名古屋地方裁判所令和5年1月20日判決 医療判例解説(2024年12月号)113号15頁ウェストロージャパン
(争点)
患者に対する身体拘束が違法であったか否か
*以下、原告を◇1および◇2、被告を△と表記する。
(事案)
A(当時91歳・女性)は、平成29年(以下、特段の断りがない限り同年のこととする。)5月9日朝、40度の発熱で意識レベルが低下したため、B大学病院に救急搬送され、同日そのまま入院となった。
入院時の血液培養検査の結果、肺炎球菌陽性が報告され、Aは肺炎球菌を起炎菌とする肺炎球菌肺炎(侵襲性肺炎球菌感染症)であると診断された。その後症状の改善と悪化が繰り返され、その都度抗生剤治療が行われた。
B大学病院では、毎週入院患者の転倒・転落の危険度を「転倒・転落アセスメントシート」を用いて、転倒・転落の危険性が低い1から危険性が高いⅢで評価していたところ、Aは、6月21日以降、常に危険度Ⅲと評価されていた。ただし、Aは、B大学病院に入院する前から退院時まで、一度も転倒・転落したことはなかった。
Aは、抗生剤治療の継続及びリハビリの目的で、7月7日に医療法人である△の開設する病院(以下「△病院」という。)に転院することとなった。△病院は救急指定病院であり、10対1の看護体制を採っていた。
B大学病院こころのケアセンター医師は、Aの転院に先立ち、△病院に対し、7月5日付けの診療情報提供書を送付した。同書面には、Aには難聴がありコミュニケーションをとることが難しいが、筆談による簡単なコミュニケーションは可能であること、被害的な訴えが多いこと、夕方から夜間にかけて興奮状態になることが多いが落ち着いている時間帯もあって状態に波があること、せん妄が認められ、薬剤調整をしていたことが記載されていた。
また、B大学病院看護師は、Aの転院に先立ち、看護サマリーを作成し、△病院へ送付した。同サマリーには、Aが5月26日から嚥下食を開始したが、発熱の度に欠食及び抗生剤治療に切り替えており、7月2日以降は絶食となっていること、排泄は基本的に介助を受けつつ歩行器歩行にてトイレで行うこと、日中は車いすで過ごすことが多く歩行訓練も行っていること、コミュニケーションはAからの一方的なものが多く病院側の要求が通ることは少ないこと、治療やケアに時折激しく抵抗することがあること、頻回の自己抜針歴があること、炎症データの低下とともに活動的となってベッド上で起き上がり柵を自ら持ち上げることがあるが、そのほとんどは尿意があるときであること、歩行器にて歩行することができるが、筋力低下ゆえ転倒・転落の危険があることが記載されている。
Aは、7月7日に△病院外科へ転院し、同日△との間で診療契約を締結した。Aの主治医はC医師で、担当看護師はD看護師であった。
なお、C医師及びD看護師はAの転院に際し、B大学病院からの7月5日付けの診療情報提供書および看護サマリーの内容を確認していた。
転院時のAの身長は130cm、体重は25.9kgであり、同身長の人物の標準体重35.5kgより約10kg軽かった。また、転院時のCRPは3.7㎎/dlと高値であり、血清アルブミン値は1.5g/dlと栄養不良の状態であった。
転入時である同日7日以降、△病院においてもB大学病院と同様にゾシン投与による抗生剤治療が行われた。
△病院では、当時、身体的拘束に関するマニュアルとして、「身体抑制」と題するA4紙1枚のマニュアル、「身体拘束」と題する抑制方法に関するマニュアル及び「身体拘束」と題する拘束に当たっての注意点に関するマニュアルが用いられていた。
「身体抑制」と題するマニュアルには、抑制は転倒・転落の危険性が高い場合や点滴の自己抜去の危険性が高い場合等に行うこと、拘束を行う前に患者本人又はその家族に説明して同意をもらうこと、目的に合った抑制を行うこと、抑制を最小限・短時間で解除することができるよう経過観察をすること等が記載されている。
「身体拘束」と題する拘束に当たっての注意点等に関するマニュアルには、身体的拘束が許されるのは切迫性、非代替性及び一時性の要件を満たす場合のみであること、拘束中は2時間おきに経過観察を行い、その上で詰所に近い病室への移動、体幹抑制からセンサーマットへの変更、四肢抑制からミトンへの変更等軽減(代替)方法を検討すること、拘束前には用具の不具合や老朽化がないかを確認すること、拘束中の体位変換は拘束帯を解除した上で2名によって行うことが記載されていた。
そして、「身体拘束」と題する抑制方法に関するマニュアルには、各抑制につき適切な抑制方法と注意事項が記載されており、上肢抑制については固定が緩いとすり抜けのおそれがあるため緩く固定しないよう注意すること、体幹抑制については体幹部に重ねた両手が入る程度の余裕を持たせて緩すぎずきつすぎない程度に固定すること、柵カバーについては固定紐を用いて患者が柵を外さないようにすることが記載されていた。実際、△病院においては、上肢抑制について、手首の拘束帯は指1本入るくらいのゆとりを持たせて固定し、手を胸元まで持ってくることができるくらいの余裕を持たせることとされ、体幹抑制については、胴体の拘束帯(抑制帯・腹部帯)は握り拳1つ入るくらいのゆとりを持たせて固定し、起き上がった際に座位を取ることや寝返りを打つことができるくらいの余裕を持たせることとされていた。
また、△病院では、身体的拘束をしている患者について、1週間ごとに「転倒・転落アセスメントシート」を記入し、その都度拘束の必要性を見直すこととしていた。さらに、回診ないしラウンド(看護師の見回り)の際、医師や看護師が患者の状況を確認して身体的拘束の解除が可能か否かを適宜検討することとされていた。もっとも、身体的拘束の解除について検討するためのカンファレンスが開かれるということはなかった。
D看護師は、7月7日午後3時49分頃、AについてB大学病院における自己抜針歴があることを確認し、転倒転落予防に努める方針とした。
同月7日午後5時20分頃、D看護師が、Aの病室を訪ねるとAがベッドの上で状態を起こし、「これは重たいわね。」と言いながらベッド柵を外していた。
D看護師は、共に巡回していたF看護師と相談し、身体的拘束をしなければ転倒や転落の危険性が高いと判断した。そこで、ベッドの長辺の約半分の長さのベッド柵をAが乗降する側に2点、その反対側に1点設置し(3点柵)、ベッドの柵にキルティング布製の柵カバーを掛け、ベッドの一側面(Aが乗降する側の反対側)を壁に寄せ、ベッド下にはセンサーマットを設置し、Aの両上肢及び体幹をベッドに抑制した(本件拘束)。もっとも、D看護師およびF看護師は、Aに対する身体拘束を開始してよいかにつき、C医師やその他の医師に事前確認を取らなかった。
本件拘束により、Aは、壁に掛けられたナースコールを押すこともできない状態に置かれたほか、オムツを装着され拘束された状態のまま排泄を余儀なくされ、トイレに行って排泄をすることはできなかった。なお、同月10日から13日にかけて毎日20分間のADL動作訓練(リハビリ)が実施されたが、当該訓練中も本件拘束が続けられ、訓練は両下肢のみを対象とするものにとどまった。
D看護師は、入院初日の7月7日午後6時5分頃、「転倒転落アセスメントシート」に、Aが転倒・転落を起こす危険性がかなり高いと評価して、危険度Ⅲであると記入した。ただし、同シートではAが同日より1か月以内に転倒・転落をしていないことも確認されていた。
同日午後7時27分頃、△病院看護師がAの病室を訪室すると、Aが「お金が欲しいの人殺しー助けてー」と訴え、両上肢の抑制をすり抜けて上体を起こしており、看護師が再度装着しようとすると殴ったり蹴ったりして興奮気味であった。
△病院看護師は、同月11日午前10時頃、センサーマットの設置を解除し、その他の抑制は継続することとした。
同月12日午前10時30分頃、D看護師が本件病室を訪室した際、Aは「私はお仕事をお休みさせてもらいます。」と発言した。
Aの入院中に言語聴覚療法を担当した言語聴覚療法士は、同月8日午前には、Aが難聴により補聴器を使用してもコミュニケーションが困難であるが、筆談であればやり取りすることができる可能性があると評価し、同月10日午前には、Aが「殺されるから、今日までの命だね。」と発言するなどやや興奮気味であるが、筆談による意思の疎通はできることを確認し、同月11日午前には、Aが「幼稚園の先生が園児を殺しまわっている。」と発言するなど興奮気味であることを確認した。
Aの入院中に理学療法を担当した理学療法士は、同月12日午前、Aが「誰か分からないけど追いかけてくる。」と発言するなど興奮気味であることを確認した。
△病院看護師は、同月13日午後4時10分頃、Aについて苦痛が強いことを確認したが(この時、SpO2は60%から70%台であり、発熱も認められた。)危険回避のために抑制は必要であり、抑制により危険が回避できていると評価した。
なお、同月8日朝からAに発熱が続き、同月10日以降は呼吸状態が悪化し、同月13日午後7時53分に死亡した。なお、死亡の直接原因は死亡日の約2か月前に発症した両肺炎球菌肺炎であった。
そこで、Aの相続人である◇ら(Aの長男および長女)は、△に対し、同病院の看護師らがAの両上肢及び体幹をベッドに拘束したことが違法な行為であるなどと主張し、主位的には逸失利益、死亡慰謝料等を、予備的には身体的拘束自体により生じた慰謝料を請求した。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 主位的請求3916万3854円
(内訳:死亡逸失利益1060万3505円+死亡慰謝料2500万円+弁護士費用356万0350円。相続人複数のため端数不一致)
予備的請求200万円
(内訳:慰謝料200万円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 100万円
(内訳:慰謝料100万円)
(裁判所の判断)
患者に対する身体拘束が違法であったか否か
この点について、裁判所は、入院患者の身体を抑制することは、その患者の受傷を防止するなどのために必要やむを得ないと認められる事情がある場合にのみ許容されるというべきであると判示しました。
その上で、まず、Aに体幹抑制をしないと転倒・転落する危険性が高かったかどうかを検討しました。
裁判所は、AがB大学病院において、ベッド上で起き上がって柵を持ち上げたり、柵に足を掛けたりする行為を度々行い、△病院においても、7月7日の午後5時20分頃にベッド上で上体を起こし、ベッド柵を外す行為をしたこと、入院当時91歳という高齢であって、せん妄があって向精神薬を飲んでおり、歩行器を用いた歩行はできたが、介助を要する状態であったこと、そして、B大学病院の転倒・転落アセスメントにおいても、Aは転倒・転落の危険が高いと評価されていて、骨粗しょう症や股関節脱臼症の既往もあったとことに鑑みれば、Aには、転倒・転落により骨折等の重大な障害を負う危険性(切迫性)があったといえるとしました。
次に、本件拘束当時、体幹抑制以外に転倒・転落を防止する適切な代替方法がなかったかについてみるに、ベッドを壁に寄せてその反対側を2点柵とした上、ベッド柵に柵カバーを掛ければ、ベッド柵を取り外す行為を防ぐことが可能であったと判示しました。
また、B大学病院の看護サマリーには、Aがベッド上で起き上がり柵を自ら持ち上げるときのほとんどは尿意があるときであると記載されていると指摘しました。裁判所は、そうすると、Aに指示が入りにくかったことを踏まえても、尿意があるときに看護師を呼ぶようにと説明を繰り返せば、ベッド柵を乗り越えようとする行為を防止することができた可能性がなかったとまでは断定し難いと判示しました。
B大学病院の診療情報提供書には、Aには度々せん妄による興奮状態が見られるが、落ち着いている時間帯もあって状態に波があると記載されており、7月7日午後5時20分頃のAが興奮状態にあったことは認められず、Aは難聴ではあったものの筆談による簡単な会話が可能であったものであるとしました。裁判所は、そうすると、D看護師らは、同時分頃に△病院においてAがベッド柵を外す行為を確認したとき、筆談により、ベッド柵を外した理由を聴き取ったり、勝手にベッド柵を外したりベッド柵を乗り越えたりしてベッドから降りようとすると転落・転倒の危険性があることから、今後はそういった行為をせず用があればナースコールを押すようにと説明したりすることも可能であったといわざるを得ないとしました。
さらに、当時の看護体制(Aのいた病棟の定床数は44床、Aの入院期間中の稼働病棟数は平均約40床であり、日勤帯は看護師約10名が、夜勤帯は看護師約3名が、当該病棟の入院患者に対応していた。)を踏まえれば、離床センサーを用いたりAのベッドを詰所に近い病室へ一時的に移動させたりして、Aの様子を観察することが特に困難であった事情は見出し難いとしました。
それにもかかわらず、D看護師らは、筆談による聴取や説明をすることをせず、また、体幹抑制を行わずに3点柵、柵カバー、ベッドの壁寄せ及びセンサーマットのみで対応ができないかにつき検討することもなく、本件病室に入室したわずか2時間半でAについて本件拘束を開始したと判示しました。しかも、拘束を開始する前に転倒・転落アセスメントの実施や医師への相談もしなかったと指摘しました。
裁判所は、以上によると、本件拘束当時、体幹抑制以外に転倒・転落を防止する適切な代替方法がなかったとはいえず、D看護師らは、他の適切な代替方法について十分に検討しないまま、体幹抑制に至ったものと言わざるを得ないと判断しました。
次に、体幹抑制が転倒・転落の危険を防止するために必要最小限度のものであったかについて、△病院では、抑制帯(腹部帯)は握り拳1つ入るくらいのゆとりを持たせて固定することとされていたが、Aは、抑制帯(腹部帯)をきつく締められ握り拳1つ分が入るような隙間のない状態で抑制されていたと認められると判示しました。
裁判所は、Aに対する体幹抑制は、入院初日から死亡するまでの約1週間にわたって一度も解除されることなく継続されており、Aは、ナースコールを押して要望を伝えることもできず、転院前にはできていたトイレでの排泄も不可能な状態に置かれたと指摘しました。そして、△病院のマニュアルでは、抑制を最小限・短時間で解除することができるよう2時間おきに経過観察を行うこととされているが、Aに対しては、拘束装置が問題なく装着されているかを2時間おきに確認しただけであり、Aに対する拘束をより軽度のものとするとか解除するといったことに向けた検討や観察が行われたことはうかがわれないと判示しました。
裁判所は、これらのことからすれば、本件の体幹抑制は、当時のAの状態等に照らし、転倒・転落の防止のため必要最小限のものであったということはできないとしました。
裁判所は、次に上肢抑制について検討しました。
裁判所は、まず、Aが上肢抑制をしないと点滴を自己抜去する危険性が高かったかについて、B大学病院においてAに点滴を頻回に抜去する行為があったことが認められるとしました。そして、Aは7月2日以降肺炎の症状が悪化しており、栄養不良の状態でもあったことから、抗生剤及び輸液の投与が必要な状態であったとしました。そのため、点滴の自己抜去を防止する措置を講じる必要があったこと自体は否定することができないとしました。
裁判所は、しかしながら、本件拘束(上体抑制)が開始された同月7日午後5時20分頃の時点において、点滴は未だ開始されていなかったと指摘しました。既に点滴の指示は出ていたが、同日午後5時20分頃の時点でまさに点滴を開始しようとしていたことは証拠上認められない以上、同時点においては身体の自由を制限してまで将来の点滴のために対策を講ずるべき差し迫った必要性が高かったとまではいえないとしました。
裁判所は、次に、7月7日午後5時34分にはAに対して点滴が開始されているところ、過去の自己抜去歴から何らかの対策を講じる必要があったことは否定し難いとしました。裁判所は、しかし、C医師も自己抜去の都度対処するという方法もあり得たと供述しているように、当時の看護体制を踏まえても、まずは、点滴のルートが視野に入らないよう工夫したり、上肢抑制に比べて軽度な抑制方法であるミトンを装着するに留めたりして、Aがそれでも頻回に点滴を抜去するかどうかを見極めた上で、上肢抑制という重度の拘束方法が真に必要かどうかを検討するといったことも可能であったというべきであるとしました。しかし、D看護師らは、そのような代替策を実施することのないまま上肢抑制に行ったものであると指摘しました。
そして、本件の上肢抑制が点滴の自己抜去を防止するため必要最小限度のものであったかについてみるに、体幹抑制と同様に、上肢抑制も入院初日から死亡するまでの約1週間一度も解除されることなく継続されており、△病院看護師らは、拘束装置が問題なく装着されているかを2時間おきに確認しているだけで、Aに対する拘束をより軽度のものとするとか解除するといったことに向けた検討や観察が行われたことはうかがわれないとしました。
裁判所は、これらのことからすれば、本件の上肢抑制も、当時のAの状態等に照らし、点滴の自己抜去防止のため必要最小限度のものであったということはできないとしました。
本件拘束のうち体幹抑制及び上肢抑制が、転倒・転落の防止及び点滴の自己抜去防止のために必要やむを得ないものであったと認めることはできないと判示しました。したがって、Aに対する体幹抑制及び上肢抑制は違法であると判断しました。
裁判所は、他方、本件拘束のうち3点柵、柵カバー及びベッドの壁寄せについては、Aがベッド柵を外す行為を防止するために必要であったといえ、本件拘束のうち体幹抑制及び上肢抑制以外は、必要やむを得ないものであったと認められ、違法であるとはいえないとしました。
以上から、裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲で◇らの予備的請求を認め、その後判決は確定しました。