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No.396 「蝶形洞のう胞に罹患した患者が脳神経外科を受診したが、2か月後に左眼失明。総合病院の脳神経外科医師が患者を耳鼻咽喉科に紹介し、診察資料を提供して適切な診療を依頼すべき義務を怠ったとして病院側に損害賠償を命じた地裁判決」

浦和地方裁判所平成4年3月2日判決 判例タイムズ781号196頁

(争点)

  1. Y病院の過失の有無
  2. 損害額

(事案)

X(昭和21年生まれの男性。鍼灸・マッサージ・指圧の業務に従事。鍼灸院を開設。)は16歳のころ、副鼻腔炎を患い、病院に入院して手術を受けたことがあるが、ほかにはこれというほどの病歴はなく、比較的健康には恵まれた生活を営んできた。

しかし、昭和60年3月末ころから、Xは、身体に変調のきざしを感じていたところ、同年4月2日の夜、突然、顔面、頭部を激しい痛みに襲われた。激痛は間断なく続き、翌3日朝になっても治まらなかったので、その日から同月4日の朝にかけて、3回にわたって自宅近くの開業医の診療を受け、注射や投薬をしてもらったが、効果はなく、その開業医の紹介で翌4日の午前、妻に付き添われて、Y医療法人の経営する病院(以下「Y病院」という。)の脳神経外科を訪れ、診療の申込みをした。

Y病院脳神経外科のT医師は、Xを診察、問診した。Xは、前頭部から眼窩上部、両側側頭部が痛むこと、頭部に重苦しさが感じられること、吐気があることなどを訴え、既往歴としては、16歳のころに蓄膿症(副鼻腔炎)の手術を受けたことがあること、5年前に腎盂炎を患ったことがあることを告げた。

T医師は、この問診の結果を踏まえて、Xについて脳神経系統の疾患がないかどうかという観点から、眼底検査、手足の麻痺の有無の検査、どこかに炎症を思わせるものがあるかどうかの検査を診察によって行い、頭部のレントゲン写真撮影を実施した。これらの検査の結果、脳神経系統の疾患は認められなかったが、レントゲン写真の映像中には、前頭葉、その下に位置する篩骨洞、その奥の蝶形洞にかけての副鼻腔に混濁があることが認められた。このことから、T医師は、副鼻腔炎が生じているのではないかと疑い、Xの頭痛等はこの炎症によって引き起こされているのであろうと判断した。しかし、T医師は、Xを前にして、レントゲン写真を見ながら軽い副鼻腔炎であるようなことをつぶやくように言っただけで、あとの検査や治療のことについては具体的な指示、説明は何もしなかった。ただ、CTスキャンによる頭部の精密検査はその日に行えなかったので、同月8日に実施することを予約し、ほかには「ニフラン」と称する消炎鎮痛剤が支給され、Xはこれを受けて帰宅した。

しかし、Xの頭痛等はその後も変わりなく続き、支給された薬剤を服用しても何の効目もなかったので、Xは、不安に思い、頭痛等の原因をいろいろな角度から調べてもらおうと考え、翌5日、Y病院の耳鼻咽喉科を訪れ、診察の申込みをした。この日は外来の患者が多く、担当のU医師は、たいへん忙しそうであり、Xに対する問診もそこそこに、Xの症状をアレルギー性鼻炎、急性副鼻腔炎によるものと診断し、「たいしたことはない。そのうちに楽になる。」と言って、ネプライザーによる鼻処理をし、アレルギー性鼻炎を抑えるための薬剤を支給しただけで、その後の治療については、何の指示、説明もしなかった。そのあと、Xは眼科へ赴き、受診した。同科では細隙灯顕微検査、生体染色細隙灯検査、精密眼圧測定、屈折検査等の諸検査が行われ、その結果に基づいて、担当の医師は、Xの症状を眼精疲労によるものと診断した。そして、薬剤が支給されたが、Xに対しては診断の内容について詳しい説明はなく、その後の治療についても具体的な指示はなかった。

同月6日になっても、頭痛等は依然として続いており、前日の耳鼻咽喉科と眼科での診察にも納得がいかなかったので、Xは、その日脳神経外科を訪れ、担当のO医師の診察を受けた。その際、Xは、それまでの受診の経過、とくに支給された薬剤を服用しても効果がないことを説明し、同行した妻からは、早く原因を解明して欲しい旨を懇請したが、O医師からは、明確な指示や説明はなく、薬剤の支給を受けるに止まった。

同月8日、Xは、先に予約してあった頭部のCTスキャンによる精密検査を受け、同月10日、脳神経外科でT医師の診察を受けた。T医師は、CTスキャンによる検査結果については頭部には疾患は認められないと言うのみで、他に具体的な指示や説明はなく、あとは薬剤が支給されたのみであった。Xは、この診察にも納得がいかず、頭痛等は依然として続いていたが、他に手立ても見当たらないので、耐えていたところ、同月12日ころから痛みが少しずつやわらいでいく気配が見えはじめた。その後、Xは、同年5月4日と同月11日の2回、Y病院の眼科で受診したが、いずれの時点でも担当の医師からは具体的な指示や説明はなく、一方、痛みの方は鈍くなり、さらに少しずつやわらいでいくように感じられた。そのためXは、結局、頭痛等の症状はさほど重大な疾患によるものではなく、次第に軽快していくものと考え、その後は、一度だけ自宅近くの開業医のもとを訪れ、鼻の掃除をしてもらった以外、医師の診察を受けることなく過ごしていた。

ところが、同年6月9日の夕刻、Xの左眼の視力が薄くなり、見えにくくなった。これに驚いたXは翌10日、Y病院に急行し、脳神経外科で診察を受けた。そのあと、眼科、耳鼻咽喉科に回されて診察を受け、その間にレントゲン写真の撮影やCTスキャンによる精密検査が行われ、右三科の担当医師の協議の結果、Xには目と脳を結ぶ神経に重大な疾患があり、直ちに手術を要するとの診断が下され、Xは、Y病院の紹介で、その日のうちにT病院に転医した。

T病院での診察の結果、Xの疾患は蝶形洞のう胞であり、蝶形洞に膿がたまり、これが三叉神経や視神経を圧迫しており、これを放置しておくと、脳炎や髄膜炎を引き起こす危険があるとのことであった。そこで、Xは、直ちに同病院に入院し、翌11日、蝶形洞にたまった膿を取り除く手術を受けた。しかし、Xの左眼の視力は回復せず、以後、Xは左眼失明の障害を負うこととなった。

なお、蝶形洞のう胞とは、副鼻腔の一部である蝶形洞に膿がたまり、これが三叉神経を圧迫して頭痛、眼痛を引き起こし、視神経を圧迫して眼痛、視力低下、視野異常等の眼症状を発生させるという疾患である。副鼻腔炎手術の既往歴を有する者について、術後10年以上を経過した時点で、その発症(術後性副鼻腔のう胞)が多く見られる。治療方法は、手術によって蝶形洞にたまった膿を取り除くほかはない。症状発現から手術までの期間の短いものは回復が早く、症状初発から2ヶ月以内に手術が行われたものについては視力、視野ともすべて正常に復したが、4ヶ月以上経過してから手術が行われたものについては完全には回復しなかったとの報告例がある。

そこで、Xが、昭和60年4月4日から同月10日にかけて、Xの診察に当たったY病院の医師らが、当時、既にXについて蝶形洞のう胞の症状が現れており、諸検査の結果からその診断が容易であるのに診断を引き延ばし、適切な措置をとらなかったため早期手術の時期を失わせてしまった等と主張して損害賠償請求訴訟を提起した。

(損害賠償請求)

請求額:
5834万0842円
(内訳:治療費11万円+後遺障害(左眼失明)による逸失利益4293万0842円+慰謝料1000万円+弁護士費用530万円)

(裁判所の認容額)

認容額:
1800万円
(内訳:慰謝料1600万円+弁護士用費用200万円)

(裁判所の判断)

1 Y病院の過失の有無

この点について、裁判所は、T医師は、昭和60年4月4日にXを診察した時点で、Xの頭部レントゲン写真の映像中、前頭葉、その下に位置する篩骨洞、その奥の蝶形洞にかけての副鼻腔に混濁があることを認め、このことからXに副鼻腔炎が生じている疑いを抱き、頭痛等がこれによって引き起こされているのであろうと判断した。この判断は、後にT病院においてXの疾患について蝶形洞のう胞であるとする確定診断がされたことからすると、誤ったものであったか、そうとはいえないにしても正確ではなかったわけであり、上記診察の時点でXに生じていた頭痛等の症状、副鼻腔炎の既往歴、並びに術後性副鼻腔のう胞の一般的な症状からすれば、上記時点でもXの疾患について術後性副鼻腔のう胞の疑いがあることの診断を下すことは医学的に可能なことであったとみることができるとしました。

しかしながら、T医師は脳神経外科の専門医であり、副鼻腔のう胞は耳鼻科系統の疾患であって、脳神経外科系統の治療領域に属する疾患ではないことからすると、上記時点で正確な診断をしなかったことについてT医師に過失があるということはできないと判示しました。とはいえ、T医師は、上記時点で、Xについて耳鼻科系統の治療領域に属する疾患があることの疑いを抱いたのであり、そうだとすれば、T医師としては、さらにこの点について確定診断を導くための検査等を実施すべき債務までは負わないにしても、Xが速やかに耳鼻科系統の専門医の診断、治療を受けることができるよう適切な措置をとるべきことは医師としての職業倫理に由来する当然の責務であるといっても過言ではないと判示しました。そして、この場合にとるべき措置としては、本件においては、Y病院は総合病院として耳鼻咽喉科を設けているのであるから、T医師としては、Xを同科に紹介し、レントゲン写真をはじめとする脳神経外科における診察の資料を提供して適切な診療を依頼することであり、T医師の証言によっても、T医師がそうすることを困難にする事情があったとは認められないとしました。ところが、実際にはT医師は右のような措置を全くとらなかったことは前記認定のとおりであり、その後にXの診察を担当した脳神経外科の医師、耳鼻咽喉科の医師及び眼科の医師らもXの頭部レントゲン写真の映像やXについて生じている症状に強い関心を示すことがなかったため、Xは、昭和60年6月9日に重大な症状が発現するまで同年4月4日の時点で既に発症していた蝶形洞のう胞について適切な治療を受ける機会を逸してしまったことは前記認定のとおりであるとしました。そうすると、T医師をはじめY病院の医師らによってしたXに対する診療行為は以上説示の点において不完全であったというほかはなく、術後性副鼻腔(蝶形洞)のう胞に関する前認定の事実によれば、T医師が昭和60年4月4日の時点で前述のような措置をとっていたとすれば、早期の手術によってXは左眼失明を逃れることも可能であったということができるとしました。裁判所は、したがって、Y医療法人はXに対し、診療契約上の債務の不完全履行により、Xが左眼失明のために被った損害を賠償すべきであると判示しました。

2 損害額

裁判所は、後遺障害による逸失利益について、Xが手術後左眼失明の後遺症を負うに至ったことは前記認定のとおりであり、これによりXがその労働能力の一部を喪失したことは明らかであると判示しました。しかしながら、証拠によれば、Xが「Z鍼灸院」の名称で営む鍼灸・マッサージ・指圧業における収入は、Xが左眼失明の後遺障害を負う前と後でほとんど差異はないこと、ただし、Xは、上記後遺障害を負った後においては、その一日の労働時間をそれ以前よりも長くし、休日も少なくして稼働していること、また、左眼の視力を失ったため鍼灸の業務では焦点が定めにくいなどの不自由があり支障を生じているが、忍耐によってこれを乗り越えていることが認められるとしました。

これによれば、Xについては、上記後遺症による逸失利益は生じておらず、この状態は将来にわたって変わりはないものと推認されるとしました。しかし、一方、Xは、上記収入を維持するために、後遺障害を負う以前に比して、多くの精神的、肉体的苦労に耐えているわけであるから、このことは慰謝料額を算定するうえで重要な資料として斟酌するのが相当であるとしました。裁判所は、したがって、Xの請求中、逸失利益に関する部分は理由がないとしました。

裁判所は、慰謝料について、Y病院におけるXに対する診療経過、Xが負った後遺障害の部位・程度及びこれがXの生活に及ぼしている影響など、諸般の事情に照らすと、XがY医療法人の上記債務不履行により被った精神的苦痛に対する慰謝料は1600万円とするのが相当であるとしました。

以上より、裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲でXの請求を認め、その後判決は確定しました。

カテゴリ: 2019年12月10日
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