医療事故やトラブルが原因で医療訴訟に至るケースが増えている。
勝訴率も決して高い訳ではないにも関わらず、増え続けるのはなぜなのか。「医療者のための医療紛争対処ハンドブック」(日本医療情報センター発行)を執筆した、医師でありながら弁護士としても活躍する竹中郁夫さんに最近の医療訴訟事情を聞いた。
Q.医療訴訟が増えているようですね。
全国の地方裁判所および簡易裁判所における医療過誤訴訟の件数は、1990年に352件だったものが、10年後の2000年には767件と倍増しています。この増加率は、通常の民事訴訟の増加率の約2倍のペースです。いかに増えているかがおわかりでしょう。現在は900件近くにまで上っていますから、今後も増加する傾向に変わりはないようです。
Q.なぜ、これほどまでに増えたのでしょうか。
以心伝心で、言わなくてもわかるだろうという社会から、権利を侵害されたら、出るべき所へ出てはっきりさせるという社会に移行しつつあるのです。他にも、マスコミ報道による影響や、インターネットの普及によってさまざまな情報が入手しやすくなっている点も挙げられます。また、医療技術の進歩によって、選択肢が増えたり、合併症や副作用などの可能性が高まるというマイナス面の影響もあります。
私が顧問を務める医療機関が所在する地方都市では、その顧問先の医師と別の80歳代の医師を除いた、地区医師会の医師全員が医療訴訟案件を抱えていると聞いています。つまり、これからは医療訴訟の1つや2つを常に抱えている医師の姿が一般的になるのかもしれません。
Q.実際には、どのようなきっかけで患者側は医療訴訟を提訴するのでしょうか。
医療訴訟の勝訴率は、せいぜい3~4割程度です。金の貸し借り、物の売買のような普通の民事訴訟の勝訴率が7~8割程度ですから、決して勝訴の確率が高いとは言えません。さらに、手間や時間は普通の事件の2~3倍、複雑な事件になると5~10倍かかります。
ですから、私が弁護士として原告(患者側)側の代理人をする場合には、普通の事件の2分の1~3分の1の費用で、2~3倍の仕事をしなければならないという覚悟でやっています。
また、医療訴訟は、第1審で平均2~3年の期間に、200万~300万円位の費用がかかります。それでも勝訴率は3~4割程度。この間の精神的な負担もあります。このような実態を説明すると、相談に来られた人の多くは諦めて帰ります。
しかし、それでも提訴しようとする人は、遺族として故人の死の原因を究明したい、真相を知りたい、勝ち負けに関係なく社会に被害を訴えたい、死者を慰霊したいという動機を持った人が多いようです。相談者が仮に100人いるとすれば、5~10人がカルテなどの証拠保全や医療訴訟に向かうというのが実感です。
Q.では、いざ医療事故が生じた場合に、医療機関側はどのような点に注意したら良いのでしょうか。
医療事故やトラブルは出来るだけ起さないようにするのが望ましいのですが、いざ起こった場合には、どのような姿勢でこれらに対応していくかが問われます。医療機関側の患者への説明が、紛争を防いだり、小さくすることもあります。医療的介入を始める前のインフォームド・コンセントも重要ですが、医療事故やトラブルが起こった場合のそれも大事なのです。
逆に、この患者への説明が不十分であると、医療紛争に火をつけ、より大きなものへと発展させることにもなりかねません。居丈高な開き直りが患者側の怒りをかったり、その場しのぎの適当な謝罪がかえって患者側の気持ちを逆撫ですることもあります。
ですから、医療機関は日頃から、危機管理の一環として、医療事故やトラブルが生じた場合に、誰が誰にどのように説明するかというようなシミュレーションをしておくことが必要です。
Q.具体的には、どうすれば良いのでしょうか。
まずは、事実の確認です。当事者が何を行ったのかを正確に把握することが不可欠です。 次に医療機関側の誰が、患者側の誰に説明をするかが問われます。説明する側の指揮系統がはっきりせず、話し合いが不十分で方針が統一されていないままでは、説明が支離滅裂となり、事態をより悪化させる可能性もあります。また、説明される患者側も混乱していますから、相手方がどのような体制にあるのかも把握しておくことが望まれます。
さらに、説明する際の、適切な場所やタイミングも考えておく必要があります。日頃から、院内に適切な空間が設定されているべきでしょう。
最も大事なのは、何を伝えるかです。医療事故やトラブルには明らかに医療機関側に非があるものから、ごく普通の経過をたどったにも関わらず患者側からクレームがついた場合などまで、実にさまざまです。とはいえ、患者側が医療機関側に説明を求めるのは、何らかの理由で納得出来ないからに他なりません。ですから、患者側が何にどう納得できないのかを把握しておくことが必要です。それが明らかになっていないと、どんな説明も逆効果となる可能性が高まります。
そして、患者側の意向を知るには、まずしっかりと話しを聞くことです。そうすると、医療機関側が応えられることと、応えられないことなどが大筋わかるようになります。応じるべきでないこと、応じられないことは、きちんとその旨を伝えなければなりません。その場合に、下手をすると「開き直り」と取られる可能性もあります。説明することが相手の理解を得ると思える場合には、意を尽くすまで説明を続けるべきです。
また、説明をする場合には、患者側が理解出来ないような専門用語を使ったり、くどくどと関係のない話しを続けたり、丁寧さを欠いたりすることのないように注意しなければなりません。
医療機関は医療事故やトラブルが生じないように、日頃から対策を講じておくことが不可欠ですが、それでもある程度は起こってしまいます。その場合に、原因究明をしっかり行い、さらなる予防対策を講じ、職員の士気が落ちないように配慮することが望まれます。
中には、医療事故やトラブルが起こっても、どうでも良いといった雰囲気の医療機関もあります。一方で、単に医療トラブルの対処にとどまらず、これをいかに患者へのサービス改善に結びつけるかと真剣に検討を行っている医療機関もあります。
以前ならば、少々医療トラブルがあってもそれが顕在化しなかったかもしれませんが、医療の質が問われるようになっていることを自覚することが必要です。医療経営において医療トラブルへの対処がいかに重要であるかを自覚し、必要なインフラや体制をしっかり確保できるようにして欲しいと思います。
弁護士兼医師の竹中郁夫さん。
患者側や医療機関側の代理人となって、医療訴訟を手がけるケースも多いという。