名古屋地方裁判所平成11年2月5日判決 判例時報1701号101頁
(争点)
- 本件ショックの原因
- 医師らの過失の有無・内容
(事案)
患者X(昭和37年生まれの男性・大学生)は、昭和57年10月にY大学医学部附属病院(Y病院)で左頸部腫瘍(ガマ腫)の摘出手術を受け、昭和58年4月頃、再び腫れが生じ、Y病院の診察により左頸部リンパ管腫瘍(良性)と診断され、再度腫瘍摘出手術を受けることとなり、同年7月8日、Y病院に入院した。
7月25日午後2時25分、被告病院において、O主治医及びH医師らにより、左頸部の切開及びリンパ管腫摘出手術(本件手術)が施行されたが、かなりの拡大手術となり、所要時間は5時間50分に達し、同日午後8時15分本件手術が終了した。 本件手術後30時間以上経過してもXの出血は続き、頸部のガーゼ等が汚染されていた。
7月27日午前6時30分、T看護師はXから息苦しさを訴えられて不安を感じ、B当直医に連絡した。この時点でドレインから滲み出たやや多量の出血によりガーゼが汚染し、創部が腫れて皮下出血があること、及び、脈拍が112に上昇していることが認められた。B当直医は、ガーゼを交換して、圧迫止血の処置をしたが、それ以上の措置は採らなかった。
同日午前7時20分ころ、Xは、ベッドの上に座った状態で、顔色が蒼白からチアノーゼに変化し、四肢にもチアノーゼが出て、重い呼吸困難に陥り、瞳孔拡大の状態になっており、ショック症状(本件ショック)を呈していた。
Xに対し心マッサージ・アンビューバック(人工呼吸器)の装着、ボスミン投与などが行われた。また医師らが気管内挿管を試みたが、功を奏さなかった。
同日午前8時、B当直医、T教授及びK医師が、緊急気管切開術を施行し、同日午前9時45分には止血処置のため再手術が行われた。 しかし、Xは、本件ショックにより虚血性脳障害に陥り、脳機能のほとんどを喪失し、労働能力はもとより認識記憶能力等の知的能力、運動能力のすべてを失い、食事から排便までのすべての生活領域において介助を要する状態となった。平成元年11月、XはN地方裁判所において、禁治産宣告を受けた。
(損害賠償請求額)
患者と両親の請求額:合計 1億5915万3950円
(内訳:Xの逸失利益6341万5983円+入院中付添看護費用1362万2000円+退院後付添看護費用4508万0967円+慰謝料2000万円+弁護士費用604万5000円+Xの両親の慰謝料2名合計で1000万円+両親の弁護士費用2名合計で99万円)
(判決による請求認容額)
裁判所の認容額:合計 1億1837万1812円
(内訳:Xの逸失利益5243万8659円+入院中付添看護費用778万4000円+退院後付添看護費用3169万3680円+慰謝料2000万円�損益相殺分1057万9527円+弁護士費用604万5000円+Xの両親の慰謝料2名合計で1000万円+両親の弁護士費用2名合計で99万円)
(裁判所の判断)
本件ショックの原因
裁判所は、本件手術は侵襲の大きな拡大手術であり、手術操作による咽頭・喉頭の粘膜及び粘膜下の循環障害、機械的な刺激及び出血等のため、声門上腔(喉頭蓋、披裂咽頭蓋ひだ)及び声門下腔(輪状軟骨内側)の浮腫(喉頭浮腫)が形成され、創部からの術後出血が続き、一部は排出されずに術創部内に貯留し、凝固して血腫が形成され、滲出液も貯留されたと認定しました。そして、これらの喉頭浮腫、血腫及び滲出液貯留により、Xは、気道が徐々に圧迫、狭窄されて、上気道閉塞を来たし、遅くとも同月27日午前6時30分ころには気道狭窄症状が発現し、さらに進行して上気道が閉塞され、同日午前7時20分ころまでの間に、急激に重い呼吸困難に陥り、換気性低酸素血症は高度なものとなって本件ショック症状を呈し、二次的に循環系である心臓に影響を及ぼし、心停止又はそれに近い状態が発生したと判示して、本件ショックの原因は、喉頭浮腫、血腫及び滲出液貯留等のため、Xの気道が狭窄されて上気道閉塞を来したことによる呼吸系の異常によるものと判断しました。
医師らの過失の有無・内容
裁判所は、まず、医学上の知見として、頸部が解剖学的、生理学的に複雑な臓器であることにかんがみ、当該部位に切開手術が施された場合には複雑な因子が絡み合って合併症が発生することが考えられ、とくに本件手術のようにかなりの拡大手術であり、長時間を要する手術が施された場合には、創部からの術後出血、滲出液貯留、咽頭部及び喉頭部の浮腫等に起因する気道狭窄症状が強く懸念され、厳重な術後管理が必要であったと判示しました。
そして、この医学上の知見と鑑定の結果に照らし、Xの創部からの出血量は術後1日以上経過しても著減していなかったことから、この時点で止血のための緊急手術が検討されるべきであったし、少なくとも、直ちに止血のための措置を採らないで経過観察を続けることとした場合には、その後の出血の状況や、滲出液貯留、喉頭部の浮腫等の出現及び程度、並びにXの全身状態の変化に注意して厳重かつ積極的な術後管理を行い、緊急事態の発生に備えて、予め緊急気管切除術等の準備ないし態勢を整え、かつ、状況によっては、躊躇することなく早急に、確実に気道が確保できる処置等を講じるべきであったと判断しました。
そして、7月27日午前6時30分時点におけるXの喉頭浮腫の状況、脈拍等の全身状態、息苦しさの自覚状況等から気道狭窄症状が認められ、さらにチアノーゼの出現等重篤な事態へと増悪することが予見できたにもかかわらず、B当直医において緊急気管切開術の施行等の処置を検討せず、気道狭窄症状改善のため有効な処置を採らなかったため、本件ショックの発症を経て、本件虚血性脳機能障害に陥ったものというべきであるから、B当直医には、医療上の過誤(医師としての過失及び本件医療契約上の債務の不完全履行)があったとして、国の使用者責任を認定しました。