福岡地方裁判所平成7年1月20日判決(判例時報1558号111頁)
(争点)
- Y医師の注意義務違反の有無
- 肝臓病のため、就労していなかった患者Aについて逸失利益が認められるか否か
(事案)
患者Aは、昭和55年12月、F病院において慢性肝炎の診断を受け、同月16日から昭和56年3月12日まで同病院で入院治療を受けた後も同病院において通院治療を行っていたが、通院の便宜上、内科、循環器科等を専門とするY医師が開設しているY病院に転院することとし、同年6月5日、Y医師との間で慢性肝炎の治療を目的とする診療契約を締結した。以来、Aは、昭和57年中はほぼ毎日、昭和58年からは週3回の割合でY病院で受診し、昭和60年10月26日(最終検査時)までにほぼ1月に1回の割合で血液生化学検査を受けていた。
この間、昭和57年3月13日ころ、AはY医師の指示に従って、H病院で血液生化学検査、肝シンチグラム検査、腹部超音波検査等を受け、「肝硬変パターンがみられる」などとの検査結果が記載された添書を受取り、これをY医師に届けた。
Aは昭和60年12月17日未明に突然嘔吐したため、K外科医院に搬送されて治療を受けたものの、結局、同月20日肝硬変の合併症である食道静脈瘤破裂による出血性ショックのため死亡した。
(損害賠償請求額)
患者遺族の請求額(遺族合計):5774万1685円
(内訳推定・端数は遺族の法定相続分で割る関係で合計額とは一致しません:逸失利益2159万2422円+死亡した患者の慰謝料2000万円+葬儀費用90万円+遺族固有の慰謝料1000万円+弁護士費用524万9244円)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額(遺族合計):1530万円
(内訳:逸失利益0円+死亡した患者の慰謝料1000万円+葬儀費用90万円+遺族の慰謝料300万円+弁護士費用+140万円)
(裁判所の判断)
Y医師の注意義務違反の有無
裁判所は、まず、医学的知見について、昭和56年6月当時、6ヶ月又はそれ以上の期間持続する炎症性肝疾患である慢性肝炎に罹患した患者の一部は、自覚症状の発現や肝機能検査の悪化を反復しながら肝硬変へと移行することが認められており、肝硬変に罹患した患者は、その症状として門脈圧亢進を来たしやすく、その結果、多くの場合食道静脈瘤の発現をみるため、その破裂により死亡する割合が高く、特に肝硬変の三大死因の一つとして数えられていたと認定しました。そして、食道静脈瘤に対する硬化療法は、昭和50年代初めころから行われ始め、昭和55年9月15日発行の医学書には既に卓効を示す治療法として紹介されていたとも判示しました。
その上で、裁判所は、慢性肝炎の患者の治療に当たる医師には、慢性肝炎から肝硬変への移行の有無、さらには移行しつつあることを認識した場合にはその破裂が生命に重大な危機をもたらす食道静脈瘤の発現の有無を念頭において、検査を含む治療に当たるべき注意義務があることは明白といわなければならないと判示しました。
そして、裁判所は、Y医師は、遅くとも昭和57年3月ころにはAの症状が慢性肝炎から肝硬変へと移行しつつあるという認識を有しながら、全診療期間を通じ、食道静脈瘤発現の有無やその程度を確認しようとした形跡は全く窺われないばかりか、Y医院で行い得るX線検査すら行わなかったのであるから、Y医師には、注意義務違反があると判断しました。
肝臓病のため、就労していなかった患者Aについて逸失利益が認められるか否か
Aの遺族は、Aが少なくとも9年間就労可能であったとして、賃金センサスから算出した逸失利益を損害賠償の一項目として請求していました。
これに対し、裁判所は、まず、Aに死亡による逸失利益を認めるためには、Aに就労の蓋然性が認められなければならないと判示したうえで、Aは、食道静脈瘤破裂を起こすまでに重い自覚症状が出るなど全身状態を問題視するような状況はなかった反面、昭和57年5月に勤務先を定年退職して以来何ら稼働することなく肝臓病の療養に専念していたこと、肝臓病の療養には安静が不可欠であること、Aが食道静脈瘤の治療のために硬化療法又は手術療法を受けたとしても、期待できる生存期間は限定されていること、しかも、その予後においても右療法を繰り返し行わなければならない可能性があることを併せ考えると、Aに現実の就労の蓋然性を認めることは困難であると認定して、Aの死亡による具体的な損害としての逸失利益は認められないと判断しました。