○○式鉗子、××型吸引管など、考案した医師の名前を冠した手術器具は多い。医療現場で使われる器材に考案者の名前が付けられるのは、既製品では飽き足らない医師が使い勝手や機能の向上を求めてメーカーに製品化を委ねることが多いからだ。開発過程では医師が自分の思いを伝え、技術者がその意を汲んで形にする。医学と工学の連携だ。両者の意思疎通が円滑であれば、製品は広く認知され、普遍的な器材として定着する。そうでない製品は日の目を見ることがない。「進化する医療に資するためには、医学と工学を統合して新たな医療を創り出す人材養成が急務」というNPO法人REDEEM(レディーム)の山口隆美代表に、同法人が目指す医療工学技術者の再教育システムの狙いやあらましなどを聞いた。
医学と工学の連携による人材育成
「医療に照準を合わせた工学はあるが、工学に狙いを定めた医学はない。だから、医工学という考え方は成り立つが、工医学という考え方はそもそもあり得ない」――。
山口代表は医療工学技術者を対象とする再教育システムの"立ち位置"をそう説く。医学、工学双方の博士でもある山口代表にとって、いずれの領域にも関わる=いずれの領域にも通じていなければならないこのプロジェクトは、これまでの経験を存分に生かせる申しぶんのない舞台である。 略歴で明らかなように、山口代表は臨床から基礎に転じた医学者であると同時に、医療を通じて工学との関わりを深めていった工学者である。医工学という言葉に対する思い入れはそうした経歴によるものだ。東北大学医療工学人材育成委員会の委員長でもある山口代表は経済産業省バイオ人材育成システム開発事業(2002~03年)に際して「医療工学の指導的人材の育成」という医学と工学の連携による育成プロジェクトを提案。
時を同じくして始まった文部科学省の研究拠点形成等補助金事業である「21世紀COEプログラム」でも、山口代表は東北大学の進めるプロジェクトの一つとして医工学の連携による人材育成プロジェクトを推進した。「医工学」の礎はこの時期に築かれた。
「医学と工学の連携」を図るためには医学者(医師)に工学を教え、工学者(技術者)に医学を教えるのが理想である。「しかし、試行錯誤を重ねた末、医学者に工学を教えるのは困難だと悟った。それぞれの学問に対する基本的な考え方が違うからだ。医学が帰納的であるのに対し、工学は演繹的。そこで、技術者に医学を教えることのほうが現実的なので、そこに重きを置くことにした。製品開発の場面では、医師の言葉が分かる技術者を育てるほうがはるかに早道と思い至ったからだ」(山口代表)。
医師と対等にモノを言える技術者を
山口代表が技術者の育成に情熱を傾けるのは、医師でもある自分が育てた工学部卒業生の就職後の待遇に常々疑問を抱いていたからだ。おおむね、卒業生の半数は一般企業に、もう半数は医療関係の企業に就職する。
「彼らは器材を開発したり、販売したりする仕事に就くが、医療現場では"業者"と呼ばれる。要するに、医師との立場が対等ではない。手塩にかけて育てた者としては大いに不満が残る。本来は互いにもう少し敬意を払うべきではないか」(同)。
山口代表が当初「医師に工学を教え、技術者に医学を教える」構想を掲げたのも、両者を対等の関係に置くことで、より実践的な製品開発ができると見ていたことによる。ところが、前述のような理由でそれは適(かな)わなかった。
新規性に富んでいて、専門度の高い器材であればあるほど、医師は自分の思いを伝えられず、技術者はその言葉を理解できない事態を招く。日本語で話していながら、意思の疎通を図ることができない。こうした行き詰まりを切り開くための手立てが「医師と対等にモノを言える技術者の育成」であった。「国が主要な成長戦略として掲げる医療の技術革新や産業育成を促すためには、医学研究と工学技術を有機的に統合して新たな医療を創り出す人材養成が急務」と山口代表は言い切る。
こうして04年度に立ち上げられたのが文科省科学技術振興調整費の新興人材養成プログラムの一つである「REDEEM」(Recurrent-Education for the Development of Engineering Enhanced Medicine=医療工学技術者創成のための再教育システム)だ。
50コマの講義と20コマの実験・実習
REDEEMは社会人技術者に対する医学・生物学・医工学の再教育のために開発されたプログラムで、04年度から08年度までの5年間に第一期を実施。期間中には、そのメンバーを中核とする、文科省グローバルCOE「新世紀世界の成長焦点に築くナノ医工学拠点」が採択された。08年度には東北大学に日本で初めての大学院医工学研究科を設置している。
09年度からの第二期は同研究科が中心となり、医工学に関する大学院教育と密接に関連する独立した社会人教育プログラムとして継続。カリキュラムは生物学・医工学・レギュラトリーサイエンス、基礎医学、臨床医学の講義(年間50コマ)と、分子細胞生物学・生理学・解剖学の実験・実習(年間20コマ)で構成される。講義は医学系と工学系の教授陣が連携してあたる。講義や実験・実習と併せて年1回の先端医工学シンポジウムを開催。通常の講義などで触れることのできない高度な医工学研究の最前線を学ぶ。
山口代表は「受講者自らが実際に手を下す経験に基づいて生命についての理解を深め、医学・生物学の基礎的な考え方を修得することを重視しているのが特徴。ここで学んだことを踏まえ、医療の臨床現場で医師などの医療従事者と対等なパートナーとして、新しい医療技術や医療機器の開発に貢献できる技術者となってほしい」と期待する。
年ごとに充実するカリキュラム
第二期は「医学や工学といった従来の専門分野を超えた境界融合的な先端技術に精通した研究者や上級技術者、先端技術を医療に応用できる医療従事者など、時代の要請に応える職業人の養成」(同)に重点を置いた。
カリキュラムは単なる繰り返しではなく、年ごとに充実の度合いを高めている。例えば、11年度は第一期の講義科目に加え、基礎医学(病理学、薬理学)、リハビリテーション医学、スポーツ医学などをそろえた。併せて、REDEEM修了者を対象とする上級レベルの「ESTEEM」(Education through the Synergetic Training for the Engineering Enhanced Medicine=次世代医療関連産業中核人材育成のための実践的教育システム)を随時開く制度を取り入れている。
12年度には、画像医学総論と核医学・放射線影響学を独立させる一方、進歩の著しい免疫学の講義に専門家を招くなどの体制を整えた。また、REDEEMのコースを修了し、所定の手続きを経て単位認定を得れば、東北大学大学院医工学研究科博士課程後期3年の課程(博士課程)の特論講義の履修単位を取得できるようにした。この制度により「社会人大学院コースを目指す技術者にとっては、博士の学位取得に際して研究に専念することができるようになった」(同)という。
1500人が受講し、300人が修了
では、実際の実施形態と修了要件はどのようになっているのか。
REDEEM受講者の条件は大学の理工系の学部卒以上であることだが、大部分は修士以上であるという。これまでにのべ1500人が受講し、300人が修了証を得ている。対象は医療現場に従事してきた人や、企業などで技術者としての経験を積んできた人。業種別では当然のことながら、医療関係の産業が最も多い。かつては、多角化を模索する企業や重厚長大系の企業、弱電系の企業からの応募もあったそうだ。授業料は年間55万円(講義40万円、実験・実習15万円)である。
講義は仙台で行われる年2回の「集中講義」と東京で行われる毎月1回の「出張講義」で構成される。「集中講義」は1回あたり5日間、計10日間、東北大学星陵キャンパス医工学研究科医工学実験棟で開催。「出張講義」は土曜日に開かれるが、会場は年度によって異なる(13年度は千代田区神田の東京堂ホール)。
実験・実習も仙台で年2回、集中講義と同じ日程、会場で行われる。受講するためには必修講義を含む25コマ以上の講義と実験・実習ガイダンスを受けていることが条件だ。必修講義は生物学・分子細胞生物学(4コマ以上)、人体解剖生理学(5コマ以上)、病理学(2コマ)などから成る。
修了するためには、40コマ以上の講義に出席して所定のレポートを提出し、20コマの実験・実習を受講しなければならない。
解剖学の実験・実習も経験させる
REDEEMの最も大きな特徴の一つは、ウサギの解剖を必修としていることだろう。「受講者自らが実際に手を下す経験に基づいて生命についての理解を深める」という山口代表の考えを端的に表すカリキュラムである。
もっとも、たいていの一般男性は血を見ることに慣れていないため「卒倒する者もいる。しかし、命あるものに対する心理的な障壁を取り払うために、解剖は避けて通れない道」と山口代表は語る。
医師の言葉を理解し、先端技術で医療の発展を先導できる人材を育むために不可欠の施設として、東北大学は解剖をすることのできる教育専門の実験室を医工学研究科に造った。
前述のESTEEMでは、上級臨床医学的実習の一環として、ブタを使った内視鏡手術や顕微鏡下での血管吻合などを体験させる。実践的な医工連携を担う人材養成に向けた熱意がうかがえる。
REDEEMでは、こうした実験や実習が終わると全員で徹底的に掃除する。「仕事柄、数多くの工場を見てきたが、生産性の上がっている現場は例外なく整理整頓が行き届いている。製品の質も良い。それに比べて医療現場では整理整頓に対する認識が足りないように思う。そうした心構えが医療の質に反映されるのではないか」。山口代表は医療安全を考える上でも工学に学ぶことは多いと指摘する。
想像以上に厚い「守秘義務」の壁
10年の歴史を重ね、前述のように多くの修了者を送り出しているREDEEMだが、具体的な成果は表しにくいと山口代表はいう。「守秘義務の壁に阻まれるからだ。修了者に尋ねると役に立ったとは言われるが、何がどう役立ったかについては申し訳なさそうに口を閉ざされる。さまざまに探りを入れてみるが結果は同じ」(同)。受講生を送り込む企業が投資対効果の点や企業防衛的な意味合いから守秘義務を課すのはやむを得ない面もある。ただし、事業の社会性を考えると、差し支えのない範囲で一定の報告をしてもらうなどの措置を講じる余地はあるだろう。
「日本の医療機器産業は総じて弱い。潜在的な力はあるのに、日本固有の技術が生かせていない。その意味で、現在、医療機器関連の産業に従事している技術者ばかりでなく、今後ライフイノベーションに参画してビジネスチャンスを広げたいと考えている工学技術者には最適のカリキュラム」。次代を担う技術者に向けてREDEEMへの積極的な参加を呼びかける山口代表の口調には熱がこもる。
プロフィール
山口隆美(やまぐち・たかみ)氏略歴
1973年東北大学医学部卒業。(財)竹田綜合病院外科、東京女子医科大学附属第2病院循環器外科・附属日本心臓血圧研究所理論外科などを経て、81~83年英国ロンドン大学インペリアル・コレッジに留学。帰国後、国立循環器病センター研究所脈管病態生理研究室長、東海大学開発工学部医用生体工学科教授、名古屋工業大学大学院工学研究科生産システム工学専攻教授などを歴任。2001年東北大学大学院工学研究科機械電子工学専攻教授、08年大学院医工学研究科医工学専攻教授。13年東北大学名誉教授・同大学院医工学研究科特任教授。NPO法人REDEEM代表。医学博士、工学博士。1948年5月、福島県生まれ。
連絡先:NPO法人REDEEM事務局
仙台市青葉区星陵町2-1
医工学実験棟2F
東北大学大学院医工学研究科
社会人技術者再教育プログラム推進室
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