加速する高齢化社会に伴い、在宅医療のニーズは拡大する一方だ。参入を考えている医師・医院も多い。だが 1.利用者からの連絡に対し、「24時間365日の対応」が求められ、2.介護職をはじめとする「多職種との緊密な連携」も必須で、一人の医師が診療体制を築こうとすると肉体的にも精神的にも大きな負担を強いられる。
2005年に開院、2009年に在宅医療を開始した東京・世田谷区の桜新町アーバンクリニックは、1、2に共通する課題を「効率的な情報の共有化」にあるとして、iPhoneなどのスマホを端末として利用できる簡易な在宅医療管理システムを構築。情報の共有をスムースに行い、迅速かつ的確な在宅医療に繋げている。開業から5年目、現在は常勤医4人、非常勤医5人、看護師6人(訪問看護と兼任)の体制で、多くの在宅患者を支えている。同院のIT機器を活用した在宅医療を取材。IT機器で医療を効率化するコツを前記事で取材した小倉第一病院と併せて聞いた。
最大で10人のスタッフと情報を共有
桜新町アーバンクリニック在宅医療部の開業から3年間の累計の在宅患者の主疾患内訳は末期がんが最も多く、約37%を占めている。脳血管障害、認知症、内分泌疾患、神経変性疾患...と続くが、がんの割合は年々増えている。がんの中では肺がんが一番多く、胃がん、膵がん、乳がんの順になる。患者の転機内訳は自宅看取りでの死亡がおおよそ半分、有床診に移ってからの死亡が5%、病院に移ってからの死亡が8%、入院・入所による在宅医療の中止が31%である。
桜新町アーバンクリニック在宅患者数(H21~24実績)
同院の在宅医療でもっとも多くのスタッフが関わる例としては末期がん患者のそれがある。多い時は医師、看護師、ケアマネジャー、介護スタッフ、薬剤師、PT、OTなど10人くらいが関わり合うが、所属している事業所が分散していることもあり、
「各々が持つ患者情報をいかに全員で共有していくかが、質の高い在宅医療を提供していくうえでカギとなります」と遠矢純一郎院長は言う。
たとえば次のようなシーンがよくある。
末期がん患者の容体が不安定になると、日々、あるいは時々刻々と状態が変わる。がん性疼痛が増して「痛がっている」というような相談やコールがしばしば出先の医師に届き、速やかな判断・対応が求められる。
「そんなとき、その患者さんに関わっているスタッフ全員が共有している患者情報を参照したいと思うとことがよくあります。その際はiPhoneでその患者さんのファイルを引き出し、直近の状態を踏まえてから、疼痛緩和のためモルヒネの量を増やしたり、投与間隔を短くしたりといった指示を出すのです」
この患者情報は診療サマリーとしてクラウド上の専用サーバーに保管してあり、医師の診療や関わっている各スタッフの業務報告を反映して絶えず更新されている。
医師や看護師などの院内スタッフは支給されているスマホからIDとパスワードを入力してアクセスし、いつでも情報を引き出すことができる。
「緊急時を含め臨時対応などが必要な際には、十分な情報があってこそ適切な判断や対応が可能となります」
普段の業務連絡にはメーリングリストを活用している。所定のメールアドレスに送信すれば、登録してある関係スタッフ全員に一斉に届く仕組みだ。
介護スタッフや薬剤師など地域の連携スタッフとはクラウド型の専用の情報共有システム「EIR」(エイル、詳細は後述)を介して、各々の職種が必要な情報を共有し合う。
「特に何か指示が欲しい連絡については、スタッフはこのEIR上の書き込み欄に書いて緊急フラグ(マーク)を付けられるようになっており、そういう重要情報については、届いた事がメールにて通知されるので、速やかに指示や返答を返すことができます」
患者の容体によっては、救急病院などへ搬送する必要があるが、そのときはスマホのアプリから紹介状(診療情報提供書)のフォームを取り出し、必要事項を記入。同様に患者情報(診療サマリー)を呼び出し、2つ合わせて紹介先の病院に送る。
「この診療サマリーを添付すると、より有用な紹介状になります。たとえば抗凝血剤のワーファリンを常用しているとの情報が書いてあれば、搬送先の病院は薬の相互作用を考慮しつつ使う薬剤を選択できるわけです」
しかしながら多くの病院はメールでの情報提供に対応しておらず、FAXでなら受け付けるというところがほとんどだ。その場合はインターFAXというサービスを経由させれば、メール情報が自動的に変換され、相手に届く。わざわざ紙に情報を転記し送信機を探して送る必要はない。
FAXや電話のみで情報のやり取りをしている相手は、実は連携先であるケアマネジャーの事業所や訪問看護ステーション、薬局(薬剤師)などにも存在する。個人はスマホや携帯を持っていてプライベートでは使っているが、所属する事業所から割り当てられたメールアドレスはない、ということがほとんどである。これに対応するため各自の連絡法はアドレス帳に登録するときその方法を併せて登録する。情報を送るときは自動的にその方法で相手に届くようになっている。
スマホ活用は在宅患者の枕元にある「連携ノート」を持ち歩くイメージ
現在でも一般的な在宅医療ではケアマネジャー、ヘルパーなどの介護スタッフやその他の院外スタッフとの連携は、患者の枕元に置いてある「連携ノート」が頼りである。スタッフは自らの業務に取りかかる前にそれを開き、患者の全身状態などの情報やスタッフ間の伝達情報を確認。帰りにそれを書いて退出する。書かれることは血圧や脈拍数などのバイタル情報、排便の有無、尿の量、食欲の有る無しといったことである。
このノートで連携を取っている場合、出先で緊急コールを受けるなどした在宅医療医は、ノートを参照したいという必要に迫られたとしても、その患者宅を訪問するしかない。
その後、モバイルPCが普及してからは、遠矢院長はパスワードをかけたPCに患者情報を入れて持ち歩いていた。しかし四六時中、ノートPCを持ち歩くことは心理的な負担があるし、盗難など万が一のときにセキュリティ的に問題がないとはいえず、対策に頭を悩ませていた。
そんな折、スマホブームの端緒となったiPhoneの新機種3GSが発売された。桜新町アーバンクリニックの在宅医療部がスタートした前月だ。さっそく2台購入して、看護師と2人で使い勝手を試している最中、ちょっとしたハプニングがあった。
その日、ローテーション通りに担当ルートを廻っているとき、訪問予定のない患者家族から「目が腫れている」との相談が入った。状態把握のため、別行動している看護師に駆けつけさせた。するとほどなく患部のアップ写真が携帯電話に送られてきた。スマホで撮った写真だ。それを見て比較的軽症の結膜炎と判断し、指示を伝えた。
「言葉では伝えにくい状態・状況が画像1枚で把握でき、携帯型のモバイル機器の可能性を感じた瞬間でした。それまでならデジカメで写真を撮って、モバイルパソコンに取り込んで、メールの可能なエリアへ行ってメールするというようにいくつもの手順が必要で、断念していた作業です。それをたった1台の掌サイズの機器で簡単にできてしまう。大きな可能性を感じました」
在宅医療では住所録やスケジュールの共有も課題となるが、この管理でもスマホなどのモバイル機器の可能性を感じた。たとえば訪問・往診スケジュールは患者の都合により変更は日常茶飯事だ。患者の住所や電話番号の新規登録もよくある。その更新や登録を看護師や事務スタッフの誰か一人が行えば、同期設定してある自分の3GSのアドレス帳やカレンダー内の予定表も自動的に最新の情報に更新されることを確認した。
「これは私たちの目指す在宅医療で使えると確信しました」と遠矢院長は振り返る。
このような試用と模索を繰り返して、遠矢院長とクリニックのスタッフはスマホや携帯電話など掌サイズのモバイル機器も端末として利用できる簡便な在宅医療管理システムを構想した。スタッフ全員でどのような情報共有が必要か、そのためにはどんな機材および仕組みが必要か、案を出せるだけ出して検討した。
その結果、次のような骨子案ができた。
- 院内スタッフとの情報共有には、電子カルテの記録をセキュリティで堅固されたクラウドサーバーに送って、外出先でもスマホなどでアクセスして閲覧できるようにする
- 院外の連携先とは、別途、クラウド型の地域連携システム(EIR)を構築し、ICT(情報通信技術)による情報共有を図る
- 電子カルテからEIRに自動的に情報を転送して、情報共有にかかる手間を減らす
またスマホには数十万とも言われる種類のアプリもあって、これを活用すれば自分たちのスタイルに合った業務支援システム構築に役立てることができるという目算もあった。しかもそのアプリは無料もしくは数百円程度なので、試しながらよりよい仕組みを作っていけることも魅力だった。
この骨子案をベースに、桜新町アーバンクリニックの在宅医療管理システムは構築された。これによって、患者の枕元の連携ノートを必要なスタッフが必要なときにどこにいても見ることができるという、つい先般まで渇望していたことが実現した。
患者の家族との情報共有、スタッフのeラーニングにおける情報共有シーン
桜新町アーバンクリニックの在宅医療では、患者向けのeラーニング教材としてiPhoneやiPadを使うこともある。たとえば点滴の針の抜き方や包帯の巻き方だ。その場で看護師が実施をして、それを医師がiPadで動画撮影し、家族に繰り返し見て覚えてもらうためにiPadごと貸し出す。
「これを文書や連続写真で覚えてもらうとすればハードルは高いのでしょうが、動画なら初めてその処置を経験する家族も比較的安心して行えるようです」(遠矢院長)
連携するケアマネジャーや訪問看護師などのスタッフを対象に、必要な医療・看護技術、たとえば認知症患者のケアといったテーマで、専門家を招いてよくセミナーを開催する。毎回、多くの連携スタッフが参加するが、仕事とスケジュールが重なって出席できない人もいる。当日参加できない人のために、講演やカンファレンスをビデオ撮影し、これをYouTubeやUSTREAMなどを用いてネット配信し、好きな時に何度でも観られるようにしている。これに要する費用は手持ちのビデオカメラがあれば実質無料だ。
最近はUSTREAMやYouTubeへの配信を前提としたビデオカメラが数万円で売られており、アップロードも意外と簡単にできる。
また同クリニックではネット上にある様々な診療ガイドラインや薬剤情報、医療文献などを診療現場で参照している。診療ガイドラインは学会のホームページ、薬剤情報は厚労省などのホームページにあり、アクセスすれば自由に閲覧できる。ホームページの中で何回もタグやリンク先をクリックしてたどり着くのが面倒であれば、それをクラウド上のストレージに保管しておけば、いつでもワンクリックで閲覧できる。
「薬の用量や用法、副作用情報などを現場で引っ張り出し、確認をすることがよくあります。副作用情報などで更新があったりするとすぐに反映されるので助かります」
薬と言えば...こんなのもありますと、iPhoneを取り出し、見せてくれたのが点滴ぽたぽたというアプリだ。iPhoneの画面上のアイコンをクリックすると、ピッ、ピッという電子音が聞こえてきた。たとえば500ミリの点滴を3時間かけて落としたいとするなら、画面上でその数値を選ぶ。すると電子音が一定の間隔で鳴り出すので、そのリズムに合わせて点滴スピードを調節するというふうに使う。医療用メトロノームといったところだ。
「このようなアプリがiPhone(アップル)のストアには10万件以上あり、誰もが使うことができます。無料のものもあれば数百円で購入できるものもあります。中には我々の業務の効率化に役立つものもあって、それを見つけるのも楽しいです」
GPSのルート検索もお役立ちアプリのひとつだ。新規に登録した患者宅を訪問するとき、道に迷いそうなことがある。そんなときiPhoneの地図を呼び出し、現在地を示すことができる。GPSが搭載されているからだ。次にアドレス帳から患者宅の住所を確認し、地図上に表示。現在地からルート検索を行えば、そこまでの道順が地図上に示される。
システムの開発やカスタマイズの費用を抑制
以上、概略を抽出して利用シーンをお伝えした桜新町アーバンクリニックのIT化による在宅医療支援システムは、前項で少し触れたが2つの業務管理ソフトから成っている。ひとつは電子カルテで、もう一つは地域連携業務に特化した管理ソフトだ。
この2つの業務管理ソフトの導入までの経緯は決してスムースにいったという訳ではない。
電子カルテは市販のものを探したが、通常の外来用はそもそも業務のフローが違うので在宅医療の業務支援につながらないように感じた。そこで専門の業者が作成した電子カルテシステムを元に、在宅医療の事務作業軽減のための専用システムを共同開発することにした。工夫としてはたとえば訪問看護師やケアマネジャーなどの連携先情報を登録できる欄を設けた。処方箋を作るのも在宅医療用に便利な仕様にした。通常の電子カルテは患者ごとにカルテを呼び出し、それぞれ処方箋を作っていかなければならないが、この専用カルテでは、たとえば明日訪問予定の患者30件分の処方箋を作るとして、ルーティンの処方で変更がない、などの条件を選び1クリックすると30人分の処方箋が一括で出てくる。
もうひとつの業務ソフトは院外の連携先との連携用の地域連携システム(EIR)で、これは半オーダーメイドだ。桜新町アーバンクリニックでは先の業務支援システムが自動的にEIRに情報を転送することで、情報共有において大きな省力化が得られるようにしている。
2つの業務管理ソフトの購入およびカスタマイズの費用、開発費用はさぞや高かっただろう思い、訊ねると「かなり安かったと思います」という答えが返ってきた。
「そもそも一から開発したわけではなく、既存のものをカスタマイズしたわけです。EIRは福岡にあるグループウエアを専門とするシステム会社が製品と開発するのをアドバイスを行うという形で支援させて頂きました。そんな訳で自分たちが開発費をかけて制作したわけではありません。あくまで自分たちも1ユーザーに過ぎず、毎月システム使用料も支払っています」
使用料は1患者あたり500円の月額使用料で、連携しているスタッフ全員が自由に利用することができる。100人の患者の使用料を一括して払うとすれば月額5万円になる。
医療を効率化するIT機器導入を失敗させないコツ
業務の効率化や情報共有を目的に、ICTシステムやデバイスの導入を検討する場合、成功させるにはどういった点に留意すればよいだろうか。遠矢院長は次のように言う。
「業務全般をいっせいにIT化するのではなく改善の必要なところ、技術的にできるところからやってみるのがよいと思います」
どうせやるなら、とコンサルタントや業者を呼んでアドバイスを聞いたりして、準備万端大がかりにやると、ちょっとした思惑違い、計算違いで、予定が狂ってしまい、さらなる負担を負いかねない。導入失敗の典型的なパターンだ。
情報のやりとりをするための機器は、なるべくコストをかけないようにして、なおかつ使い慣れたスマホや携帯電話などを転用できるように、機器や機種を選ばず利用できることが望ましい。スマホのように各自が当たり前のように持っている機器が応用できるかもしれないのでそれをまず考慮する。
「違う言い方をすれば業務の弱い所に目を付けると、取りかかりやすいかもしれません」と遠矢院長は補足する。2つ目の留意点はコスト面だ。
「イニシャルコストやランニングコストはなるべく抑えるのも大事です。張り切って投資しがちですが、IT技術は日進月歩で、夢のような技術が1年後には普及機に搭載されて販売されることだってある。現在市販されているものですぐに医療に応用できるものも少なからずあります。スマホのアプリがよい例です。スケジュール管理や共有に役立つGoogleのカレンダー、文書や画像のファイルを保管するドロップボックスなどのストレージ、無料のものも数多くあります」
本稿の前記事で、職員教育にeラーニングを導入して成果を上げている北九州の小倉第一病院の例を紹介したが、隈本寿一・元Medical Information Technology部長(現純真学園大学保健医療学部医療工学科特任講師)も、無料もしくは安価なネット情報の積極活用を勧める。
「私が以前勤務していた小倉第一病院は透析専門病院で、必須の透析穿刺の技術を毎年新人看護師に教えるのですが、動画として学習するとわかりやすい。その動画がYouTubeの中に投稿されており、いつでも繰り返し見ることができます。その他の医療技術も世界中から発信されており、ネット検索すれば数多くヒットします。購入すると何万何十万もするようなコンテンツと同等の映像資料がネットで無料で入手できるようになっているのです。これらの映像をeラーニングの教材として活用しない手はありません」
同院の中村秀敏院長はeラーニングによる職員教育のシステムを構築する際、次の5つのステップを踏むとよい、と助言する。
- プロジェクトチームを作る
- ニーズ・目的・目標を確認、明確化する
- ITインフラおよびITリテラシーを整備する
- 学習管理システムを吟味して購入する
- 自作のコンテンツを作成する
1~3.はeラーニングに限らず、どんな医療のIT化にもそのまま当てはめることができる。4.は導入したい分野の業務管理システムに置き換えて考えればよい。ソフトの機能を絞れば安価に購入できるかもしれない。小規模の医院などでは医療系ベンダーが扱う業務管理ソフトの購入をいったん置いて取りかかり、スマホやモバイル端末に搭載済みの機能、あるいはネットで入手できる無料・安価なソフトで目指している業務の効率化が可能か試してみる。それで代替できる可能性も十分にある。それらの機能が物足りなくなったら本格的なソフトの導入を考慮するというように段階を踏む手もある。5.はiPhoneやiPadの端末機器や、ワード、エクセル、パワーポイント、写真加工ソフト、動画編集ソフト、お絵描きソフトなど、自作のコンテンツ制作を容易にするソフトが出回ってきた。これを利用すれば、「業務のIT化のコストダウンにも繋がるし、なにより職員の仕事に対するモチベーションを高めることができて大きい」と中村院長は言う。
桜新町アーバンクリニックの遠矢院長も在宅医療のIT化による情報共有の強化は、連携の強化であり、それは単に業務を効率化するだけでなく医療の質を上げることに繋がるのです」と結んだ。
企画・取材:黒木要