事故のない安全な業務の遂行は、あらゆる業種に共通の課題だ。自動車や航空機部品などに使われる特殊綱の生産で知られる「大同特殊鋼株式会社」(本社:愛知県名古屋市)では、トップの強いリーダーシップを基に、安全の具体的な目標を定め、的を絞った教育を徹底することで事故が減少しているという。その取り組みを取材した。
数値目標を盛り込んだ安全目標の設定
昨年来、製造業の工場などで大規模な事故が増えている。昨年9月に起きたブリヂストン栃木工場や出光興産北海道製油所の大火災などは、記憶に新しい人も多いのではないだろうか。今年に入っても、三菱ガス化学やダイキン工業のプラントで爆発火災事故が起きている。
こうした多発する産業事故を受けて、今年1月に経済産業省は「産業事故連絡会」を設置した。鉄鋼、化学、金属製品など10業種の団体が参加して、産業事故の情報を共有し、その原因究明と対策に向けて動き始めている。
そんな中、大同特殊鋼の安全への取り組みに注目が集まっている。1994年から本格的な安全活動を開始して以来、事故発生率が(社)日本鉄鋼連盟に加入する鉄鋼会社の平均値を下回るようになり(96年以降、図表1参照)、ここ10年来、死亡に至る重大災害は1件も発生していないという。その徹底した安全対策は、日本鉄鋼連盟から表彰を受けるほどだ。
図表1「事故の発生度数率の推移」
- (注)
- 事故の発生度数率(休業度数率)=休業災害被災者数÷延べ労働時間(100万時間あたり)
*休業度数率は、労働災害の発生率を表す安全指標の1つである。
きっかけは、現社長の高山剛さんが94年に労務・安全担当の役員になった頃にさかのぼる。当時、同社の事故発生率は、日本鉄鋼連盟や高炉設備を持つ鉄鋼会社の平均値を常に上回っていた。死亡には至らないまでも、災害は年間40件程度起こっており、事故の発生頻度が高かった。こうした状況を打開したいと立ち上がったのが、高山さんだった。
まず最初に取り組んだのが、安全活動の基本となる目標の設定だった。「重大災害はゼロ」「事故発生率は高炉を持つ鉄鋼会社の平均値以下」「災害件数は一桁台」といった具体的な数値を盛り込んだ3つの目標を掲げた。
また、作業時の基本となる行動を示した「安全行動三原則」を制定した。それは、「止める」「離れる」「足元確認」の3つ。「止める」とは、動力源を止めて作業すること。「離れる」とは、機械設備などから一定程度離れて作業すること。「足元確認」とは、作業時に必ず足元を確認しながら作業するという意味だ。これらは元々、神戸製鋼所が考えたものだが、同社における事故の75%はこのいずれかを怠ったことによって生じていたため取り入れたという。
さらに、安全活動を自社だけでなく、協力会社と一緒になって取り組む決意もした。同社は国内に6つの工場を持ち、その労働者数は約3,000人に上る。その他に協力会社が171社あり、その労働者数も約3,000人になる。安全活動を推し進めるには、自社だけでなく、協力会社と一体となった活動が不可欠だと判断した。
安全チームによる緻密な安全活動
目標が決まれば、次はそれをどう実行に移すかだ。同社は、各工場に「安全チーム」を置き、工場内の各係や協力会社ごとに配置された「安全専任者」とともに、具体的な安全活動を行うことにした(図表2参照)。
図表2「各工場に配置された安全チームと安全責任者の関係」
安全チームは5~6人のメンバーで構成されているが、その人選にあたっては現場の経験や信頼度、職位、年齢などを勘案した。ライン室長や係長などの上層部にもきちんとモノが言えて、対策を実行してもらう指導力を発揮するには、相応の人材でないと難しいからだ。
安全チームの具体的な活動は、工場内のパトロールや、情報の伝達程度の確認、災害事例やヒヤリハット事例への即時対応などだ。
工場の1つである知多工場では、「1・1作戦」と称して、安全チームが午前と午後に1万歩ずつ工場内を歩いて、危険な箇所や行動などを点検している。
「この活動のポイントは、とにかく顔を覚えてもらうこと。労働者と冗談を言い合えるぐらいになるのが理想です。そうやって信頼を得ることで、安全活動を進めやすくなる」と、同社の安全対策を統括する人事部労政・安全室の主任部員、加藤光教さんは言う。
同工場では、「草の根作戦」と称する活動も行われている。これは事故対策などに関する伝達事項を流した後に、安全チームのメンバーが現場に出向き、抜き打ちでその情報がきちんと伝わっているかどうかを労働者に聞き取り調査するというもの。単に情報を知っているかどうかだけでなく、具体的な中身まで答えさせるという徹底ぶりである。
各係や協力会社に配置されている安全専任者との情報交換も、安全チームの重要な活動だ。自社だけでなく、協力会社とも毎月会議を開催して、各職場の課題を吸い上げたり、その対策などを検討しているという。
「協力会社は規模が小さいところが多く、当社が『こうして欲しい』と単に要求するだけでは問題解決になりにくい。即決とはいかないまでも、安全チームが一緒に対策を検討することで、協力会社からも信頼を得られるようになってきた」と、加藤さん。
これは、同社が目標として掲げた協力会社と一体となって取り組む事例の1つだ。さらに、それを後押しするのが金銭的な支援である。協力会社が即座に改善できるものについては、人事部で毎年確保している予算を使えるようになっている。以前は大同特殊鋼が協力会社に改善を命じていたものの、その費用は全て協力会社が負担することになっていた。費用が捻出できないために改善が進まないというジレンマもあったが、その点は解消しつつあるようだ。
安全感性を高める教育の徹底
同社の安全活動における、もう1つの柱は安全教育である。中でも、班長に的を絞っているのが特徴だ。班長は、一般労働者の直属の上司であるとともに、自らも作業に携わるプレイングマネジャーでもある。現場の安全活動を実行するキーマンになると考え、集中して教育することにした。
以前は、「新任班長研修」しか教育の機会がなかったが、2000年からは「班長安全フォロー研修」と「全社安全衛生研修会」が追加された。
「班長安全フォロー研修」は、班長になって5年以上のベテランが対象。カリキュラムは7時間で、人間の特性や設備の安全策、「安全行動三原則」を遵守させる方法などを学ぶ。2003年からは、協力会社の労働者も受講できるようにした。
「全社安全衛生研修会」は全班長が対象で、毎年1回開催される。カリキュラムは同じく7時間だが、グループ討議や災害の模擬体験を取り入れている。
「災害の怖さを知らない人もいる。実体験に近い状態を作りだすことで、少しでもそれを感じて欲しい」(加藤さん)と、実験装置で酸素欠乏状態や爆発などの事故を起したり、指になぞらえたソーセージが機械に挟まれる様子を見せる。作業に使うリフトには1人ひとりを乗車させ、運転席から死角となる位置を確認してもらう。
こうした模擬体験の効果は高く、研修後に工場内でリフトを見かけると、死角となる位置から離れるように注意しているという。
安全教育は班長ばかりでなく、一般作業者にも実施している。各職場の若い人と安全チームが一緒に工場内を巡回し、危険な箇所や作業などを指摘してもらう活動をしている。
この研修は、危ないことを「危ない」と思える感性を養うのが目的だ。かつて同社でケガをした労働者にその理由を聞いたところ、「危ないと思わなかった」という回答が最も多かった。それを教訓に、危険を感じ取ることのできる人材育成に力を入れている。また、今年の下期からは安全教育の対象者を広げ、ライン室長への安全研修も開始される予定だ。
「安全活動は人づくりです。どんなに立派なマニュアルを作ったり、安全策が講じられた設備を導入したとしても、それらを使うのは人です。当社が教育に力を入れるのもそのためです」と、加藤さんは語る。
昨年12月、経済産業省が産業事故調査結果の中間取りまとめを発表したが、事故発生要因の76%が人的要因によるもので、そのうち約80%がマニュアルの不遵守など運転や操作上のミスにより生じたものだった。やはり従業員への教育は安全対策に欠かせないもののようだ。
だが、その教育は何も安全だけにテーマを絞れば良いという訳でもない。加藤さんは各地の工場を訪問する機会が多いが、風紀の乱れが事故に関係すると感じている。工場内が埃やタバコの吸殻などで汚れていたり、挨拶が出来ていないなど、何となく士気が低下していると感じると、実際に事故が発生するケースも少なくないようだ。
反対に、いつ訪問しても整理整頓が行き届き、規律も守られている工場は、事故が起きにくいという。挨拶や礼儀、整理整頓など、一見、安全とは関係ないように思えるが、それが意外に組織の実態を表していることもあるという。
これまで紹介したような大同特殊鋼の安全活動は、目標をクリアするなど、一定の成果を上げているように思える。だが、残念ながら、2003年に事故発生率が再び上昇した。目標値とした高炉を持つ鉄鋼会社の平均値をわずかながら上回ってしまったのだ。
「安全活動には終わりがありませんから、これからもいろんな方法を駆使してやっていく予定です。ただ、安全のための安全活動ではなく、あくまでも品質の良いモノを生産したり、生産性を向上させることと一体の活動としてやっていくつもりです。『安全に』『楽に』『早く』『正確に』を基本とした活動をこれからも継続していきたいと思っています」と、加藤さんは結んだ。
大同特殊鋼株式会社人事部労政・安全室の主任部員、加藤光教さん。
社内および協力会社の安全対策を統括している。