東京地方裁判所平成16年3月25日判決 判例タイムズ1163号275頁
(争点)
- 保存療法の実施と過失の有無
- 特殊療法の要否と過失の有無
- 過失と死亡との間の相当因果関係の有無
- 期待権侵害の有無
(事案)
平成9年5月25日(日曜日)午前6時ころ、A(身長166cm、体重80kgの50歳男性)は朝食後に腹痛を訴え、近所の医師から急性胃炎・急性膵炎と診断され投薬治療を受けた。しかし、その後も症状が治まらず、同日午後7時45分ころ、救急車でY1医療法人の経営する病院(以下「Y病院」という。)に搬送された。
Aは、当直医であったBの診察を受け、腹部エコー検査、胸部及び腹部レントゲン並びに腹部CTスキャン、血液検査が実施された結果、同日午後8時50分ころ、重症急性膵炎、麻痺性イレウスとの診断名で緊急入院することになった。
同日午後8時45分ころ、膵酵素阻害剤のノエマ100mg及びニコリン1Aの投与、電解質輸液維持のためのトリフリード500ミリリットルの投与が行われたほか、120ミリリットル毎時で輸液供給開始及び胃液排出のための胃管が装着された。なお、輸液については、この後、少なくとも25日中は1時間に120ミリリットルの供給がされた。
同日午後8時48分ころ、搬送後に実施された血液検査の結果が判明したが、これによると白血球19700/μL、赤血球551万/μL、ヘモグロビン18.3g/dL、ヘマトクリット55.6パーセント、血小板19.7万/μLという状態であった。
翌26日午前0時には、血圧が110/86mmHgと、また、このころ、腹痛が強まり、胃管より排液25ミリリットルがあった。
同日午前0時55分ころには、輸液120ミリリットル毎時、トリフリード500ミリリットル、ノエマ100mg、ニコリン1A(1g)の投与がされ、午前5時ころには、輸液120ミリリットル毎時、トリフリード500ミリリットル、ノエマ100mgの投与がされた。
同日午前6時ころ、Aに対し、Bの指示で、一般血液検査、血液生化学検査が実施された。
同日午前8時ころ、医師Y2がAの主治医と決まり、Y2は、Aに対し、重症急性膵炎であること、その治療は膵酵素をブロックする方法での内科的な保存療法で進めることを説明した。
このころ、Aの尿量は70ミリリットルとの記録が残っている。
同日午前9時10分、輸液120ミリリットル毎時、トリフリード500ミリリットル、ノエマ100mg、ニコリン1Aの投与がされた。
同日午前10時30分ころ、Aが腹痛を自制できない状態となり、オルザポス50mgが投与された。
同日午後1時30分ころにはトリフリード500ミリリットルが投与され、同日午後3時35分から、鼻腔チューブにて、呼吸補助が開始された。
同日午後4時ころ、血液検査の結果として、TP6.8g/dL、TBL(総ビリルビン):1.3mg/dL、GOT:71u/L、LDH964u/L、ALP136u/L、γ―GTP:233u/L、SAMY(血清アミラーゼ)1510u/L、BS223mg/dL、UA(尿酸)10.6mg/dL、BUN36mg/dL、Cr(クレアチニン)3.5mg/dL、Na135mEq/L、K4.8mEq/L、Cl:95mEq/L、CRP:6+などの状態であったことが判明した。加えて、このころ、呼吸状態を示すO2sat(酸素飽和度)が92ないし93パーセントとなっていた。
同日午後5時30分ころ、ラクテックG500ミリリットル、ノエマ100mg、ニコリン1Aの投与がされた。
同日午後11時ころ、尿量は34ミリリットルであり、このころ利尿剤が静注された。
当日の尿量は500ミリリットル以下であったと記録されている。なお、供給された輸液は3000ミリリットルであった。
また、体温測定が4回、血圧測定が3回、脈拍測定が2回実施された。
翌27日、午前1時30ころの尿量は40ミリリットルであったが、尿流出不良のためのとして、尿道バルーンが挿入され、同日午前1時50分ころにはトリフリード500ミリリットル、ノエマ100mg投与がされた。
同日午前3時ころ、尿量が少ないとのコールがあったが、バイタル変化なし、口渇、発汗著明、口腔湿潤皮膚湿潤腹部抵抗プラスやや脱水気味などと記録されている。
同日午前6時ころ、Aに見当識障害が生じ、「生死をさまよった。つらいからなんとかしてくれ。」と発言し、興奮した状態にあったことが記録されている。同日午前6時には、Aの治療に当たる医師がY2からY3医師(現在の理事長)に交替した。それはY2が他の病院で手術を予定していたからであって、Y2はY病院から連絡を受け、手術後、Y病院に戻り、再びAの治療に当たった。なお、このころ病室がナースセンター前に移された。さらに、午後2時40分ころになって、Aは血圧測定不可、全身色不良、呼吸状態不良の状態になったため、集中治療室へ転床となり、人工呼吸下に置かれることになった。
同日午後5時ころ、Aに対してFFP(凍結血漿供給)が開始された。
同日午後6時ころには、対光反射なしの状態となり、午後6時25分ころには、ノルエピネフリンが投与された。
同日午後9時ころには、腹部CTによって、膵臓の腫大と後腎傍腔の死亡壊死、胸水が認められた。
5月28日午前0時37分ころ、Aは、心停止して、死亡した。Aの死因については、重症急性膵炎に伴う腎不全、呼吸不全、循環不全等によるものであったと診断されている。
そこで、X1らは、主位的に、Y病院において、全身的集中管理下における十分な輸液供給、静脈からの膵酵素阻害剤の注射等の保存療法と、持続的血系濾過透析及び膵酵素阻害剤持続的動注等の特殊療法とを実施すればAの救命を図ることが可能であったにもかかわらず、Aの診療を担当した当直医B、Y2医師及びY3医師が不十分な保存療法をするにとどまり、実施可能な膵酵素阻害持続的動注を行わず、また、持続的血液濾過透析を実施するには、その設備がないY病院からその設備がある病院へ転院させるべきであったのに、転院させず、当該療法についての説明も怠ったと主張して、Y1に対しては、債務不履行責任及び不法行為責任(使用者責任)に基づき、Y2およびY3に対しては、不法行為責任に基づき、Aの死亡により生じた損害の賠償を求め、予備的には、少なくともAが十分な保存療法及び特殊療法を受けることによって、その死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性を認めることができ、Y2及びY3には当時の医療水準にかなった医療行為を受けられなかったことによってAが被った精神的苦痛に対する慰謝料の支払い義務があると主張して、いわゆる期待権侵害を理由とする損害賠償を求めた。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 遺族合計1億4396万9608円
(内訳:逸失利益1億0576万9608円+慰謝料2700万円+遺族固有の慰謝料4名合計1000万円+葬儀費用120万円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 遺族合計600万円
(内訳:慰謝料600万円)
(裁判所の判断)
1 保存療法の実施と過失の有無
この点について、裁判所は、(1)Aのバイタルサイン(生命兆候)チェックは、平成9年5月26日において、記録上、体温4回、血圧3回、脈拍2回が実施されているにすぎないこと、(2)実際にはこれよりも多くチェックが看護師によって行われていたとしても、記録に残さないのでは、その実施の有無を含め、医師が自ら確かめ、その内容を点検することができず、Aの経過観察として不十分であること、(3)血液検査については、26日に外部発注する形態で検査が行われているが、重症急性膵炎の危険性からして、Y病院の内部で行うことにより、より早期に検査結果を把握しておくべきであったということができること、(4)Y2は、内部検査と外注検査とで、有意的な違いはないように供述するが、同供述によっても、内部検査によれば、4、5時間早く検査結果が判明したというのであって、その4、5時間の違いは、重症急性膵炎の治療にとって、軽視し得ない違いであること、(5)尿量測定についても、26日には、記録上、午前8時に70ミリリットル、午後11時に34ミリリットルと記載されているのみで、その余は、当日1日で500ミリリットル以下とのまとめた記載しかないこと、(6)実際にはこれより多く測定していたとしても、輸液量調整・循環状態の把握等のためには、尿の記録をより詳細に採っておくべきであって、前記のような測定結果では、治療上、不十分であること、(7)輸液量については、1日当たり約6000ミリリットルといった多量の輸液を要するとする文献も見られるところ、26日に行われた輸液量はおよそ1日当たり3000ミリリットルにとどまり、その不足を指摘し得ること、(8)膵酵素阻害剤についても、FOYが1日当たり2400ないし3200mg必要であったところ、実際に投与された量は1日当たり400mgであって(厳密に考えれば、1日当たり300mgと評価する余地もある)、また、CDPコリンが1日当たり80g必要であったところ、実際に投与された量は3gであって(これについても、厳密に考えれば、1日当たり2gと評価する余地もある)、膵酵素阻害剤を同時に複数組み合わせて投与していることを考慮しても、なおその不足分が窺えること、以上の事情からすれば、Y2の実施した治療方法は、重症急性膵炎に対する保存療法としてみても、不足するものがあって、それが前日のB医師の診断及び指示を受けたものであるとしても、同医師の指示は、緊急入院後間もなく、血液検査等の結果が判明する前に、当直医である同医師が下した当面の指示にとどまるから、Aの主治医となったY2としては、Aの症状の入院後の推移、その現状を見て、改めて治療方針及び検査方針を判断していくべきであったということができるのに、前記したような治療方法が実施されていたということは、Y2が重症急性膵炎に罹患していたAの当該病状の重症度を見誤っていたことを窺わせるものといわなければならないと判示しました。
2 特殊療法の要否と過失の有無
この点について、裁判所は、膵酵素阻害剤持続的動注、持続的血液濾過透析が重症急性膵炎の有効な治療方法の1つとして医療水準にかなうものであったが、26日の時点では、(1)Aの状態が緊急入院した前日から回復せず、重症度のスコアは厚生省(当時)の平成2年度の重症度判定基準によっても、合計7点(2点~8点は「重症1」)となっていたこと、(2)特に、血液検査上のクレアチニンの値は、成人男性の正常値は1.2mg/dL以下であって、腎臓に既往症がないAについても、その程度の値であったと考えられるところ、入院翌日には(その検査結果が判明したのは、Y2がAを診療した直後ではなく、外注検査に頼ったため、26日午後4時ころであるが)、僅か1日で3.5mg/dLと極端に増加していること、(3)そのことからすると、Aの状態は、重症急性膵炎に伴い、腎不全を急速に悪化させていくものであったと窺えること、(4)また、26日午後の時点では、Y2自身、「自分の手に負えるかちょっと考えた」などと、転院を検討したことがある旨を供述していること、以上の事情からして、Y2においては、膵酵素阻害剤持続的動注、持続的血液濾過透析の実施を検討すべきであったといわなければならないと判示しました。
そして、Y病院においては、特殊療法のうち、膵酵素阻害剤持続的動注については、実施可能であったというのに、これを実施せず、また、持続的血液濾過透析については、Yらが自認するように実施が不可能であったというのであるから、特殊療法も医療水準にかなった治療方法の1つである以上、その実施可能な病院に転院させることを前提に、Aにその旨を説明し、かつ、転院に必要な措置を講ずるべきであったのに、Y2がその説明もせず、また、転院に必要な措置も講じていなかったことは、弁論の全趣旨によって明らかであるから、Y2には少なくともこの点において、義務違反を認めざるを得ないと判断しました。
そして、Y2がAを診療した26日は、午前の段階でも、また、午後の段階でも、特殊療法を実施することができないY病院からその実施が可能な他の病院にAを転院させることが検討され、実施される必要があったというべきであると判示しました。
以上から、裁判所は、Y2には、当時の医療水準に照らして、Aに対する転院義務及びその説明義務といった点で、過失があると判断しました。
3 過失と死亡との間の相当因果関係の有無
この点について、裁判所は、(1)Aは、25日から28日にかけ、重症急性膵炎を悪化させて死亡しているのであって、死亡までの期間が短いこと、(2)Y病院においては、Aに対し、重症急性膵炎と診断したうえ、適量であったか否かはともかく、輸液及び膵酵素阻害剤等を投与していたにもかかわらず、Aが死亡していること、(3)C証人(鑑定意見書を作成した医師)は、「量が少ないことは確かだけれども、量が多かったから助かるかどうかわからない」と供述していること、(4)また、同証人は、Xら訴訟代理人の「本件患者に、遅くとも26日からCHDFが開始されていた場合に、まあ、早期の死亡は避けられた可能性があると言うことになるわけですけれども、その早期の死亡を乗り越えられた後の予後については、どのように予測出来るでしょうか。」との質問に対し、「いやそれはちょっと難しいと思いますけれども」などと供述して、退院ができたかどうかは予測が難しいとの意見を示していること、(5)26日の時点までに、Aの重症度は、C意見書によれば、最低でも、平成2年の判定基準ではスコア7、平成10年の同基準ではスコア9の状態にあり、さらに確定できないところが残るが、平成2年基準では、最大でスコア13、平成10年基準では、最大でスコア15の状態にあった可能性も指摘されているので、Aが本件当時の翌年の平成10年基準を参考にすれば、最重症の症状に達していた可能性も否定し得ないこと、(6)その場合には、死亡の可能性は70パーセントに達すること、以上の事情からすれば、Yらが、Aに対し、その状態をより的確に把握して、輸液及び膵酵素阻害剤の投与を十分に行い、保存治療を適切に実施したうえで、膵酵素阻害剤持続的動注を行い、さらに、遅くとも26日午後の時点で、持続的血液濾過透析を実施する必要から転院を検討してこれを実施していたとしても、その効果が発生し、Aがその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得るだけの高度の蓋然性を認めるに足りる証拠はなく、Aの救命それ自体は、重症急性膵炎の重症度に照らして、不可能であったというほかないと判示して、Y2の過失とAの死亡との間に相当因果関係を認めることはできないと判断しました。
4 期待権侵害の有無
この点について、裁判所は、Aの死亡につき、Y病院ないしY2の債務不履行責任ないし不法行為責任を問うことができないことは前記のとおりであるが、疾病のため死亡した患者の診療に当たった医師の医療行為が、その過失のため、当時の医療水準にかなったものでなかった場合において、その過失と患者の死亡との間の相当因果関係の存在は証明されないが、当該医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときには、医師は患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任ないし診療契約が患者との間に存する場合には債務不履行責任を負うことになると解されるところ、このことは、患者の治療に当たった医師に患者を適時に適切な医療機関へ転院させるべき義務の違反があった場合にも同様であると判示しました。
本件についてみると、Aは、C意見の重症急性膵炎の重症度を前提としても、少なくとも30パーセントの生存可能性を有していたということができ、輸液供給及び膵酵素阻害剤投与といった保存療法が十分に行われ、また、特殊療法が執られた場合には、Aがその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在それ自体は認められるというべきであるから、Y2には、その期待権侵害を理由として、Aに対し、その被った精神的苦痛に対する慰謝料を支払うべき義務があるし、Y病院も、Y2の使用者として、Y2と連帯して、上記慰謝料を支払うべき義務があるとしました。
裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲でX1らの請求を認めました。
この判決は控訴されましたが、控訴審で和解が成立して、裁判は終了しました。