の医学部で医療安全学を担当している。日本人間工学会認定人間工学専門家。事故におけるヒューマンファクターの研究をライフワークとし、ヒューマンファクター工学をベースとした体系的なヒューマンエラー対策を提案している。最近、工学系大学や看護学校での非常勤講師や海上自衛隊および病院などでヒューマンエラーについて講義をする機会が増えている。日本心理学会、日本人間工学会、航空運航システム研究会などの会員。
著:医療におけるヒューマンエラー―なぜ間違えるどう防ぐ,医学書院,2004
編著:医療安全への終わりなき挑戦 ,エルゼビア・ジャパン,2005
編著:ヒューマンエラーを防ぐ技術,日本能率協会マネジメントセンター,2006