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No.403 「国立大学病院で患者が気管切開カニューレから痰の吸引を受けた際に容態が急変し、低酸素脳症による遷延性意識障害の後遺症を負う。吸引時のアセスメント実施義務違反の過失を認めた地裁判決」

東京地方裁判所平成31年1月10日判決 判例時報2427号32頁

(争点)

  1. 看護師らが気管吸引時にアセスメントを実施し、監視することを怠った過失の有無
  2. 看護師らの過失と患者に生じた結果(遷延性意識障害と低酸素脳症)との因果関係

(事案)

X1(本件事故当時、20歳で薬学部2年生の男性)は平成23年8月11日、A医療センターからの紹介により、中顔面低形成(アントレービクスラー症候群。頭蓋骨の成長が制限される頭蓋縫合早期癒合等を特徴とする先天性の疾患)の治療目的で国立大学法人Yが開設するY病院を受診した。

X1と両親は、同年9月20日頃、X1が上顎骨形成術及び下顎骨形成術(上顎及び下顎の骨を切り、顔面に骨延長器を取り付ける手術。以下、「本件手術」という)を受ける方向で検討し、平成24年(以下の日付は、特に断りのない限り、同年のものである。)8月9日からY病院に入院し、同月10日午前8時30分に手術室に入室し、Y病院勤務のP1医師らの執刀による本件手術を受けた。P1医師らは、経鼻挿管下で下顎の骨切りを行い、経口挿管下で上顎の骨切りを行うことを予定したものの、経鼻挿管から経口挿管に変更できなかったため、X1の気管を切開し、気管切開カニューレを留置した上で上顎の骨切りを実施し、同人の顔面に骨延長器を取り付けた。

X1は、同日午後11時5分、手術室を退室した。

X1は、本件手術後からICUに入室し、同月13日に一般病室に転室した。

8月14日午後2時頃、Y病院の看護師が、X1に対し、気管切開カニューレに吸引カテーテルを挿入して吸引を実施したところ、気管切開部から褐色の粘稠痰が中等量引け、カフ上部から褐色血交じりの粘稠痰が大量に引けた。

同日午後5時15分頃、P5看護師がX1の病室を訪れ、体温、脈拍等を確認する中で、聴診で肺雑音を認めるなどしたため、午後5時20分頃、吸引を実施したところ、茶色の粘稠度の高い痰が中等量引けた。

X1は、P5看護師が、吸引後にカテーテルを抜くと、突然、腹部を手で押さえてベッド上で端座位になり、立ち上がった。P5看護師は、これを受けて、転倒の危険もあると考慮してスタッフコールを押し、その後X1に対してアセスメントを実施し、肺雑音や痰が絡んだような咳を認めたため、再吸引の準備(滅菌手袋、新しいカテーテルの用意)に取り掛かった。

スタッフコールを聞いたP6看護師は、遅くとも午後5時25分頃には病室に到着し、P5看護師から、X1が吸引終了時にベッドから突然降りようとしたこと、再吸引の必要があること等の報告を受け、転倒しないよう見守ってほしいと頼まれた。P5看護師は、X1の右側に立って再吸引の準備を続け、P6看護師がX1の左側で足元の方に立っていた。

午後5時26分(0秒)頃、P5看護師がカテーテルをX1の喉元にあるカニューレ入口に近づけようとした際、X1は、首を左右に振ったり上体を左右にひねったりしたほか、手を動かしてカテーテルを払おうとするような動作をした。P5看護師やP6看護師がじっとするようにとの声かけをしたが、X1の動きは止まらなかった。そこでP6看護師が抵抗するX1の両腕を押さえつけた。その前にX1の指先に取り付けていた酸素飽和度計が外れたものの、P5看護師及びP6看護師はそのままにした。その後、ナースステーションにいたP7看護師が病室を訪れてX1が徐脈である旨を告げるまでの間、P6看護師は両手でX1の両腕を押さえ続けている状態であった。P5看護師は、カテーテルを持ったままカニューレの入口を見て再吸引のタイミングをうかがい、X1の動きが止まったと思った際にカテーテルを挿入したが、カニューレの先端まで行かず途中で止まり、そこで陰圧を掛けたものの吸引はできなかった。当時、両名は、お互いに声を掛けて状況を確認したり、X1の顔貌等を確認したりしなかった。

なお、X1は午後5時26分0秒頃から30秒頃の間に気道閉塞を起こし、午後5時26分30秒頃から一時激しい体動を生じ、午後5時26分55秒から27分40秒頃までは激しい体動が継続したものの、午後5時28分45秒頃までの間、徐々に抵抗する力も弱まる中で意識消失に至り、午後5時29分51秒から30分48秒までの間に高度の低酸素血症に至ったものと推測される。

ナースステーションにいた副看護師長のP7看護師は、午後5時31分20秒頃から30秒頃、X1の心拍数が50台から40台に低下したため、病室を訪れたところ、P5看護師及びP6看護師がX1に対応していたため、そのままナースステーションに戻った。その後P7看護師は午後5時31分35秒から45秒頃、X1の心拍数が30台に低下したため、再度病室を訪れ、両看護師に徐脈である旨を告げた。

X1は、P7看護師が徐脈を告げた当時、チアノーゼであり、座ったままで、名前を呼んでも反応しない状態であった。

P7看護師は、橈骨動脈の触知ができたといい、ショック体位(ベッドを倒して仰臥位で顎を上げ、足元を上げる状態)を取るよう指示し、P5看護師及びP6看護師がベッド操作を行った。P5看護師は、同操作後、血圧測定をしたものの測定できず、橈骨動脈の触知を行ったところ、微弱ながら触知することができた。

午後5時31分55秒から8秒間心電図がフラットとなったが、心拍は再開し、32分30秒から15秒間心電図がフラットとなり、その後心拍が再開した。

P7看護師の指示で別の看護師がドクターコールをしたところ、午後5時35分頃、ナースステーションに居合わせたアレルギー・膠原病内科医のP2医師が病室を訪問した。この時点でP7看護師が用意したバッグバルブマスクを含む救急カートは病室のベッド上に広げられた状態であった。P2医師は、心電図ポータブルモニターの用意を指示し、X1の頸部動脈による脈拍触知を行ったところ、微弱ながら脈が触れた。X1が呼吸停止状態であったため、P2医師は、同じ頃、空気(約21%酸素)によるバッグバルブマスクによる換気を開始した。

午後5時36分30秒頃、P3医師、P4医師、P8医師らが病室に来て、P3医師が橈骨動脈と頸動脈を同時に触知したが脈触知ができなかった。そのためP3医師が午後5時37分に心臓マッサージを開始し、P4医師が午後5時38分にボスミン(アドレナリン)の静脈注射をしたところ、午後5時39分に脈拍が再開し、午後5時40分に血圧の測定が可能となり110/89と測定された。

X1は、その後、ICUにおいて脳低体温療法を受けたものの、遷延性意識障害に陥り、9月6日に低酸素脳症との診断を受け、平成25年2月14日をもって症状が固定したとの診断を受けた。

そこで、X1と両親は、上記後遺症が生じたのは、Y病院の看護師らに吸引を行う際の監視義務違反があり、またY病院の医師ら及び看護師らに急変後の救急措置義務違反及び気管切開術に関する説明義務違反があったためであるなどと主張して、Yに対し、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償請求をした。

(損害賠償請求)

請求額:
患者と両親合計3億2622万2938円
(内訳:治療関係費3143万9396円+入院付添費5840万3978円+入院雑費1351万5341円+交通費1709万0356円+支払い済み教育費70万円+逸失利益1億3127万1405円+入院慰謝料244万7333円+後遺症慰謝料3500万円+その他費用95万9914円+弁護士費用2968万2772円-損益相殺28万7557円+両親固有の慰謝料両親合計600万円)

(裁判所の認容額)

認容額:
患者と両親合計1億5362万6810円
(内訳:治療関係費1250万0852円+入院付添費56万7000円+入院雑費1351万5341円+交通費44万5601円+支払済み教育費0円+逸失利益7870万4189円+入院慰謝料244万円+後遺症慰謝料2800万円+その他損害14万1384円-損益相殺28万7557円+弁護士費用1360万円+両親固有の慰謝料両親合計400万円)

(裁判所の判断)

1 看護師らが気管吸引時にアセスメントを実施し、監視することを怠った過失の有無

この点について、裁判所は、X1は、8月10日に本件手術を受け、その際に気管切開を受けカニューレが挿入されたこと、同月14日午後2時頃、細いカニューレに交換され、吸引により多量の粘稠痰がみられ、酸素投与が行われていたこと、本件事故直前の午後5時20分ころ、P5看護師の吸引により中等量の粘稠痰がみられたこと、同吸痰後も肺雑音や痰が絡んだような咳がみられたことからすると、8月14日午後5時26分ころ、X1は痰により気道が狭窄又は閉塞する危険があったため、気管吸引を実施する必要があったと判示しました。

そして、気管吸引は気道の開放性を維持・改善することを目的とし、吸引を実施しなければ分泌物によって気道が狭窄ないし閉塞し、これが続くと低酸素血症を発症すること、吸引を実施した場合にも気道内の酸素濃度の減少、気道狭窄等による換気不良等により低酸素血症の合併症のリスクがあることから、日本呼吸療法医学会が平成19年に作成した「気管吸引のガイドライン」(以下「本件ガイドライン」という)において、吸引の必要があるか判断し、低酸素血症か、吸引刺激により病態悪化の可能性があるかを確認の上、1回の吸引操作を10秒以内で挿入開始から終了まで20秒以内で実施し、吸引の実施中及び実施後に、視診(顔貌、皮膚の色、表情)、触診(胸郭の動き)、聴診(肺雑音の有無)を行い、脈拍、血圧、疼痛や呼吸苦の有無等を確認するとのアセスメントを実施すべきとしていると判示しました。

そうすると、上記X1の状態を前提とすると、上記本件ガイドラインにおけるアセスメントの趣旨及び内容に従うべきであったから、Y病院の医療従事者は、気管吸引を実施しない状態であっても実施した状態であっても、患者が低酸素血症から低酸素脳症に至るリスクが相応にあることを考慮し、気道閉塞の有無を確認し、あるいは気道閉塞に至らないようにアセスメントをすべき義務があるというべきであり、P5看護師及びP6看護師は、X1に対して再吸引を実施しようとしてこれを実施した8月14日午後5時26分0秒頃から午後5時31分45秒頃までの間、X1に対して上記アセスメントを実施すべき義務を負っていたというべきであると判断しました。

そして、P5看護師及びP6看護師は、再吸引を実施するにあたり、1回目の吸引に協力的であったX1が、激しく抵抗しており、かつ、酸素飽和度計が外れていてSPO2を知り得ず、呼吸困難と吸引への抵抗との区別がより困難になっている状況において、同人の顔貌を観察する、呼吸苦の有無を尋ねて観察するといったアセスメントを実施せず、また、アセスメントが十分にできないことを踏まえ、異常な事態であると判断して吸引を中止することも、応援を要請することもしなかったと指摘し、したがってP5看護師及びP6看護師は上記義務に違反したと認められると判断しました。

2 看護師らの過失と患者に生じた結果(遷延性意識障害と低酸素脳症)との因果関係

まず、裁判所は、X1は、午後5時26分0秒頃から30秒頃の間に気道閉塞を起こし、午後5時26分30秒頃から激しい体動を生じ、午後5時26分55秒から27分40秒までより激しい体動が継続したところ、この時間帯はP5看護師がカテーテルを持って近づき、これに対してX1が抵抗し、P6看護師がX1の両腕を押さえていた場面であると判示しました。

P5看護師及びP6看護師が、上記の時間帯にX1に呼吸困難等の異常が生じている可能性を予見し、吸引を直ちに中止して、顔貌や呼吸苦の確認等のアセスメントを実施する、あるいは、アセスメントが不可能であれば応援を要請するなどの行動をとっていれば、Y病院の医療水準及び医療環境を踏まえると、X1が気道閉塞を起こしていたことに気付き、あるいは気道閉塞の可能性も念頭に置いた救命処置が可能であったものと認められると指摘しました。

そして、X1は、午後5時27分40秒頃から抵抗が徐々に弱まっていき午後5時28分45秒頃までに意識消失(これは、低酸素脳症の急性期症状である)に至ったことからすれば、Y病院の医療従事者が、これよりも早い時点で処置に当たっていれば、X1が低酸素脳症に至ることはなく、X1に不可逆的な脳障害が生じることはなかった高度の蓋然性が認められると判断し、過失と結果との間の因果関係を認めました。

以上より、裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲でX1らの請求を認め、その後判決は確定しました。

カテゴリ: 2020年3月10日
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