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No.397 「頚髄髄内出血患者が転送後の病院で血腫摘出手術を受けたが、四肢麻痺の後遺障害が残る。医師に転送義務を怠った過失を認めた地裁判決」

山口地方裁判所岩国支部平成15年3月31日判決 判例タイムズ1157号242頁

(争点)

転送義務を怠った過失の有無

(事案)

X(平成6年10月当時29歳の男性)は、平成6年8月上旬ころから、頚の後部の痛みや右手の親指と人差し指の指先の部分にしびれ感を覚えるようになり、そのしびれ感が増進するのを自覚するようになった。

同年9月13日、Xは、Iクリニック(神経科・内科)を受診し、Y社団法人の開設する病院(以下「Y病院」という)を紹介された。同日、Xは、Y病院の整形外科を外来受診してO医師の診察を受けた。O医師は、頚部のレントゲン撮影、神経学的な諸検査を実施し、その結果、右上腕二頭筋、右上腕三頭筋反射と筋力の低下、第5、6頚椎の領域である右上肢の肩から親指にかけて10分の5程度の知覚鈍麻があるのを認めた。また、スパークリングテストを実施し、右上肢が陽性(母示指に放散痛)、左上肢は陰性であることを確認した。同テストは、首を後方にやや傾けて圧迫を加え、手に放散痛が発生するかどうかを確認する誘発テストであり、その放散痛は神経が圧迫を受けていること等の診断根拠となる所見である。

O医師は、上記諸検査の結果、特にスパークリングテストが陽性であったことから、神経根に傷害が発生しているものと判断し、頚椎症性神経根症(第5、6頸椎)と診断し、鎮痛剤ボルタレン座薬、筋弛緩剤ミオナールを各1週間分と、湿布剤アドフィード3袋を処方した。

Xは、同月16日MRI造影検査を受け、同月17日、O医師による診察を受けた。O医師は、上記検査の結果により、頚椎第3、第4椎間板レベルの脊髄内右寄りに髄内出血と思われる領域(T1high、T2内部low周囲high)があると診断し、その出血は海綿状血管腫等何らかの血管腫からのものではないかと考えた。

同日、O医師は、脊髄の外にも出血が及んでいるかどうかを確認するため、腰椎穿刺し、脊髄を覆っている脳脊髄液を採取したが、脳脊髄液は肉眼的には水様透明であって出血を認めず、検査結果からも、脳脊髄液に異常を認めなかった。また、血が止まりにくくなる基礎疾患の有無を確認するため、血液検査を実施したが、この点の異常はなかった。さらに、反射テストや徒手筋力テストを実施した。Xは、自覚症状として、左上腕や前腕に軽度なしびれ感があると訴えた。

O医師は、同日、内服の止血剤アドナを投与し、頚部にポリネックを装着させた。

Xは、同月19日ころから、胸や背中にもしびれ感が出現し、左上肢から体幹の知覚障害も伴うようになったので、同月21日、Y病院でC医師による外来受診を受けた。C医師は、左上肢に広範囲にわたる知覚障害の増悪(触覚の鈍麻、痛覚の脱失)を認め、同日、Xを入院させ、安静を指示するとともに、ステロイド止血剤の点滴投与を開始した。なお、この当時下肢の知覚鈍麻等はなかった。この日、MRI検査が行われた。その結果は、同月16日の結果とほぼ同じ所見であったが、T2で髄内の浮腫と思われる辺縁の高い領域がやや上方(C2―C3)へ広がっていた。

同月23日、Aは、後頭部から両肩にかけて、ずっしりと重いような痛みがあること、ヒリヒリ冷たい感じのしびれがあることを訴えた。そこで、鎮痛剤であるボルタレンの処方を受け、同月24日には、前日のような首の重たい感じは消失したが、左半身のしびれ、知覚鈍麻は、軽度持続していた。

O医師は、頚髄の中の出血であって一般的な病院で手術できるようなものでないため、××大学病院整形外科のB教授に診断してもらおうと考え、同月25日、同教授への紹介状を書いてXに渡した。

Xは、同月26日、××大学病院に赴いたところ、B教授が出張であったことからA医師の診察を受けた。A医師は、髄内出血を伴う頚髄髄内腫瘍と診断し、「症状とMRIの経過より、9月19日に髄内出血によって症状の増強を来したものだと思う。症状はしびれ感(片側)が主体で、ロング・トラクト・サイン(索路症状)に乏しく、現状では手術適応に躊躇する。MRIによる経時的観察と安静保持が肝要と思う。」旨の意見書をO医師に送った。当時、A医師は入退院を管理する立場の病棟医長であった。

Xは、10月1日ころからは、右手は箸が使えるようになり、左上腕のしびれは減少した。他方、左大腿部の部分に摘んだときの違和感やしびれ感が出現した。

10月4日、しびれの増強、頚部痛はなかった。Xは、左大腿部がしびれてきてこれ以上広がらないか心配していた。一方、O医師は、Xが軽度のうつ病の既往もあることから、精神的にダメージを与えない配慮が必要であると考えた。

同月6日ころからは、足のしびれの範囲が広がり、左大腿部だけでなく、左膝下(前面)から左足先にかけて、しびれや知覚鈍麻が見られるようになった。同日の握力は、右が43㎏、左が40㎏であった。

同月8日には、左足の裏までしびれが広がったが、右手のしびれは指先だけになった。その後はしばらく、しびれや感覚鈍麻の範囲の拡大はなかった。同日の握力は、右が44㎏、左が42.5㎏であった。

同月9日ないし11日は、それまでとほぼ同様の症状であった。

同月12日、Xは、C医師に、右肩挙上困難を訴えた。右の三角筋の徒手筋力テストにおいて、右肩を前方、側方に挙上する筋力が、それまで正常だったものが、このときは低下していた。なお、左肩の三角筋の筋力は正常であった。

また、同日朝には首の痛みはなかったが、同日夜には、頚後部の鈍重感、右の腕から肩にかけての重圧感を看護師に訴えた。同日の握力は、右が37kg、左は43kgであった。

同月13日、左右の上肢の知覚鈍麻や頚部痛(圧迫感)が見られ、また、それまでと同様、前胸部から下肢末梢までのしびれ感も見られた。同日の握力は、右が36.5㎏、左が46㎏であった。

同月14日、右の肩から上肢にかけて、従前からのしびれ感に加え、重圧感を訴えるようになり、また、首から両肩にかけて筋がつっぱるとか、首の骨が圧迫されるような感じを訴えた。左半身のうち胸部から足先にかけての範囲に、重い感じとしびれ感が見られた。同日の握力は右が34㎏、左は46㎏であった。

同日、MRI検査がなされた。Y病院放射線科の医師は「矢状断像を見ると、上下方向のsizeは著変ありませんが、冠状断像で、左右方向へわずかに増大していることが示唆されます。印象:やや増大」と報告した。

同月15日は、前日同様、頚部から肩のつっぱり感や右上肢の脱力感があり、また、しびれの増強はないが、右肩の拳上に負担を覚えた。同日の握力は右が36kg、左は44kgであった。

O医師は、同月14日夕方か翌15日に、放射線科医師の上記報告及びMRI画像を見て、「断層像の位置から若干ずれただけでも、大きさとしては若干差が生じるから、出血巣の増大というのはアーチファクト(誤差)の可能性もあるが、Xの神経症状が少し悪化しているので、血腫が大きくなっている可能性は高い。」と考えた。しかし、同日Xに説明した際には、精神的ダメージを与えることを避けようと考えて、前回とはあまり変化はないが、改善傾向にもない旨説明した。

Xは、同月16日には、疼痛が全身に覚えるようになった。また、右手に冷感を感じるようになり、右腕が重くなって箸を持つのもつらくなった。同日の握力は右が26kgに低下し、左は42kgであった。

同月17日には、両手にやや冷感を感じるようになった。また、左半身(上肢全体、腹部、下肢全体)に痛覚鈍麻等がみられるようになった。同日の医師による徒手筋力テストでは、右の三角筋、上腕二頭筋、橈側手根伸筋等で、9月13日の結果よりも筋力の低下が認められた。同日の握力は、右が26kg、左は45kgであった。

O医師は、MRI所見上、出血が広がっている可能性があることや、筋力が低下してきていることから、手術が必要であると判断し、同日、Xらに××大学病院での手術を勧め、同日ころ、電話でA医師に転院や手術の検討を依頼した。

同月18日には、右上肢の脱力感を自覚し、しびれ感も左下肢に拡大した。同日の握力は右が22.5kg、左は43kgであった。

同月19日も右腕の脱力感を訴え、右上腕から右指先まで冷感があった。しびれや疼痛は持続するも、増強は見られなかった。同日の握力は右が17kg、左は45kgであった。

同月20日、右の頚部から肩にかけて疼痛が持続し、右の前胸部から上肢にかけてしびれ感があり、右の上腕から手指にかけてと左手指に冷感があった。右三角筋と右上腕二頭筋の筋力低下が進んだ。右手に力が入らないため、左手でごはんを食べた。同日の握力は、右手が13㎏、左手が41㎏であった。

そこで、担当医は、要安静のため10月23日に外出予定であったのを禁止し、鎮痛剤を、それまでのロキソニンから、セデスGとソセゴン1アンプルに変更した。

同月20日、O医師は、神経症状が増悪、進行していることから、なるべく早く××大学病院に転院させようと考え、同日U市で開催の中部整形外科学会において、A医師に患者の症状悪化を伝え、早期転院を依頼し、A医師から、「今はベッドが満床であるが、早急にベッドの用意をする。めどが立ち次第連絡する。」との回答を得た。

同月21日、左の大腿から足背にかけて重たい感じがあり、さらに右下肢を挙げるとふらつき、自分でわからない方向に倒れるようになった。左半身にしびれが生じた。後頭部痛もあった、歩行時は左足が趾行ぎみとなった。右手指の把握困難があり、右手関節から末梢にかけてしびれ感があった。同日夜には、1人でジャンパーの着脱が困難となった。同日の握力は、右が3kgに低下し、左は40kgであった。

同日、O医師は、X及びその家族に、脊髄内の手術であるから術後麻痺が増悪する可能性もあるが、現時点で麻痺が増悪傾向にあるため、できるだけ早期の手術が必要であると説明し、××大学病院にできるだけ早く転院出来るよう依頼したことを告げた。

同日、C医師が前記学会に出席し、A医師に再度依頼し、10月24日ころ転院可能との返事を得た。

同月22日には、右半身に力が入らず、全体に知覚が鈍く、右手指の動きが緩慢となった。同日夜には、左手も、特に物を掴もうとするときにふるえが起きるなど、動かしづらくなってきた。同日の握力は右が0kgとなり、左は40kgであった。

同日午後2時ころからは歩行が困難となった。

同月23日、午前7時ころから四肢麻痺が出現し、午前9時には第5頚椎より下は運動はほぼ完全麻痺、尿閉となった。O医師がA医師に電話連絡し、至急転院を依頼したが、「移送する間が危険なので出血が治まるまで待機するように」との返事であった。

同日午前10時30分ころから、MRI検査が実施された。MRI報告書には、「出血巣とは別に、T2WIでC2レベル以下の脊髄内がびまん性に高信号となっています。印象:S/C頚髄のびまん性浮腫」等の記載があり、MRI所見においてT2で浮腫の著明な進展が見られた。午後3時ころには呼吸困難が出現したため、ICUに転送され、挿管された。

同日、Xは、医師から、転院や手術を予定していた××大学病院は出血がおさまらないと手術しない方針であると伝えられ、国立○○病院脳神経外科又はH大学への転院を希望した。そこで、担当医は、国立○○病院脳外科に相談し、同病院から転院、血腫除去術を考慮するとの回答を得た。

同日午後8時ころ、Xは、救急車で国立○○病院に転送され入院した。

同月24日、Xは、国立〇〇病院脳神経外科において、血腫を全摘出する手術を受けた。術後も四肢麻痺の状態は続いたが感覚(触覚)は体幹、四肢とも徐々に出現した。自発呼吸は乏しく、ずっと呼吸器をつけていたが、平成7年3月前後ころから換気量が増えていった。

その後、Xは、平成7年3月28日、リハビリのため転院し、同年5月10日、頸髄損傷による両上肢機能全廃(一級)、頚髄損傷による体幹座位不能(一級)、呼吸機能障害(一級)により、身体障害者福祉法別表一級に該当するとして、身体障害者手帳の交付を受けた。

Xは、その後も転院し、平成9年4月20日からは、訪問診療を受けながら自宅で療養している。平成15年1月20日当時の症状は、四肢麻痺のため自発的体位交換不可能、介助による経口は可能、意識清明、胸部圧迫による喀痰排出目的の肺の急速換気と気管切開カニューレから定期的痰吸引が必要、会話は気管カニューレに一方向バルブを装着し、喉頭に空気を流して可能、起床時は人工呼吸器は不要で、睡眠時にのみ人工呼吸器を装着などというものである。全身状態は平成9年4月ころと特に変化はない。

そこで、Xらは、Y病院の医師の診察上の過失により四肢麻痺の後遺障害が残ったとして、Y社団法人に対し、民法415条又は同法715条に基づき損害賠償を求めた事案である。

(損害賠償請求)

請求額:
3億6500万円
(内訳:逸失利益7800万円+慰謝料5000万円+介護費用1億8440万円+医療費3353万円+自宅改造費、医療器具、装具など1830万円+リハビリ、入院費用205万円の合計3億6628万円のうち3億3300万円+弁護士費用3200万円。請求の趣旨合計とは不一致)

(裁判所の認容額)

認容額:
1億3739万0623円
(内訳:逸失利益5436万5227円+入院慰謝料100万円+後遺症慰謝料1000万円+妻及び実父の慰謝料両名計450万円+入院付添費226万2000円+将来の介護費用4945万5310円+医療費236万0725円+自宅改造費、医療器具、装具など758万1361円+リハビリ、入院費用41万6000円+弁護士費用545万円)

(裁判所の判断)

転送義務を怠った過失の有無

まず、裁判所は、Xの病名について、10月24日施行の血種摘出手術の肉眼所見、摘出標本の病理組織診断、MRI所見や症状の推移を総合考慮すると、Xの疾患は海綿状血管腫の一種であったと認定しました。

次に、裁判所は、頚髄髄内出血に対する一般的な治療処置について、特に、出血が繰り返し起きる場合は血腫の摘出手術適応が認められ、出血の原因疾患が出血を繰り返し起こすものあるいはその可能性のあるもの(海綿状血管腫はこれにあたる。)である場合は、症状が重篤でなくても、再出血による症状の進行を防ぐため、適切な時期に血腫及び原疾患を除去する必要があると判示しました。

その上で、Xの症状の推移についてみると、Y病院に入院した9月21日は左上肢の触覚の鈍麻、痛覚の脱失、同月23日は頚の後部から両肩にかけての鈍痛、しびれ感があり、鎮痛剤を服用した後同月24日は頚部の鈍痛は消失したものの左半身のしびれや知覚鈍麻は継続し、10月1日には右第1、2指のしびれ感や知覚鈍麻、左上腕のしびれ感はいずれも軽減したものの、左大腿部に摘んだときの違和感やしびれ感が出現し、同月6日には左の膝下(前面)から足先にかけてしびれ感や知覚鈍麻が拡大し、同月6日には左足の裏までしびれ感を覚え、その後顕著な増悪症状はないまま経過したが、同月12日に至り、右肩の挙上困難、右の肩から腕にかけての重圧感、後頚部の重苦感、右手の握力低下(44㎏から37kgに低下)が出現し、同月14日には右の肩から上肢にかけてしびれ感に加えて重圧感を訴え、首から両肩にかけての筋のつっぱり感や首の骨の圧迫感を訴えるようになったのであり、神経症状の増悪傾向が顕著であったといえると判示しました。このような症状の悪化に加えて、同日(14日)実施のMRI検査の結果を確認出来た時点で、再出血しており、海綿状血管腫であると確定診断することが可能であったし、そのような診断をすべきであったことを併せ考慮すると、同日の時点において、O医師は、Xの症状が血腫の摘出手術の手術適応に至ったものと診断し、Y病院は人的にも物的にも同手術を行える態勢を備えていなかったから、転送に必要な期間を考慮しても、遅くとも10月18日には同手術が可能な病院に転送すべき義務があったと判断しました。

ところが、O医師は、10月17日ころには、Xやその家族に××病院での手術を勧め、またA医師にも電話して転院や手術の検討を依頼したものの、その承諾が得られないまま時を過ごし、国立○○病院などの髄内血腫の摘出手術が可能な他の病院への転送に着手しなかったのであって、この点で、上記義務に違反した過失があるといえるとしました。

裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲でXらの請求を認め、その後判決は確定しました。

カテゴリ: 2019年12月10日
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