東京高等裁判所令和2年8月19日判決 判例時報2472号18頁
(争点)
医師に適切な医療処置を施すべき義務違反があったか否か
*以下、原告を◇1ないし◇4、被告を△1および△2と表記する。
(事案)
平成27年12月28日、A(大正10年生まれ。死亡時94歳の女性)は、社会福祉法人であるIが経営する特別養護老人ホームB(以下、「B」という。)に入所した。
Aは、Bに入所するまで、長男である◇1と自宅で日常生活を送っており、耳が遠く、軽い認知症で要介護認定3であった。
Bは、社団医療法人である△1の経営する病院(以下、「△病院」という。)に隣接しており、△病院に勤務する医師が派遣され、入所者の診察に当たっていた。
平成28年2月10日午前7時35分頃、Bの職員は、Aが、朝食時に離床したが反応がなく、肩呼吸をしていたため、検査をしたところ、血圧は54/31、脈拍は38、酸素飽和度(SPO2)は70%という状態であった。そこで、Bの職員は、同日午前7時40分頃、△病院に電話連絡し、当直をしていた△2医師(△1の被用者であり、△病院に非常勤医師として勤務し、高齢者の診療、治療に携わっていた医師)にAの症状を説明し、Bへの緊急往診を要請した。
同日午前7時50分頃、△2医師はBに到着し、職員のEから、Aが前日から食事がとれず、夜間に喘鳴があり、朝離床したが肩呼吸であったことなどのAの前夜から同日朝までの様子や、Aの上記バイタルサインの数値について口頭で報告を受けるとともに、Aのケース記録の同月8日及び同月9日の各記載を確認し、病室においても、Aの心音、呼吸及び脈拍の状態を認識するとともに、痛覚反応及び呼びかけによる知覚反応が全くないことを確認したものの、Bにはカルテがなく適切な診断ができないため様子見をすることとした。△2医師は、Aを診察するのは初めてであった。
Bの職員は、同日午前8時40分頃、◇1に対し、Aがバイタルの測定が不可能の状態に急変したことから、「容態が急変したのですぐに来てもらいたい。」と電話連絡するとともに、△病院に電話して、C医師に来所要請を行った。
Bに赴いたC医師は、同日午前9時7分、Aの死亡を確認した。
C医師は、死亡診断書に、「直接死因」として「心筋梗塞」、「発病(発症)から死亡までの期間」として「約2時間」、「直接死因に関係しないが・・・傷病経過に影響を及ぼした傷病名等」として「慢性腎臓病、高血圧、認知症、末梢動脈疾患」、「死因の種類」として「病死及び自然死」と記載した。なお、傷病名等の記載は、C医師がAの疾患として知っていたものから書いたものであり、Aの死亡に影響を与えた順番に記載したものではない。
そこで、Aの相続人であり、Aの子である◇らは、Aが死亡したのは、△2医師に適切な医療行為をすべき注意義務違反があったからだとして、△らに対し、損害賠償請求をした。
第一審裁判所(甲府地方裁判所令和元年11月26日)は、Aは老衰により心臓の機能を含めた全身の状態が不可逆的に著しく悪化し、△2医師の診察を受けた時点においては、死亡直前の状態であったと認めるのが相当であり、△2医師がAを診察した時点において、Aに対して行うべき何らかの医療措置があったとは認められず、△2医師が◇らの主張する酸素療法や補液治療等の医療措置をとる義務を負っていたと認めることはできないとして、◇らの請求を棄却した。そこで、これを、不服として、◇らは控訴した。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 480万円
(内訳:Aの慰謝料500万円のうち、原告らの相続分に応じた取得額4名合計400万円+弁護士費用4名合計80万円)
(一審裁判所の認容額)
- 認容額:
- 0円
(控訴審裁判所の認容額)
- 認容額:
- 176万円
(内訳:適切な医療処置を施すべき義務違反により精神的苦痛を被ったAの慰謝料200万円のうち、原告らの相続分に応じた取得額4名合計160万円+弁護士費用4名合計16万円)
(控訴審裁判所の判断)
医師に適切な医療処置を施すべき義務違反があったか否か
この点について、裁判所は、△2医師においては、平成28年2月10日に診察した際、Aの前夜から同日朝までの様子や、Aの脈拍、血圧及び酸素飽和度の具体的な数値の報告を受け、診察により、Aの心音、呼吸及び脈拍の状態を確認し、呼びかけ及び痛覚の反応がないこと、血圧低下及び酸素飽和度の低下の状況にあることなどAが重篤な容態にあることを認識したのであるから、少なくともAのカルテを閲覧して従前の診断及び治療の経過を確認するとともに、バイタルサインの数値等に基づき、必要に応じて酸素吸入等の応急処置を行い、心電図等検査の要否を含む病態の把握と疾病の診断、疾病に応じた治療について検討したり、自身の対応が困難であれば、隣接する△病院にストレッチャーで移送して他の医師に迅速な引継ぎを行い、対応を依頼するなど、適切な医療処置を施すべき義務があったと認めるのが相当であるとしました。
裁判所は、そして、△2医師においては、Aのカルテを閲覧してさえいれば、Aが同年1月11日以来左足背部の治療を受けていることが判明し、C医師が証言するように末梢動脈疾患のあることが分かり、ひいては心筋梗塞を疑診し、医学的知見等に従い、循環動態の安定化を図ることも可能であったというべきであると判示しました。
しかしながら、△2医師は、Aのカルテを閲覧して従前の診断及び治療の経過を確認せず、バイタルサインの数値に基づき、必要に応じて酸素吸入等の応急処置をせず、病態を把握するための検査や疾病の診断、疾病に応じた治療についての検討をしたり、他の医師に迅速な引継ぎを行ったりすることもなく、ケース記録記載のとおり「カルテがなく適切な診断ができない為様子見」としたにとどまるのであるから、△2医師においては、Aの診察時において適切な医療処置を施すべき義務に違反した過失があるといわざるを得ないとしました。
裁判所は、もっとも、Aの死因は急性心筋梗塞と診断され、発症から死亡までの期間が約2時間とされていること、C医師も、Aの救命の可能性については肯定的でないことからすれば、△2医師がAに対して適切な医療処置を行った場合に、Aを救命し得たであろう高度の蓋然性まで認めることは困難であると判示しました。しかしながら、△2医師においても、診察時のAの病態について、医療処置による延命の可能性を否定していないことからすると、適切な医療処置が行われていたならばAがその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性はあったと認めるのが相当であると判断しました。
以上から、裁判所は、上記(控訴審裁判所の認容額)の範囲で◇らの請求を認め、その後判決は確定しました。