東京地方裁判所平成13年3月28日判決 判例タイムズ1168号141頁
(争点)
- 予防接種と被接種者の症状との間に因果関係があるか否か
- 接種担当医の過失があるか否か
(事案)
X1(昭和58年3月24日生まれの女児・体重3312g、身長48㎝の正常分娩で出生)は、出生後5日目に黄疸のため光線療法を受けたが、特段の異常はなく、生後約2週間後に行われた先天性代謝異常検査等においても異常は認められず、その後も、風邪や水痘にかかった以外には、健康診断において発育に異常が認められることもなく順調に生育し、昭和62年4月の幼稚園入学後も、ほとんど幼稚園を休んだことはなかった。
X1は、予防接種として、昭和58年11月と昭和59年4月にポリオ(2回)、昭和59年7月にツベルクリン反応及びBCG(各1回)、昭和60年10月にはしか(1回)、昭和60年11月から昭和61年1月にかけて3種混合ワクチン第1期(3回)、昭和61年5月から昭和62年5月にかけて日本脳炎(3回)の各接種を受けたが、いずれの接種によっても健康状態に異常をきたすことはなかった。
また、X1は、昭和63年2月1日以前に引きつけを起こしたことは1度もなく、父母(X2およびX3)および兄、弟その他親族のいずれの者も引きつけを起こしたことがない。
昭和63年1月22日に、X1は、H村長が国の機関委任事務として実施した百日せき・ジフテリア・破傷風の3種混合ワクチン(以下、「3種混合ワクチン」という。)の予防接種(以下、「本件接種」という。)を受けた。
本件接種当日の1月22日(時期はすべて昭和63年である)から1月24日までの間、X1に変わった様子はなかった。
1月25日、X1は、接種部位がプツプツと紫色に膨張し、痒がるようになった。
1月26日、日中は幼稚園に登園したものの、普段と異なり元気がなく、帰宅後はこたつでゴロゴロしている状態であり、同日夜には、38度5分と発熱しており、午後9時ころになっても、38度5分以上あったため、母親であるX3はX1に解熱用の座薬を処方した。
1月27日、X1は、朝には熱が下がっていたが、元気がなく、幼稚園を休み、昼間に友人宅に遊びに出掛けたものの食欲もなく眠ってしまう状態であり、同日午後3時30分ころ、X1を迎えに行ったX3がX1の熱を測ると38度であった。そのため、X3は、同日夕方、X1をO医院で受診させ、Oに対し、1月22日に本件接種を受けたことを伝えた。Oの診察では、本件接種のせいではないだろうと言い、X1の症状は、せき、咽頭痛はなく、一般状況は良好であるが、体温が38度6分で、接種部位に腫脹があり、聴診では胸部呼吸音に異常は認められず、心音純ではあるが、咽頭粘膜にやや発赤が認められ、Oは、上気道由来の発熱であり、腺窩性扁桃炎と診断した上、X1に対し、抗生物質製剤(セドラールDS)、解熱剤(飲み薬及び座薬)及び浣腸液の処方、投薬をした。
1月28日、X1は、朝、熱は下がっていたが、夜、コーヒーゼリーと缶詰のみかんを食べた際におう吐し、夜中には発熱してO医院から処方を受けた解熱剤の座薬を入れた。
1月29日、X1は、朝、熱は下がっていたが、普段の元気はなかった。X3は、X1が夜になると発熱し、O医院から処方を受けた薬を飲んでも症状の改善がみられないように感じたため、O医院から処方を受けた薬がなくなりかけ、週末にもかかることから、X1を幼稚園を休ませてかかりつけのA市のS医院を受診させた。S医院の診察では、体温が38度5分あり、幾分不機嫌さはあるものの、他の自覚症状はなく、理学所見は咽頭の発赤腫大、苺舌以外には異常所見は認められず、S医院では、この時点においては細菌性の急性扁桃炎と考え、急性扁桃炎との診断をした上、抗生物質製剤(セフロDS)、解熱薬飲み薬等の処方、投薬をした。
1月30日、X1は、午前中は幼稚園に登園したが、いつもの元気がなくゴロゴロしており、この日は特にX1の体温を測っていない。
1月31日、X1は、朝、普段の起床時刻を過ぎても起床せず、レストランでの食事に際しても食欲が全くない様子で、普段はすることのない昼寝をしてウトウトしたりぐずったりした。この日もX1の体温を測っていない。
2月1日、X1は、午前5時ころ、普段はしないのに尿失禁をした後、眼球が上転し、口角が偏位して泡をふき、意識が消失し、チアノーゼを伴うけいれん発作を起こしたので、救急車でB病院に搬送され、同病院に入院した。
X1は、B病院に入院した後も、症状の改善は見られず、発熱が続くとともに、けいれん発作が徐々に強くかつ頻発するようになり、意識障害も現れ、応答も不明瞭となっていった。2月4日ころまでは1日5回ないし6回のけいれん発作を繰り返す状態であったが、その後は間歇期にも軽度の意識障害を残すようになり、発作の頻度も増し、2月10日ころには5分ないし15分おきにけいれんを頻発するようになった。以後、発作頻発と無発作を約3日の周期で繰り返すようになり、2月29日午前2時ころから再び発作が頻発した。
同病院における検査結果は、2月1日実施した検尿、血液検査等では、白血球増多なし、CRP陰性、血沈促進なしとの結果であり、2月2日に実施した腰椎穿刺等の検査では、細胞数は正常(7/3)、髄液圧の上昇はなく(170mmH2O)、髄液総たんぱくは正常の範囲内(12mg/dl)であった。また、2月1日、3日、6日、12日、19日に実施されたCTスキャンによる検査では、脳浮腫等の異常はなく、2月2日、18日の脳波検査では徐波、発作波が見られた。
X1は、同病院を退院する際、同病院において、「1急性脳炎、2てんかんの疑い」と診断された。
X1は、3月1日、より専門的な病院で治療を受けるため、B病院の主治医の紹介により、J医大病院の小児科に転院し、9月5日まで同病院に入院して原因検索と集中的な治療を受けた。
J医大病院において、3月7日に髄液検査を実施したところ、細胞数(2/3)、たんぱく(12mg/dl)はいずれも正常であり、IgG Index(ウイルス性脳炎の有無の検査方法の一つ)は髄液中のIgG、Albともに測定限界以下のため算出できず、正常であった。また2月4日、B病院で採取された血液、3月7日にJ医大病院で採取された髄液、同月11日及び23日に同病院で採取された血液によるELISA法(ウイルス抗体値を測定する検査方法の一つ)では、いずれも、ヘルペス脳炎は陰性であった。その他、CT検査、脳波検査によっても、ヘルペス脳炎を示す所見は得られなかった。これらの検査は、ウイルス感染の診断に必要な当時の医療水準上考え得る十分な検査であった。
X1は、B病院に入院中に引き続き、昭和63年3月から8月までのJ医大病院入院中も、当初は意識もなく最重度のけいれん重積状態で、発熱が続き、けいれん発作が頻発するとともに熱が高くなる傾向にあり、その後約6ヶ月の診療で次第にけいれんの発作の頻度は減少したが、発熱は8月中旬まで続いていた。退院時においても著しい知的退行、聴覚失認、コミュニケーション障害、情動の不安定さ等を残していた。
以上の検査結果及び臨床経過を踏まえ、J医大病院では、X1につき、最終的に3種混合ワクチン接種後に発症したてんかん性脳症で、その具体的症状として、(1)てんかん、(2)知的退行、(3)聴覚失認、(4)行動異常がある旨の診断をした。X1は、9月12日から、T病院でリハビリテーションを目的とする診療を受けるなどし、また、J医大病院において月1回程度、外来での通院治療を続けている。
そこで、H村長の補助者である接種担当医の過失により副作用が発症し、重度の心身障害を負ったとして、X1およびその両親が、国に対し、国家賠償責任又は損失補償責任に基づき、損害賠償または損失補償の支払いを請求した。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 1億6388万8937円
(内訳:逸失利益4587万0071円+介護費用7152万6860円-損益相殺1299万5668円+通院交通費458万8680円+本人の慰謝料3000万円+両親合計慰謝料1000万円+弁護士費用1489万8994円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 8932万0217円
(内訳:逸失利益3169万0697円+介護費用3906万5600円+通院交通費457万9320円+本人の慰謝料1800万円-損益相殺1986万5400円+両親合計慰謝料1000万円+弁護士費用585万円)
(裁判所の判断)
1 予防接種と被接種者の症状との間に因果関係があるか否か
裁判所は、訴訟上の因果関係の判断基準である、事実と結果の間の高度の蓋然性の判断は、基本的には、個々の事例について、症状に関する事実経過と医学的知見とを比較検討し、総合的に判断するのが相当であると判示しました。そして、本件における因果関係の判断に当たっては、現在の医療水準においても予防接種とその副反応との間の科学的な因果関係が解明されていないことから、当事者双方の主張に鑑み、X1の症状が本件接種の副反応として起こり得ることについて医学的合理性があるか、本件接種から時間的に密接した合理的時期にX1の症状が発症しているか、本件接種以外にX1の症状の原因となるものが合理的に考えられるか等の観点から、X1の症状と医学的知見とを比較検討して、上記高度の蓋然性が認められるか否かを総合的に判断するのが相当であると解すべきであると判示しました。
本件では、X1に脳炎又は脳症が発症したことが認められ、また、3種混合ワクチン接種の副反応として脳炎、脳症が起こり得ることについて、時間的な関係を捨象すれば医学的合理性が認められるのであるから、X1の症状が本件接種の副反応として起こり得ることについて医学的合理性があるというのが相当であると判示しました。
次に、副反応の症例の蓄積、調査、機序等の解明度の現状に照らすと、本件接種で使用されたワクチンが、旧ワクチンと比べて副反応が少ないといわれている新ワクチンであることを考慮してもなお、発症時期を48時間以内ないし3日以内に限るべきではなく、本件接種における4日後の副反応発症は、本件接種から時間的に密接した合理的時期に発症しているものというべきであると判示しました。
更に、J医大病院において、医師らがウイルス感染の可能性を疑ったうえで、血液検査、髄液検査、頭部CTスキャン、脳波検査等のウイルス感染の診断に必要な当時の医療水準上考え得る十分な検査を繰り返して行ったが、初回のけいれん発作直後にB病院で行われた検査の結果を含めて、ヘルペス脳炎を初めとするウイルス性脳炎を支持する陽性所見は全く得られなかったのであり、その結果、同病院においては、ウイルス感染の可能性は認められないと診断していること、X1の親族にてんかんの病歴のある者はおらず、遺伝因子の関与は窺われないこと、X1の出生時には特段の異常はなく、出生後も順調に成長し、本件接種以前にはけいれんを起こしたことはなかったことなどによれば、本件接種以外にX1の症状の原因となるものが合理的に考えられないと判示しました。
裁判所は、以上を総合すると、X1の本件における症状は、本件接種との間に因果関係があることが高度の蓋然性をもって認められると判断しました。
2 接種担当医の過失があるか否か
裁判所は、まず、予防接種によって後遺障害が発生した場合には、禁忌者を識別するために必要とされる予診が尽くされたが禁忌者に該当すると認められる事由を発見することができなかったこと、被接種者が個人的素因を有していたこと等の特段の事情が認められない限り、被接種者は禁忌者に該当していたと推定するのが相当である(最高裁平成3年4月19日第二小法廷判決)と判示しました。
さらに、適切な問診を尽くさなかったため、接種対象者の症状、疾病そのほか異常な身体的条件および体質的素因を認識することができず、禁忌すべき者の識別判断を誤って予防接種を実施した場合において、予防接種の異常な副反応により接種対象者が死亡または罹病したときには、担当医師は接種に際し同結果を予見しえたものであるのに過誤により予見しなかったものと推定するのが相当である(最高裁昭和51年9月30日第一小法廷判決)と判示しました。
その上で、裁判所は、Oは、X1に対して本件接種をする際、泣いて嫌がるX1に対し、問診票を見て名前を確認する以外には発問せず、問診、聴診及び視診は全くせず、保健婦が消毒した後に注射をしたものであり、X1及びX3がOのそばに行ってから注射が終わるまでにかかった時間は、10秒前後であったのであるから、X1に対し適切な問診を尽くさなかったため、X1の身体的条件を認識することができず、禁忌すべき者の識別判断を誤って予防接種を実施したものというべきであるとしました。
裁判所は、よって、Oは、本件接種に際し、X1の後遺症の結果を予見しえたものであるのに過誤により予見しなかったものと推定するのが相当であり、過失があるというべきであるとしました。
裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲でX1らの請求を認め、その後判決は確定しました。