インシデントや事故の報告書は、再発防止策を考える重要な材料だ。どうすればそれらを実効性のある対策につなげることが出来るかは課題でもある。東京都立府中病院(東京都府中市、761床)では、ロールプレイの技法を用いて、インシデント事例を事故防止策に活用しているという。看護師のリスク感性を高める取り組みとして参考になりそうだ。
ロールプレイでインシデントを再現
ロールプレイは、都立府中病院のB6病棟の看護師が2004年5月から始めた取り組みだ。インシデント事例の中から発生頻度の高いものを選び出し、看護師がその場面を実際に演じることで問題点に気づき、業務の改善につなげるのが狙いである。
5月中旬に行われたロールプレイに参加した。準夜勤務の看護師が患者の内服薬を配薬車から取り忘れ、別の看護師からの指摘でミスに気づくという場面設定だ。登場人物は、患者、準夜勤の看護師A、日勤の看護師B、深夜勤の看護師Cの4人。
この日、それぞれの登場人物を演じる看護師は、事前にロールプレイ用のシナリオを見て各自の役割を確認。同僚の看護師10人程度が見守る中、ナレーターの進行によってロールプレイが始まった。
時間設定は17時。看護師Aが、夕方の内服薬を配薬車から取り出す場面から始まる。患者数人分の内服薬を取り出すものの、府中太郎さんの薬だけを取り忘れてしまう。その後、取り出した内服薬を看護師Bと確認。処方箋と照らし合わせながらチェックするが、この時点ではミスに気づいていない。
続く22時の場面。看護師Aはコンピューター画面に向かっている。記憶に頼りながら、「Aさん服用、Bさん服用、Cさん服用、府中太郎さん服用、......」と、コンピューターに服薬を実施した旨を次々に入力していく。
午前1時の場面では、看護師Cが朝の内服薬を配薬車から取り出そうとするが、府中さんの薬が残っていることに気づく。すぐにコンピューター画面で服薬確認をするものの、実施済みになっている。おかしいと思い、看護師Aに尋ねると、服薬してもらうのを忘れたことが判明した。看護師Aは動揺しながらも、府中さんの夕方の内服薬を確認。眠っている府中さんを起こして、薬を服用してもらった。ロールプレイはここで終了だ。
司会者の下向佐知子さん(看護師、リスクマネジャー)が、ロールプレイを演じた看護師と、見学していた看護師に感想や気づいた点を聞く。
「伝票を見ながら薬を取り出せば、このような間違いは起こりにくいのでは」「私も日頃、記憶に頼ってコンピューターに服薬の実施済み入力をしているので、同じような間違いは起こるかもしれない」「看護師Aと看護師Bが内服薬をチェックしている際に、『今日は少ないですね』という発言(アドリブ)があったが、こうした言葉に敏感になることが必要。その時点で『おかしい』と思い、確認しておけば、ミスは防げたかもしれない」など、次々に意見が述べられた。
どうやら配薬車から薬を取り出す際の手順と、コンピューターに服薬実施を入力する際の手順に問題がありそうなことがわかる。
「服薬実施のコンピューター入力を一括してやったことのある人、手を挙げて」
B6病棟の看護長である辻村淑子さんがこう質問すると、参加者のほぼ全員が手を挙げた。患者が服薬したかどうかを、看護師が記憶に頼りながらコンピューターに一括入力していることが明らかになった。
どうすれば同じようなインシデントを防げるのか、話し合いは続く。服薬の都度、コンピューターに入力するという提案も出されたが、さまざまな業務に追われる中、「実現は難しい」というホンネも出る。最終的に、各勤務帯で配薬車をチェックする時間を作り、服用されないで残っている薬がないかどうかを確認する手順を盛り込むことなどで意見がまとまった。
「ここ最近、与薬のインシデントが増えていましたが、日頃各自がどのように服薬を行っているかなど、業務内容を振り返ってもらうとともに、どこに問題点があったのかも明らかになりました」と、辻村さんは今回のロールプレイの成果を述べる。
効果を高めるロールプレイの運営方法
B6病棟ではこうしたロールプレイの技法を用いて、これまで点滴事例や患者の誤認事例、急変時の対応事例などの問題点を洗い出し、業務の改善につなげてきた。いずれもインシデント・レポートの中から発生頻度の高い事例や、業務上の問題点が潜んでいそうな事例を選び出し、それらをリアルに再現している。
点滴ボトルの取り違えの事例では、患者の家族からミスを指摘され、その場で名前を書き換えたところ、「患者の立場からすれば、そうした対応は不快に思う」という意見が出たという。
「患者役を演じるからこそ、その気持ちがわかるのです。ドキドキしたり、怖いという思いを抱いた人もいます。こうした体験を看護業務に生かしてもらえたら良い」と、辻村さんは話す。
実際にロールプレイを始めてから、同じようなインシデントが起こらないなど、効果がみられるという。また、休暇中の看護師がわざわざロールプレイに参加するために出てくるなど、看護師の関心も高いようだ。
「1人ひとりが参加し、擬似体験するのが良いのでしょう。新人の看護師から非常に良い指摘がなされ、先輩の看護師が触発されることもあるようです。経験を積むと気づきにくくなる面もありますからね」と、下向さんは笑顔を見せる。
では、実際にロールプレイを導入するには、どんな準備が必要なのだろうか。
「シナリオさえ作ってしまえば、後は演じる看護師を決め、当日はシナリオに沿って演じてもらえば良いだけです」と、辻村さんは意外にも簡単に出来ると話す。
一番手間がかかりそうなのはシナリオ作りだが、「インシデント事例を参考にして作るので、思ったよりも時間をかけずに作れる」と、シナリオ作成担当の下向さんは言う。
都立府中病院で使われているシナリオ事例は図表のとおりだが、ナレーションで場面の紹介をすると、見ている者が状況を理解しやすくなるようだ。
辻村さんによると、ロールプレイを実施する上でのポイントは3つある。30分程度の短時間で行うことと、傍観者を作らないように全員に意見を述べさせること、そして、その場で決めたことを即実行に移すということ。今回のロールプレイで決まった業務手順も、その日から実行されるという。
「理想を描いても実行されなければ意味がありません。優先順位を考えながら、すぐに実行可能な対策を考えることが大切」と、辻村さん。今回、辻村さんがコンピューター入力の方法について皆に尋ねたのも、業務の実態を把握するとともに、皆がホンネで意見を述べ合えるようにするためだったという。インシデントを他人事でなく、各人に起こり得る事だと認識してもらうことも、運営上のポイントと言えそうだ。
事象関連図で体系的に事故対策を検討
B6病棟では、この他にも時系列分析法である事象関連図を用いて、事故の防止策を検討している。表の縦軸に時間、横軸に関係者を並べ、事故に至る過程で各人がどの時点で、どのような行動をとったのかを落とし込んでいくものだ。これにより事故に至った背景や、システム上の問題点が明らかになるなどの効果があるという。
この手法も、運営の鍵は全員参加だ。看護師5人で1組のグループを3つ程度作り、各グループで司会と書記を決める。事象関連図を作りながら、どこに問題があるのかを各人が付箋に書き込んでいく。問題点が明らかになったら、2つ程度に絞り込み、それぞれの対策を検討。各グループが10分程度でその内容を発表し合うという流れだ。
「これもトータルで1時間以内に終わらせるようにします。業務の優先順位を考えたり、リスク感性を養うのに役立っています」と、辻村さんは話す。
事例によっては、組織上の問題点が明らかになる場合もある。その際は検討会での資料をもとに、組織に業務の改善を働きかけることもあるという。
「リスクマネジメントとは言え、日常業務に追われる中で、どこから手を付ければ良いのか迷っている部署があるのも事実。B6病棟のような取り組みを院内に広げていきたい」と、都立府中病院の専任リスクマネジャーである羽賀操さんは話す。
インシデント対策を多様な視点で考える方法として、ロールプレイや事象関連図に挑戦してみる価値がありそうだ。
看護師Aが配薬車から患者の内服薬を取り出す場面(ロールプレイより)。
配薬車の中には、患者ごとに仕分けされたボックスが入っており、
この中から看護師Aは夕方の内服薬を取り出す(ロールプレイより)。
看護師Aが配薬車から取り出した内服薬を、看護師Bとチェック。
処方箋と照らし合わせながらチェックするが、
府中太郎さんの薬を取り忘れたことに気づかない(ロールプレイより)。
患者の府中太郎さんに夕方の薬の服用してもらうのを忘れたため、
看護師Aが午前1時に府中さんを起こして、
薬を服用してもらう場面(ロールプレイより)。
ロールプレイを見た後で、参加者は事例の問題点や事故防止策を話し合う。
必ず参加者1人ひとりが発言する機会を設けている。