神戸地方裁判所令和3年9月16日判決 判例時報2548号43頁
(争点)
△病院の医師らが鎮静剤であるミダゾラム10mgを側管注法で投与したことに過失または注意義務違反があるか
*以下、原告を◇、被告を△と表記する。
(事案)
◇(本件手術当時46歳の女性。専業主婦。身長157cm、体重72.7kg)は、平成19年頃から、下腿浮腫が増悪し、平成20年に△地方独立行政法人の開設する病院(以下「△病院」という。)に転院し、キャッスルマン病並びに後腹膜繊維症による上大静脈及び下大静脈閉塞と診断されて退院し、以後、△病院への入退院を繰り返していた。
◇は、キャッスルマン病並びに後腹膜繊維症による上大静脈及び下大静脈閉塞に伴って側副血行路が発達し、その結果、食道静脈瘤(以下「本件静脈瘤」という。)を発症しており、△病院消化器内科において年1回の検査を受けていたところ、本件静脈瘤が年々増大傾向にあることに鑑み、平成24年11月12日、その精査加療を目的として△病院消化器内科に入院した。
◇は、翌13日、△病院の内視鏡センターにおいて、上部消化管内視鏡検査を受け、その結果、本件静脈瘤は横ばいないしやや増大していることが認められ、破裂出血のリスクを避けるため、根治的治療の必要性が認められた。なお、この日の内視鏡検査時には、◇に対しては、鎮静のためミダゾラム0.12mg/kgの投与を要した一方で、この投与によりSpO2が85%にまで低下したため、検査を施行するためには、酸素投与をし、SpO290%以上に回復させる必要があった。
△病院の医師らは、同月15日、◇に対し、食道静脈瘤の治療としてEVL(内視鏡的静脈瘤結紮術)を選択肢として考えているが、◇の本件静脈瘤は、キャッスルマン病及び後腹膜繊維症によって大きな血管(上大静脈及び下大静脈)が閉塞し、血液の流れに異常が生じてできたものであるため、治療後に予期せぬ合併症が発生する可能性があること、根本的な治療としては血管の手術により血液の流れを元に戻す方法が考えられることを説明した。
◇は、同月20日、静脈造影検査を受けた。同検査を受けて、◇病院の医師らは、同日、◇に対し、本件静脈瘤に対する治療として、
- (1)
- EVLを実施する、
- (2)
- IVR治療(上大静脈へのステント留置)を試みる、
- (3)
- 外科的治療(人工血管によるバイパス手術)を試みる、
- (4)
- 無加療で経過観察し、静脈瘤出血時に緊急止血で対応する、
との4つの方針が考えられる旨説明したところ、◇は上記(2)の治療を受けることに決めた。
同月27日、◇は、△病院を一旦退院し、同年12月11日、再度、本件静脈瘤の精査加療目的で入院した。
◇は、同月13日、IVR治療を受けたが、上大静脈の閉塞部が硬く、ガイドワイヤーが通らなかったため、ステントを留置することが出来ず、同治療は中止された。
◇は、同月17日、今後内視鏡治療を行うこととして、△病院を一旦退院し、平成25年1月17日、EVLの実施を目的として再度、△病院に入院した。
◇は、平成25年1月21日午後2時5分ころ、EVLのため、内視鏡センターに入室した(以下、同日の時刻を記載する場合は日付を省略する。また、同日の一連の手術を指して「本件手術」という。)。
なお、◇は、以前より肺気腫や胸水を有する等の理由により、本件手術より前から、しばしばSpO2が90%台前半と低かったことがうかがわれ、通常の患者に比して低酸素血症に陥りやすい傾向にあった。
△病院の看護師らは、◇にパルスオキシメーターや心電図等のモニター類を装着し、左側臥位にした。午後2時10分、△病院医師らは、◇に対し、EVLの術前の処置として、鎮静剤であるドルミカム1アンプル(容量2mL。ミダゾラム10mg含有。)と生理食塩水18mLの混合溶液(以下、「本件混合溶液」という。)20mLの内12mL(ミダゾラム6mg含有。◇の体重につき0.08mg/kgに相当)、鎮痛剤であるペンタジン2分の1アンプル及び抗アレルギー性緩和精神安定剤であるアタラックスP2分の1アンプルを側管注法により静脈注射した。
ミダゾラムは、麻酔前投薬、全身麻酔の導入及び維持並びに集中治療における人工呼吸中の鎮静等に用いられるベンゾジアゼピン系の催眠鎮静剤である。
内視鏡診療における鎮静に関するガイドラインによれば、ミダゾラムの使用法は、0.02ないし0.03mg/kg(体重1kg当たりの投与量)をできるだけ緩徐に注入するものとされている。また、消化器内視鏡ガイドライン(第3版。平成18年)は、ミダゾラムの適量は、0.02ないし0.04mg/kgとし、0.15mg/kg以上では、副作用である一過性の無呼吸の頻度が増えるので注意が必要とする。更に、日本消化器内視鏡学会監修の「消化器内視鏡ハンドブック」(平成24年)には、ミダゾラムの特徴と使用法に関し、0.15mg/kg以上では一過性の無呼吸の頻度が増えるので注意が必要である旨の指摘がある。
静脈注射には、比較的少ない量の薬剤を一度に静脈内に注入するワンショットの方法と、比較的大量の薬剤を持続的に注入する点滴静脈注射の方法に区分され、側管注法は、そのうち、ワンショットに区分される方法である。
その後、◇のSpO2が88%に低下し、モニターのアラームが鳴ったことから、△病院のP2医師は、酸素カニューレにより毎分2Lの酸素を投与した。P2医師は、EVLを開始し、◇に対し、デバイスを装着したスコープを、そのまま食道に挿入しようと試みたが、鎮静剤投与後であってもなお食道入口の反射及び抵抗が強く、挿入することができなかった。そこで、P2医師は、スコープにフレキシブルオーバーチューブ(内視鏡を複数回挿入する際に、内視鏡の通過を容易にし、咽頭や食道を保護するための軟質ポリ塩化ビニル製の器具。以下「オーバーチューブ」という。)を装着した状態で食道内に挿入した後、スコープを抜去しオーバーチューブのみを留置した。この頃から、◇には体動が生じており、看護師が◇の体を抑える等していた。
P2医師らが、◇の本件静脈瘤のうち1個を結紮し、オーバーチューブから抜去したスコープにゴムリングを装着して、次の静脈瘤を結紮する準備をしていたところ、◇の体動が非常に激しくなった。
◇病院の医師らは、鎮静の効果が足りないものと考え、EVLを継続するため、鎮静剤を追加投与することとし、午後2時20分、先に投与した本件混合溶液の残量8mL(ミダゾラム4mg含有。◇の体重につき0.06mg/kgに相当)及びペンタジン2分の1アンプル及びアタラックスP2分の1アンプルを側管注法により静脈注射した。その直後、◇の体動が激しくなり、◇は、食道内に挿入されていたオーバーチューブを自己抜去した。このとき、医師2名並びに看護師3名で体動の激しい◇を抑えていた。
午後2時25分、◇の体動が激しかったため◇のSpO2が測定できない状態となった。看護師が、◇に装着されたパルスオキシメーターのプローブを調節したが、依然として数値は測定できなかった。その頃、複数人で仰臥位にして◇の体を抑えているうちに、◇は呼吸が静かになり、自発呼吸が弱まる状態となった。
P4医師は、頸動脈及び大腿動脈を触知して、脈拍があることを確認した。
P2医師は、◇の脈拍及び呼吸が微弱となったことから、酸素マスクにて毎分13Lの酸素を投与した。この頃、◇の意識レベルは、痛み刺激に反応しない程度となっていた。
P2医師は、◇に対し、鎮静剤に対する拮抗薬としてアネキセート1アンプルを静脈注射した。
△病院の医師らは、午後2時30分、◇に対し、心停止の際の蘇生に用いられるボスミン1アンプルを静脈注射するとともに、点滴の滴下不良のため、点滴ラインの2本目を確保した。この頃、◇の頸動脈が触知できず、SpO2が30%から60%台となり、胸郭の動きも見られない状態となった。△病院の医師らは、◇に対し、アンビューバッグによる強制換気を実施した。
△病院の医師らは、午後2時32分、◇の血圧が84/55mmHg、1分当たりの心拍数が20回台となったため、PEA(無脈性電気活動。有効な心臓の拍動がない状態)に近い状態にあると判断し、◇に対し、心臓マッサージを開始するとともに、CPAコール(蘇生のために医師及び看護師を招集するコール。CPAは心肺停止を意味する。)を行い、◇を病棟ベッドに移動させた。
午後2時38分、◇の心電図は、PEAの波形となったが、△病院の医師らが心肺蘇生を行い、午後2時41分に心拍が再開し、午後2時55分には自発呼吸が確認された。
午後3時10分、◇は、血圧122/89mmHg、心拍数130回/分、ジャクソンリースによる毎分9Lの酸素投与状態でSpO2100%となった。
しかし、◇は、本件手術の際に、低酸素状態となったことによる低酸素脳症となり、意識障害が継続し、判断能力を欠くことが常態となった。◇の夫が◇の成年後見人に選任された。
その後、◇は、平成27年10月6日、低酸素脳症による遷延性意識障害に対する治療を行うため、△病院からA病院に転院した。
そこで、◇は、本件手術を受け、術中に心肺停止となるなどした結果、低酸素脳症により寝たきりの状態になったのは、△病院医師らに過失または注意義務違反があったからだとして、△に対し、選択的に不法行為又は債務不履行による損害賠償請求をした。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 1億5078万5330円
(内訳:治療費425万7617円+入院雑費158万2400円+将来の介護費用4831万7240円+休業損害983万5498円+逸失利益4504万2003円+入院慰謝料442万円+後遺障害慰謝料3200万円+弁護士費用1454万5475円の合計額の内の一部請求)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 1億3830万5198円
(内訳:治療費19万4000円+入院雑費10万5000円+将来の介護費5049万9356円+休業損害67万8769円+逸失利益4537万8073円+入院慰謝料145万円+後遺障害慰謝料2800万円+弁護士費用1200万円)
(裁判所の判断)
△病院の医師らが鎮静剤であるミダゾラム10mgを側管注法で投与したことに過失または注意義務違反があるか
この点について、裁判所は、医学的知見及び認定事実を前提とすると、◇は、ミダゾラムの投与により呼吸抑制に陥りやすい状態にあり、実際にミダゾラム0.08mg/kgに相当する本件混合溶液を投与したことにより既に呼吸抑制が生じていたこと、△病院の医師らは、平成24年11月13日の投与とその際の◇の状況を把握していたのであるから、これらの事実を認識していたこと、ミダゾラムには呼吸抑制の副作用発生が警告されており、投与は緩徐な方法によるべきものとされていたことが認められるから、午後2時20分の時点で、△病院の医師らが、◇の体動を抑制しようとし、鎮静の度合いを深めるため、更に多量のミダゾラムを投与しようとするに当たっては、緩徐な方法によるべきであったし、体動が激しいため、緩徐な方法による投与では対応できないような場合には、◇に対するEVLが、どうしても本件手術の当日に実施しなければ、その日における◇の生存にかかわるといった意味での急を要する手術という訳ではなかったことに照らせば、本件混合溶液を追加投与するのではなく、EVLの続行を中止すべき注意義務があったと認められるとしました。
△病院の医師らには、上記の注意義務が認められるところ、午後2時20分ころ、EVLを中止するとの判断をせず、これを続行するため、側管注法により本件混合溶液の残量8mL全部を◇に投与し、この際に投与された本件混合溶液は、ミダゾラム4mgを含有するもので、その投与量は、◇の体重につき0.06mg/kgに相当し、先に投与した0.08mg/kgと合計すると0.14mg/kgに及び、それは一過性の無呼吸の頻度が増えるので注意が必要とされる0.15mg/kgに匹敵する量であると判示しました。
裁判所は、その結果、午後2時25分頃に至り、◇には、過鎮静による呼吸抑制が生じ、これにより◇に低酸素状態がもたらされることとなったものであると判断しました。
更に、裁判所は、鑑定の結果中には、本件のミダゾラムの投与方法に問題があったことを指摘する部分があり、これは当裁判所の判断に沿うものであるとしました。裁判所は、鑑定の結果の概要を次のように判示しました。
「◇は、通常より低酸素血症に陥りやすかったところ、△病院の医師らが、◇に対し、急速静脈注射を施行したため、持続静脈注射に比べて、鎮静剤の血中濃度が上昇しやすく、副作用の中で呼吸抑制が生じやすかった可能性がある。本件で実施されたEVLは、予防的治療であり、事前に周到な準備が可能であったことを考慮すると、◇の特性や鎮静剤の量が比較的多いこと等に十分配慮して持続静脈注射のような投与方法を考えて治療に当たれば、今回の結果を回避できた可能性がある。
午後2時25分に◇の脈拍や呼吸が微弱になり、痛み刺激に反応しないこととなったのは、午後2時20分のミダゾラムの追加投与による一過性の呼吸抑制が最も疑われる。このことは、◇が午後2時30分に頸動脈の触知が不能、SpO2が30ないし60%台となり、胸郭の動きも見られないこととなったことからも矛盾しない。」
以上の検討により、裁判所は、△病院の医師らは、◇が鎮静剤の投与方法に注意しなければ低酸素血症を招くということも予見し得たところ、一過性の無呼吸の頻度が増えるので注意が必要とされる0.15mg/kgに匹敵する合計0.14mg/kgという多量のミダゾラムを投与するに際しては、なるべく緩徐な方法を採るか、そうでなければEVLの続行を中止すべき注意義務を負っていたところ、これを怠り、EVLを中止することなく、側管注法かつフラッシュ(押し流す)等の急速な投与を行ったと認められ、鎮静剤の投与方法に過失または注意義務違反があったものと認められるとしました。
以上から、裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲で◇の請求を認め、その後、控訴されましたが、控訴後、和解が成立し、裁判は終了しました。