最高裁判所 平成12年2月29日判決(判例時報1710号97頁)
(争点)
- 宗教上の信念から輸血を伴う治療行為を拒否するとの明確な意思を有している患者に対して、「手術の際に輸血以外には救命手段がない事態に至ったときは、患者及びその家族の諾否にかかわらず輸血する」という方針を採用していた病院が、その説明をしないまま手術を施行し、上記方針に従って輸血を行った場合に、患者に対して不法行為責任を負うか
(事案)
患者X(昭和4年生まれの女性)は、昭和38年から「エホバの証人」の信者であり、宗教上の信念から、いかなる場合にも輸血を受けることは拒否するという固い意思を持っていた。
国が設置、運営しているY病院に勤務していたU医師は、「エホバの証人」の医療機関連絡委員会(以下、連絡委員会という)のメンバーの間で、輸血を伴わない手術をした例を有することで知られていた。しかし、Y病院では、外科手術を受ける患者が「エホバの証人」の信者である場合、輸血を受けるのを拒否することを尊重し、できる限り輸血をしないことにするが、輸血以外には救命手段がない事態に至ったときは、患者及びその家族の諾否にかかわらず輸血するという方針を採用していた。
Xは、平成4年6月、T病院に入院し、同年7月、悪性の肝臓血管腫と診断されたが、T病院の医師から、輸血をしないで手術することはできないと言われたことから、退院し、輸血を伴わない手術を受けることができる医療機関を探した。
そして、連絡委員会の紹介で、8月18日、XはY病院に入院し、9月14日には、Xと夫が連署した免責証書をU医師に手渡した。この証書には、Xは輸血を受けることができないこと及び輸血をしなかったために生じた損傷に関して医師及び病院職員等の責任を問わない旨が記載されていた。9月16日、Xは肝臓の腫瘍を摘出する手術(以下、本件手術という)を受けたが、その際、XとXの夫及び長男は、U医師ら三名の医師に、輸血を受けることができないことを伝えた。
本件手術において、患部の腫瘍を摘出した段階で出血量が約2245ミリリットルに達するなどの状態になったので、U医師らは、輸血をしない限りXを救うことができない可能性が高いと判断して輸血をした。
(損害賠償請求額)
患者(訴訟途中で死亡し、遺族が訴訟を承継)側の請求額:1200万円 (内訳:精神的苦痛に対する慰謝料1000万円+弁護士費用200万円)
(判決による請求認容額)
一審裁判所(東京地方裁判所平成9年3月12日)の認容額:0円
二審(東京高等裁判所平成10年12月9日)の認容額:55万円 (内訳:患者の被った精神的苦痛に対する慰謝料50万円+弁護士費用5万円)
上告審(最高裁判所):二審を維持
(裁判所の判断)
宗教上の信念から輸血を伴う治療行為を拒否するとの明確な意思を有している患者に対して、「手術の際に輸血以外には救命手段がない事態に至ったときは、患者及びその家族の諾否にかかわらず輸血する」という方針を採用していた病院が、その説明をしないまま手術を施行し、上記方針に従って輸血を行った場合に、患者に対して不法行為責任を負うか
裁判所は、「本件において、U医師らが、Xの肝臓の腫瘍を摘出するために、医療水準に従った相当な手術をしようとすることは、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者として当然のことであるということができる。しかし、患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない」と判示しました。
その上で、裁判所は、U医師らは、本件手術に至るまでの1ヶ月の間に、手術の際に輸血を必要とする事態が生ずる可能性があることを認識していたにもかかわらず、Xに対してY病院が採用していた方針(手術の際に輸血以外には救命手段がない事態に至ったときには輸血するとの方針)の説明を怠ったことにより、Xが輸血を伴う可能性のあった本件手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪ったものといわざるを得ず、この点において同人の人格権を侵害したものとして、同人がこれによって被った精神的苦痛を慰謝すべき責任を負うと判示しました。