東京地方裁判所平成14年4月8日判決(判例タイムズ1148号250頁))
(争点)
- 下垂体腫瘍の発見が遅れたことにつき、内科担当医師に過失があったか
(事案)
患者X(女性・年齢不明)は、平成11年1月頃から、視力低下を感じはじめ、3月には近所の開業医や都立病院の眼科を受診したが、視野異常は認められず、加齢による視力低下と診断された。しかし、Xは、左目の視野異常を感じ続け、新聞からの知識により、下垂体腫瘍が存在するのではないかと疑い、Y大学病院の脳神経外科には優秀な専門医がいることを知ったため、従前から通院していたY大学病院の内科を4月22日に受診した。Xは内科のT医師に、左目の視力低下と視野異常があるが、2カ所の眼科で異常はないと言われたことや、脳内の異常の可能性を尋ねた。
T医師は、Y大学病院の眼科での診察を指示し、4月28日に眼科のB医師はXを診察し、眼圧測定、視力検査、ゴールドマン視野検査等を行ったが、視野異常は認められず、視力低下の原因は明らかでなかったため、中心部視野等の精査を進めていくこととし、ハンフリー視野検査の予約を入れるとともに、Xの診断結果をT医師に返信した。Xは5月19日に眼科でハンフリー視野検査を受け、左眼の中心部に感度の低下した部分が存在することを示す検査結果が出た。そして、5月26日の眼科での診察の際、B医師は再度ゴールドマン視野検査を行うこととし、8月4日に予約を入れたが、T医師に対しては、8月4日のゴールドマン視野検査の結果とともに診断結果を知らせることとし、5月19日と5月26日の検査結果は知らせなかった。
Xは、6月4日にT医師の診察を受け、T医師に対して眼科での検査では視野異常が認められたことを告げ、脳内の異常の有無を調べる検査を求めたが、T医師はホルモン検査等を行うことはしなかった。なお、T医師はB医師に対し、眼科での検査結果を尋ねる診療依頼状を作成した(B医師がT医師の診療依頼状を読んだのは、Xが眼科の診察のために診療依頼状を持参した8月18日であった)。
8月4日のゴールドマン視野検査の結果から、B医師は、8月18日の診察で、左眼半盲を疑い、Xの視野異常の原因として、下垂体腫瘍等を含めた頭蓋内病変の可能性を考えた。
8月26日、T医師の診察を受けたXは、眼科のB医師からの返信をT医師に渡した。
T医師は、眼科の診断結果を踏まえ、下垂体腫瘍も含めて脳腫瘍を検索するため、ホルモン検査を行い、MRI検査の予約を9月1日に入れた。そしてT医師は9月1日のMRI検査の画像所見から下垂体腫瘍と診断した。
その後、12月9日にY病院の脳外科に入院し、12月17日、下垂体腫瘍摘出手術(ハーディ手術)を受け、腫瘍はほぼ全摘出された。
Xは、T医師とY大学病院を被告として、下垂体腫瘍の発見の遅滞あるいはカバサールを投与する目的で治療を遅らせた注意義務違反及びカバサールの投与についての説明義務違反を主張して、訴訟を提起した。
(本紹介では、これらの争点のうち、下垂体腫瘍の発見の遅滞に絞って紹介する)
(損害賠償請求額)
患者の請求額 1120万円
(内訳:慰謝料1000万円+入院及び治療費20万円+弁護士費用100万円)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額 130万円
(内訳:慰謝料100万円+弁護士費用30万円)
(裁判所の判断)
下垂体腫瘍の発見が遅れたことにつき、内科担当医師に過失があったか
裁判所は、6月4日のT医師の診察について、次のように判示しました。
「T医師は、Xが訴えているような視野異常が客観的に存在するか否かを判定するために、Xに眼科を受診させたのであり、Xからは、視野検査の結果、実際に視野異常が認められたという結果を聴いているにもかかわらず、5月26日の診察以降も眼科の結果が返信されないことから、上記診察依頼状により、中心部視野検査の結果を眼科に問い合わせたものである。
しかし、眼科でのゴールドマン視野検査の予約が8月4日であったため、B医師が上記診療依頼状を読んだのは、ゴールドマン視野検査を受けて行われた8月18日の診療時であった。そのため、T医師がハンフリー視野検査の結果報告を要求していることが、B医師に伝わるのが遅れ、その結果、ゴールドマン視野検査の結果を受けて、B医師において、下垂体腫瘍の可能性を疑い、内科に返信するまで、T医師には、眼科での視野異常についての客観的な検査結果が伝わることはなかった。なお、視野検査の結果が伝わるのが遅れたのは、Y大学病院において、診療依頼状を患者に持参させて他科の診察を受けさせており、医師同士で連絡を行わないという方法をとっていたことによるものであるから、Xが、決められた予約の日まで診療依頼状を眼科に持参しなかったことは、何ら責められることではない。
T医師は、上記診療依頼状を原告に渡して、漫然とその返信を待つのではなく、返信が来ないのであれば、自らB医師に問い合わせるなどして、視野検査の結果について確認すべき義務があったと解される。
そして、B医師に視野検査の結果を確認すれば、Xには軽度であるが、客観的に視野異常が存在することが判明したものである。
T医師において、客観的な視野異常を確認した場合、確かに身体所見からは末端肥大の症状はなく、Xが訴える視野異常も下垂体腫瘍により典型的に生じるものとは一致しないが、Xから一貫して脳内の異常の可能性を尋ねられ、その検査まで求められた後、糖尿病等の他の内科的疾患の可能性も排除されただけでなく、Xの主訴に合致する客観的な視野異常が確認されたのであって、ホルモン検査やMRI検査等はそれ自体危険性を有する検査でも、困難な検査でもないのであるから、Xに対し、下垂体腫瘍の有無を調べるため、ホルモン検査やMRI検査等を行うべき義務があったと解される。
しかし、先に認定したとおり、ホルモン検査やMRI検査等を行えば、より早期に下垂体腫瘍を発見できた可能性が高かったにもかかわらず、T医師において、B医師に対して、視野検査の結果を直接確認することもせず、ひいては、ホルモン検査やMRI検査等を行わなかったことは、T医師の診療行為における注意義務違反といわざるをえない。
したがって、T医師において、6月4日の診察以降もホルモン検査やMRI検査等を行わず、9月1日のMRI検査まで、下垂体腫瘍の発見が遅れたことについて過失が認められる。」
このように、裁判所はT医師の過失を認めました。そして、慰謝料についての検討にあたっては、「Xは、自らは左眼の視野異常を感じていたにもかかわらず、2か所の眼科で視野異常が認められなかったため、新聞からの知識により、下垂体腫瘍が存在するのではないかと疑い、下垂体腫瘍の専門医がいるY大学病院を受診し、脳内の異常の可能性を訴えたものである。そして、Xは、T医師に対し、5月21日の診察及び6月4日の診察において、5月19日のハンフリー視野検査において、視野異常が認められたことも告げるとともに、脳内の異常の可能性を尋ね、脳内の異常の検査をして欲しいと繰り返し訴えたものである。しかし、T医師は、Xに対し、下垂体腫瘍を発見するためのホルモン検査やMRI検査等を行わず、結果として下垂体腫瘍の発見が9月1日のMRI検査まで遅れたものである」という経緯も指摘した上で、慰謝料の額について、100万円を相当と判断しました。