大阪地方裁判所平成10年12月18日判決 判例タイムズ1021号201頁
(争点)
- 術前の説明義務違反の有無
- 術後の経過観察義務違反、縫合不全の早期発見義務違反、縫合不全に対する適切な治療義務違反の有無
※以下、原告を◇、被告を△と表記する。
(事案)
A(手術当時68歳の男性)は、平成元年5月上旬頃、褐色尿や灰白色便を排泄するようになったため、同月13日、△1社会福祉法人の開設する病院(以下、「△病院」という。)を訪れ内科(消化器内科)においてS医師による腹部超音波検査を受けたところ、閉塞性黄疸と診断され、同日、同病院に入院した。
S医師は、同月15日に、AにERCP(内視鏡的逆行性胆道膵管造影検査)を実施したところ、総胆管に約2㎝にわたる不正の狭窄及びその部分より肝側の拡張がみられたことから、総胆管癌の疑いがあると診断するとともに、黄疸を軽減させるため、内視鏡的十二指腸乳頭切開術を行い、十二指腸を通じて狭窄部を越えて総胆管内にドレナージチューブを挿入して留置した(ERBD)。
S医師は、同日、Aの妻である◇1およびその子である◇2に対して、「腫瘍ができているけれども、自分の経験からすると癌だと思う。手術した方がよい。癌であることは、本人には言わないで下さい。」と説明したが、この際、手術の危険性や合併症などについては説明しなかった。またS医師は、Aに対しては、胆管に胆泥がたまって閉塞し、黄疸を発症したと説明した。
Aの手術適応性を判断するために同月24日に、腹部血管造影検査を行う予定であったが、同月21日ころから、Aに発熱がみられたため、延期された。
同月27日、S医師から、外科に対し、総胆管癌の疑いがあるということで、Aの手術の適応性についての診察依頼があったため、外科の△2医師がAを診察した。△2医師は、同月15日に実施されたERCP及び同月18日に実施されたCTスキャンの所見などからみて、総胆管癌であり、手術が適当であろうと判断し、手術を行うために、腹部血管造影検査後、外科に転科してもらうのが妥当である旨の返事をした。
同月31日の腹部血管造影検査の結果、腫瘍の門脈への浸潤等はなく、前記CTスキャンの所見とあわせ切除可能と判断された。
Aは、6月1日、手術を受けるために、内科から外科に転科し、△2医師が主治医になった。そのころ、△2医師は、Aに対し、内科でされた説明と同様、癌であることを告知することなく、胆管に砂のようなものが詰まって閉塞して黄疸を来している旨を説明するとともに、困難ではあるけれども患部を手術して切除しないと黄疸が強くなり最終的に肝不全に陥り危険な事態に陥る旨を説明し、Aも手術を受けることについて了解した。
Aは、同月2日早朝ころから、体温が上昇し始め、同日午後2時ころには40度近くになった。また、一旦低下していた血清総ビリルビン値が再上昇した。△2医師は、総胆管内のドレナージチューブが詰まって閉塞性の黄疸と胆道感染の併発を来したと判断し、同日、ERCPの再施行を内科に依頼したところ、内科のK医師は、同検査を施行し、5月15日に総胆管内に挿入・留置されたチューブが閉塞していたので抜去し、膿の大量流出もあったため、排膿洗浄後、再度、総胆管内に新しいドレナージチューブを挿入して留置した(ERBD)。さらに、抗生物質の投与を行った結果、その直後より熱が下がり、血清総ビルビン値も急速に低下し、6月5日には2.0になった。
なお、△2医師は、同月3日か4日ころ、◇1に対し、Aには敗血症の疑いがあり、熱があるうちは手術できないと言った。
△2医師は、膵頭十二指腸切除術により癌腫を切除するのが唯一の根治法であり、かつ、救命法であると判断していたが、上記のように閉塞性黄疸がみられたことから、Aの症状の軽快を待って手術実施日を決定することとした。そして、手術に備えて、6月6日、中心静脈栄養点滴(IVH)による術前の栄養管理を開始した。
△病院外科では、毎週金曜日、症例検討会が開催され、外科医師全員で手術の可否、実施方法等の討議がなされていたところ、同月9日開催された症例検討会において、△2医師が検査成績等のデータ、レントゲンフィルムを示しながら説明したうえ、術式や切除範囲などについて意見交換がなされ、手術を実施すること、手術侵襲を小さくするため術式は幽門輪温存による膵頭十二指腸切除とすること、手術の実施日を同月15日とすることなどが決定された。
◇1は、同月9日、Aから手術実施日を△2医師に聞いてくるよう頼まれたので、一人で△2医師のところを訪れ、△2医師から同月15日に手術を行う予定であること、手術は、臓器部分を三か所切って腸につなぐ方法で行うとの説明を受けた。このとき、手術の危険性についての説明はなかった。
△2医師は、同月13日、外科入院病棟の看護師詰所において、◇1らに対して、Aのレントゲン写真をシャウカステンに掲げるとともに、肝臓、総胆管、膵臓、十二指腸等手術部位付近の図を紙に描いて、総胆管に腫瘍がありそれを切除する必要があること、総胆管、膵臓、十二指腸等を数か所で切除して、切り取った部分をつなぎ合わせる手術を行うこと、手術時間は約6時間かかること、体力の点でも手術するには問題がないこと、手術の時期も適当であることを説明した。他方、手術を行った場合に死亡する危険性もあることについての説明や手術を行わない場合の予後についての説明はなかった。
Aの手術は、6月15日午前10時2分から午後3時45分までの間、△2医師が執刀し、介助医2名、その他麻酔医2名、看護師3名により実施された。
術中所見によると膵臓は硬さ、大きさとも全体として異常は認められなかったが、総胆管腫瘍部及びその近傍は固く触知され、靱帯表面に点状発赤が認められた。また、膵上縁部後腹膜剥離時、下大静脈と腫瘍部及び膵上縁部との間に剥離困難な部分があり、極めて慎重な操作を必要とした。しかしながら、剥いでいくと、静脈壁が術後いつ破れるかと心配するまでの必要はないくらいの層で予想以上にうまく剥離できたこと、剥離しにくかった部分が腫瘍側(癌細胞)についていると判断できたこと、膵頭十二指腸切除術にて治癒手術となることが期待されたことから、予定どおりの術式で行うこととした。
△2医師は膵頭十二指腸切除の術式でのルーチンな切除方法に従って、腫瘍のあった総胆管は総肝管の部位で、膵臓は門脈・上腸間膜静脈左縁の線上で、十二指腸は口側については幽門から約3㎝肛門側の部位で、肛門側についてはトライツ靱帯から約2㎝口側の部位で、それぞれ切離し、総胆管、膵頭部、十二指腸を一塊として切除した。同時に、癌を取り残すことなく切除するため、肝・十二指腸靱帯部においては、胆管、肝動脈、門脈をすべて完全に剥離し、テープをかけながら操作を進め、リンパ節郭清を十分に行い、また、上腸間膜動・静脈や後腹膜から膵を剥離する際にも癌の取残しがないよう注意するとともに、細小の血管まで慎重に結紮、切離しつつ、剥離した。さらに、膵液を体外に排出させるために、膵管内に膵管チューブを挿入し、抜けないように確実に結紮、固定した。
再建術は、先ず十二指腸と十二指腸とを吻合し、次に膵臓と空腸とを吻合し、最後に肝管と空腸とを吻合する方法で実施した。膵―空腸吻合は縫合不全発症の危険性が高い箇所であり、かつ、膵が硬くなっておらず柔らかな組織であったことから、特に慎重に吻合操作を行った。膵管内に挿入した膵管チューブを空腸を通して体外に誘導する際も、空腸刺入部でしっかりと再固定を行い、膵管チューブの脱落、抜去や膵液漏出の防止を図った。
そして、後出血や縫合不全に備えて、最も有効にドレナージされると考えられた左横隔膜下、右横隔膜下、ウィンスロー孔(膵―空腸吻合部近傍)の三か所に各2本のドレーンを留置し、閉腹して手術を終了した。
なお、△2医師は、Aの腫瘤が膵上縁部後腹膜にあり、剥離困難な部分のあることが判明した際に、これを剥離することについて、手術中にAらの家族に説明しなかった。
6月18日午前4時に腹腔内に入れているドレーン内に凝血が見られ、同日午前10時にはドレーンから血性排液があり、その後、同月23日午前10時ころ、腹腔内から大量に出血し、緊急手術が行われた。
Aは、上記緊急手術後も大量の出血を繰り返し、同月29日午後10時5分、腹腔内出血により死亡した。
そこで、◇ら(Aの妻および子ら)は、Aが死亡したのは術前、術後の説明義務違反等を主張し、△1及び△2医師に対して損害賠償を請求した。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 3599万7745円
(内訳:治療費1万1690円+逸失利益1178万6057円+死亡慰謝料2000万円+葬儀費用100万円+弁護士費用320万円。相続人複数のため端数不一致)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 360万円
(内訳:慰謝料300万円+弁護士費用60万円)
(裁判所の判断)
1 術前の説明義務違反の有無
この点について、裁判所は、まず、本件のように癌であることを患者に告知していない場合に、◇らが主張するような事項、とりわけ既に実施された検査・診療の結果やこれから行われようとする手術の目的・方法・内容につき説明しなければならないとすると、癌であることを患者に知らしめる結果となり、癌であることを告知していない意味が失われる結果となるから、◇らの主張を採用することはできないと判示しました。
もっとも、患者は、自己の肉体に医学的侵襲を加えられることを承諾するか否かを決するために、手術をしない場合の予後、手術の危険性については説明を受ける必要があり、その範囲で、患者に対しても医師に説明義務があると解するのが相当であるところ、△2医師は、Aが手術を受けるために内科から外科へ転科した6月1日ころに、Aに対し、胆管に砂のようなものが詰まって閉塞して黄疸を来している旨を説明するとともに、困難ではあるけれども患部を手術して切除しないと黄疸が強くなり最終的に肝不全に陥り、危険な事態に陥る旨を説明し、Aも手術を受けることについて了解したというのであるから、△2医師は、上記説明により、手術前に医師に要求される患者本人に対する説明義務は尽くしたというべきであると判示しました。
次に、裁判所は、総胆管癌の治療方法としては、膵頭十二指腸切除術を実施する方法と手術を実施せずに減黄しながら経過観察をする保存的療法とが考えられ、同手術は、腹膜播種や肝転移がなく、広範なリンパ節転移がなければ、十分根治が得られる可能性があり、経過観察を継続するよりも延命となる可能性が高い反面、腹部手術の中でも最も卓越した技術の要求される手術の一つであり、術後合併症である縫合不全の発生の可能性が高く、しかも、膵―空腸吻合部の縫合不全発生以後の予後は、保存的療法で治癒する場合が多いものの、生命に関わるような腹膜炎や出血を併発する場合があり、生命に対する危険性も相当高い、というのであり、他方、ERBDを施行し、そのまま経過観察をするという保存的療法の場合には、手術に伴う危険性はあるものの、腫瘍性の変化である以上、増悪することはあっても、軽快したり、狭窄した部分が再度広がることはあまり考えられず、たとえ減黄のための処置が採られていても、胆管炎を頻回に繰り返し、胆管炎をコントロールすることができない場合には、熱も下がらず、敗血症になり死亡するか、腫瘍が進展して全身的な侵襲が進み、癌死するのであり、Aの場合、1年後の生存率は20パーセント前後よりは高くなると考えられるものの、2年を超えて生存できたとは考え難いと判示しました。
このように、手術を行った場合も行わなかった場合も一定の蓋然性を持って死亡することが予測される場合には、患者が手術を受けるか否かを決するために、その患者に対し、患者が判断することの困難な事情がある場合には患者の家族に対し、患者の病状に加えて、手術を行う場合と行わない場合の両方の場合の治療方法の内容及び必要性、発生が予測される危険等につき、概括的にしろ説明をすべき義務があるというべきであるとしました。
本件の場合、患者であるAが判断することの困難な事情があるということができるから、△2医師は、Aに代わって最も適切に判断をすべき者、すなわち、その妻である◇1に対し、上記のような説明をすべき義務があるということになるとしました。
裁判所は、しかるに、△2医師は6月9日、◇1に対し、手術は臓器部分を三か所切って腸につなぐ方法で行うと説明したが、手術の危険性についての説明はせず、同月13日、◇1らに対し、Aのレントゲン写真をシャウカステンに掲げるとともに、肝臓、総胆管、膵臓、十二指腸等手術部位付近の図を紙に描いて、総胆管に腫瘍がありそれを切除する必要があること、総胆管、膵臓、十二指腸等を数か所で切除して、切り取った部分をつなぎ合わせる手術を行うこと、手術時間は約6時間かかること、体力の点も手術するには問題がないこと、手術の時期も適当であることを説明したが、他方、手術を行った場合に死亡する危険性もあることについての説明や手術を行わない場合の予後についての説明はしなかったと指摘しました。
総胆管、膵臓、十二指腸等を数か所で切除して、切り取った部分をつなぎ合わせる手術を行うものであり、手術時間は約6時間かかるとの説明を受ければ、Aが68歳であることも考えて、相当程度の危険を伴うことは通常予想しうるということはできるけれども、本件手術に伴う死亡の危険性が相当高いことを考えると、経過観察によって上記手術による危険性を回避するとの選択も十分に考えられるところであるから、上記認定のとおりの説明では未だ説明としては不十分といわざるを得ず、△2医師は◇1に対し説明義務を尽くさなかったものというべきであると判断しました。
2 術後の経過観察義務違反、縫合不全の早期発見義務違反、縫合不全に対する適切な治療義務違反の有無
この点について、裁判所は、膵頭十二指腸切除術の術後合併症のうち、発生頻度が高くいったん生じると重篤な状態となるのは、膵―空腸吻合部縫合不全とそれにより起こる腹腔内出血であり、膵液が腸内容と接触することにより、膵液中の蛋白分解酵素が活性化され、周辺組織への浸食を引き起こし、これに感染、腸内容停滞、膵周辺の動脈出血などが加わり、縫合不全は重篤化して多臓器不全を経て死に至ることも少なくない(胃十二指腸動脈などの腹腔内血管が破綻を来し、大出血を生じることもある)というのであるから、膵―空腸吻合を伴う膵頭十二指腸切除術を実施した医師としては、その術後管理に際し、縫合不全診断の資料となる患者の体温、心拍数、白血球数等のいわゆるバイタルサインの推移、吃逆の有無・程度、患者の訴える痛みの部位・程度、ドレーンからの排液の性状等を注意深く観察・診断し、これらを総合して縫合不全の発生を疑わせる症状があった場合には、適切な検査を実施して縫合不全発生の有無を確認するとともに、縫合不全が発生したと診断した場合にはその発生部位・程度を的確に把握した上、患者の全身状態等を勘案して縫合不全に対する適切な治療法を選択し、実施する義務があるというべきであるとしました。
裁判所は、6月21日及び22日については、21日午後2時には各ドレーン排液の性状は暗血色、午後7時には暗赤色であったが、22日午前0時ころには便汁様のものがみられ、午前7時ころには暗茶血性で粘調を帯びていたというのであり、20日午後11時に各ドレーンからの排液に臭気があり、さらに、その25時間後の22日午前0時ころに便汁様のものがみられ、午前7時ころには暗茶血性で粘調を帯びていたのであるから、同日午前7時ころの時点で、△2医師には縫合不全の発生を疑い、速やかに適切な検査を実施して縫合不全発生の有無を確認すべき義務があったというべきであるとしました。
しかるに、△2医師が縫合不全発生の有無を確認するためにガストログラフィン検査を実施したのは、同月23日午前8時にウィンスロール孔及び右横隔膜下ドレーンからの排液が淡茶血性で、中央に膿汁が認められた後の午前9時ころのことであり、△2医師は、同月22日午前7時ころ以降速やかに同検査を行わなかったのであるから、上記義務に違反した過失があるものといわざるを得ないとしました。
しかし、上記義務違反とAの死亡の結果との間の相当因果関係については、裁判所は、6月23日午前9時のガストログラフィンを胃管より挿入して腹部レントゲン写真を撮影したが、特に縫合不全についての情報を得ることができなかったのであるから、縫合不全はより初期の段階にあったと考えられる前日22日午前7時ころの時点で上記検査を実施していたとしても、縫合不全についての情報を得ることはできなかったものと推認され、そうすると、以後の経過は上記時点で検査を行わなかった実際の経過とそう異なるものとは考えられないから、Aの死亡という結果は避けられなかったものと推認することができるとして、相当因果関係を否定しました。
以上から、裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲で◇らの請求を認め、その後判決は確定しました。