大阪地方裁判所平成15年10月29日判決 判例時報1879号86頁
(争点)
くも膜下出血の発症を看過した医師の注意義務違反(過失)の有無
※以下、原告3名のうち患者の妻を◇、被告を△と表記する。
(事案)
A(受診時50歳の男性・営業職)は、平成8年9月4日午前2時ころ、飲酒して帰宅し、翌9月5日は午前7時20分ころ通常通り出勤し、午後、いったん帰宅して約1時間ほどジョギングをした後、シャワーを浴びてから、車を運転して再び勤務先に戻った。
Aは、同日、午後6時30分ころ通常どおり会社を退社したが、午後7時30分ころ帰宅すると、妻である◇に「頭がおかしい。」告げた。◇は、Aに対し、食事に出かけることができるかと尋ねたところ、Aは「大丈夫。」と答え、車を運転して出かけたが、運転を始めて5分も経たない、同日午後7時45分ころ、突然「頭が痛い。このまま運転していたら事故を起こすから帰る。」と言いだし、帰宅した。Aは帰宅した直後に嘔吐した。◇ら家族は、病院に行くよう勧めたが、Aは「昨日深夜まで飲酒したとの、今日走ったことが原因だ。」と言って、病院へ行くことを嫌がりそのまま就寝したが、夜中に何度か嘔吐した。
Aは、同月6日(金曜日)、激しい頭痛のため起き上がることができず、欠勤した。Aは食事も摂れない状態であったため、嘔吐するものがなくなったが、なおも嘔気を催していた、
Aは、当初は病院へ行くことを嫌がっていたが、◇がAの父が51歳で突然脳卒中を起こして死亡していたことを持ち出して説得し、Aの友人の説得もあり、同日午後3時ころ、病院へ行くことを同意するに至った。
◇は、その間の同日昼過ぎころ、119番に電話して、M病院及び夜間診療所を紹介されたため、M病院に電話を架けたところ、同病院には脳神経外科の医師がいないと言われた。◇は夜間診療所に電話を架けたが、同診療所は午後8時からと言われたため、それまで待っている間にAの症状が悪化することを懸念し、かつて知人から△診療所は脳神経外科専門医でMRIの機器を備えていると聞いていたことを思い出し、電話帳で調べて、△診療所(△医師の開設する脳神経外科の科目がある診療所)に電話した。△診療所はMRIの機器があり(ただしCTの機器はなかった)、すぐに撮影してもらえるとのことであった。そこで、◇は、Aを連れて、同日午後5時ころ、友人の車で△診療所へ行き、Aを受診させた。
△医師は、Aから、同月4日にアルコールを多飲し、同月5日の夜間に過度な運動をし、その後に前頭部に激しい頭痛を発症するとともに、頻回嘔吐をしたとの主訴を受けた。△医師は、くも膜下出血を含む病変の可能性を検討したが、嘔吐が治まっていると判断されたこと、血圧132/83、脈拍78と正常であること、独歩が可能であること、血液検査、尿検査、平衡機能検査、両側眼底検査の結果もいずれも異常はないこと、項部硬直も見られなかったことから、Aにはくも膜下出血の臨床所見はなく、アルコールの多飲に加えて過度の運動をした後に、脳血管が一時的に拡張して起こった頭痛の可能性が高いと考え、CT撮影をするまでもなく、くも膜下出血は否定されると判断し、CT撮影が可能な病院への転医は検討しなかった。△医師は、Aの強い要望により、MRIを実施したが、MRIの画像上、異常所見を認めず、くも膜下出血を認めなかった。△は脳波異常を伴う偏頭痛の可能性等も考慮して脳波検査を実施したが、脳波は正常域であった。
そこで、△医師は、Aに対し、「頭痛はくも膜下出血によるものではない。ストレスによるものである。」と告げ、さらに、「何でもないときにMRIまで撮影できて良かったですね。脳ドックを受けると何万円もするのですよ。」と言って、内服の鎮痛剤を処方してAを帰宅させた。
しかし、Aは、同月7日、8日も頭痛が続いたため、終日仰臥していた上、食事も摂ることができず、うどんの汁をすする程度の状態であった。
同月9日には、Aは出勤しようとしたが、激しい頭痛のため、起き上がることができず、この日も会社を欠勤した。
同日10日、Aは、症状がやや軽減し、2日後に出張を控えていたこともあったため出勤し、同日午後7時ころ帰宅したが、頭痛が治まらなかったため、「眼鏡が合わなくなったためかもしれない。風邪かな。」などと言いながら、脳出血については疑わず、その後頭痛を訴えて休んでいた。
同日午後11時ころ、◇は、いびきの音に気づいてAの様子を見に行ったところ、Aは意識がなく、呼びかけたが反応しない状態となっていた。
Aは、救急車でS救命救急センターに搬送され、同センターにおいてCT撮影を行い、くも膜下出血と診断されたが、脳圧が高いため手術ができる状態ではなかった。Aのくも膜下出血の出血場所は9月11日に実施した脳血管造影の結果、左内頚動脈・後交通動脈分岐部の動脈瘤と判明した。
Aは、同月12日に臨床的脳死と診断され、同月27日に死亡した(死亡時51歳)。
そこで、Aの遺族ら(Aの妻◇および子ら)は△医師に対し、△医師がくも膜下出血発症を見逃したため、Aが死亡したとして、選択的に、診療契約上の債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を求めた。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 7087万円
(内訳:葬儀費用100万円+逸失利益3747万円+死亡慰謝料2600万円+弁護士費用640万円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 6965万8969円
(内訳:葬儀費用100万円+逸失利益3632万8971円+死亡慰謝料2600万円+弁護士費用633万円。相続人が複数のため端数不一致)
(裁判所の判断)
くも膜下出血の発症を看過した医師の注意義務違反(過失)の有無
- 1
- まず、裁判所は、Aの一連の臨床症状及び脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血は、再出血を発症することが多く、出血後2週間以内の再出血率の合計は19%とされているとの研究報告もあることからすれば、Aが同月10日午後11時ころに発症したくも膜下出血は脳動脈瘤の再破裂による再出血であり、同月5日午後7時45分ころに同じ脳動脈瘤からの初回出血があったものと推認できると判示しました。そして、9月6日にAが△医師の診察を受けた当時もくも膜下出血を発症していたと認定しました。
- 2
- 次に、裁判所は、医学的知見を引用したうえで、医師としては、患者がくも膜下出血を疑うべき症状を訴えている場合には、当該所見がくも膜下出血の症状か否かを判断するため、頭痛の発症形式、程度、持続時間、嘔吐や嘔気の有無や持続期間等について、詳細な問診を行い、くも膜下出血による頭痛に特徴的な事情(発症の突発性・持続性)の存否を聴取すべき注意義務があると判示しました。そして、医学的知見によれば、くも膜下出血を疑うべき臨床所見が認められた場合に、確定診断をするためにはCT撮影が必須であるとされているから、疑いが払しょくされない限り、CT撮影を行って出血の有無を確認すべき注意義務があり、自らCT撮影ができない場合には、CT撮影が可能な医療機関に直ちに転医させるべき注意義務があると判示しました。Aの主訴は、嘔吐を伴う激しい頭痛というものであって、くも膜下出血を疑うべき所見であるといえるし、Aが受診時50歳という好発年齢にあったから、くも膜下出血の可能性を慎重に検討して問診を行うべきであったと指摘しました。
その上で、裁判所は、△医師は、Aに対し、くも膜下出血による頭痛、嘔吐等の症状が認められるかどうかを判断するために必要な情報を聞き出すための適切な問診を行うべき注意義務を負っていたにもかかわらず、これを怠り、不十分な問診をした結果、Aの症状につき、アルコール多飲や過度の運動に由来する脳血管の一時的拡張によるものと考え、くも膜下出血に特徴的な所見である、突発性で持続性の頭痛や嘔吐を発症していたことを看過して、くも膜下出血ではないと判断したものであり、△には問診義務違反があるというべきであると判示しました。
そして、△医師は、上記の問診義務違反の結果、Aの臨床症状に対する判断を誤り、CT撮影をすることもなく、くも膜下出血ではないと判断し、CT撮影の可能な病院への転医をさせなかったものであるから、△医師には、Aのくも膜下出血発症につき、CT撮影が可能な病院への転医義務違反があるというべきであるとしました。
裁判所は、よって、△医師には、Aに対する診療上の不法行為が認められるとしました。
以上から、裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲で◇らの請求を認め、この判決に対しては控訴がされましたが、控訴審で和解が成立して裁判は終了しました。