東京高等裁判所令和2年12月10日判決 判例時報2490号11頁(原審 横浜地方裁判所横須賀支部平成30年3月26日判決)
(争点)
心房細動と診断できる所見がないにもかかわらず、カテーテルアブレーション手術を実施した過失の有無
*以下、原告(控訴人)を◇、被告(被控訴人)を△と表記する。
(事案)
A(昭和30年生、死亡時57歳の会社勤務の男性)は、平成14年3月8日、平成13年夏頃から階段を昇ると動悸がする、重い物を運んでいるときに胸の痛みを覚える、胸に圧迫感と軽い痛みがあるなどと訴え、△1医療法人が平成12年に開設した、心臓病の専門病院(以下、「△病院」とする。)を受診した。
その際行われた心電図の結果、洞性徐脈の傾向がみられたが、胸部レントゲンに異常はなかった。
Aは、平成19年9月29日、息切れ、動悸、階段を昇った後立っているのが苦しいなどと訴え、△病院を再度受診し、心電図及び心エコー検査を受けた。同心電図の結果、正常洞調律は49であり、洞性徐脈の傾向がみられたが、心エコーの結果、心機能に問題は見られなかった。△病院の医師であるZ医師(Aの主治医)は、Aに対し、プレタールを処方した。
平成19年11月12日、Aは、△病院を受診し、24時間ホルター心電図検査を受けたが、同検査によっても、有意所見は見られなかった。
Aは、平成19年12月15日、△病院を受診し、Z医師に対して、以前よりは楽になってきていると話した。また、心電図の結果、心房細動(頻度の高い不整脈をいい、脳梗塞などの血栓症や頻脈による心機能低下を起こす疾患)の所見は認められなかった。Z医師は、プレタールを処方し、通院治療を継続することとした。
Aは、平成20年3月6日、△病院を受診した。その際、洞性徐脈が認められ、プレタールを継続処方することとされた。
同月8日、Aは△病院を受診し、Z医師に対し、症状に変わりないこと、電車を待っている時にいつもの発作があり、転倒しそうになるほどであったこと、失神前の状態であったことなどを訴えた。Aには44BPMの徐脈が認められた。
Z医師は、同日、プレタールの処方を中止し、ロプレソールを10日分処方した。
Z医師は、同日の時点で、Aには、(1)神経調節性失神、ないしは、(2)洞不全症候群の疑いがあると診断した。
Aは、平成20年3月15日、鑑別を目的とする電気生理学検査のため、△病院に入院した。Aは、同日午前11時の時点で、歩くと疲れる旨訴え、入院のオリエンテーションの際には、軽度の息切れが認められたが、バイタルに変調はなくモニターSR(洞調律)リズムのために安静にしながらオリエンテーションを続行したところ、意識消失は発生しなかった。また、Aは、同日午後8時15分の時点において、今は平気であると述べた。
当日の診療録には、入院後は眼前暗黒感の出現はなく、めまいや気分不快もないと記載され、HRは50台から40台と記録され、同日の心電図には、心房細動の所見は認められなかった。
Z医師は、平成20年3月17日、Aに疑われる病名(神経調節性失神、洞不全症候群等)の鑑別をする目的で、Aに対し本件電気生理学的検査を実施した。
Aの当時の主訴は、労作直後にふらつきがあること、眼前暗黒感があることであったが、本件電気生理学的検査によって誘発された不整脈が心房細動の波形を示したことが確認された。
Aは、本件電気生理学的検査を終えて病室に帰室した際、担当した看護師に対し、「胸はどうもないです。カテーテルのとき、脈が速くなったからその方が気持ちよかった。」などと発言した。また、当日の診療録には、HR50、SR、バイタル異常なしと記載された。
Z医師は、本件電気生理学的検査によって誘発された不整脈が心房細動の波形を示したことを基に、本件患者が心房細動であるとの確定診断をした。
△病院のD医師は、平成20年3月18日、Aおよびその妻である◇に対し、本件電気生理学的検査の結果、
- (1)
- 心房細動が誘発され、Aの症状はこれに起因する可能性があること、今後の方針として、
- (2)
- ペースメーカーの装着は現時点では適応とはいえないが、今後も同様の症状が継続する場合、考慮する可能性が出てくること、
- (3)
- 現状では、心房細動の治療を優先し、投薬治療を行い経過観察するが、内服薬を飲んでも、心房細動の治療を優先し、投薬治療を行い経過観察するが、内服薬を飲んでも、心房細動の病状そのものが改善し、今後も発生しないという可能性は少ないので、いずれカテーテルアブレーション(経静脈的ないし経動脈的に電極カテーテルを心臓血管内に挿入し、カテーテルを通じて体外から焼灼エネルギーを不整脈発生源である心筋組織に加え、これを焼灼ないし破壊する治療法)が必要となる可能性があること、
- (4)
- 最悪の場合、カテーテルアブレーションとぺースメーカーを併用することになること
などを説明した。
Z医師は、平成20年3月17日から、Aに対して、心房細動に対する抗不整脈薬のうちリスモダンR(ジソピラミド)の投薬治療を開始した。Z医師は、Aには、発作性心房細動に加え、洞不全症候群及び神経因性失神の合併が疑われたことを考慮し、数種類の抗不整脈薬のうち、リスモダンRを選択した。
Aは、平成20年3月17日から平成22年10月14日までの約2年半の間、リスモダンRの投薬治療を継続した。その間、Aは、概ね3か月に1度の頻度で△病院を受診し、Z医師の診察を受けた。その間のAの、以前よりだいぶ楽になったとの主訴に大きな変化はなく、この間、外来受診をするたびに心電図検査を実施したが、心房細動の波形が記録されることはなかった。
Z医師は、平成22年7月10日、△病院を受診したAと◇に対し、Aは、基本的に抗不整脈薬(AADs)が合わない体質と思われることから、根治治療としてアブレーション手術をすることを勧めた。その際、Z医師は、リスモダンRの内服によってもAの主要な症状がなかなかとれていないことや、本件電気生理学的検査の際の発作性心房細動の症状に鑑みると、頻脈発作の心房細動がAの症状の原因の一つであり、アブレーション手術による根治治療をするというオプションがある旨の説明をした。いずれアブレーション手術を受けなければならないものだと感じていたA及び◇は、Z医師から上記説明を受け、これを受けることを了承した。
Z医師は、同日から、Aに対し、リスモダンRに加えて、ワーファリンの投与を開始した。
◇は、同年8月6日、△病院に架電し、「ワーファリン投薬が開始されてからAの血圧の変動が大きくなった。」、「頭がいつもと違うと訴えていた。」と訴えた。
翌7日、Aと◇は、△病院を受診し、Z医師は、ワーファリンのみで血圧が急激に上昇することは非常にまれであると説明をした。さらに、同日、Aの心電図検査を実施したが、その結果は、正常洞調律をしめしていた。
同年9月11日、Z医師は、Aに対して、発作性心房細動の根治治療として心房細動に対するカテーテルアブレーション手術(以下、本件手術という)を実施することを決定した。
Aは、同年10月14日、△病院に入院し、翌15日午後0時35分頃から、Aに対し、本件手術が実施された。
しかし、Aは、本件手術中に心タンポナーデ(心膜液貯留により心嚢内圧が上昇し、拡張期の静脈還流が障害されて心室充満に支障を来たす病態。心拍出量低下と静脈うっ血が生じ、急性経過でしばしばショックに陥る。)を発症した。最終的に緊急の開胸手術となり心タンポナーデの解除、止血の処置がされたものの、ショック状態からの離脱に数分を要したため、低酸素脳症による遷延性意識障害に陥った。
Aは、同日以後、△病院において入院治療を継続したが、平成24年8月30日に死亡した。
そこで、Aの唯一の相続人となった◇は、△に対し、△には本件手術がAに適応しないのにこれを実施した過失があるなどと主張して、主位的に不法行為(使用者責任)に基づき、予備的に診療契約上の債務不履行に基づき、損害賠償請求をした。
原審(横浜地方裁判所横須賀支部平成30年3月26日判決)は、
- (1)
- Z医師が、Aに対して心房細動の確定診断をして、これに基づき手術を実施したことについて過失があるとは認められない、
- (2)
- 同医師が、Aには抗不整脈薬に対する薬物治療抵抗性があると判断し、本件手術を実施したことについて過失があるとは認められない、
- (3)
- 同医師には、Aの心タンポナーデの診断及び治療が遅れた過失は認められない、
- (4)
- △病院の医師らに、Aに対して、診療内容を患者自らが決定するために必要な情報提供を怠った過失は認められない
と判断して、◇の請求をいずれも棄却したため、これを不服として◇が控訴をした。
(損害賠償請求)
- 患者遺族の請求額:
- 8060万6119円
(内訳:入院雑費102万9000円+付添介護費445万9000円+付添交通費31万5560円+葬儀費用179万8598円+休業損害1041万3100円+死亡逸失利益2139万1032円+入院慰謝料387万2000円+死亡慰謝料2800万+近親者固有慰謝料200万円+弁護士費用732万7829円)
(裁判所の認容額)
- 原審の認容額:
- 0円
- 控訴審の認容額:
- 7807万5461円
(内訳:入院雑費102万9000円+付添介護費445万9000円+付添交通費31万5560円+葬儀費用150万+休業損害1041万3100円+死亡逸失利益2139万1032円+入院慰謝料387万円+死亡慰謝料2800万円+弁護士費用709万7769円)
(控訴審裁判所の判断)
心房細動と診断できる所見がないにもかかわらず、カテーテルアブレーション手術を実施した過失の有無
この点について、裁判所は、文献の記載及び鑑定の結果によれば、平成22年に実施された本件手術当時における心房細動診断の医療水準としては、自然に発生した発作時における心電図を記録して心房細動を確認することが原則であったと判示しました。
その上で、Z医師は、Aの本件電気生理学的検査における自覚症状が従前感じていた症状と同様のものであることを確認することなく、単に本件電気生理学的検査の結果、誘発された不整脈が心房細動の波形を示したことをもって、Aが心房細動であるとの確定診断をしたと判断しました。
平成22年に実施された本件手術当時における心房細動診断の医療水準として、自然に発生した発作時における心電図を記録して心房細動を確認することが原則であったところ、本件において、このような心電図を記録して心房細動を確認する必要がなかったことを裏付ける事情は認められず、そうすると、Z医師が、このような確認をしないまま、心房細動であるとの確定診断をしたことは、本件手術当時の医療水準に明らかに反しているというべきであり、Z医師には、過失があったといわざるを得ないと判断しました。
以上から、裁判所は、上記(控訴審裁判所の認容額)の範囲で◇の請求を認め、その後、判決は確定しました。