さいたま地方裁判所平成13年9月26日判決 判例タイムズ1183 号306頁
(争点)
医師の注意義務違反の有無
※以下、原告を◇、被告を△と表記する。
(事案)
A(平成9年の死亡当時60歳の男性)には、昭和62年11月にB医大病院において肺がん手術を受け、左肺上葉を切除した既往歴があった。
平成7年7月10日、Aは学校法人(△大学を設置)である△1の運営する医療センター(△大学の附属機関。以下、「△医療センター」という。)で、高血圧、糖尿病、高脂血症の治療のため、△医療センターの第一総合診療科に通院するようになり、平成8年5月21日から同科の主治医を△2医師(昭和48年に医師免許取得、平成元年10月に△大学TI助教授に就任し、同時に△医療センターに勤務し、平成9年4月には△大学教授となった。本件当時△医療センター内科医長および第一総合診療科科長。内科には呼吸器科が含まれ、本件当時内科医長は4名おり、△2医師はそのうちの1名)が担当することになった。
平成9年(以下、特段の断りのない限り同年のこととする)6月4日の検査では、急性反応物質であるCRPの値(1.0以下が基準とされており、それを超える値の場合は、炎症の有無を調べる必要があるとされている)は1.2であったが、7月2日には、7.1に上昇していた。以後、AのCRPの値が高い状態が続いた。
7月12日、Aは風邪で咳、のどの痛み及び発熱で他院を受診したが、症状軽快せず、同月16日△2医師の診療を受け、△2医師は、Aが咳がひどくて治らない旨訴えたところ、ポンタール(鎮痛・消炎・解熱剤)、スパラ(抗生物質)、メジコン(鎮咳剤)及びダーゼン(抗炎症剤)の各薬剤を処方した。
Aは、同じ症状を訴えて、同月24日にも同じ薬剤を処方された。
8月6日に受診した際、Aは咳が続き、動悸、倦怠感も続いている旨訴えた。
△2医師は、呼吸器感染症を疑い、胸部レントゲン検査を行った。そして、ポンタール、メジコン、ダーゼンを処方した。
8月13日に受診した際、Aは、だるさ及び息切れを訴えた。
△2医師は、Aの肺がんの再発を疑い、同日、胸部単純CT検査を予約し、同検査は、同月25日に実施された。その検査報告書には「左肺には残存肺があるのですが、気管支の同定ができず、どこの肺が残っているのか、CTでは評価不能です。左胸膜が肥厚し、胸腔内にニポーを形成しています。オペ後の気管支瘻か胸膜浸潤を考えたいです。左残存肺に結節を認めますが、炎症性変化と思います。精査をお願いします。」と記載されていた。
△2医師は、8月27日、Aが9月7日から14日まで中国へ旅行することを認めた。
9月16日、Aに対し、胸部造影CT検査が実施された。
△2医師は肺がんの再発を疑い、9月17日、要旨「風邪様の症状が出現し、CRPが高値を示している。胸部造影CT検査の結果、結節様陰影の増加が認められた。再発結節の可能性を否定できないので、よろしくお願いする。」との内容の紹介状をB医大病院第2外科のO医師に当てて作成し、Aに交付した。
9月22日、O医師は、△2医師に対し、肺がんの再発とは考えにくい、炎症による変化の方が考えやすく、10月3日に気管支内視鏡を予定している、呼吸器に関してはB医大病院の側でフォローアップする旨報告した。
10月3日、O医師は、B医大病院において、Aに対し、気管支内視鏡検査を行い、気管支肺胞洗浄液を採取して細胞診、培養検査に回した。10月13日、培養検査の結果、アスペルギルス菌が検出された。
Aは、△医療センターを再度受診し、△2医師は、10月22日の診療の際、△医療センターへの入院を指示した。
O医師は、10月27日、B医大病院において、Aに対し、胸部レントゲン検査を行った。
10月30日、Aは△医療センターに入院した。しかし、11月1日および3日、喀血し、11月14日、肺アスペルギルス症(真菌であるアスペルギルス菌により引き起こされる肺真菌症)により死亡した。
そこで、Aの相続人である妻◇1らは、△らに対して、Aが死亡したのは、△2医師が、病原菌を特定するための検査を行わず、医療センターに勤務する他の呼吸器専門医の診断を受けさせることもなく放置し、Aが肺アスペルギルス症を発症していることが判明した後も緊急入院の措置を怠るなどして、Aを肺アスペルギルス症により死亡させたと主張して、学校法人△1に対しては診療契約上の債務不履行又は不法行為(使用者責任)、△2医師に対しては不法行為に基づき、損害賠償を求めた。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 6501万円
(内訳:逸失利益2930万円+慰謝料2860万円+葬儀費用120万円+弁護士費用591万円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 5630万6528円
(内訳:逸失利益2410万6529円+慰謝料2600万円+葬儀費用120万円+弁護士費用500万円。相続人が複数のため端数不一致)
(裁判所の判断)
医師の注意義務違反の有無
この点について、裁判所は、まず、Aについて、証拠に基づき、平成9年7月ころに肺アスペルギルス症が発症していたことを認定しました。
そして、△2医師は、平成8年3月27日に実施した胸部レントゲン検査の結果から、Aが肺がん手術の既往歴があることを容易に認識し得る状態にあったのに、この既往歴に留意しないままAの治療に当たっており、平成9年7月16日及び24日の2回にわたり、抗生物質であるスパラをそれぞれ5日処方したのに薬効が現れず、そのため、以後の処方をとりやめ、同年8月6日の診察の際には、Aが呼吸器症状を訴えたことから、呼吸器感染症等を疑って胸部レントゲン検査を実施したが、その際に、Aから肺がん手術の既往歴を告げられてこれを認識したものと認められるところ、同日の胸部レントゲン検査の結果からは、以前のレントゲン検査の結果と比較して透亮影を含む壁が厚くなっていること、浸潤影が見られること、新たな透亮影が見られることなどの残存肺への二次感染を示す所見が認められたことからすると、Aには、同日の時点において、肺アスペルギルス症を含む感染症の発症が強く疑われる症状が現出していたものと認められるから、△2医師としては、残存肺への二次感染とその起炎菌が真菌でないかを疑い、肺アスペルギルス症の発症を疑うべきであったというべく、喀痰、気管支内採痰又は気管支肺胞洗浄液からの培養検査や、血清学的検査(血清沈降抗体の寒天ゲル内拡散法による検出)等により、起炎菌の鑑別を行えば、Aが肺アスペルギルス症に罹患しているとの確定診断に至った高度の蓋然性があったというべきであると判示しました。
しかして、Aが肺アスペルギルス症に罹患しているとの確定診断に至ったとすれば、その後の内科的治療(イトラコナゾールの投与等)又は外科的手術によって、これが治療するに至った蓋然性が高いと認められると判断しました。
そうすると、△2医師は、遅くとも平成9年8月6日ころ以降、呼吸器感染症の病原菌を特定するための検査、とりわけ肺アスペルギルス症を鑑別するための検査として、喀痰、気管内採痰又は気管支肺胞洗浄液からの培養検査や、血清学的検査(血清沈降抗体の寒天ゲル内拡散法による検出)を行うべき注意義務があったということができると判示しました。それなのに、△2医師は、これらの諸検査を何ら行わなかったため、Aは、肺アスペルギルス症に対する適切な治療を受けることなく、病状が悪化し、同年10月22日に入院を指示されたが、時既に遅く、肺アスペルギルス症により死亡したものと認められると判示しました。したがって、△2医師は、上記諸検査を行わなかったことにつき過失があったものと認められると判断しました。
以上から裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲で◇らの請求を認め、この判決は控訴されましたが、控訴審で和解が成立して、裁判は終了しました。