東京地方裁判所平成3年9月27日判決 判例タイムズ774号247頁
(争点)
冷凍療法を実施する医師の責任の有無
(事案)
A(死亡当時60歳のフランス人・パリ在住のレストラン経営者)は、昭和54年ころから気管支喘息で苦しみ、フランスで治療を受けていたところ、通称「**リウマチ**病院」(以下、「Y病院」という。)を開設し、リウマチその他難病の研究治療にあたっているY医師の行う冷凍療法が喘息治療に効果がある旨伝え聞いて妻Xとともに来日した。
昭和59年12月15日ころ、Aは、Y医師の妻でありY病院に勤務するM医師の診察を受け、自己の既往歴およびフランスにおける治療経過等を説明した。その際、M医師から冷凍療法は喘息治療にも効果があるとの説明を受けたため、Y医師との間で冷凍療法を受ける契約を締結し、Y病院に入院した。
同月17日及び18日の2日間、AはY病院の医師の指示に従って冷凍療法を受け、Aの妻であるXもこれに付き添った。
同月19日午前9時ころ、Aは冷凍療法を受けるため、Xとともに、病室を出て冷凍治療室へ向かい、待機室において、事前に問診表の記入を済ませ、看護師から血圧・脈拍の測定を受けた。問診表は、筋肉痛・倦怠感・頭痛等の数項目にプラスマイナスの記号を付けて自己申告する形のものであり、当日、Aは特にいずれの項目にもプラスの記入はしていなかった。しかし、この時点で既にAには軽度の呼吸苦及び喘鳴がみられ、また、Aは看護師に対し、睡眠不足であること及び風邪気味であることを伝えていた。
当日冷凍治療を担当していた勤務医のZ医師は、Aが気管支喘息の治療のために入院している者であることを認識した上、診療を開始していた。そして、このZ医師は、X又は看護師からAが当日の朝から睡眠不足であり風邪気味であるとの報告を受けたが、格別の記載のない問診表を受け取りこれに目を通したのみで、それ以上にAに聴診器をあてるなどの検査をしなかったのみならず、A又はXにAの身体状況についてさらに尋ねることもしないで、Aに異常がないものと速断して冷凍治療を受けることを許可した。
Aは午前9時半すぎころ、脱衣室で衣服を脱ぎ通常冷凍療法を受けるのに着用することとされている水着(海水パンツ)のみを着用した上、Xに付き添われて冷凍治療室(室温摂氏約零下100度)に隣接する予備室(室温摂氏約0度)に入ったが、20秒程で息苦しさを訴え、Xとともに予備室を退出した。
Aは、退出して脱衣室で着衣後もなお息苦しさが収まらず、脱衣室で喘息発作をこらえる姿勢である前屈の姿勢を取り長椅子に座っていたところ、その場にいた看護師から、他の患者らの混雑がなく空気のきれいな戸外に出るよう勧められ、Xに伴われて戸外のベンチで休養した。
しかし、Aの発作は激しくなる一方であったため、Xは、フランスの主治医に発作時に備えて携帯するよう言われていたコーチゾン及び気管支拡張剤のスプレーを取りに病室へ戻った。Aは、スプレーを口に吹き込むとともに、コップの水にコーチゾンを数滴垂らしてこれを服用する等して発作が収まるのを待った。
ベンチは日当たりがあったが12月下旬のことでもあり、しかも、その後、気温が低くなってきたため、Xは病室に戻ったほうが良いと判断し、Aを介助しながら歩いてリハビリ室の前まで来たが、Aが「もう歩きたくない」旨歩くのをいとったため、午前11時ころ、途中で車椅子を借用してAをこれに乗せ、病室に連れ戻ろうとした。病室に戻る途中、ナース室の前まで来たとき、看護師が出てきてXに様子を聞き「酸素をかけましょうか。」と言ったが、Aが単なる酸素吸入がそれを外した際に心臓に負担をもたらすことをおそれてその申出を断ったため、看護師は「それでは注射をしましょう。」と言って付き添って病室に戻り、Aを車椅子に座らせたまま腕にソルコーテフの静脈注射(点滴)をした。
その後、午前11時半ころ、Xが医者を呼んでくれるよう頼んだため、看護師はZ医師を呼ぶために病室を出ていったが、その後間もなくしてAは四肢硬直を起こし、立ち上がったようになり、それからバタッと落ちるように椅子上に座り、意識を失った。
午前11時40分ころ、Aが意識を失い、XからのナースコールでZ医師及び看護師らが病室に駆けつけた。その際のAの状態は、全身硬直し、椅子上にのけぞるような姿勢であり、四肢冷感及び口唇チアノーゼがあり、呼吸反応及び睫毛反射がいずれもみられず、自発呼吸はみられなかった。
その後、酸素級入を開始し、デポメドロールを2回注射し、ソルコーテフ及びキシリトールを点滴中に追加した。それとともに心臓マッサージを続ける一方で、Z医師はO医科大学に転院の依頼をしたが、受け入れ態勢が整っていないとの理由で拒否された。
Aの四肢冷感、口唇チアノーゼ、呼吸反応なし等の状態は、ほとんど変わらないで1時間以上推移した。そして、12時42分に至って血圧が触知されない状態となったため、気管内挿管の措置が採られたが、Aを診る唯一の医師であったZ医師自身は挿管技術を有しておらず、自らこれを行うことができなかったため、現実には看護師が医師の指示もないままに挿入した。その直後からAの顔、腹、四肢が膨満した状態になり、12時55分には一時血圧120を触診した。
13時ころ、呼吸促進剤であるテラプチクの筋肉注射を行うとともに、血圧を上げるためノルアドレナリンを点滴中に追加した。
13時10分、再び、血圧が触知できない状態となったため、ボスミンの心臓注射を行うとともに、強心剤であるセジラニドを点滴に追加した。その後ソルコーテフ、ノルアドレナリン、キシリトールを点滴中に追加し、更にボスミンの心臓注射を行う等したが、依然血圧は触知しないままであった。
13時45分ころ、Xらの依頼を受けてO医科大学のS教授が来院し、前記のように挿入されたチューブが誤って食道に挿入されているのを発見し、そのチューブを気道に挿入し直したところ、13時50分には血圧70を触診した。
14時24分ころ、S教授の依頼により、同大学麻酔科の医師が来院し、再度挿管をやり直した上、メイロン、イノバンの点滴、ソルコーテフの追加等の措置を採った。
17時ころ、当日朝から出張中であったY医師及びM医師が帰院し、以後、M医師の指示により、心臓マッサージとともに、メイロン、ソルコーテフの点滴注射、ボスミンの心臓注射及びラシックスの筋肉注射等の措置が採られたが、Aは21時50分過ぎに血圧測定不能となり、23時05分ころ、死亡した。
そこで、Xは、十分な検査・救命体制を整えないまま冷凍療法を施したY医師の過失によりAが死亡したとして、損害賠償請求をした。
(損害賠償請求)
- 患者遺族の請求額:
- 合計4817万0816円
(内訳:扶養及び婚姻費用負担請求権の侵害による喪失利益1217万0816円+慰謝料3000万円+葬儀費用及び交通費等100万円+弁護士費用500万円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 合計3565万6977円
(内訳:扶養請求権侵害による損害1265万7648円+慰謝料2000万円+葬儀費用及び交通費等100万円+弁護士費用300万円の合計からY医師が患者遺族に請求していた治療費残額および葬儀費用立替分合計100万0671円を控除した額)
(裁判所の判断)
冷凍療法を実施する医師の責任の有無
この点について、裁判所は、まず、気温の急激な変化は一般に喘息発作の誘因となりうること、喘息発作の持病を有する者が風邪気味であるなどの健康の一般的状態がすぐれない場合には気温の急激な変化を伴う処遇をその者に施すには特に慎重に行う必要があることが認められると判示しました。その上で、冷凍療法を担当する医師には、冷凍療法を開始するにあたり、事前に、被治療者の健康状態を十分に検査して、被治療者が喘息発作を有するものの場合には、健康状態のすぐれないときには、当日は、その者に対しては冷凍療法を実施せず、又は、冷凍療法を契機として喘息発作が起きても速やかにこれに対処し得るような態勢を整えてこれを実施するべき注意義務があるとしました。
本件当日Aに対する冷凍療法を担当したZ医師は、Aが気管支喘息の持病を有する者であることを認識しており、かつ、Aに予備室に入室を許可するかどうかを判断するに際しAが風邪気味で睡眠不足であることを知らされていたのであるから、Z医師としては、問診表のチェックにとどまらずさらに詳細にAの健康状態を精査した上で、当日は予備室入室をも含めて冷凍治療の実施を避止するか、発作が起きた場合にも速やかに対処しうるように特に注意を払って監視しつつ上記療法を実施すべき注意義務があったと判示しました。しかるに、Z医師は、Aの問診表に一通り目を通したのみでそれ以上の検査を行うこともせず、また、特にAの状態につき監視を強化するなどの措置も採ることなく、漫然とAの予備室入室を許可しており、上記注意義務を怠った過失があると判断しました。
次に、裁判所は、Y病院には、Aのように冷凍療法が喘息治療に効果があると聞いて喘息の持病を有する者がその治療を目的として冷凍療法を受けることが少なくなく、かつ冷凍療法の過程で喘息の持病を有する者に喘息の発作が生ずる可能性も否定できないのみならず、気管支喘息の急性発作が生じ、これが悪化するときはその気管支喘息の患者が呼吸ができなくなり窒息死するおそれがあることが認められると判示しました。
これらによれば、冷凍治療の過程で喘息発作を起こしたものがでた場合、Y病院に勤務する医師および看護師らは、その発作を起こした者に対しては、その症状が悪化しないようにするための適切な措置をとるべき義務があるとしました。
Aは予備室の冷気にあたって息苦しさを覚え、その直後に前屈の姿勢でこらえていたのであり、要するに喘息発作を起こして予備室を退出していたと認められ、かつ、その後もその発作は軽快することなく悪化しつつあったのであるから、これらの容態を知ったY病院に勤務する医師及び看護師としては、Aの状態を注視し、その症状に応じて適切な助言を与え、また、必要に応じてまずは気管支拡張剤次いでこれとともに副腎皮質ホルモンの注射をする等の喘息発作の悪化を止めるために必要な措置を採るべき注意義務があるとしました。裁判所は、しかるに、看護師の一人がAに対して戸外に出るよう勧めたにすぎず、それ以後Xの判断で病室に引き返すまでの間においては、医師及び看護師らはA及びXに対しほとんど助言及び措置の申出をすることなくこれを放置したもので、これは喘息発作を起こしている気管支喘息患者に対する前述のような注意義務に違反したものであると判断しました。
更に、裁判所は、急性喘息発作が悪化するときは窒息死のおそれが生じるのであるから、入院している気管支喘息の患者の喘息発作が悪化してしまった場合には、Y病院に勤める医師としては、その者に対して、速やかに最適な救命措置を講ずる義務があると判示しました。
そして、喘息発作の治療としては第一に気管支拡張剤の投与により気道を広げることが必要であり、基本的にはエピネフィリン(アドレナリンともいう。一般的な商品名としてはボスミンなど。)、アミノフィリン(テオフィリン系)の静脈注射が必要とされ、さらにそれと併用して酸素吸入措置を採るほか、重篤な発作の場合には副腎皮質ホルモン剤を投与して粘膜の浮腫をとるなどの治療が必要となることを認定しました。その上で、Aの場合には、Aが意識を失った直後にZ医師が採った措置は、酸素吸入措置のほか、ソルコーテフ及びデポメドロール等の副腎皮質ホルモン剤の注射、呼吸促進剤であるテラプチクの投与、昇圧剤であるノルアドレナリンの投与、輸液剤であるキシリトールの点滴などにすぎないのであり、13時すぎになってボスミンの心臓注射も行われているが、このボスミンの心臓注射は直接心臓への働きかけを意図したもので、皮下注射などと異なり気管支拡張作用を期待して採られた措置ではないこと、他に投与された薬剤中に気管支拡張作用を有するものは見当たらないこと、また、酸素吸入措置が採られても、気道の閉塞が強度の場合には気管支を拡張した上でなければ効果が期待できない場合もあることが認められるとしました。
Z医師がAに対して採った副腎皮質ホルモン投与等の措置はそれだけでは十分なものとはいえず、即座にボスミンの皮下注射又はアミノフィリンの点滴静脈注射等の措置を講じなかった点で、適切さを欠き、Aの喘息発作に対する迅速適正な救命措置を採ることを怠った過失があると判断しました。
加えて、O大学のS教授が来院した際には挿管チューブは食道内に挿入されており、これによれば、Z医師がその挿管技術を有しないため看護師が医師の指示もないまま気管内へとの見込みで挿管したものが誤って食道に挿入されたものと推認することができ、この点でもZ医師及び看護師らには適切な救命措置を怠った過失があると判示しました。
以上より、裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲でXの請求を認め、その後判決は確定しました。