平成8年9月3日最高裁判所第3小法廷判決(判例タイムズ931号170頁)
(争点)
- 県立病院の院長、担当医師、看護師らには、措置入院中の統合失調症患者が無断離院をして他人に危害を及ぼすことを防止すべき注意義務を尽くさなかった過失があるか
(事案)
Aは、昭和51年ころから統合失調症が進行し始め、社会適応能力が著しく低下し、銃砲刀剣類所持等取締法違反、窃盗、公務執行妨害等の犯罪を繰り返して服役するに至り、昭和58年12月、服役終了と同時に、Y県知事によって、他害のおそれがあるとして、県立H病院への入院措置がとられた。
Aは作業療法の一環として実施された院外散歩中に無断離院をし、離院中に金員を強取する目的で通行人を殺害した。被害者(通行人・死亡当時35歳の公務員)の遺族(妻子と両親)がH病院を設置、管理するY県に対して損害賠償を請求した。
(損害賠償請求額)
一審での遺族の請求額 1億3500万円(内訳不明)
(判決による請求認容額)
一審での裁判所の認容額 1億0524万3701円
(内訳:逸失利益8424万3701円+妻子3名の慰謝料各500万円+両親の慰謝 料各300万円)
控訴審での裁判所の認容額 1億2499万6073円(内訳:逸失利益9639万6073円+妻子3名の慰謝料各500万円+両親の慰謝料各300万円+弁護士費用760万円+)
(裁判所の判断)
Aには、無断離院の上での窃盗や叔父への暴行といった前歴があり、その後も無断離院を口にしていたことや、病院内でも問題行動を頻繁に起こしており、第三者に対する加害行為につき心理的抵抗が少ない傾向にあったこと、更に担当医師は無断離院などにより向精神薬の投与が中止されるとAの病状は悪化する可能性が大きいことを認識していたこと等にもかかわらず、院長は、無断離院のおそれのある患者に院外散歩を含む作業療法を実施するについて特別の看護態勢を定めておらず、また、担当医師も、無断離院に関する要注意患者であるAを院外散歩に参加させるに当たり、引率する看護師らに対して何ら特別の指示を与えず、引率した看護師らも院外散歩中Aに対して格別な注意を払わなかったとの原判決の事実認定を肯定しました。
そして、これらの事実関係の下においては、患者の治療、社会復帰が精神医療の第一義的目標であり、他害のおそれという漠然とした不安だけで患者の治療を拒否し、患者を社会復帰から遠ざけてはならないことなどを考慮してもなお、H病院の院長、担当医師、看護師らには院外散歩中にAが無断離院して他人に危害を及ぼすことを防止すべき注意義務を尽くさなかった過失があると判断しました。
また、この過失と本件殺人事件との間には相当因果関係があるとも認定して、控訴審の判断を維持してY県側の上告を棄却しました。