千葉地方裁判所平成22年10月29日判決 ウェストロー・ジャパン
(争点)
本件診察において精密検査をすべき義務を怠った医師の過失の有無
(事案)
X(本件第1回診察時53歳の女性)は、平成14年末ころから右乳房のしこりが気になったため、平成15年1月14日Y医療法人の開設する病院(以下、「Y病院」という。)において外科医長であるB医師の診察(本件第1回診察)を受けた。その際の問診において、1か月ほど前から右乳房のしこりに気づいたこと、それが乳がんではないかと疑っていることなどを述べた。
B医師は、Xの右乳房について視触診を行ったところ、直径1センチメートル大の弾性の柔らかな腫瘤を触知したが、全体的に乳腺の張りが強く乳腺症と判断した。
B医師は、引き続き、マンモグラフィ(以下、「本件マンモグラフィ」という。)、エコー検査を実施し、本件マンモグラフィの結果については異常なしと判断したが、エコー検査の結果については9.8mm×9.8mm×5.6mm大の低エコー性腫瘤(以下、「本件腫瘤」という。)を認め、これも乳腺症様の所見であると判断し、診療録の傷病名欄に「乳腺腫瘤」と記載した。
Xは、平成15年3月4日(本件第2回診察。本件第1回診察と併せて以下、「本件診察」という。)、再びY病院を訪れ、B医師の診察を受けた。B医師は、視触診及びエコー検査を実施し、本件第1回診察の際に認められた本件腫瘤の大きさは、8.1mm×8.1mm×8.5mmと本件第1回診察の時とほぼ変わらない大きさであると判断した。診療録には、「1M後(1ヶ月後)、かわらない様であればbx(生検)」と記載されているが、B医師は、Xに対し、1ヶ月後に再来院するようには指示しなかった。
Xは、本件診察後平成17年月10日までの間、B医師の診察を受けなかった。
Xは、平成11年12月ころから定期的にY病院で人間ドックを受診しているところ、平成15年11月19日及び平成17年1月12日、同様に人間ドックを受診した。
その際、乳房について視触診も行われたが、いずれの回でも、乳房判定は「A」(異常なし)とされ、「乳房触診では異常がみられませんが、触診のみでは乳がんはわからないことがあるので、気になることがあれば精密検査を受けてください」との説明の書かれた書面の交付を受けた。
なお、Xは、平成17年1月12日受診の人間ドックの質問票の「健康上、気になっている事柄(検診入り目的)あるいは医師に相談したい点」の欄に、右胸のしこりについて記載しなかった。
平成17年5月10日、Xは、腫瘤が大きくなったと訴え、Y病院を訪れ、B医師の診察を受けた。B医師は、視触診を実施したところ、右側下方に可動性不良の弾性軟らかい腫瘤を確認し、また、乳房が全体的に乳腺症様に張っていると判断した。
B医師は、マンモグラフィを実施したところ、腫瘤には石灰化が認められたものの、微小石灰化は認められなかった。さらに、B医師は、エコー検査を実施し、28mm×17mm×16mmの低エコー性腫瘤を認め、本件腫瘤について生検を実施することとし、検体を採取した。
Xは、同月17日、Y病院を訪れた。
B医師は、Xに対し、病理組織検査の結果、Xの右胸の腫瘤が非浸潤性乳管がんと判明したこと、治療方法としては、乳房温存手術(部分切除)を行い、非浸潤性であればリンパ節郭清の必要はないが、浸潤していれば追加して切除手術が必要であることを説明した。
Xは、同月19日、Y病院のE医師から治療方法等について説明を受け、センチネルリンパ節生検及び迅速診断ができる病院を探したほうがよいと勧められた。
Xは、Y病院に不信感を持ち、同月23日、K病院を受診し右乳房及び左乳房のマンモグラフィ及びエコー検査が実施されたところ、両側乳がんの疑い(右乳房カテゴリー5、左乳房カテゴリー4ないし5)と診断された。
Xは、同月30日から6月1日までの間、同病院に検査入院し、抗がん剤による治療を開始した。
Xは、同年7月27日から同年8月12日までの間、乳がんの手術目的でK病院に入院し、右乳腺全摘及び腋窩郭清術を受け、同月17日から同月27日までの間、K病院に再び入院し、左乳腺全摘及び腋窩郭清術を受けた。なお、右胸乳がんの手術の際、センチネルリンパ節生検が実施されたところ、陰性との結果であった。
その後、Xは、転移の有無の検査、再発防止治療など通院治療を継続している。
そこで、Xは、乳がんの進行により自己の両乳房を全部切除するに至ったのは、Y病院の医師がXの診察の際、乳がんを疑うべき所見があったのにこれを見落とし、必要な検査を怠った過失があると主張して、Yに対し、使用者責任に基づき損害賠償請求をした。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 7037万6756円
(内訳:治療費・薬代874万9104円+入院雑費・付添費22万4000円+通院交通費60万3652円+両胸を失ったことによる後遺障害慰謝料2000万円+入通院慰謝料1000万円+休業損害2680万円+弁護士費用400万円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 1289万8864円
(内訳:治療費・薬代194万2780円+通院交通費16万9884円+入院雑費4万2000円+左右両乳房全部喪失に関する慰謝料400万円+入通院慰謝料180万円+休業損害374万4200円+弁護士費用120万円)
(裁判所の判断)
本件診察において精密検査をすべき義務を怠った過失の有無
まず、本件第1回診察について、裁判所は、B医師が、Xに1か月後の再来院を指示した事実は否定できないところ、本件第1回診察時には、本件腫瘤の大きさは直径約1cmであり、縦横比は0.55であったこと、乳がんは一般的に進行が緩やかであり、診断が1か月程度前後したとしても、その後の診療経過はほとんど変わらないことからすると、B医師が、本件第1回診察時に直ちに精密検査を実施せず、1か月後の再来院を指示したことをもって、過失と評価することは相当でないと判示しました。
次に、第2回診察について、裁判所は、本件マンモグラフィはカテゴリー3(良性、ただし悪性を否定できない)以上であることは明らかであり、カテゴリー4(悪性の疑い)との判定にも十分な合理性があること、本件第2回診察の際には、Xの右乳房の腫瘤は、本件第1回診察から1か月足らずで乳がんの判定基準とされる縦横比1に限りなく近い大きさ(縦横比約0.95)に変化したこと、Xが診療当時53歳であり、乳がんの好発する年齢であったこと、Xは、右乳房のしこりというはっきりした自覚症状をもってY病院を訪れ、精密検査を希望していたことを総合すると、B医師は、本件第2回診察において、Xに対し、速やかに生検等の精密検査を実施すべき義務を負っていたというべきであるとしました。
裁判所は、しかるに、B医師は、Xに対して、直ちに精密検査を実施しなかったばかりか、精密検査を実施するための再来院を指示しなかったのであるから、B医師は、精密検査をすべき義務を怠ったものというべきであり、この点に過失があったと認めることができると判示しました。
以上より、裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲でXの請求を認め、その後判決は確定しました。