広島高等裁判所岡山支部令和3年1月28日判決 医療判例解説2022年8月号(第99号)14頁
(争点)
14年乳がん検診における覚知・要精検義務違反の有無
*以下、原告及び控訴人を◇、被告及び被控訴人を△と表記する。
(事案)
A(死亡当時64歳の女性)は、U市の自治体検診として△協同組合の設置する病院(以下「△病院」という。)において平成14年7月28日に実施された14年乳がん検診に当たって、事前に、乳がん検診票(以下「14年乳がん検診票」という。)の受診者記入欄において、主訴として、乳房にしこり及び痛み(時々)の異常がある旨記載した。
14年乳がん検診後、△病院の乳腺外科医であるH医師は、14年乳がん検診票の医療機関記入欄において、腫瘤・硬結、乳頭所見、腋窩リンパ節腫張のいずれについても、検診所見の有無を記入せず、「その他」欄にも何も記載せず、診断結果指示欄の「異常なし」に印を付けた。なお、診断結果指示欄には「異常なし」のほかに、「異常あり(要精検)」の選択肢が存在する。
Aは、U市の自治体検診として平成15年6月14日に△病院において実施された15年乳がん検診に当たって、事前に、乳がん検診に当たって、乳がん検診票(以下、「15年乳がん検診票」という。)の受診者記入欄において、主訴として、乳房にしこり及び痛みの異常がある旨記載した。
15年乳がん検診後、H医師は、15年乳がん検診票の医療機関記入欄において、腫瘤・硬結、乳頭所見、腋窩リンパ節腫張のいずれについても、「無」に印を付け、「その他」欄にも何も記載せず、診断結果指示欄の「異常なし」に印を付けた。なお、14年乳がん検診票と同様、診断結果指示欄には「異常なし」のほかに、「異常あり(要精検)」の選択肢が存在する。
なお、U市において、14年検診及び15年検診が実施された当時、乳がん検診の際に視触診のほかにマンモグラフィ検診を併用することとはされておらず、平成16年から、乳がん検診の際に視触診のほかにマンモグラフィ検診を併用することとされた。
Aは、平成16年4月21日、△病院において本件がん(腫瘍の直径約3cm)と診断された後、同月22日にW病院を受診し、同月28日に同病院において右乳房全部摘出手術を受けた。同手術後、腫瘍の大きさは、3cm×3cm×2cmであると確認され、乳がんのステージはⅡ(T2、N1b、M0)と診断された。
また、同日の病理組織検査で、浸潤性の右乳頭腺管がん(本件がん)と診断されたほか、腋窩リンパ節転移が10個認められ、組織学的グレードはⅡであるとされた。
その後、Aは、平成17年6月にがんの小脳転移(脳腫瘍の大きさは4.7cm)が確認されたほか、平成25年4月頃までの間に、リンパ節等へのがんの転移が複数回確認され、闘病を続けていたが、同年11月8日、がんの多臓器転移による機能不全により、死亡した。
そこで、Aは、H医師が、Aの右乳房のしこりを覚知した上、要精検とすべき義務を怠り、これらにより、がんの発見が遅れたため、Aは、右乳房全部摘出手術を受け、さらにがんが転移したとして、△に対し、診療契約上の債務不履行に基づき損害賠償請求をした。なお、原審係属中にAは死亡し、相続人ら(Aの夫及び子)が訴訟承継をしている。
原審(岡山地裁平成31年3月29日判決)は、
(1)H医師は、各乳がん検診のうち、14年乳がん検診に係る覚知・要精検義務の履行を怠ったとはいえないが、15年乳がん検診に係る覚知・要精検義務の履行を怠ったと認定した上で、
(2)15年乳がん検診に接近した時点において、本件がんが発見されていた場合、Aのその後の予後に変化があった高度の蓋然性があるとはいえないが、Aが実際の死亡時に生存していた相当程度の可能性はあるといえるとして、◇らの請求を、Aの慰謝料と弁護士費用の合計額220万円の限度で認容した。
◇らは、これを不服として控訴した。
(損害賠償請求)
- 遺族(患者の夫及び3名の子)の請求額:
- 4名合計7999万円
(内訳:Aの治療費528万1300円+入院雑費63万7500円+休業損害2832万円+逸失利益2048万円+治療期間の慰謝料500万円+死亡慰謝料2400万円+遺族固有の慰謝料4名合計900万円+弁護士費用750万円の合計額のうちの一部請求)
(裁判所の認容額)
- 控訴審認容額:
- 330万円
(内訳:患者の慰謝料300万円+弁護士費用30万円) - 原審(岡山地裁):
- 220万円
(内訳:患者の慰謝料200万円+弁護士費用20万円)
(控訴審裁判所の判断)
14年乳がん検診における覚知・要精検義務違反の有無
- (1)覚知義務違反の有無について
この点につき、控訴審裁判所は、まず、鑑定の結果では、
(ア)14年乳がん検診の時点では、推定腫瘍径が0.9cmであることからすれば触診のみで異常を指摘することは比較的困難であったと考えられるとされているうえ、
(イ)本件がんが位置する乳房中央部(乳頭下)は、触診による診断が比較的困難な部位であると指摘されていると判示しました。その上で、控訴審裁判所は、Aが14年乳がん検診票の受診者記入欄において、主訴として、乳房にしこり及び痛み(時々)の異常がある旨記載していたこと、U市の乳がん検診の実施要領においては、問診に際しては、乳房の状態等を聴取すべきものとされていることを認定し、そうすると、H医師は、14年乳がん検診に際して、14年検診票主訴記載に基づいてAから右乳房の状態について具体的に聴取すれば、少なくともAがしこり及び時々の痛みを自覚していた箇所の目処をつけることはできたと推認できると判示しました。そして、鑑定結果によれば乳頭下は、触診診断が比較的困難な部位であるものの、H医師は、乳腺外科医なのであるから、14年乳がん検診の時点で、そのことを織り込んだ上で乳頭下の触診をより丁寧に行う必要があったというべきであると判示しました。
そして、前記の推定腫瘍径が目安であって誤差があり得ることを考慮しても、H医師は、14年乳がん検診に際して、14年検診票主訴記載と問診に基づき、Aの右乳房のしこりの有無を適切かつ丁寧に触診し、確認していれば、しこりを覚知することができたというべきであると判断して、H医師には14年乳がん検診において、覚知義務の違反があったと認定しました。
- (2)要精検義務違反の有無について
-
この点につき、控訴審裁判所は、
(ア)乳がん検診は、乳がん患者の予後が早期発見・早期治療に左右されることに鑑み、乳がんを早期に発見することを目的として行われるものであること、
(イ)反面、検診項目が限られている(当時は視触診のみである。)などの限界があること、
(ウ)当時から、医学上一般に、視触診のみでは良・悪性は決められないとされていたと判示しました。
そして、この医学的知見を踏まえて、
(ア)V県医師会は、14年乳がん検診の時点より前の平成12年から、乳がん検診を行う医師向けの講習において、検診時には質的判断に立ち入らず、触診上乳房に硬結や腫瘤など何かを触れたときには、たとえ軽い所見であっても要精検にするよう繰り返し指導していたこと、
(イ)14年乳がん検診票の視触診者記入欄の書式も、検診所見欄は腫瘤硬結の有無などの各検診項目に☑点を記入し、診断結果指示欄は「異常なし」か「異常あり(要精検)」のいずれかに○印を付けるという簡易なものに止まっていると認定しました。
そうすると14年乳がん検診において、H医師には、現にしこりを覚知した場合は、それが良性か悪性かまでは分からない以上(あるいは、その他の要素との総合考慮の結果、それが良性であるといえる合理的な根拠ないし精密検査を不要とする合理的な根拠がある場合でない限り)、診断結果としては「異常あり(要精検)」とし、正確な診断は後の精密検査に委ねることが求められていたというべきであると判示しました。
控訴審裁判所は、従って、H医師には、14年乳がん検診において、要精検義務違反があったと判断しました。
- (3)因果関係について
-
この点につき、控訴審裁判所は、14年乳がん検診に接近した時期において、本件がんが発見されていたとしても、Aのその後の予後に変化があった高度の蓋然性があるとはいえないから、◇らが主張する損害のうち、Aの治療費、入院雑費、休業損害、入通院慰謝料、逸失利益及び死亡慰謝料、◇ら固有の損害並びにこれらに係る弁護士費用は否定されると判示しました。
もっとも、医師による義務違反がなければ患者が実際の死亡時に生存していた相当程度の可能性があるといえる場合には、病院側は、当該患者が上記の可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償する責任を負うと解するのが相当である(最高裁判所平成12年9月22日第2小法廷判決)。これを本件についてみると、Aは、14年乳がん検診に近接した時点で右乳房全部摘出手術を受けていれば、左小脳等への微小遠隔転移を避けることができ、実際の治療開始よりも約1年9カ月早い時点から治療を受けることができたこととあいまって、平成25年11月8日時点で死亡するのを避けることができた一定程度の可能性があるというべきであると判断しました。
以上から、控訴審裁判所は、上記(控訴審裁判所の認容額)の範囲で◇らの請求を認め、その後判決は確定しました。