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高齢患者へ適切な薬剤処方を

国立保健医療科学院部長の今井博久先生が、高齢者における不適切な薬剤処方の基準を一覧表にまとめた。アメリカでは1991年にこの基準の先駆けとなった「ビアーズ基準」を発表している。またヨーロッパでは最近、高齢者における不適切な薬剤処方に関する研究が進んでいる。一方日本では高齢患者に対する薬剤処方の考察はまだ定着していない。この一覧表を医療現場ではどこまで受け入れられるものなのか。現場ではどのように捉えればいいのか。高齢患者をとりまく投薬の現状について今井先生にお話を伺った。

今井博久氏
今井博久氏

基準作成の訳

なぜ「高齢患者における不適切な薬剤処方の基準の一覧表」を作成することになったのか。

「現在、製造されている処方薬は、小児と大人の区別しかありません。代謝のいい20歳の若者と痩せた70歳の高齢者が、同じ『大人』と括られて同じ分量を処方されているのが現状です。人口構造がピラミッド型で、平均寿命が60歳だったときは、小児と大人の2パターンの区別で差し障りはなかったことでしょう。しかしこれだけ高齢化が進めば高齢者向けに薬の量が提示されてもいいのではないでしょうか。

例えば臨床現場において、高齢者の明らかに抗不安薬の副作用と思われるふらつきを目にしたことがあると思います。ふらつきは転倒につながりやすいです。転倒して骨折すれば寝たきりにつながり、寝たきりは死亡を早めてしまうこともあります。ふらつきは誤嚥のリスクも高くなります。臨床医であれば誰でも実感はあるでしょう。副作用でふらつきが起こりやすい薬剤であれば、量を減らすか代替薬にすることが必要ではないでしょうか。

本来ならば適切な薬の量を処方するために、腎機能や肝機能の検査をする必要がありますが、プライマリケアではそこまで手が回らないのが現状です。

そこで、高齢患者に処方するにあたり注意する薬のリストを作成しました。排尿困難を起こしやすい抗アレルギー薬、錯乱や幻覚などを起こすおそれのある胃薬、肝機能障害の危険がある抗血小板薬など71の薬剤をリストにしました。疾患・病態に関わらず使用を避けることが望ましい薬剤46種類と、特定の疾患・病態において使用を避けることが望ましい薬剤25種類です。これらを高齢者に処方するときは、量が適切か、副作用は出ていないか診察のたびに細心の注意が必要です。

薬剤選定のコンセプト

「私は1999年から2001年、米国留学しているとき「ビアーズ基準(Beers criteria)」(ビアーズは『メルクマニュアル』の編者)を使った研究を行いました。この基準はアメリカ人の高齢患者を対象としているため、流通している薬剤が日本とは異なります。薬剤処方システムや経済的インセンティブも差があり、またアメリカ人と日本人では体型にも違いがあるので、このリストを翻訳しただけでは有効ではありません。そのため日本の医療事情に合わせた日本人高齢患者向けのリストを開発することにしたのです」

リストの開発方法は、マーク・H・ビアーズらがビアーズ基準を作成した方法とその改訂版に準拠した。その方法は以下の通りだ。

まずはふたつの観点で薬剤をピックアップすることを主眼とした。

  • (1)高齢者を不必要なリスクにさらし、それよりも安全な代替薬がある、あるいは効果がないなどの理由から65歳以上の高齢患者において「常に使用を避けることが望ましい」薬剤または薬剤クラス
  • (2)65歳以上の高齢者において「特定の病状がある場合に使用を避けることが望ましい薬剤または薬剤クラス

このふたつの観点から、それぞれ5段階の点数を用いて記述内容に同意するか反対するかを9人の専門家委員に質問する。その結果を判断する方法に改良デルファイ法を採用した。

例えばある睡眠剤について、転倒がとても多い等の理由から「使用を避けるべき」という質問に対して、「強く同意する」(1点)、「同意する」(2点)、「どちらともいえない」(3点)、「同意しない」(4点)、「強く異議を唱える」(5点)と5段階の回答を用意し専門家委員に質問した。委員9人の回答の95%信頼区間(=平均値±1.96×標準偏差。値が95%の確率でこの範囲内に収まると期待される区間)の下限が3を上回った場合その薬を不採用とし、上限が3未満ならリストに採用する。95%信頼区間に3が含まれる場合、もう一度判断を仰ぐ。重篤度の判定も同時に行う。

リストへの収載方法
リストへの収載方法
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膨大なデータから選んだ薬剤

「この研究はエビデンスに基づいたものではありません。製薬メーカーから『エビデンスはあるのか』という質問が多々あったことも事実です。実際、どの薬剤も治験時のランダム化比較試験(RCT)では高齢者を対象としていません。高齢者のエビデンスを取ることは非常に難しい。無理と言えます。

だからといってリスクのある薬を使い続けることはできません。薬の潜在的なリスク(危険)とベネフィット(利益)を比較し、リスクのほうが大きければその薬剤の使用を避け、可能であれば代替薬に変更するのが妥当でしょう」

エビデンスはないが、それ以上にこのリストの説得力は、判断の基準になった論文の量にある。前述の(1)(2)の薬剤を選定するのに、まずは論文から薬剤をピックアップした。

「このリスト作成の方法論を決めるのには本当に苦労しました。まず2003年に発売されたビアーズ基準改訂版にある薬剤のうち日本未発売の薬剤を除きました。次に2001年1月1日から2006年8月31日までに発表された、高齢者の薬物療法における有害事象を取り上げたすべての論文をMEDLINEを用いて検索しました。その数は4,045本に及びます。関連文献からさらに引用文献、論文を精査し、そこで挙げられた薬剤の投与が高齢患者に対して適切かどうかを臨床経験が豊富な医師と薬剤師の9人からなる専門家委員が無記名投票を行いました。

専門委員の選定にも非常に気を使いました。国内ないしは国際的に認められている内科学、臨床老年医学、老年神経学、臨床薬理学、および薬剤疫学などの領域の専門家で臨床経験が豊富で専門知識を持つ医師や薬剤師にお願いしました。その方たちは特定の製薬会社と利益相反がないことが条件です。また地域特有の傾向が出ないように関東・関西に分散するように選定しました。委員は年齢・経験・分野を問わず平等に一人一票です。私には投票権はありません」

薬剤選定方法はアメリカで用いられている「ビアーズ基準」に準拠し、さらに公平を期するための方法論は議論を重ねて決定している。すべての薬剤関係者から不満が出ない方法論を編み出すのは非常に困難だ。特に利害関係のある製薬会社としては、自社製品がリストに入らないことを望むだろう。しかしこの方法以上に公平でシンプル、かつ妥当な方法は他にあるだろうか。

患者からの反響

日医雑誌にこのリストが掲載された後、新聞社の取材を受け、3紙に取り上げられた。これらを読んだ患者から今井先生のところに問い合わせが相次いだ。患者は日々飲み慣れた薬がリストに挙がっていれば不安になるし動揺する。

「単純にAの代替薬はB、と置き換えることはできません。病気の状態、肝臓や腎臓機能、心電図の結果などすべてを考慮しなくてはならないため、その患者を診察した医師にしかわからないでしょう。

リストに掲載された身近な71種類の薬剤だけでも、医師は処方するときに留意してもらいたい。そして代替薬があるものはどれが患者さんにいちばんふさわしいか検討してもらいたいです。たとえ患者さんがある特定の薬を要求しても、高齢患者にふさわしくなければその旨を説明し、代替薬があれば切り替えるべきです。なによりも安全性の確保、医療の質の向上が重要です」

例えばロフラゼブ酸エチル(商品名「メイラックス」など)は半減期が122時間であるため、これを高齢患者が服用すると長時間にわたりふらつき、転倒の危険性が増す。しかしこの薬を服用しなければ徘徊し、事故に遭うなどまた別のリスクが発生する場合は、どうすればいいのか。

「このリストはすべてを解決する完璧なものではありません。私は見過ごされていた高齢患者の薬剤に対しての問題提起だと思っています。リストの薬剤すべてが全員の患者さんにとって危険だから中止すべき、というものではないし、法的な効力もありません。しかし9人の専門委員が論文と自身の経験を元に検討した結果、高齢患者には不適切と判断された薬を迷わず使い続けることは医療の質を下げることにならないでしょうか。さしたる根拠もなく習慣でなじみの薬を処方しているのであれば再考してもいいのではないか、と考えています」

たとえばある医師が術後の高齢患者にスルピリド(商品名「ドグマチール」など)を処方したら、元気がなくなりうつろになってしまった。その医師は胃薬に問題があると目星をつけ、他の胃薬に替えたら、話したり歩いたりし、明らかに状態が変化したそうだ。代替薬を処方できるのなら、薬の変更を検討する余地はある。

「現場の医師と薬剤師はこのリストの71の薬剤だけでも細心の注意を払って患者さんに処方して欲しいと考えています。

現在、代替薬のマニュアルを製作中です。今年秋には出版する予定です。基礎疾患の有無、状態などを踏まえた上で代替薬の提案をしていくので、医師と薬剤師の方にはぜひ参考にしてもらいたいです。

このリストが正しく理解され、広く使用していただけるよう、勉強会や講演などにも積極的に行っていくつもりです。必要であれば声をかけてください」

(取材:阿部純子)
カテゴリ: 2008年7月 1日
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