広島地方裁判所平成9年11月19日判決 判例タイムズ994号 224頁
(争点)
- 患者が死亡に至った機序及び死因
- 患者の担当医師が偽膜性腸炎に対する適切な治療を行わなかった過失の有無
(事案)
平成3年3月2日(以下、平成3年における月日の表記において年を省略する)午前11時ころ、A(当時64歳の男性)は、親戚の法事の最中に目眩と嘔吐をきたして歩行不能となり、M胃腸内科病院において受診したところ、意識はあるが言語障害があり、高血圧であったため、トランキライザーと降圧剤の投与を受けた後、同日午後1時20分、同病院からY農業協同組合連合会が開設する病院(以下「Y病院」という。)に搬送され、入院した。
入院時には、Aは、著明な高血圧であり、意識はほぼ清明であったが、構語障害、瞳孔不同が認められ、四肢麻痺はないものの歩行障害があり、脳CT検査等の結果、右小脳半球に3.8センチメートル×2.5センチメートル×2.0センチメートルの血腫が認められたほか、後頭蓋窩の空間の狭隘化を示す所見である第四脳室の変形と脳槽の描出不良が認められた。また、37.5度の発熱があり、血液、尿、血清の生化学検査では、白血球数は1万5300(正常範囲は4000から8000)、CRPは1.5(正常範囲は0.5以下)と高値を示し、尿蛋白が2プラス、尿糖が3プラス、尿潜血が2プラス、血糖値が232ミリグラム(血液1デシリットル中、正常範囲は70から109ミリグラム)、ヘモグロビンA1cが6.6%(正常範囲は4.4%から6.3%)であり、肝酵素関係数値の上昇が見られた。
主治医のN医師(Y病院脳神経外科勤務)とともにAの治療に従事することとなったY病院脳神経外科部長W医師は、上記所見を基に、Aには高血圧性小脳内出血があり、全身的には、糖尿病、腎障害及び軽度の肝障害があると診断し、保存的治療を行うこととして、高血圧のコントロールのための降圧剤と、脳浮腫及び脳圧亢進の防止のための脳圧下降剤を継続的に投与し、3月5日に至ったが、Aは開眼していて応答はするがぼんやりしている意識状態(日本コーマスケール(JCS)1)で、右上肢の運動失調があり、瞳孔不同が持続し、対光反射も右側が敏から鈍になるなどしたことから、CT手術装置を用いて、右後頭下に穿頭し、右小脳半球の血腫を吸引する手術(CT定位脳内血腫吸引術。以下、「本件手術」という。)を施行することを決定した。
3月6日午後3時から、W医師及びN医師を術者として本件手術が施行された。まず、Aに対し、病棟において局所麻酔を施し、頭部リングを頭蓋ピン4本で固定した上、CT検査室に搬送し、CTにより目標点を血腫のほぼ中央に定めた後、手術室に搬送した。手術室においては、右後頭下の頭蓋に電気ドリルで穴を穿ち、座標軸装置により目標点に座標を合わせて、径3ミリメートルの針(プローベ)を挿入して、軽く陰圧をかけて血腫を吸引し、数ミリリットルの生理食塩水を注入した後に再び吸引する操作を繰り返し、合計約10ミリリットルの血腫を吸引したが、Aが突然不穏状態となり暴れ出したため操作を中止してプローベを抜去し、第四脳室にドレーンチューブを留置して縫合した。
本件手術終了後、CT撮影が行われ、Aは午後5時30分に帰室した。Aの意識レベルは刺激で開眼する状態(JCS20)で、不穏状態が続いたが、午後11時ころには意識がかなりはっきりし(JCS2)、不穏状態は消失した。なお、午後9時20分ころ、脳内に留置したドレーンから約3ミリリットルの滲出液が吸引された。
同日、W医師は、術後感染防止のため、Aに対し、抗菌薬であるクラフォランを1グラムずつ3回、同ペントシリンを1グラムずつ2回それぞれ静注投与し、以後クラフォラン及びペントシリンをそれぞれ毎日朝夕2回、各1グラムずつ静注する定期投与を開始した。
3月7日、高血圧(収縮期で170ないし210mm水銀柱程度)が持続するので、降圧剤の投与が継続された。また、39.5℃の発熱があり、解熱のためにインダシン(座薬)が合計3回投与され、メチロンが2回筋注された。白血球数は1万5900、好中球の割合は88%、リンパ球割合は12%であった。
いったん収まった不穏状態が再び出現し、Aがうわごとを言うような状態となり、体動が激しいので、セルシンを静注するとともに、グラマリール内服液(せん妄を抑制する薬剤)の定期投与を開始した。なお、脳室に留置したドレーンから約4ミリリットルの血液が吸引され、その後にドレーンが抜去されたが、CT検査の結果、本件手術部位には出血がないことが確認された。
3月8日、午後2時30分ころに、焦げ茶色の下痢があった。体温は36℃から37℃台であったが、朝方にインダシンが投与された。また、3月7日の発熱から髄液の感染が疑われたため、腰椎穿刺が施行されたが、髄膜炎の所見は認められず、髄液細菌培養の結果も陰性であった。前日に引き続き深夜から興奮状態があり、グラマリールの内服で睡眠したが、再び興奮状態となり、2回にわたりセルシンが10グラムずつ筋注された。
3月9日、白血球数は1万5000であるが、CRPは0.5を下回り正常値となった。体温は、午前5時ころ38℃台の発熱がありインダシンが投与されたほかは、概ね37℃台であった。また、高血圧のコントロールのための投薬も継続された。
前日からの夜間、不眠で体動が激しかったため、明け方にかけてセルシンが10グラムずつ2回投与(筋注及び静注)された。
3月10日、午後零時30分ころ、濃褐色の泥状の排便が中等量あり、その後、午後9時及び9時20分ころにそれぞれ下痢があり、ロペミン(止瀉剤)1ミリグラムが経口投与されたが、さらに午後10時ころ及び11時ころそれぞれ下痢があった。なお、さしたる発熱はなかった。
血圧は収縮時200ミリメートル水銀柱にまで上昇することがあり、そのコントロールのための投薬が継続された。意識状態は、名前は言えるが見当識障害があり(JCS3)、午後1時ころには体動が激しくベッドの柵を叩いたり点滴を引き抜こうとしたりしたので、セルシン10グラムが静注されたが、夜にはおとなしくなった。
3月11日、午前3時30分ころに多量の下痢があり、午前7時30分から8時頃にも2回の下痢(2回目は少量)があり、ロペミンが2回各1ミリグラムずつ、乳酸菌製剤であるラックB(止瀉剤)が3回各1グラムずつ経口投与されたが、さしたる発熱はなかった。白血球数は4万2300と急激に増加し、CRPも3.9と急激な上昇を示し、好中球割合は93%、リンパ球割合は6パーセントと核の左方移動が認められた。なお、血清中のカリウム値は5.7(正常範囲は3.5から5.0)であった。
W医師は、上記所見から敗血症及び肺炎を疑い、免疫グロブリン5グラムを2日間点滴静注することとし、胸部レントゲン線写真を撮影するとともに、敗血症に係る菌の同定のために動脈血細菌培養を行ったが、レントゲン線写真では異常が認められず、翌日に得られた培養の結果も陰性であった。
3月12日、午前11時頃に2回の下痢(2回目は黄色の水様)が、午後9時ころにも茶色の水様の下痢がそれぞれあり、ロペミンが2回各1ミリグラムずつ、ラックBが3回各1グラムずつ経口投与された。
白血球数は4万8100、好中球割合は95.3%、血清中のカリウム値は5.7であった。
意識は、呼び掛けで開眼する程度(JCS10)であったが、午前9時ころ、チェーンストークス型呼吸が発現し、呼吸不全となり、腹部から大腿部及び手指にチアノーゼが認められたので、経鼻エアウェイが挿入されて酸素吸入が行われた。体温は、前日に引き続く深夜から37℃台の発熱がみられ、午前8時ころインダシンが投与されたが、午後11時ころには、38.5℃を上回るまで体温が上昇してきたため、再度インダシンが投与された。他方、血圧は、180ミリメートル水銀柱から60ミリメートル水銀柱の間でほぼ安定していたが、夜から深夜にかけて低下気味となり、降圧剤の投与が中止された。
3月13日、午前零時30分ころ、血圧が収縮時90ミリメートル水銀柱にまで下降してきたため、昇圧剤としてイノバン及びドブトレックスの持続点滴が開始され、いったんは約120ミリメートル水銀柱まで回復したが、午前7時15分ころ、呼吸不全(チェーンストークス型呼吸)が発現したため、一時人工呼吸器が接続され、血圧も一時的に60ミリメートル水銀柱にまで低下し、その後再び約120ミリメートル水銀柱にまで回復した。この間、副腎皮質ホルモンが静注され、点滴に低分子デキストランが追加された。また、体温は、深夜から午前10時ころまでは39℃台の発熱が続き、その後、午後2時ころまでは38℃台で推移し、この間、インダシンの投与やアルコール清拭等により冷却が図られた。他方、胃に挿入されたチューブから胆汁色の液体が排出されたことから、消化管出血が疑われ、血清化学検査所見では、腎機能障害の様相を呈してきた。
W医師は、播種性血管内凝固が発生したものと判断してFOYの点滴を開始したが、午後9時には、さらに呼吸不全が発現して人工呼吸器が接続され、このころには、腎不全、呼吸及び循環不全の状況からみて、生命の維持が危ぶまれる状態であった。
W医師は、クラフォラン及びペントシリンの定期投与を、午前中各1グラムを静注したところで、効果がないと判断して中止し、これらに代えて、抗菌薬としてビクシリン、モダシン及びミノマイシンを定期投与することとし、ビクシリン1グラム及びモダシン2グラムを静注し、ミノマイシン100ミリグラムを点滴静注した。以後、ビクシリン及びモダシンについては、同月17日まで1日2回、1回につき上記同量ずつが静注され、ミノマイシンについては、同月14日に2回各100ミリグラムずつが点滴静注された。
午後2時ころと午後8時ころに少量の下痢があり、ロペミンが2回各1ミリグラムずつ、ラックBが3回1グラムずつ経口投与された。3回施行された血液検査の結果では、白血球数は1万7900、3万5500、1万8800であり、また、血清中のカリウム値は6.2であった。
その後、Aは呼吸を人工呼吸器により管理され、血圧を昇圧剤により維持されている状態が続き、播種性血管内凝固によるショック状態の改善がみられたものの、尿量が減少して、腎不全が進行し、感染や血圧低下等の全身状態から人工透析も施行できないまま、3月17日から18日にかけての深夜、血圧の著明な低下を来たし、3月18日午前0時51分に死亡した。剖検の結果、偽膜性大腸炎が認められた。
そこで、Aの子らであるXらは、Y農業協同組合連合会に対して、不法行為又は医療契約上の債務不履行に基づき損害賠償請求をした。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 遺族合計3700万円
(内訳:逸失利益1200万円+慰謝料2000万円+墳墓・葬祭費用100万円+弁護士費用400万円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 遺族合計2354万1300円
(内訳:逸失利益580万9300円+慰謝料2000万円+墳墓・葬祭費用100万円+弁護士費用300万円-医薬品副作用被害救済・研究振興基金からの給付626万8000円)
(裁判所の判断)
1 患者が死亡に至った機序及び死因
この点について、裁判所は、Aの剖検の結果では、空腸から直腸にかけて、著しい偽膜性大腸炎の所見が得られ、また、エンドトキシン血症の関与を示唆する肝臓小葉中心性新鮮壊死、著しい急性膵炎、下部尿管ネフローシス(ショック腎)が認められたことによれば、Aは、偽膜性腸炎により腸管の防御機能が障害され、細菌が血中に侵入し、その産生するエンドトキシンによる敗血症が惹起され、ショック状態(エンドトキシンショック)となって急性循環不全が引き起こされた結果死亡に至ったと推認しました。
次に、偽膜性腸炎の発生原因について、裁判所は、セフェム系抗生物質製剤であるクラフォラン及びペニシリン系抗生物質製剤であるペントシリンは、いずれもその投与により偽膜性腸炎を引き起こす可能性のある薬剤であり、セフェム系抗生物質製剤であるモダシンやペニシリン系抗生物質製剤であるビクシリン、さらにはミノマイシンも同様であるのに対し、Aに発生した偽膜性腸炎の原因が上記抗菌薬以外に存在する具体的徴表が窺われないことを、クロストリディウム・ディフィシルを起炎菌とする偽膜性腸炎の発生機序についての有力説の考え方(抗菌薬の投与により腸内の常在細菌が抑制され、当該抗菌薬に対して耐性を有するクロストリディウム・ディフィシルが増殖しやすい環境が作出されることにより、これが異常増殖し、その産生する毒素により腸炎が発生するとの説)に照らして考慮すれば、Aに発生した偽膜性腸炎は、抗菌薬の投与を原因とするものであると推認するのが合理的であると判示しました。
その上で、裁判所は、Aには、クラフォラン及びペントシリンのいずれか又は双方の投与を原因として3月11日までには偽膜性腸炎が発生し、Aは、これにより腸管の防御機能を障害され、グラム陰性菌が血中に侵入し、同月13日にはその産生するエンドトキシンによる敗血症が惹起されてショック状態(エンドトキシンショック)に陥り、急性循環不全が引き起こされるという経過をたどって死亡に至ったことが推認されると判示しました。
2 患者の担当医師が偽膜性腸炎に対する適切な治療を行わなかった過失の有無
この点について、裁判所は、偽膜性腸炎に伴う臨床症状及び検査所見に照らして、本件手術後のAの臨床症状及び白血球数、CRP等の推移、とりわけ、3月10日には合計4回の下痢(午後零時30分ころの泥状排便を下痢とすれば5回)があり、翌11日午前中にも3回の下痢が、さらに、同月12日午前中にも2回の下痢がそれぞれあったこと、同日には白血球数及びCRPが急激な上昇を示し、核の左方移動が認められるなど顕著な炎症反応が認められたこと(同月10日に血液検査及び血清検査が施行されていないので、所見が得られていない。)をみれば、これらは偽膜性腸炎を示唆する兆候であるということができ、これに加えて、Aに対して偽膜性腸炎の原因となる可能性のある抗菌薬が継続的に投与されていることや、Aは高血圧症、糖尿病、腎障害及び軽度の肝障害という基礎疾患があったことにより、偽膜性腸炎が発生し易い身体状態にあったこと、さらには、偽膜性腸炎は高齢者に発生し易いとされており、Aは当時64歳と比較的高齢であったことを考慮すれば、W医師及びN医師は、3月11日から翌12日午前中までには、Aに偽膜性腸炎が発生しているとの疑いを抱くことが可能であったと認定しました。
その上で、W医師及びN医師は、3月11日から翌12日午前中までに、Aに偽膜性腸炎が発生していることを疑うことが可能であったのであり、かつ、上記時点において、抗菌薬としてバンコマイシンの投与を開始し、ロペミンの投与を中止すれば、偽膜性腸炎を軽快させることが可能であって、Aがショック状態に陥ることを回避できた蓋然性が高かったのであるから、上記両医師には、上記時点において、偽膜性腸炎の発生を疑い、これに対する治療としてバンコマイシンの投与を開始し、ロペミンの投与を中止すべき注意義務があったというべきであると判示しました。しかるに、上記両医師は、上記注意義務があるにもかかわらず、偽膜性腸炎の発生を疑わず、そのためにバンコマイシンの投与をせず、かつ、ロペミンの投与を継続した過失があるというべきであり、また、この過失とAの死亡との間には因果関係があると認められるとしました。
以上より、裁判所は、上記(裁判所の認容額)の範囲でXらの請求を認め、その後判決は確定しました。