患者の取り違えを防ごうと、リストバンドを導入している医療機関は多い。国立成育医療センター(東京都世田谷区、500床)は、患者の全ベッドサイドに端末を備え付け、リストバンドと点滴などを照合して薬剤の誤投与を防いでいる。小児医療の特性を踏まえたITによるリスク管理のあり方を取材した。(取材日:2004年12月28日)
ベッドサイド端末で薬剤を照合
各ベッドに備え付けられた12インチ式の液晶型パネル端末。看護師が患者に誤った点滴などを投与しようとすると、画面上に「×」印が表示され、誤りを知らせてくれる。これは国立成育医療センターが導入している「バーコード認証システム」だ。
患者は、入院時にバーコードが印刷されたリストバンドを装着。看護師などが患者に点滴や薬剤を投与する際、ベッド脇にあるバーコードリーダーを取り出し、患者のバーコードと職員のIDカード、薬剤に貼付されたバーコードの3点を照合する。間違いがなければ、端末上に「○」印とオーダー内容が表示される。もしオーダーと異なる薬剤の場合は、画面に「×」印が表示され、注意が喚起されるという仕組みだ。
このベッドサイド端末は電子カルテと連動しており、医師や看護師は患者のカルテを確認したり、ベッドサイドで体温や血圧などのバイタルサインなども入力出来る仕組みとなっている。看護師が薬剤投与後にベッドサイドを離れる場合は、必ず5分後に戻り、端末に実施状況を入力する事になっている。これは薬剤投与後に患者が急変するのを見逃さないためだ。
バーコードでオーダー内容を認証するシステムは他の医療機関でも導入されているが、同センターのバーコード認証システムの特徴は、患者のカルテやバーコードリーダーを持参しなくても、患者のベッドサイドで確認出来る点だ。
「薬剤を投与する際に、バーコードリーダーや端末などをすぐに確保できる状況になければ、看護師は面倒に思ってシステムを使おうとしなくなる。ベッドサイド端末にしたのは、そうした人間の行動心理を踏まえた上での事」と、バーコード認証システムの設計・開発にあたった国立成育医療センター医療情報室長の大原信さんは言う。
リスク軽減への効果
同センターがバーコード認証システムを導入したのは、2002年3月から。旧国立小児病院と旧国立大蔵病院が統合されてナショナルセンターとなったのを機に、建物や設備を一新。その際、電子カルテと連動した病院情報システムを導入。全床に設置されたベッドサイド端末はその機能の1つとなっている。
「バーコード認証システムを取り入れてから2年以上が経過するが、これまで一度も患者さんの取り違えやオーダーと異なる点滴や薬剤投与のエラーは起きていない」と、大原さんはバーコード認証システムの導入効果をこう述べる。
同センターが入院患者に注射や点滴を投与する件数は、年間80万件以上。それだけの膨大な数をこなしながら、患者や薬剤の取り違えによる医療事故が1件も起きていないというのは驚きだ。
「ヒューマンエラーは人間の情報処理能力の限界で、一定の確率で生じる事象。その確率を下げるには、情報処理をIT化し、エラーレジスタント・エラートレラントなシステムを作り、情報公開・情報共有を図る事が必要」と、大原さん。ITの活用によって医療事故は相当程度減らせるという。
とはいえ、そんなITを使ったシステムにも限界はある。医師がオーダーを入力する際に、患者に投与する薬剤の量を間違う事もあり得るからだ。一般的には、オーダーの際に薬剤量を間違えないように基準量を表示するなどして、エラーを防ぐのは可能だろう。だが、小児医療の場合はそうしたシステムが使えない。小児は発達過程にあるため、体表面積などが常に変化し、一律に基準となる薬剤量を決められないからだ。
「電子カルテやバーコードを導入すれば、『絶対に安全』という訳ではない。そもそも安全とは、リスクを許容出来る状態であると考えている。決して『エラー0(ゼロ)』を目指すものではない。常に存在するリスクを、適切な管理によって許容範囲にまで減らそうとするものだ。バーコード認証システムによってエラーの確率を減少させる事は可能だが、システムだけでカバー出来ない部分はもちろんある。それらを見極めてITを活用する事が不可欠。そこをはきちがえると、『こんなシステムは意味がない』という話しになってしまいかねない」と、大原さんは指摘する。
同センターがバーコード認証システムを導入した背景には、明確な理由がある。患者のほとんどが小児であるため、投与する薬剤が間違っていたとしても患者から直接訴えを期待出来ない。また、薬剤の誤投与は患者に与える影響が大きいと判断したからだ。
安全にかけるコストの妥当性
バーコード認証システムについては、当サイトでも取り上げた事があるが、導入時に看護師など医療従事者から、業務手順が増えるわずらわしさの訴えがあると聞く。その点、同センターではスムーズに導入されたのであろうか。
「手順が増えてわずらわしいという声は聞かなかった。たぶんシステム開発時から、現場と一緒に考えながら取り組んできたからだろう」(大原さん)と、答える。
同センターのバーコード認証システムには、医療従事者の使い勝手を考慮した仕組みが見受けられるが、それもシステム導入が上手くいっている理由なのかもしれない。例えば、エラー時の警告表示もその1つだ。エラーを警告音で知らせる方法も普及しているが、同センターは画面上での「○」や「×」の表示にしている。
「警告音だと、『こんな事までやらされるのか』と思われかねない。医療従事者は各人がプロ。そのプロ意識を尊重しながら、システムを設計するのが大事」と、大原さんは訴える。
ただ、あくまでも医療の主役は患者である。ベッドサイド端末は患者用のアメニティ機能も充実している。テレビ放送や院内情報などをタッチパネルで選択して見る事も可能になっている。また、バーコード認証や転倒転落防止策など安全対策に関する解説ビデオも組み込まれており、患者の家族などがいつでもそれを見れる。安全に対する取り組みを知ってもらおうという意図だ。特に、転倒転落は母親がいる時に起こりやすいので、安全への注意喚起の意味もあるという。
ベッドサイド端末は、患者と医療従事者の双方にとって便利なのはわかった。だが、全床設置となると、コスト負担は大きそうだ。同センターのあらゆるシステムの開発にかかった経費は、3年間で約6億円。これには電子カルテをはじめ、レセプト電算、物流システム、研究支援のデータベースシステム、全床に設置されたベッドサイド端末が含まれている。他に、情報機器リース料(サーバー40台、端末1,200台)が年間約3億8千万円。システム管理運営費(人件費含む)は、年間約1億4千万円に上るという。
「医療安全のために投資すべきコストの定義はないが、村上陽一郎氏の『安全学の現在』(青土社)で、北里大学名誉教授の坂上正道先生が、全予算の3%を安全のために資源配分しても良いと指摘されている。その意味では妥当ではないか」と、大原さんは話す。
ベッドサイド端末だけにかかる費用は不明だが、果たしてこの費用を高いとみるか、それとも妥当だとみるかは議論の分かれるところであろう。ただ、医療安全にITを活用出来る範囲を知り、それが可能なところには積極的に使っていくという姿勢も大事にしたい。
国立成育医療センターの病院情報システムの
企画・開発を担当した医療情報室長の大原信さん。
ベッドサイド端末
ベッドサイド端末の画面