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No.510「出生した児に脳脊髄膜炎、脊髄炎による後遺症が生じ、医師が敗血症、髄膜炎を疑って、検査・治療を開始すべき義務あるいは専門施設に転院すべき義務に違反したと判断した地裁判決」

横浜地方裁判所平成2年4月25日判決 判例タイムズ739号156頁

(争点)

医師に注意義務違反があったか否か

*以下、原告を◇ないし◇、被告を△と表記する。

(事案)

(出産時35歳の女性)は、これまで妊娠の経験がなかったところ、昭和55年8月6日、自宅近くのN産婦人科医院で妊娠の診断を受け、分娩予定日が昭和56年3月28日とされた。◇は、同年2月23日までN産婦人科医院に通院していたが、その間、実家近くの病院で分娩したいと考え、昭和55年11月15日、△医院を開業している△医師に対し、その旨を話して分娩時の入院を申し入れ、△医師もこれを了承して、◇を診察した。その後、◇は、昭和56年1月17日にも△医師の診察を受けた。

は、同年2月25日午前6時ごろ、用便に際して異常な感じがあり、破水ではないかと思って、同日午前9時ごろN産婦人科医院で内診を受けたところ、医師から破水であるから、直ぐに△医院に行き入院するよう指示されたので、△医師に対し、電話でその旨の連絡をしたうえ、義兄運転の車で△医院に赴き、同日午後2時40分ごろ△医師の診察を受けた。△医師は、◇から経過を聴取し、自らも内診したところ、外子宮口が1ないし1.5指(2~3cm)開大で、下行部が児頭であることを確認し、いくらか血の混じった水性の帯下の流出を認め、N産婦人科医院の診察結果とも総合して、これを羊水の流出と判断し、前期破水の診断をしたが、その際、◇の肛門と会陰の間に便が付着し、感染を生ずる虞があったため、外陰部を洗浄したうえ、感染予防の目的でクラモキシルを一日1グラムとして3日分与え、陣痛が起きたら来院すること、入浴して外陰部を清潔にすること等を指示し、◇を帰宅させた。◇は、実家に戻り、他の家族に先立って、△医師の指示通り入浴した。

は、その後新たに破水を感ずることもなく、同月26日午前6時ごろ陣痛が始まったので、同日午前10時20分ごろ△医院に入院した。△医師は、◇を内診し、外子宮口が三指(約6cm)開大であること、卵膜がなく直接児頭に触れること、羊水の流出がないこと等を確認した。◇は、同日午前10時30分ごろ分娩室に入った後、同日午後1時32分◇を娩出したが、その際、羊水の混濁はなく、その他、分娩の経過自体には格別異常が認められなかった。◇は、在胎週数(算定胎齢)35週5日で出生に至り、出生時体重は2330グラムであったが、△医師は、◇の出生直後の状態をアプガースコアによる採点で8点と評価し、母児や胎児付属物について細菌検出のための検査を行わなかった。

は、同月27日午前零時ごろ糖水10ccを飲んだ後、同日午前4時ごろ最初の授乳によりミルク10ccを飲み、以後、毎日午前零時、同4時、同8時、正午、午後4時、同8時の6回に分けて授乳されていたが、同年3月1日までは、一回の授乳時に、多いときで60cc、少ないときで20cc、概ね40cc前後を飲み、全体として次第に哺乳量が増加していた。また、看護師が、毎日1回午前中に◇を沐浴させ、その前後に検温や全身状態の観察を行い、その結果を授乳量とともに児表と称する看護記録に記録した。このような◇に対する看護の方法は、△医院における新生児に対する通常の取り扱いと何ら異ならないものであった。

は、◇が、同年3月1日昼に授乳した際、ミルクを飲む力が弱いように感じられたほか、出生後から同月1日までは、格別異常な症状が認められなかった。同月2日午前10時ごろの観察で、看護師はイクテロメーターにより◇の黄疸の指数を4.0(同日以前の指数は、同年2月27日が1.5、翌28日及び3月1日が各3.0であった。)と判定し、哺乳力及び元気についても何らかの異常を認めて、児表の該当欄にそれぞれ「+―(プラスマイナス)」を記載するとともに、少し黄疸が強い旨△医師に報告し、△医師もこれを確認した。また、◇の同月2日の授乳の状況については、同日午前零時及び同4時に各40cc、同8時に55ccを飲んだものの、同日正午に絞った母乳を哺乳びんで与えようとしたところ、口にくわえず、30分後にミルクを混ぜて強制的に飲ませたが、30ccを飲んだに止まり、同日午後4時の授乳時には全く飲まず、具合が悪そうだったので、再び看護師が△医師に連絡をした。△医師は、◇の黄疸が強く、哺乳力も低下したので、そのころ、◇を近くのO医院に連れて行き、血中ビリルビン量を測定したところ、17.0mg/dlの測定結果を得たが、O医師とも相談のうえ、この測定値が生理的黄疸と病的黄疸の境界域にあると考え、発熱や痙攣が認められないことから、もう暫く◇の様子を見ることにした。

その後も、◇は、同月2日午後8時に10ccしかミルクを飲まず、翌3日午前零時の授乳時には全く飲まなかったばかりか、38.5度の発熱が認められた。△は、◇の体重が少ないこと、黄疸が強いこと、発熱したこと等から感染症を疑い、小児科専門の病院に転院させる必要があるかもしれないと考え、近くに住む小児科専門医で、K大学医学部客員教授を勤めるI医師に往診を依頼した。I医師は、同日午前1時ごろ、△医師から◇の状況を聞いたうえ、聴打診や各種の反射の検査を行うなどして、◇の症状を診察したが、結局、緊急に転院させる必要はないと考え、もう暫く様子を見、発熱は哺乳力の低下による水分の不足から生じた可能性があるため、1ないし2時間毎に水分を強制的にでも補給するとともに、予防のため抗生物質を経口的に与えるよう△に指示した。

そこで、△医師は、脱水予防のため、◇を保育器に収容したうえ、同日午前1時糖水10cc、同2時糖水5cc、同4時糖水10cc、同5時糖水20cc、同6時糖水10cc、同8時ミルク20cc、同日正午ミルクか糖水10cc、同日午後2時糖水15ccをそれぞれ飲ませ、これとともに、アセチルロイコマイシンシロップ(クラミディア肺炎に対する特効薬であるが、大腸菌による髄膜炎や敗血症には効果がない。)を糖水等に混ぜて経口的に投与したが、その間、◇の体温は、同日午前3時に38.9度に上昇し、同日の朝になっても38.5度の発熱が続いていたため、同日午前10時40分ごろチカルペニン100mgを筋肉注射により投与した。

一方、◇は、I医師の診察後、同医師からの肺炎の心配はないなどの説明を受けたものの、夫である◇と実家の両親に連絡し、実母と交替で◇に付き添った。◇は、同日午前4時30分ごろ△医院に到着した後、同日午前9時ごろ、◇の両親とともに△医師と面談し、◇を小児科専門の病院へ転院させることを話し合い、△医師が転院先として挙げた数か所の病院のうち県立の医療センター(以下、「医療センター」という。)を希望するなどしたが、午前中は◇の様子を見ることになったため、結局、同日の午後に至り◇を医療センターへ転院することが決定し、△医師が医療センターへの入院と搬送用の救急車を手配し、◇は、同日午後3時45分医療センターに入院した。

が医療センターに入院すると、直ちに、担当のW医師は、◇に付き添って来院した△医師及び△医院の看護師から、◇が出産時35歳の高年初産婦であり、同年2月25日午前6時に前期破水を生じたこと、◇が同月26日1時30分に在胎35週5日、体重2330グラムで出生したが、同年3月2日午後4時からミルクを飲まなくなり、元気がなくなり、血中ビリルビン量が17.0mg/dlに上昇し、翌3日午前零時38.5度の発熱があったこと等を聴取したうえ、◇の全身状態を診察し、自発運動や刺激に対する反応が無力である、顔貌が苦悶状である、口周囲にチアノーゼがある、脈拍が不整である、呼吸が浅く、不整である、腹部の膨隆がある、四肢の運動が不活発である、吸啜反射が弱いなどの所見を得たが、この診察結果と△医師らから聴取した状況を総合して、◇の感染症罹患を疑った。そこで、W医師は、◇の胸部レントゲン写真を撮影し、その結果、肺炎を疑い、次いで、入院直後の血液検査の結果により、血液が酸性に傾いていること、白血球数の減少と左方移動、血小板数の減少等が認められたことから、敗血症や髄膜炎等の重症感染症を疑った。そのため、更に、の腰椎穿刺を実施したが、血性の髄液しか採取できず、(このため、W医師は◇の頭蓋内出血を疑った。)髄液検査が不能であるため、これを培養するに止め、これと同時に重症感染症に対する治療を直ちに開始し、アミノベンジルペニシリン及びゲンタマイシンを静脈注射により投与した。また、黄疸についても血中ビリルビン量の測定結果が17.7mg/dlであったため、光線療法を実施した。

翌日の同年3月4日になると、W医師は、発熱が低下するなど◇の全身状態が好転し、白血球数も回復してきたので、投与した抗生物質の効果があり、これにより治療が可能であろうと考え、また、前日採取した髄液からグラム陰性桿菌が検出されたため、◇が大腸菌による髄膜炎に罹患しているのではないかと疑ったが、再度試みた腰椎穿刺によっても髄液が採取できなかったため、髄膜炎の確定的な診断ができなかった。なお、血液培養の結果、同月4日◇の大腸菌による敗血症の診断がされた。

ところが、◇は、同月5日午前3時ごろから痙攣の発作が現れ、同日午前5時ごろ当直医のN医師が診察し、抗痙攣薬を投与するなどしたが、同日午前5時48分ごろの呼吸停止及び心停止を起こし、気管内挿管、心マッサージなどにより蘇生できたものの、その後も痙攣発作が頻発し、呼吸状態も悪いため、人工呼吸器が装着され、呼吸管理と内科的治療が続けられるなど重篤な状態に陥った。同日◇の脳断層撮影により左後頭部に出血の疑いが出たが敗血症のため外科的手術は見合わせられた。W医師は、翌6日◇の交換輸血を実施する一方、感染症の専門医と相談のうえ、それまで併用していたアミノベンジルペニシリンとゲンタマイシンが、耐性検査で感受性があるとされたにも拘わらず、あまり効果がないのではないかと考え、ゲンタマイシンに替え、ホスミシン、セフメタゾンをアミノベンジルペニシリンと併用して(同月15日以降はホスミシンだけ)投与するなどしたところ、その後、◇の状態は、次第に改善し、呼吸も安定して人工呼吸器が取り外され、元気を回復して、同年4月25日医療センターを退院するに至った。なお、その間、当初連日の腰椎穿刺によっても困難であった髄液の採取に、同年3月12日ようやく成功し、採取された髄液から、大腸菌が検出されたため、◇の髄膜炎の診断が確定し、また、同月22日ごろ、脳断層撮影により、当初出血が疑われた左後頭部に脳膿瘍が形成されていることが判明するなどしたが、◇の病名は、最終的に脳脊髄膜炎、敗血症、脳膿瘍、脊髄炎と診断された(肺炎の疑いもあったが、確定できなかった。)。

その後、◇は、脳脊髄膜炎、脊髄炎による後遺症として、四肢麻痺、膀胱直腸障害、精神発達遅滞の機能障害が認められ、昭和57年10月その症状が固定した。

そこで、◇らは、◇が脳脊髄膜炎、脊髄炎に罹患したのは、△医師に過失があったからだとして、不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償請求を選択的にした。

(損害賠償請求)

請求額:
9576万0104円
(内訳:逸失利益2864万9964円+介護費用2841万0140円+慰謝料3名合計3000万円+弁護士費用870万円)

(裁判所の認容額)

認容額:
4788万5336円
(内訳:逸失利益のうち3分の2相当額1909万9976円+介護費用のうち3分の2相当額1418万5360円+慰謝料1200万円+弁護士費用260万円)

(裁判所の判断)

医師に注意義務違反があったか否か

この点について、裁判所は、◇は、昭和56年3月2日午前10時ごろの看護師の観察により、前日より黄疸が強く認められ、また、哺乳力や元気についても、前日までのプラスと異なるプラスマイナスの評価を受けたが、更に、同日正午の授乳時のミルクの飲み方が悪く、強制的に30ccを飲ませたものの、同日午後4時にはミルクを全く飲まず、その後も哺乳力の不振が続いたこと、◇の黄疸と哺乳力の低下を伴うこのような症状は、同日午後4時ごろには、△医師が◇をO病院に連れていき、血中ビリルビン量を測定したものの、原因が解明できないため、経過観察を必要とすると考えさせるようなものであり、この事実と新生児の敗血症、髄膜炎の症状及び◇のその後の治療経過を総合考慮すれば、◇の敗血症又は髄膜炎が同日午前10時ころには発症し、遅くとも同日午後4時ごろには、その症状として黄疸、哺乳力の低下を伴った何らかの異常を感じさせる状態、すなわち、はっきりと病的とは言い切れないが健康でなさそうだという新生児の敗血症、髄膜炎を疑うべき症状を呈していたものと認めるのが相当であると判示しました。

そして、◇は、前期破水後約31.5時間を経過して出生した早期産児、低出生体重児として、感染症を念頭に置いた厳重な監視が必要であったことや新生児の敗血症、髄膜炎に対してとられるべき診断、治療の方法に照らせば、△医師は、遅くとも同日午後4時ごろ△医師が◇をO病院に連れていくことを考えたときには、◇の敗血症、髄膜炎を疑い、直ちに細菌検出のための検体として血液、髄液等を採取した後、アミノベンジルペニシリンとゲンタマイシンによる強力な抗生物質療法を開始するか、自らこれをすることができないときは、新生児集中治療施設等必要な検査、治療設備を備えた専門施設に◇を転院させる注意義務があったというべきであると判示しました。

裁判所は、△医師は、同日午後4時ごろのこのような◇の症状を認識しながら、敗血症や髄膜炎を疑わず、直ちにこれに対する検査、治療を開始せず、あるいは、医療設備の整った専門施設に◇を転院させなかった過失があったと判断しました。

以上から、裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲で◇らの請求を認めました。その後、控訴されましたが、取下となり判決は確定しました。

カテゴリ: 2024年9月10日
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