東京地方裁判所平成13年2月27日判決 判例タイムズ1124号241頁
(争点)
治療法の適応を誤った医師の過失により、患者の死期が早まった事案における損害算定
*以下、原告を◇、被告を△と表記する。
(事案)
A(妻と成人の子がいて、仕事もしていた男性)は、平成9年7月ころ、咳の自覚症状があったため、宗教法人である△の開設する病院(以下、「△病院」という。)の内科で診察を受けたところ、左肺癌の疑いがあったことから、同年8月22日から△病院に入院して精密検査を受けた。
その結果、Aは左肺癌と診断され、Aの妻(◇1)は、同年9月初めころ、△病院内科の担当医師からその旨の告知を受けたが、Aには知らせなかった。
Aに対する手術は、同月17日、△病院外科において、左肺下葉切除及び縦隔リンパ節郭清を行う予定で開始されたが、手術開始後、癌組織が左肺上葉にも浸潤し、リンパ節が肺動脈等に強固に癒着しているなどの所見が認められたため、△病院外科の担当医師は、当初予定していた左肺下葉切除では根治に至らないと判断し、◇1らにその旨説明して承諾を得た上、左肺全摘、肺門縦隔リンパ節郭清の手術(以下、「本件手術」という。)を実施した。
Aは、左肺を全部摘出した結果、右肺のみで呼吸を維持しなければならないこととなったが、Aの右肺の呼吸機能は不十分であったため、術後経過において、呼吸不全を要因とする多臓器不全により、同年10月25日に死亡した。
Aの左肺の癌は、非小細胞肺癌(扁平上皮癌)であり、本件手術時の進行度はⅢA期(T2N2M0)であった。
そこで、Aの相続人ら(Aの妻および子)は、△病院の担当医師には、術前の各種検査によりAの右肺には間質性線維性変化や腫瘍の存在等が確認されており、Aはおよそ左肺全部摘出の負担には耐えうる状態ではなく、Aの治療方法として左肺全摘術の負担には耐えうる状態ではなく、Aの治療方法として左肺全摘術を選択すべきではなかったのに、右肺の呼吸機能検査を十分に実施しないまま外科的治療の適応があると判断して、外科的治療を選択した過失があり、その結果、Aは術後経過における呼吸不全を要因とする多臓器不全により死亡したとして、△に対し、債務不履行又は使用者責任に基づき損害賠償請求をした。
なお、以下に記載する医師の過失とAの死亡との因果関係については、当事者間で争いがない。
△病院の担当医師は、Aに外科的治療を行った場合に、Aの左肺癌の進行度、部位及び大きさからすると、左肺下葉だけの摘出では不十分であって、左肺全部を摘出しなければならない可能性があり、術前の胸部X線検査フィルム等から右肺の呼吸機能障害が推定されていたのであるから、術前に右肺について十分な呼吸機能検査を実施して、左肺全部を摘出したときに、右肺だけで呼吸機能を維持することができるか(左肺全部を摘出しても呼吸機能を維持することができるか)について確認すべきであったのに、右肺の呼吸機能検査を十分に実施しないまま外科的治療(左肺下葉摘出術)の適応があると判断して、本件手術を始め、術中の所見から左肺全部の摘出を行ったが、本件の診療経過からすれば、Aの右肺の呼吸機能が不十分であったため、左肺癌については外科的治療の適応がなかったものであり、本件手術を行った△病院の担当医師には、治療法の適応を誤った過失がある。
そして、△病院の担当医師が本件手術を実施したことにより、Aの死期は早まった。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 5250万0340円
(内訳:逸失利益1550万0340円+慰謝料3000万円+葬儀費用200万円+弁護士費用500万円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 680万円
(内訳:慰謝料500万円+葬儀費用120万円+弁護士費用60万円)
(裁判所の判断)
治療法の適応を誤った医師の過失により、患者の死期が早まった事案における損害算定
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Aの逸失利益について
この点につき、裁判所は、Aの左肺の非小細胞肺癌は進行度ⅢAであり、直ちに入院、加療を必要とする重篤なものであったこと、Aの左肺癌は、癌組織が左肺上葉にも浸潤しているなど右肺の呼吸機能が不十分でなければ、左肺全部を摘出する手術を行うべき状態であったが、Aの右肺の呼吸機能が不十分であって、外科的治療の適応がなかったこと、放射線療法等の施行については、その効果を認めるといった文献があるものの、他方、重篤な副作用が生じたりするなどその後の生活の質に与える影響も少なくないことが認められるのであるから、Aが退院して稼働することができる状態であったとは認めることができず、Aに逸失利益の損害があるということはできないとしました。
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Aの慰謝料について
この点につき、裁判所は、△病院の担当医師による不適切な診療がなければ、Aは平成9年10月25日に死亡することはなく、Aは△病院に入院する直前まで、普段と変わらぬ生活を送り体調に異変もなく普通に仕事をしていたのであるから、△病院の担当医師がAに外科的治療を実施せずに適切な延命治療を実施していた場合の予見される生存可能期間及びその蓋然性、放射線療法等の延命治療が行われた場合の予見されるAの予後の状況、その他本件に顕れた一切の事情を総合考慮すれば、Aの被った精神的損害に対する慰謝料としては500万円をもって相当というべきであるとしました。
以上から裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲で◇らの請求を認め、その後判決は確定しました。