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No.80「生後約9ヶ月の男児に対する内視鏡手術の際、灌流液が体内に漏れ、急性腎不全から重度の後遺障害に。国立病院医師の過失を認め、国及び医師らに損害賠償責任を認めた判決」

神戸地方裁判所 平成10年3月23日判決(判例時報1676号89頁)

(争点)

  1. 手術を執刀した医師に、手術に際して灌流液の溢流を監視すべき注意義務を怠った過失が認められるか
  2. 麻酔医であった研修医に、手術に際して灌流液の溢流を監視すべき注意義務を怠った過失が認められるか
  3. 医師らの過失と後遺障害との間に因果関係が認められるか

(事案)

患者A(本件手術当時生後約9ヶ月の男児)には左の腎盂と尿管との境目である左腎盂尿管移行部に先天的な狭窄があり、このため左腎の水腎症に罹患していることが判明した。Aは、平成元年11月16日、国立Y大学医学部附属病院(以下Y病院という)泌尿器科において、左腎盂形成術を受けた。Y病院泌尿器科教室助教授のM医師が平成2年1月11日に内視鏡検査を行った結果、左腎盂形成術の際の吻合部内腔に瘢痕性肉芽が形成され、これによって再度の狭窄が生じている状況を確認し、狭窄部の拡張を期待して、腎瘻から、腎盂・狭窄部・尿管を経て、膀胱内までJカテーテルを留置した。

その後もAの左腎盂尿管移行部の狭窄が改善されなかったため、Y病院は、再度その狭窄部を切開する手術(以下本件手術という)を内視鏡を用いて行うこととし、執刀医にはM医師が、麻酔医には、Y病院麻酔科研修医であったS医師が担当することになった。

内視鏡手術では術野を洗浄する灌流液を流入させながら行われるのが一般的であり、本件手術の際にも灌流液が約6リットル使用された。ところが、本件手術終了後、灌流液のうちのかなりの量がAの左腎盂から体内に溢流していることが判明した。Aには本件手術後、低ナトリウム血症、高炭酸ガス血症、低酸素血症、肺水腫、急性腎不全という合併症を引き起こし、治療がされたものの、その後脳室拡大、脳萎縮が認められるようになった。結局、Aには回復の見込みが全くない、脳障害による強度の意識障害や上肢・下肢の硬直性麻痺(機能全廃)という後遺障害が残り、常時、完全な介護を要する状態となった。

A及びAの両親は、国とM医師及びS医師に対して損害賠償請求訴訟を提起した。

(損害賠償請求額)

患者及び患者両親の請求額(合計)1億740万2148円
(内訳:逸失利益1715万8974円+介護費用5054万3174円+Aの慰謝料1500万円+Aの弁護士費用820万円+両親合計の慰謝料1500万円+両親合計の弁護士費用150万円)

(判決による請求認容額)

裁判所が認容した額(合計)1億740万2148円
(患者及び患者両親の請求額と同額・同内訳)

(裁判所の判断)

手術を執刀したM医師に、手術に際して灌流液の溢流を監視すべき注意義務を怠った過失が認められるか

裁判所は、M医師は、灌流液の使用を開始した後は、灌流液の溢流の有無を監視するため、Aの背部、脇腹、腹部の変化に留意し、自ら又は助手に命じて時々肉眼で右各部分の状態を観察し、さらに可能な範囲で背部、脇腹、腹部を触診して膨隆の有無を確認するとともに、S医師の協力の下に、適宜採血し、低ナトリウム血症への移行の有無を把握するための最も有効な方法である血漿ナトリウム濃度の測定を行うべきであったと判示しました。

そして、M医師が、本件手術中、背部全体の観察、触診及び脇腹、腹部の観察、触診は行っていなかったこと、S医師の協力の下にAの血漿ナトリウム濃度の測定も実施しておらず、切開操作を終えた時点でさえ、Aの脇腹、腹部の観察、触診を行っていなかったことを認定し、M医師が、手術開始から手術終了までの間、灌流液の溢流の有無を監視するため注意(Aが乳児であることからすれば、それは細心の注意でなければならい)を払っていなかった義務違反は明らかであるとM医師の過失を認定しました。

麻酔医であった研修医(S医師)に、手術に際して灌流液の溢流を監視すべき注意義務を怠った過失が認められるか

裁判所は、S医師は、本件手術当時は研修医であり、他の医師の指導監督のもとに本件手術における麻酔の実施及び管理を行っていたものであるが、実際の医療現場で麻酔医として本件手術を担当している以上は、研修医であるというだけで、医師に課せられる注意義務が特に軽減されるということはできないと判示しました。

そして、本件手術においては、Aが乳児であることから、術中の灌流液の溢流の有無については特に厳重に監視すべきであったから、S医師としては、灌流液使用後は、低ナトリウム血症への移行の有無を確認するため、適宜採血し、血液検査を行って、血漿ナトリウム濃度を測定すべきであったところ、S医師は、当初、動脈カテーテルを留置し、定期的な血液ガス分析及び血液検査を行いうる体制をとったものの、手術の際のXの体位が戴石位から腹臥位に変更され、動脈カテーテルが異常をきたした後は、何ら定期的な血液検査(血漿ナトリウム濃度の測定)を行わなかったから、この点において灌流液の溢流の有無を監視すべき注意義務を怠った過失があると判示しました。

医師らの過失と後遺障害との間に因果関係が認められるか

裁判所は、本件においては、遅くとも、切開作業が終了し、灌流液の大部分の使用を終えたころには、灌流液の溢流を発見し得たものということができ、この時点で、Aに対し、利尿剤を投与し、あるいはナトリウムを補強するなど適切な処置を講じていれば、低ナトリウム血症その他の合併症の発生をある程度防止することができ、結果としてAの脳障害を回避し得た蓋然性は高いといえるから、M医師及びS医師の過失とAの脳障害の結果との間には因果関係を認めることができると判示しました。

カテゴリ: 2006年10月18日
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