東京地方裁判所 平成18年5月31日判決 判例タイムズ1244号268頁
(争点)
開腹手術義務違反の有無
*以下、原告を◇、被告を△と表記する。
(事案)
A(死亡当時69歳の男性)は、平成15年2月13日、△学校法人が開設する△大学医学部附属△病院(以下、△病院という)において、胃癌に対する幽門側胃切除術及び胆石症に対する胆嚢摘出術を受けた。
Aは、同年5月13日午後7時35分ころに救急車で△病院に搬送され、直ちに救急外来でH医師の診察を受けた。その際のAの主訴は、同日午後4時ころから心窩部痛が出現して徐々に増悪し自制が不可能であるというものであった。H医師は、午後8時46分ころソセゴン(鎮痛剤)を投与した。
その後診察したK医師は、筋性防御なし、ブルンベルグ徴候なしと判断した。K医師は、腹部X線上、大腸ガスあり、小腸ガス少量あり、立位での明らかな鏡面像なし、横隔膜下に遊離ガスなし、腸ひだありと判断し、腹部CT上、上腸間膜動脈は異常なく、腹水なし、拡張した小腸ありと認め、腸管血流は保たれていると判断した。また、Aには嘔吐、嘔気があった。K医師は、以上の所見などから亜イレウスと診断し、午後10時30分ころにAを入院させた。
Aは救急外来で血液検査を受け、同日午後9時33分ころに迅速仮報告書が出された。
入院時、Aは、体温が36.3度、血圧が170/88であって心窩部痛を訴えたところ、K医師は、腸音良好、腹部について軟らかい、やや硬い、筋性防御なし、ブルンベルグ徴候なしと判断し、血液検査の結果(WBC10000、CRP1.0)から軽度炎症所見ありと認め、改めて亜イレウスと診断した。
Aは、少なくとも13日午後11時ころと14日午前4時30分ころに自制不可能の腹痛を訴え、14日午前3時ころには、便秘を訴え、著明な発汗があった。
14日、K医師は便秘に対し、午前3時ころにレシカルボン座薬の投与を、午前4時10分ころにグリセリン浣腸をそれぞれ指示したが、いずれも効果がなかった。K医師は、午前4時30分ころ、Aを診察して、再度ソセゴンを投与した。
Aは14日午前4時30分ころ以降も、疼痛が続き、病室とトイレを行き来したり、身の置き所がなく動き回るなどしていた。午前7時30分ころに尿意を訴えたが、排尿は無かった。
午前8時ころ、ベッドサイドに座り込み、そのまま倒れ込みそうになった。午前8時10分ころ、血圧は80/52で、冷汗をかいており、腹痛のためかずっとうなっていたが、意識レベルの変化はなかった。
午前8時15分ころ、F医師がAを診察して動脈血ガス分析を行ったところ、その主な結果は、PHが7.239、PCO2が21.4、PO2が119.5、HCO3が8.9、BEが-16.3、O2SATが97.3であり、過換気ではないかとの診断をした。そして、午前8時30分ころ、IVHが挿入され、プレドパ(急性循環不全改善剤)の点滴が開始された。
その後、血圧は92/60(午前8時30分)、90/54(午前9時)、209/160(午前9時30分)と推移し、午前9時30分ころプレドパの投与が中止された。Aは、午前9時ころ、腹痛が変わらずあると訴え、身の置き所落ち着かず、体動が激しくあった。
Aは、午前9時30分ころ、「ウ~、ウ~痛いの。ここここここの3か所、痛いよ。」と心窩部、左右側腹部の3か所の圧痛を訴えた。そのころ△病院医師は再度Aを診察し、体温37度台後半、腹部やや膨満しやや硬い、心窩部痛あり、腸音弱め、筋性防御はっきりせず、ブルンベルグ徴候なしと判断した。Aは、午前10時ころ、落ち着かず、体動著しく、不明言動が時折あった。午前10時30分ころ血圧が92/触知まで低下したが、K医師は様子観察と判断した。
K医師とF医師は、午前10時55分ころ、残胃病変の可能性を考え、胃内視鏡検査を施行した。その際の所見は、食道内から胃内に水溶性内容物多量、吻合腸管狭窄等著変なし、残胃内に赤褐色調粘液付着などというものであり、△病院医師は残胃炎の症状と診断した。その際の血圧は89/41であった。
Aは、午前11時ころ、血圧が105/50で、体動著しく落ち着かなかった。午前11時20分ころ、ベッドから立ち上がり、中心静脈ラインより逆流があり、また、尿管接続が外れてしまい、再固定された。
14日起床時の血液検査結果は、午前11時ころ病棟に報告された。
14日午後1時30分ころ、K医師が胃管を挿入していたところ、100mlの暗赤血性排液が吸入され、午後1時45分ころ、急激に意識レベルの低下があり、心肺停止状態に陥った。これに対して蘇生措置が行われ、いったんは心拍及び呼吸を再開したが、意識は回復せず、午後8時45分ころに再度心停止となり、午後9時50分ころに死亡が確認された。
解剖の結果、以下のとおり絞扼性イレウスが認められた。トライツより20cmの回腸が、胃癌手術後の癒着により生じた索状の組織の間に約40cmにわたり入り込み、出血性壊死を起こしている。循環障害が強く、出血した回腸は一部に小孔あり穿孔している。腸間膜も同様に出血している。
そこで、Aの遺族である◇ら(Aの妻子)が、Aの死亡は、担当医師において絞扼性イレウスと診断し、又はその疑いが強いものと判断して速やかに開腹手術を実施すべきであったのにこれを怠ったために生じたものであると主張して、△に対し、不法行為ないし債務不履行に基づく損害賠償を請求した。
- *判決における医学的知見要旨
イレウス(腸閉塞)とは、腸内容の肛門側への通過障害、停滞により腸管が異常に拡張し、腹部膨満感や腹痛を生じ、腸内容が口側に逆流し嘔吐を来す病態である。イレウスは、物理的な閉塞起点を有し、同部での腸管の拡張、虚脱の境界が明瞭な機械的イレウスと、明らかな閉塞起点を有さず腸管運動の障害により腸内容の停滞のみを生じる機能的イレウスに分類される。機械的な通過障害でも、完全閉塞まで至らない狭窄程度の通過障害で、腹部膨満、悪心、嘔吐などの症状を示す病態を亜イレウスとも呼ぶ。機械的イレウスは、腸管の血行障害を伴う絞扼(複雑)性イレウスとこれを伴わない単純性イレウスに分類される。単純性イレウスのうち、開腹手術後の癒着を原因とするイレウスを癒着性イレウスという。
絞扼性イレウスの場合、腸管壊死、腹膜炎、敗血症、ショック等を起こし、急速に全身状態が悪化し、死に至る危険があるので、直ちに手術が必要であるが、絞扼性イレウスが否定されれば保存的治療(絶飲食による腸管の安静とチューブによる減圧、補液による脱水や電解質異常の補正等。)が第一選択となり、そのまま寛解することも多く、いきなり重症化することは少ない。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 遺族合計5264万6225円
(内訳:逸失利益1831万3296円+慰謝料2800万円+葬儀費用154万6909円+弁護士費用478万6020円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 遺族合計4652万4728円
(内訳:逸失利益1302万4729円+慰謝料2800万円+葬儀関係費用150万円+弁護士費用400万円。相続人複数につき端数不一致)
(裁判所の判断)
開腹手術義務違反の有無
この点につき、裁判所は、発症及び症状悪化が急速である点、Aの腹痛について、13日のソセゴン投与後も自制不可能な程度のものが続き、特に14日午前4時30分ころのソセゴン投与後は単純性イレウスとしては説明できない程度に強いものが持続していたこと、腹痛発症からわずか約16時間後(14日午前8時10分ころ)及び約22時間後(14日午後1時45分ころ)という短時間のうちに2度のショックが起きており、このことは、単純性イレウスでは説明が困難であり、絞扼性イレウスの症状と合致すること等を理由として、
- Aには、腹痛発生当初(13日午後4時ころ)から絞扼性イレウスを発症していた可能性が高く、仮にそうでないとしても、遅くとも14日午前8時10分ころにはすでに絞扼性イレウスを発症していた
- △病院医師は、Aについて、2度のソセゴンの投与によっても自制不可能な程度の激しい腹痛が持続し、しかも、症状が急速に悪化して、14日午前8時10分ころにはショックに陥ったこと等を認めたのであるから、同時刻ころの時点で絞扼性イレウスの疑いが強いものと判断することができたし、また、そう判断すべきであった
と認定しました。
以上から、裁判所は、△病院医師は、14日午前8時10分ころの時点で、絞扼性イレウスの疑いが強いものと判断して、直ちに開腹手術を行うべき義務があり、△病院医師がこの義務に違反したことは明らかであると判断しました。
そして、本件では、5月14日午前8時10分ころの1度目のショックの時点以降も、意識レベルの低下は認められず、血圧もしばしば低下しながらも一定程度維持はされており、呼吸も一応管理はされていたものであるのに、同日午後1時45分ころの意識レベルの低下、心肺停止にまで至る2度目のショック以降、症状が急激に悪化して死亡したものであるから、△病院医師が同日午前8時10分ころに絞扼性イレウスを念頭に開腹手術を開始したならば、Aがその約5時間後である同日午後1時45分ころに再度の重篤なショックを起こすことを防げた蓋然性が高いと認めるのが相当であるとして、△病院医師の義務違反とAの死亡との間には因果関係があると判示しました。
以上から、裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲で◇らの請求を認め、その後、控訴されましたが、控訴後和解が成立し、裁判は終了しました。