仙台地方裁判所平成18年1月26日判決 判例時報1939号92頁
(争点)
平成14年の検査の当時、肺癌がリンパ節に転移していたかどうか(平成14年に外科的治療を受けていれば何年間生存できたかどうかが、Aの逸失利益の算定に係わる)
(事案)
A(家事に従事する傍ら保険の外交員として稼働・女性)は、O社に勤務しており、Y財団法人がO社における定期健康診断を実施していた。
平成13年5月10日、Aは、O社の定期健康診断を受診し、胸部レントゲン撮影等をしたところ、検査結果は異常なしであった。
平成14年5月22日、Aは、O社の定期健康診断を受診し、胸部レントゲン撮影等をしたところ、検査結果は異常なしであった。
しかし、Yは、Aの平成14年の検査結果をコンピューターに入力する際、胸部スケッチのフィルムNo.697(Aのもの)の所見及び判定を、誤ってNo.687(Aではない別人)の欄に入力していた。
平成15年5月7日、Aは、O社の定期健康診断を受診し、胸部レントゲン撮影等を行ったところ、左側・上肺部・石灰化疑い、両側・全肺野異常陰影疑い、粒状陰影疑いとされた。
平成15年の検査結果を受けて、Aは、同年5月19日にN病院を受診し、胸部レントゲン検査、胸部CT検査などを受け、同月21日には、胸部・腹部超音波検査等の検査を受け、同年6月5日、肺癌であり、手術の適応外であるとの説明を受けた。
同月6日、AはS病院を受診し、同月10日に入院し、同月13日一旦退院して、同月20日に再入院し、抗がん剤治療などを受けながら、S病院への入退院を繰り返したが、平成16年6月10日に死亡した(死亡時37歳)。
そこで、Aの相続人Xは、平成14年の定期健康診断でAの胸部レントゲン写真に異常な所見があったのに、Yがコンピューター入力時、これを別人の検査票に記入した過失により、Aは当時既に罹患していた肺癌を早期に発見する機会を逸し、平成15年度に受診した定期健康診断で発見されたときには、既に肺癌の末期であり、早期に外科的治療をすれば根治する高度の蓋然性があったのに、Yの上記の過失により、その機会を逸して死亡したとして、Yに対し、不法行為に基づく損害賠償請求をした。
なお、Aの肺癌は、腹部や頭部への遠隔転移がなく、種類も進行の早い小細胞癌ではなく、腺癌であった。
肺癌の予後を推測するには、外科手術時の症状をステージ別に分類するが、ステージ分類はT因子(腫瘍の大きさ)、N因子(局所リンパ節への転移状況)、M因子(遠隔臓器への転移状況)の三因子の組み合わせによる。さらに、これらの因子の検索が手術肺の病理組織や手術所見によったものはp、臨床的経過の追跡によったもの(本件)であればcを付して区分される。
Aの場合、T因子は平成14年度の胸部関接レントゲン写真で腫瘍の長径は6ミリメートルであるから、直接撮影の写真では、その4倍と考えて24ミリメートルと推測される。このサイズでT因子はT1となる。M因子は、平成14年度の検査時には転移発見されていないので、M0とみられる(N因子については争いがある)。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 8199万3037円
(内訳:入院治療費302万4070円+入院雑費35万5200円+通院治療費36万530円+入通院慰謝料300万円+逸失利益3790万2432円+葬儀費150万円+健康補助食品・温熱療法費35万805円+死亡慰謝料2800万円+弁護士費用750万円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 7447万8634円
(内訳:入院治療費302万4070円+入院雑費33万3000円+通院治療費36万530円+入通院慰謝料300万円+逸失利益3219万1734円+葬儀費150万円+健康補食品、温熱療法費6万9300円+死亡慰謝料2800万円+弁護士費用600万円)
(裁判所の判断)
平成14年の検査の当時、肺癌がリンパ節に転移していたかどうか(平成14年に外科的治療を受けていれば何年間生存できたかどうかが、Aの逸失利益の算定に係わる)
この点につき、裁判所は、平成14年の検査のときのAの肺癌の病状(ステージ分類)のTNM分類によるところのT及びM因子については争いがないので、N因子(リンパ節転移の有無)について検討するとしました。
まず、平成14年の検査当時のレントゲン写真について、証拠によれば、肺門部リンパ節転移があったかどうかについての診断は、CTにおいてもMRIにおいても、短径が1センチメートル以上のリンパ節腫大を転移陽性と診断する基準が用いられていることが認められるとしました。また、別の証拠によれば、肺門部陰影は、左右肺動静脈、左右気管支の壁、リンパ節よりなり、X線像の主体をなすものは、肺動静脈で一部のみに気管支壁が関与していると考えて差し支えないこと、たとえ、正常リンパ節がその陰影の一部をなしているとしても、石灰沈着がない限りそれと同定することはできないことが認められるとしました。また、証人によれば、レントゲンの間接撮影では、リンパ節は通常のレントゲン像には写らないことと、平成14年と15年のAの胸部レントゲン写真には、リンパ節そのものは写っておらず、これらによってはリンパ節そのものが大きくなっていることの判定はできないことが認められるとしました。
更に、平成13年、14年、15年の各検査時のレントゲン写真を比較しても、平成14年の検査当時に、Aの肺癌がリンパ節に移転していたと認めることはできないと判示しました。
次に、裁判所は、Aの病状の経過からの検討を加えるとし、Aの平成15年の胸部レントゲン写真によれば、左側上肺野の異常陰影、石灰化、両側全肺野の粒状陰影が認められ、両肺に癌が転移していることが認められるとしました。
そして、このような状況になるまでには、原発巣からリンパ節に移転があって拡大し、血管壁を破って左右平等に血行を通して分布されたという経過を辿ったものと推測されると判示しました。
しかし、リンパ節に転移してからかかる状況になるまでどの程度の時間がかかるかについては、何ら立証がなく、Yに所属するS健診センターの所長である証人も分からないと述べるにとどまるとしました。
そうすると、平成15年のAの肺癌の状態から、平成14年の検査のときに、Aの肺癌がリンパ節に転移していたと認めることはできず、他に平成14年の検査時点でAの肺癌がリンパ節に転移していたことを認めるに足りる証拠はないとしました。
上記によれば、Aの平成14年度の肺癌の臨床病期はcT1N0M0であり、ステージⅠAであると認められるとしました。裁判所は、そうすると、ⅠAの5年生存率は72%であり、Aに外科的治療を妨げるような既往症は存しなかったのであるから、平均余命まで生存することができた高度の蓋然性があったと認めることができるとしました。
以上から、裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲でXの請求を認め、その後判決は確定しました。