大阪地方裁判所平成13年10月30日判決 判例タイムズ1106号187頁
(争点)
脳腫瘍摘出手術後、患者を髄膜炎(MRSA)に感染させた過失の有無
(事案)
A(死亡時3歳の乳児)は、平成4年10月に出生し、平成5年3月以降、鼻汁、咳、喘息、中耳炎等の症状を訴えて、Y市の経営・管理する病院(以下、「Y病院」という。)小児科で通院治療を受けたことがあった。
Aは、平成7年10月7日から同年12月3日までの間、Y病院小児科で通院治療を受けた(担当医師は、Y病院小児科に勤務するO医師)。
Aは、平成7年10月7日にY病院小児科救急外来でO医師の診察を受けた際には、嘔吐・微熱等の頭蓋内亢進症状が認められたが、同症状は、その後の同月9日、同月12日、同月28日等の診察時には改善の傾向にあった。
しかし、Aの嘔吐等の症状は同年11月13日頃から再び悪化し、同症状の改善が見られなかったため、Y病院は、同月18日、諸検査を実施したが、その結果によっても、神経学的所見に異常はなかったほか、当時は、ふらつき等の症状は特に認められなかった。
Aには、同年12月3日にY病院に入院した後の同月6日頃から、ふらつき等の小脳症状がはっきりと現れるようになったため、Y病院は、Aの異常を察知して、同日、頭部CT検査を施行し、Aの疾患が髄芽腫であるとの確定診断をした。
同12月11日、H医師(Y病院脳神経外科に勤務する医師)らは、Aに対し、脳腫瘍摘出手術を施行し、閉頭時には、硬膜欠損を防ぐために人工硬膜で硬膜補填を行った上、縫合し、さらにフィブリン糊を塗布し、筋肉、筋膜を多層に縫合し、頭皮も二層に縫合した。
同手術後、Aに対する個室管理が行われ、ベンザルコニウムによる病室出入りの際の手指消毒、両性界面活性剤による環境消毒が行われることになった。
同月12日、水頭症の改善は認められなかった。
同月15日、Aの手術部である頭部皮下に液貯留があり、水泡様のものができたため、Aの母であるX2が質問したところ、H医師は、髄液漏れを来す可能性は低いと考えて、時間が経てば自然吸収されると答えた。
同月18日、Aの頭部にある液貯留に変化はなく、H医師は、Aの手術部の抜糸をした。
同月22日、Y病院は、同月25日からカルボプラチンによる化学治療を施行する計画を立てた。
同月22日及び翌23日、Aの手術部位から髄液が漏れ出し、パジャマの襟元及び同部を覆うガーゼが濡れて、同ガーゼが剥がれ、患部がむき出しになることがあった。
このため、Xら(Aの父母)は、Y病院の看護師らに対し、ガーゼをきちんと固定するように求めたが、ガーゼによる被覆及びガーゼを固定する処置が十分ではなく、その後、看護師がガーゼを交換してバンソウコウで固定する等の処置が何度か繰り返された。
その際、Y病院の看護師らは、必ずしも十分に手指の消毒をせず、ドアノブやベッドの器具等を触ったままの手でガーゼの交換を行う等したことがあった。他方、Xらは、Aの入院部屋に入室する時は、手指の消毒を行っていた。
同月23日、H医師は、Aの手術部最下端から髄液漏を認めて、同部を再縫合した。
同月24日以降、Aの体温は、38度台となることがあり、38.9度を示したこともあった。
同月24日、Aの髄液検査を行った結果、H医師は、化膿性髄膜炎と診断し、抗生剤CPR等の投与を開始した。
X2は、H医師から、Aが髄膜炎に罹患したことを知らされ、髄膜炎の発症は看護師が不衛生なままガーゼ交換等を行ったためであるとして、同医師及び看護師らに対し、抗議した。
同月25日、H医師は、腰椎ドレナージを設置したが、廃液量は少なく、症状は改善しなかった。
同月26日、髄液培養にてMRSAが検出され、抗生剤をVCMに変更した。
同月27日、H医師らは、髄液漏の処置をするために、右側脳室前角穿刺により脳室ドレナージを行った。
平成8年1月6日、手術創の抜糸を行った。
同月8日、脳脊髄液培養検査を実施したところ、同年1月4日からMRSAが陰性化し、脳脊髄液所見も正常化していた。
同月9日、髄液漏の原因となる水頭症の治療をするため、脳室腹腔短絡術を施行した。
同月16日、CT検査を施行し、水頭症は改善していたため、カルボプラチンによる化学治療が開始された。しかし、同検査の結果、小脳の腫瘍は増大傾向を示していることが確認された。
同年3月5日、意識レベルが低下し、不穏状態が出現した。血清ナトリウムは128mEq/lであり、電解質を補正し、正常化したが、意識レベル低下は改善しなかった。
同月7日午前、眼球異常、右上肢のけいれんが出現した。
同月10日午後5時45分頃、突然徐脈、血圧低下、低体温、鼻出血、顔面蒼白、自発呼吸不安定となった。酸素投与、吸引、気管内挿管にて、呼吸はしばらく安定したが、午後7時30分、心停止し、蘇生するも、出血、止血困難が持続し、新鮮血輸血を行ったが、再度心停止し、午後8時39分、亡くなった。
そこで、Xら(Aの父母)はY市に対して、Y病院にはAの脳腫瘍(髄芽腫)を長期間発見出来ず、脳腫瘍の摘出手術後もAを髄膜炎に感染させた等の過失があり、その結果、Aを死亡させたとして、債務不履行又は不法行為による損害賠償請求をした。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 2338万6456円
(内訳:治療費32万3080円+入院雑費12万3500円+葬儀費用86万3080円+証拠保全費用7万6796円+弁護士費用200万円+Aの慰謝料1000万円+両親の慰謝料両名合計で1000万円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 646万3080円
(内訳:Aの慰謝料500万円+葬儀費用86万3080円+裁判費用60万円)
(裁判所の判断)
脳腫瘍摘出手術後、患者を髄膜炎(MRSA)に感染させた過失の有無
この点について、裁判所は、脳腫瘍摘出手術後の合併症としては、髄液漏や髄膜炎が挙げられており、大後頭隆起付近の縫合部では髄液漏を起こしやすく、髄液漏が姑息的に処理して止まりにくいときは、髄膜炎や脳膿瘍に発展しやすいので、早急な対応が望まれるとされており、また、MRSAが接触感染により発症するものであることは広く知られているところ、H医師等は、平成7年12月11日、脳腫瘍摘出手術を施行し、閉頭時には人工硬膜による硬膜補填等を施行する等して、創部感染予防のための処置を行い、Y病院は、同月22日には、同月25日からカルボプラチンによる化学治療を施行する計画を立てていたが、同月22日以降、創部からの髄液漏れがあったもので、その際、Y病院には、患部を十分に消毒し、ガーゼ等で患部を十分に被覆しガーゼを固定すること等により、医療関係者又は第三者が患部や患部から漏出した髄液等に接触して発症するMRSA感染を防止するための適切な処置を講ずる義務があったにもかかわらず、これを怠り、患部を露出させたまま一時放置していたほか、患部の消毒や被覆について適切な処置を講じなかったため、Aは、同月23日頃、MRSAによる化膿性髄膜炎に罹患したものと認められると判示し、Y病院にはAがMRSAに感染したことについて過失があると判断しました。
そして、髄芽腫に対する化学療法等の施行は、創部に異常がなければ、腫瘍摘出後2週間以内に行うのが通常であるところ、Y病院は、AのMRSAの治療のため、同7年12月25日に予定していたカルボプラチンによる化学療法の施行を平成8年1月16日まで延期せざるを得ず、その間に、Aの小脳の腫瘍は増大したもので、Aは、その後、血小板値が比較的保たれていた同年3月5日および同月7日に血小板値低下による出血傾向と直接結びつかない意識障害やけいれんの症状を呈していることに照らすと、腫瘍摘出手術後に残存・増大した腫瘍のくも膜下腔への播種の影響により、同月10日、全身症状が悪化して、死亡するに至ったものと認めるのが相当であり、これらの事実に、髄芽腫発症後の生存率(髄芽腫の予後は一般に不良である上、Aは発症当時3歳の乳児であり、診断時にも、くも膜下腔への播種等が認められる、いわゆるハイリスク群に属する患者であり、証拠によれば、その1年生存率は63.3%、5年生存率は25.0%であることに照らすと、Aは、Y病院の過失がなければ、脳腫瘍摘出手術後1ないし数年間は生存できたものと認められること)等を総合すると、髄膜炎の合併による化学療法の開始の遅れがなければ、Aが平成8年3月10日を超えてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性があったと認められるから、Y病院は、Aの死亡につき、Xらに対して、債務不履行責任及び不法行為責任を負うというべきであると認定しました。
裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲でXらの請求を認め、その後判決は確定しました。