東京地方裁判所平成8年10月21日判決 判例タイムズ939号210頁
(争点)
- 病院医師らに、乳がんの再発を発見するのが遅れた過失があったか否か
- 因果関係の有無
(事案)
A(昭和19年生まれの女性、死亡時48歳)は、昭和60年1月17日、勤務先の定期検診で右乳房にしこりがある旨指摘され、同年2月2日、国家公務員等共済組合法に基づき設立されたY法人が開設する病院(以下、「Y病院」という。)外科外来においてO医師の診察を受け、同年3月2日乳がんと診断された。触診では腫瘤の大きさは約2cm×3cm大であった。
同月7日、O医師及びH医師は、Aに対し、右側定型的乳房切除術(乳房、大小胸筋切除、腋窩及び骨下リンパ節郭清)を実施した。腫瘤の大きさは2cm強であり、リンパ節転移及び遠隔転移は認められず、進行段階はステージⅠであった。
Aは、同年4月4日退院した。H医師は、Aの乳がんが比較的悪性度の高い面皰がんであったことから、再発防止のための術後補助療法として、ノルバデックス(ホルモン剤)及び5-FU(抗がん剤)の経口投与を行うこととし、Aはこの治療のため適宜Y病院に通院し、H医師の診察を受けた。
H医師は、平成2年4月24日、ホルモン剤及び抗がん剤の投与は目標の2分の1ないし3分の1程度にとどまったが、血液検査の結果は正常で、局所所見でも再発の徴候は認められず、術後5年が経過したことから、Aに対し、今回の検査結果が正常であれば治療を中止してもよいので、1か月以内に検査結果を聞きに来るよう指示し、治療を中止する場合でも6か月に一度は受診するよう指示した。しかし、Aは同年12月27日までH医師の診察を受けなかった。
Aは、同月26日、右胸壁にピリピリした痛みを覚えた。翌27日、H医師が診察したところ、局所には腫瘤や発赤などの異常所見及び圧痛は認められなかった。H医師はリウマチ反応、腫瘍マーカー等について血液検査を実施し、インテバンクリーム(消炎鎮痛剤)を投与し、1か月以内に検査結果を聞きに来るよう指示した。この血液検査の結果、異常は認められなかった。平成3年2月7日の診察時には、上記痛みは時々になり、その程度も軽減していた。同年9月3日及び同年10月24日の診察時においても、上記痛みの訴えはなく、血液検査の結果及び局所所見にも異常は認められなかった。
Aは、平成4年3月ころから右前胸壁が昼夜を問わず激しく痛むようになり、右鎖骨の下に赤い斑点があり、その周辺にかすかな隆起があった。同月17日、H医師が診察したところ、この痛みの訴えのほか、第二肋骨の胸骨付着部の圧痛、発赤が認められ、原因不明の炎症が存在するとの所見であった。H医師は、肋骨胸骨のレントゲン撮影を実施したが、骨折や骨転移を示す像は認められず、血液検査の結果も異状はなかった、H医師は、コバマイド(筋肉痛に適応のビタミン剤)、ロキソニン(非ステロイド性鎮痛抗炎症薬、リウマチの薬)及びダーゼン(抗炎症薬)を投与した。
Aは、同月31日および同年4月7日、H医師の診察を受けたが、上記痛みは持続しており、同日、1か月間勤務を休みたい旨申し出たのでH医師は「胸骨および胸肋関節部骨髄炎の疑い」と記載した診断書を作成し、前回と同様の薬を投与した。同月9日の診察時にも痛みは持続しており、H医師は、痛みが持続するなら骨シンチを実施して骨転移の有無を確認する旨延べ、インダシン(鎮痛剤、慢性リウマチの薬)を投与した。
Aは、同月18日より同年5月15日まで勤務先を休み、同年4月30日、H医師の診察を受けた際、痛みは持続しており、温泉リハビリを受けたい旨述べた。H医師は、T大学放射線科に骨シンチを依頼するとともに、Aが上記リハビリ先に指定したN病院に対し「肋骨への転移を考えましたが、検査上全く再発の徴候はみられておりません」等とする紹介状を書いた(結局、Aは、温泉リハビリを行わなかった)。Aは同年5月1日の診察時、インダシン坐薬がすぐに出てしまうので効かない旨訴えたところ、ボルタレン坐薬(鎮痛消炎剤、慢性関節リウマチの薬)に変更され、翌日にはこのボルタレンが功を奏した。
同月20日、骨シンチ検査が実施された。T大学放射線科の担当者は、この検査結果について、「骨転移像を認めず、胸肋関節及びその周囲の集積増強は靱帯・軟骨部等の骨化によるもので異常とはいえない」との所見報告を行った。H医師は、同月28日の診察時、Aに対し、この所見報告に基づいて骨再発はない旨告げ、引き続きボルタレンを投与した。
同年7月9日の診察時、右胸肋骨に軽い膨隆、発赤、局所的な痛みが認められた。H医師は胸鎖関節部変性性骨化と診断し、この所見と関節や靱帯の骨化とが合致しうるか確認するため、Y病院整形外科に対し、「以前より、右胸鎖関節部の骨が隆起している変化がありましたが、それが最近ひどくなり、皮膚にも変化が見られるようになりました。骨転移を否定するためにも、5月にT大で骨シンチを行いましたが、骨化とのことです。」としてAの診察を依頼した。
同科のN医師は、同部の圧痛と膨張を認め、臨床経過、局所所見及び上記骨シンチ所見を総合し、胸肋鎖骨過骨症(鎖骨、肋骨及び胸骨に肥厚及び硬化を生じ、強い炎症を主徴とする疾患)の可能性が最も高いと診断した。また、同医師は、足部の皮疹を認め、しばしば胸肋鎖骨過骨症に合併する掌蹠膿胞症を疑って、同病院皮膚科に診察を依頼したが、診察の結果、掌蹠膿胞症の所見は認められなかった。
Aは、同年8月より痛みがさらに激しくなったので、同月20日、Xの知人の紹介によりM病院のM医師の診察を受けた。M医師は胸部レントゲン撮影を実施したが、はっきりしないため、同月25日、CT検査を実施した。このCTの画像は、胸肋部皮下の腫瘤が表面に突出していることを明らかに示すものであった。M医師は、同月27日、このCT検査の結果に基づき、細胞異常の疑いがあり、骨化ではなく、腫瘍又は炎症であり、乳がんと関係あるかもしれないので、Y病院で生検、組織鏡検査を実施してもらうのがよいと考え、Aに対し、至急このCTのフィルムを持参してY病院を受診するように指示した。
Aは、同日、上記指示を受けY病院外科外来で受診し、上記CTのフィルムをH医師に示した。同医師は、視診により局所皮膚の変色及び変性を認め、上記CTから腫瘤様変化を認めたため、Y病院整形外科へCTフィルムとともに紹介し、従来の診断と合致する所見かどうか判断してもらうこととした。同科のT医師がAを診察したところ、膨隆様変化、腫瘍性病変、皮膚の発赤、膨脹及び熱感が認められ、この膨隆部はやや硬く、皮膚を介して骨又は軟骨様に触知された。T医師は、上記CTのフィルムから、乳がんの骨転移像はなく、炎症性関節疾患、良性の軟部腫瘍、悪性の軟部腫瘍等も考えられるが、従来の臨床経過等を総合すると、胸肋鎖骨過骨症と診断しても矛盾しないと判断した。そこで、H医師及びT医師は、当面は整形外科において過骨症に対する治療および経過観察を行うこととした。
Aは同年9月10日、同月17日、同年10月1日及び15日、T医師の診察を受け、ボルタレン、セルベックス(胃薬)、プレドニン(ステロイド剤、抗炎症、膠原病の薬)、ダイドロネル(骨化抑制剤)及びインテバン軟膏(鎮痛剤)の投与を受けたが、痛みはとくに改善することなく、局所所見もさしたる変化は見られず、血液検査の結果は正常であり、過育症とは必ずしも合致しない状態であった。T医師は、同日、過育症に対する治療効果がないことから、悪性腫瘍等軟部組織の病変の可能性も考え、Aに対し、血液検査の結果が正常値で安定していれば、過育症ではなく軟部悪性腫瘍である可能性が高いので、切除生検により診断を確定することが望ましく、その場合は植皮も考える必要がある旨述べた。
同月29日の診察時において、右胸鎖関節部の膨隆が前回受診時に比べて明らかに増大しており、上下径65~70mm、横径50mmの明瞭な腫瘤となっていた。T医師は、悪性軟部腫瘍の疑いがさらに濃厚になったと考え、Aに対し、CT検査を勧めその予約をした。
同年11月5日、Y病院整形外科においてCT検査が実施され、その結果、胸肋膜部から胸郭の外側に増大した結節状の腫瘤があり、さらに皮下に湿潤した軟部悪性腫瘍があるとの所見であった。T医師は、Aに対し、急遽入院して切除生検を行う必要がある旨述べ、この生検を同月20日に予定した。また、Y医師は、同月9日、Aの休暇取得のため「胸肋鎖骨過骨症」との診断書を発行した。
同月10日ころ、右胸鎖関節部の腫瘤が自潰して血液と水様液体が流出した。同月12日の診察において、この腫瘤の大きさは5cm×5cm×2cm大であり、腫瘤部の表面の一部にビランが出現し、皮膚が破れ、血液と水様液体が流出する状態であった。そこで、T医師は、この血性の流出液を採取し、細胞診のために病理に提出するとともに、Aに対し、上記CT検査の結果によれば、胸部腫瘤であることを説明し、この細胞診の結果、悪性と確定すれば生検は中止し、そうでなければ予定どおり生検を実施する旨述べ、血液検査を実施した。
Aは、同月16日、M病院でM医師の診察を受けた。Aは、M医師の指示で、M病院で撮影したCTフィルムとY病院で撮影したCTフィルムを持参してB診療所のB医師の診察を受けた。B医師は超音波検査を実施し、「がんの転移に間違いない。肋骨を通して腫瘤が認められる。患部が7cmと深く、手術で取りきれるとも思えないので、放射線と制がん剤(ホルモン剤)で細胞を破壊していく方がよい。」「肺転移の可能性もある。」「うちでは治療できないので、国立がんセンターとT大に紹介状を書く」と述べた。
同月17日、Y病院の細胞診の結果、上記腫瘤部からの流出液から腺がんの細胞が検出された。T医師は、H医師と協議した結果、Aに対し電話連絡し、生検は中止する旨伝えた。翌18日、病理からH医師に対し、上記腺がん細胞は、当初の乳がんの手術の際切除したものと同じものである旨報告がなされた。H医師は同日、Aに対し、乳がんの局所再発である旨告知し、入院、治療を早急に行った方が良い旨述べるとともに、乳がんの再発の確定診断が遅れたことを詫びた。
Aは、同月24日、国立がんセンター内科においてI医師の診察を受けた。I医師は、乳がんの局所再発と診断し、Aに対し、がんの進行状態はステージⅣ(最終段階)で、遠隔転移の可能性が強く、リンパ節転移もあり、皮膚にまで症状が出ているので外科手術は無意味であり、局部ではなく全身を対象に治療を行う、CTを見ると、病巣は上記隆起部分から肋骨を通過して下に広がっている模様である等と述べた。また、I医師は、同日以降、前胸部皮下の細胞診、X線、肝臓超音波、肺CT、骨シンチを実施した。前胸部皮下の細胞診の結果がん細胞が認められ、末梢結節への転移のほか、肺(最大径6mm大)肝臓(部位はSの4)への遠隔転移も認められた。なお、骨転移は認められなかった。
Aは、以後同センターに通院し、I医師の元で内分泌化学療法(ホルモン治療と化学治療の併用)を受けたが効果はなく、平成5年4月13日から同年5月22日まで同センターに入院し、放射線治療等を受けたが効果はなかったため、これらの治療は中止された。その後、Aは同月26日から同年7月8日までC病院に入院し、その後K病院ホスピス病棟に転院し、同年9月21日、同病院において乳がんによる全身衰弱のため死亡した。
そこで、Aの夫であるXは、再発乳がんの治療が手遅れになってAが死亡したのは、Y病院医師らがAの乳がんの再発を発見するのが遅れたためであると主張し、Yに対し、上記医師らを履行補助者とする診療契約上の債務不履行及び使用者責任に基づき損害賠償を求めた。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 6357万0112円
(内訳:逸失利益3570万0112円+Aの慰謝料2000万円+夫固有の慰謝料500万円+弁護士費用287万円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 330万円
(内訳:Aの慰謝料300万円+弁護士費用30万円)
(裁判所の判断)
1 病院医師らに、乳がんの再発を発見するのが遅れた過失があったか否か
この点について、裁判所は、Aは平成4年3月ころから右胸壁の激しい痛みを訴え、外見上も右胸壁部にかすかな隆起及び発赤があり、平成4年8月25日のM病院でのCT検査において、Aの右胸皮下の軟部組織には隆起した部分が見られたのであるから、Aの乳がんは遅くとも同年3月17日ころには再発していたものと推認しました。
再発乳がんに対しては早期発見・早期治療が重要であるところ、H医師は、自らAの乳がんの手術を行い、その後の同人の診察を担当し、Aの通院回数が少ないところから、術後補助療法が十分に行われていないことを認識していた上、平成4年3月17日にはAの上記痛みの主訴に接し、局所に発赤を認めたのであるから、乳がんの再発を相当程度疑い、再発の発見のための積極的な検査を進めるべきであったと判示しました。しかも、乳がんの再発型式としては骨転移のみではなく、軟部組織への再発も相当の割合で存在するのであるから、H医師は、当時の医療水準に照らし、骨転移のみならずあらゆる再発型式を想定して、胸部レントゲン写真撮影、骨シンチのほか、肝臓超音波、CT、局所部分の細胞診等の諸検査を積極的に実施すべき義務があり、この義務を尽くしていれば、遅くとも同年4月ころには乳がんの再発と診断することが可能であったと指摘しました。
しかるに、H医師は、5年以上経過後の乳がんの再発部位は大半が骨であると思い込み、骨転移を念頭において血液検査、胸部レントゲン撮影及び骨シンチを行ったのみで、骨シンチで骨転移が否定された後は、上記思い込みから過骨症との診断に固執し、骨以外の部位に乳がんの再発がないかと疑ったこともなく、そのための諸検査を十分に行わず、同年8月27日以降は整形外科を専門とするT医師をして過骨症の治療を実施させるだけで、腫瘤の存在が顕著になり、肺及び肝臓への遠隔転移が明らかに認められるに至った同年11月18日まで乳がんの再発を発見しなかったのであるから、H医師には発見が遅れたことにつき過失があったと判断しました。
2 因果関係の有無
この点について、裁判所は、再発乳がんは、すでに初発の時点で微少転移が全身に広がっており、再発を発見したとしても、遅からず必然的にリンパ節及び肺、肝臓等への全身転移が始まり、これに対しては、現在の医療をもってしても治療は不可能であって、化学療法により延命を図るほかないのであり、Aの場合も同様であるとしました。したがって、H医師に上記再発の発見の遅れについて過失があったとしても、上記過失とAの死亡との間の因果関係は否定せざるをえないと判示しました。
しかし、再発乳がんの予後は、肝転移の有無に大きく左右され、肝転移が認められた場合の予後は極めて不良であるが、術後5年以上経過後の再発例の多くを占める軟部組織あるいは骨転移のみの場合には、内分泌療法が奏功し、相当程度の延命効果があること、一方、治療を行わなかった場合は、徐々に全身への遠隔転移が進展すると指摘しました。本件においては、H医師が乳がんの再発を発見することが可能であった平成4年4月の時点において、Aの右前胸部にはかすかな隆起はあっても、明らかな腫瘤の存在は認められず、肝臓や肺等への遠隔転移が存在していたか否かは不明であるが、この時点から実際に再発と確定された同年11月までの間において、腫瘤の存在が顕著になり、この腫瘤が大きくなり、自潰して浸出液が流出しているなど、外見上明らかな症状の悪化がみられることに鑑みると、この期間における全身転移の程度にも、無視しえない差異が生じており、上記症状の悪化によりAの延命可能性は少なからず減少したであろうと推認しました。
従って、Aが平成4年4月の時点より上記内分泌療法等の治療を受けていれば、この治療が功を奏し、死期を実際の死亡日である平成5年9月21日より相当期間遅らせることができた高度の蓋然性があり、Aは、H医師の上記過失により、このような延命治療を受ける機会を、同年11月18日に至るまで奪われたのであって、上記過失とAの延命利益の喪失との間に因果関係を認めるのが相当であるとしました。
そして、延命利益の喪失による精神的苦痛に対する慰謝料としては金300万円が相当であると判示しました。
以上より、裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲でXの請求を認め、その後判決は確定しました。