東京高等裁判所平成14年4月24日判決 判例時報1799号113頁
(争点)
気道狭窄、気道閉塞後の救命措置に関する注意義務違反の有無
*以下、原告を◇、被告を△と表記する。
(事案)
A(死亡当時20歳の男性で、都立高校定時制課程の3年生)は、耳下腺腫瘍の既往歴があり、その最初は、平成2年11月21日、耳下腺付近が痛むことから、国(△)の開設する病院(以下、「△病院」という。)において、耳鼻咽喉科に勤務する医師であるT医師の診察を受けた。その際、右耳下腺腫瘍と診断され、平成3年1月8日、△病院に入院した。
Aは、同月10日午後2時8分ころから同日午後5時42分ころまで、T医師等の執刀により右耳下腺腫瘍の摘出術(以下、「第1回手術」という。)を受け、同月29日に退院した。
平成4年8月ころ、Aは、再度、耳下腺付近が痛むようになったため、同月19日、△病院で診察を受け、右耳下腺腫瘍が再発していると診断され、同月24日、△病院に入院して化学治療を受け、同年9月18日、一旦退院した。
Aは、同年9月24日に、△病院に再入院し、同月28日午後2時25分から同日5時42分ころまで、T医師等の執刀により右下顎軟骨肉腫腫瘍摘出術(以下、「第2回手術」という。)を受け、同年11月14日退院した。
Aは、第2回手術を受けて退院した後も、△病院を訪れて経過観察を受けていたが、平成5年11月頃、第2回手術後の定期検査において、耳下腺付近に異常が発見され、平成6年1月21日、△病院に入院し、同月24日午後1時53分ころから同日午後6時14分ころまで、T医師等の執刀により右耳下部軟骨肉腫の腫瘍摘出術(以下、「本件手術」という。)を受けた。
同日午後6時30分ころのAの状態は、術後の血圧が135/65と安定し、自発呼吸が出てきた上、呼名に反応し、咳反射があったので、気管内挿管を抜管し、午後6時35分ころ、麻酔を終了し、Aを手術室から病室に搬送した。Aは、午後6時50分ころ、半覚醒の状態で病室へ帰室した。Aは、帰室した時点で血圧が160/78、脈拍が72、体温が36.8度、呼吸数が14であり、呼吸が不規則で、四肢冷感があり、チアノーゼがあって、全身の色が不良であった。また、Aの手術創から出血があり、タラタラとエラテックスガーゼの脇から流れ出す状況であり、出血量は約300グラムであった。そこで、T医師は、ガーゼを追加し、エラテックスで圧迫固定し、止血を確認し、H看護師に指示して止血剤であるアドナ1A(100グラム)を点滴に混入して投与した。
Aは、午後7時30分ころ、血圧が160/58、脈拍が88、体温が37.2度、呼吸数が14であり、呼吸は鼾様であったが、四肢冷感は消失しており、H看護師に疼痛の有無を聞かれると、開眼してうなずきこれにこたえ、すぐにまた閉眼する状況であった。
同日午後8時30分ころにおいても、Aに声をかけたH看護師に対し、Aは手でOKサインを出すなどし、また、呼吸状態もスムーズであった。
同日午後9時ころ、Aの血圧は114/52、脈拍が120、体温が37.6度、呼吸数が20であり、右顔面に腫張があり、約400グラムの出血(午後6時50分からすると約100グラムの出血。)があった。このころ、ポーティナーが必ずしも十分には効かなくなり、創部からの血液がエラテックスガーゼ上に流出していた。また、創痛があり、四肢冷感はないものの、爪の色が悪くややチアノーゼの症状を呈しており、鼾様呼吸もみられた。H看護師は、午後9時20分ころには、記録を整理した後にT医師に連絡することとしていた。
同日午後9時40分ころ、H看護師は、記録の整理をしていたところ、Aの親族から、Aが苦しんでいるので来てほしいとのナースコールを受け、他の看護師と一緒にAの病室に赴き、バイタルサインを測定し、様子を確認した。Aは、血圧が114/52、脈拍が93、呼吸数が20であり、鼾様呼吸がひどくなっており、右頬部の腫脹が著明で、右口角が浮腫様で破裂しそうになっていた。H看護師は直ちに外科の当直医に連絡し、Aの両肩に枕を挿入し、口腔内の吸引をしたが、痰を吸引することはできなかった。
午後10時ころ、当直の外科医B医師がAの病室に駆けつけた。B医師は、午後10時ころから、Aの喉に異物が詰まっていないことを確認した上、気道を確保するため、舌を持ち上げる機械であるエアウェイを入れようとしたが、喉の圧迫が強く不可能であったので、他の当直医を呼ぶように看護師に指示しながら、喉頭鏡を用いて気管内挿管を試みたが、腫れがひどく咽頭が圧迫されていた上、Aが動くため、挿管できなかった。次いで、病室にきたD医師が、喉頭鏡を用いて気管内挿管を試みたが、咽頭圧迫による口腔内の浮腫があるうえ、Aの体動もあって気管内挿管ができなかった。B医師は、気管切開も考えたが、患者の手術の状況がわからないことや、気管切開の経験がないことから、リスクが大きすぎると判断し、これを行わなかった。
Aは、午後10時30分ころ、呼吸停止の状況になった。B医師は、D医師及びさらに来室したO医師と、アンビューバックを用いて補助呼吸を行いながら、気管内挿管を続けたが、気道が見えない状況であり、気管内挿管をすることができず、午後10時45分ころには心拍が低下し、自発呼吸がない状態が続き、心臓マッサージが始められた。
T医師は、午後10時45分ころ、病室に到着し、アンビューバックで補助呼吸をし、心臓マッサージをしながら気管内挿管を試みたが、咽頭が圧迫されていて気管内挿管ができなかった。そこで、T医師は、気管内挿管が不可能と考え、来室したN医長とともに、午後11時5分ころからAの気管切開を行い、午後11時10分ころに気管切開を完了した。
Aの心拍は、手術後、上昇してもすぐに0へ戻ってしまう状況であり、血圧の測定も不可能であったが、T医師らの蘇生措置により、翌日の同月25日午前0時10分ころ心拍が再開した。しかし、自発呼吸がない状態は改善せず、Aは、同日午前1時25分ころ救命センターに転送された後、同日午後8時25分に術後出血性ショックによる心不全により死亡した。
そこで、Aの相続人(Aの父及び平成7年に死亡したAの母からその権利義務のすべてを相続したAの弟・以下、◇らという。なお両親は離婚していた。)は、△に対し、△病院の医師には
- 手術中において適時に輸血すべき注意義務を怠った、
- 呼吸経路の確保のため手術中に行っていた気管内挿管を術後においても維持すべき注意義務を怠った、
- 予防的に気管切開をしておくべき注意義務を怠った、
- 呼吸状態を管理し気道確保すべき注意義務を怠った
などと主張して、△に対し、診療契約上の債務不履行または不法行為(使用者責任)に基づき損害賠償請求をした。
第一審(東京地裁平成12年12月18日判決)は、△病院の医師には、◇らが主張するような注意義務の違反は認められないとして請求を棄却した。
そこで、◇らはこれを不服として控訴した。
(損害賠償請求)
- 患者遺族の請求額:
- 8912万2914円
(内訳:逸失利益4982万0832円+慰謝料3000万円+葬儀費用120万円+弁護士費用810万2082円)
(一審裁判所の認容額)
- 認容額:
- 0円
(控訴審裁判所の認容額)
- 認容額:
- (患者遺族合計)2885万円
(内訳:慰謝料2500万円+葬儀費用120万円+弁護士費用265万円)
(控訴審裁判所の判断)
気道狭窄、気道閉塞後の救命措置に関する注意義務違反の有無
この点について、裁判所は、Aは、午後9時ころから徐々に容態が悪化し、午後9時40分ころに至って、気道狭窄により呼吸障害を起こしたものと認められるところ、Aの気道狭窄は、本件手術の内容、手術創の部位、範囲、止血の方法、出血した血液等の排液の方法その他から見てある程度事前に懸念された手術創からの出血が現実化し、この出血により手術創に形成された血腫がAの気道を圧迫閉塞することによって生じたものであり、この発生機序の進行は、Aが午後9時前ころから9時40分過ぎころまでの間に次々と示した容態(手術創からの出血がエラテックスガーゼの脇から流れ出したり、しばしば鼾様呼吸がひどくなったり、顔面腫張が続き爪の色の悪さやチアノーゼの症状がみられたり、右頬部の腫脹が著明となり右口角が浮腫様で破裂しそうになったりなどの様子)からも推測可能であったとうかがわれるのみならず、実際に、その直後の午後10時ころになってB医師によって、気管内挿管の試みが開始され、さらに、D医師およびO医師も加わって気管内挿管が試みられた際にも、Aの喉の腫れがひどく咽頭が圧迫されていたことが明らかになっているのであって、Aの気道狭窄に対しては、遅くとも、この時刻ころまでには、上記の血腫の圧迫のために気管内挿管が奏功せず、又は、奏功しないことが合理的に予見することができたものといわなければならないとしました。
ところが、午後10時30分ころには、Aの呼吸が停止したにもかかわらず、上記の医師らは、アンビューバックを用いて補助呼吸をしているとはいえ、なお、午後10時45分ころまで気管内挿管の試みを継続したばかりか、本件手術による手術創の状況をよく知る主治医として呼ばれたT医師が同時刻ころ病室に到着した後も、T医師に対し上記のような不奏功の経過も十分に伝えられないで、さらにそのT医師によって気管内挿管の試みが何の見通しもなく延々と続けられ、結局、気管内挿管が不可能であるとの判断に到達してT医師らが気管切開を開始したのが午後11時5分になったという経過が認められると判示しました。
このような一連の経過に徴すると、T医師らの措置は、「気道閉塞により呼吸停止に陥った場合、脳は、わずか5,6分で不可逆的損傷を被り回復が不可能となってしまう」ため、「短時間の間に緊急に気道を確保すべきである」という救命の原点に反するところといわざるを得ず、その結果、Aを短くとも約40分間無酸素状態に置き、Aの脳に不可逆的損傷を与え、死に至らしめた過失があるというべきであると判断しました。
以上から、裁判所は、上記(控訴審裁判所の認容額)の範囲で◇らの請求を認め、その後判決は確定しました。