東京地方裁判所平成13年7月5日判例タイムズ 1131号 217頁
(争点)
- 患者が死亡するに至った機序
- 患者の死亡は病院医師の過失によるものであるか否か
(事案)
平成6年7月21日、A(女児・出生体重2195グラム)は、Y学校法人が開設・経営するY大学医学部附属Y病院(以下「Y病院」という。)で出生した(以下、年については全て平成6年のこととする)。
Aの出生直後、Aの両親は、Y病院小児科のN医師から、Aに先天性の心臓疾患であるファロー四徴症があると告げられた。
ファロー四徴症とはチアノーゼをきたす先天性の心疾患の中で最も多く発生するもので、病理解剖所見では、(1)右室流出路・肺動脈弁の狭窄又は閉鎖、(2)心室中隔欠損、(3)大動脈騎乗、(4)右室肥大の四徴が見られるものである。ファロー四徴症においては、肺動脈の狭窄等のため、左右の心室の圧力が等しくなり、心室中隔欠損孔を介して右室から左室に直接血液が流入し、同時に肺への血液量が減り、肺から来る酸素を取り入れた血液の量も減って、チアノーゼを認めるようになる。
ファロー四徴症のうちで右室流出路・肺動脈弁が閉鎖しているものはファロー四徴症極型といわれるが、この場合、肺への血流供給は、右心室から肺動脈を介しての形態では行われず、右心室、心室中隔欠損、左心室、大動脈、動脈管、肺動脈との経路で行われることになり、動脈管の開存状況は患者の病態に重大な影響を持つ(動脈管が閉鎖した場合、患者の死につながることがある。)ことから、その閉鎖を予防する治療が必要となる。なお、動脈管は、生後肺循環が始まると機能的に閉じ、生後3ヶ月までには解剖学的にも完全に閉鎖するのが通常である。
7月21日午後8時ころから、Aは安静にしているにもかかわらず、動脈血酸素飽和度が70%前後を継続して示すようになった。そのため、N医師は、再度心エコー検査を行い、Aに肺動脈弁の開閉が認められず、肺動脈血流を検出できないことなどから、ファロー四徴症極型の可能性が高いと診断し、午後9時ころから、動脈管の閉鎖を防ぐ目的でプロスタグランディンE1剤(製品名・パルクス。以下「パルクス」という)の点滴静注による投与を、1時間当たり2.6ミリリットル(体重1キログラムにつき1分間あたり5ナノグラム)の使用量で開始した。
7月22日午前7時40分ころの診察時、Aの動脈血酸素飽和度は夜半を通じてほぼ90%前後を維持していたことが確認されたが、哺乳においては1回の量は10ミリリットルがやっとであった。また、夜間において、Aには無呼吸発作が3回あり、呼吸数も1分間に60回前後とやや早いことから、N医師はパルクスの副作用の可能性が高いと判断し、同剤の投与量を1時間当たり2.4ミリリットルと減量した。
7月27日、Y病院心臓血管外科のJ医師による診察があり、Aについて外科的対応が必要な場合には同科が行う方針となった。
8月22日、Aの体重は3034グラムで状態は安定していた。パルクスは、Aの体重の増加に伴い相対的に減量となっており(この時点で体重1キログラムにつき1分間当たり4.12ナノグラム)、この日に1時間当たり、2.5ミリリットル(体重1キログラムにつき1分間あたり3.5ナノグラム)とした以降、漸減していった。しかし、Aの動脈血酸素飽和度は、9月1日以降、60%から50%台へ低下し、動脈管短絡音も減弱したことから、同月4日より1時間当たり3ミリリットル(体重1キログラムにつき1分間当たり3.75ナノグラム)へと増量した。
9月8日ころから、パルクスを経口製剤に変更することが検討され始め、同月26日以降、再度パルクスの減量が行われた。
10月17日、肺動脈弁の閉鎖を確認するためコントラスト心エコー検査を施行し、血流が認められないことから、Aをファロー四徴症極型と診断した。この日、パルクスの投与を中止した。
10月19日より、Aについては動脈血酸素飽和度の低下傾向(睡眠時でも70%程度)及び動脈管短絡音の減弱が認められたことなどから、経口プロスタグランデインE2製剤(製品名・プロスタルモンE。以下「プロスタルモン」という。)の投与が開始された。
10月21日、動脈血酸素飽和度の40ないし60%程度への低下、動脈管短絡音の減弱が朝から認められたため、プロスタルモンの経口投与を中止し、パルクスの投与を体重1キログラムにつき1分間当たり3.4ナノグラムで再開した結果、Aの動脈血酸素飽和度は65ないし70%台へと改善された。
翌22日のAの動脈血酸素飽和度は安静時で70ないし80%台、同月23日の動脈血酸素飽和度は70ないし80%台であり、啼泣時でも60%台には下がらなかった。
パルクスの投与は同年10月24日から漸減され、同月26日、投与を中止し、再びプロスタルモンの経口投与へ変更した。
同月27日、Aは泣いていなくても動脈血酸素飽和度が40ないし50%台前半と低下しており、同月28日には、午前8時以前の時点において、Aの動脈血酸素飽和度は30%台後半ないし50%台前半を継続して示していた。
11月1日、N医師は、Aが出生後3ヶ月を経過し、手足の動きも活発になるころであること等を考慮して、Aの手足に付けていた経皮的酸素モニターによる動脈血酸素飽和度についての持続的な経過観察を中止し(心電図モニターによる観察は継続)、以降は、適宜定期的に動脈血ガス分析により動脈血酸素飽和度を測定することとした。同日、聴診上、Aの動脈管短絡音が小さくなっていた。
11月に入って、N医師らは、Aの病状に鑑み、手術が必要と判断した。
ファロー四徴症の手術には根治手術と姑息手術とがあるが、姑息手術はファロー四徴症の第一段階の治療法として、体動脈と肺動脈の間にいずれかの部位で吻合をつくり、それにより肺血流量を増加させる手術で短絡手術と呼ばれるものである。本件では、短絡手術のうち、動脈管の代替として、大動脈から分岐した鎖骨動脈と肺動脈とを連絡する人工のバイパス血管を増設することを予定していたものである。なお、体外式心肺補助装置を用いることは予定されていなかった。
11月9日、N医師及びK医師(小児科でのAの担当医の一人)はY病院心臓血管外科へ正式に手術依頼をした。この依頼を受け、J医師は、Aを診察の上、ファロー四徴症極型で早期の短絡手術が必要であると診断した。
同月10日、Aの顔面にはチアノーゼが見られた。
同月16日、Aの動脈血ガス分析による動脈血酸素飽和度は啼泣時で52.2%であり、顔面にはチアノーゼが見られた。同月17日には、ファロー四徴症に対する手術(以下「本件手術」という。)を同月25日に行うことが決定された。
同月18日ころより、Aに鼻汁が出現し、19日ころには咳も少し出現し、Aの顔面にチアノーゼが見られた。
同月24日午後、Aにつき、鼻汁を少し認めたが、咳も発熱もなかったため、Y病院医師らは、Aの状態は手術を行うことに支障はないと判断した。同日夕方より、Aの左足末梢静脈ライン及び左橈骨動脈ラインを約2時間かかって確保したが、特記すべき変化は認められなかった。もっとも、この日、Aの顔面にはチアノーゼが見られた。
同月25日午前2時に、Aはプロスタルモンを最終内服し、同3時、最後の哺乳を45ミリリットル行った(以下、時刻のみ記載する。)。そして、同7時過ぎ、K医師がAの肺呼吸音に異常がないこと、咳もなく、咽頭部発赤もなく、聴診上動脈管短絡音も良好であることを確認した。手術室入室前、Aに対し、鎮静と副交感神経反射抑制のため、麻酔前投薬として、午前6時30分にプロマゼパム1/3個を使用し、午前7時30分に硫酸アトロピン0.05ミリグラムが筋注された。
Aは、午前8時30分過ぎに手術室に入室した後、手術台に移された。この時の血圧は最高が114、最低が55、心拍数は178、動脈血酸素飽和度は40%台でチアノーゼも強く認められたが、フェイスマスクで1分間に6リットルの割合で酸素を投与すると、動脈血酸素飽和度は70%台に上昇し、チアノーゼも改善した。
午前8時45分過ぎころ、麻酔導入がなされ、Aの自発呼吸は消失し、その後はAについてフェイスマスクとバックで調節呼吸が行われた。
Y病院麻酔科のU医師が、Aに対し、気管内チューブを用いた人工換気を行うため、Aからフェイスマスクを外し、喉頭鏡のブレードをAの喉頭に挿入して喉頭展開(喉の奥の方を見ること)を試みたが、舌がよけきれなかったため、一度ブレードを抜去し、その後、しばらくの間フェイスマスクで純酸素による人工換気を行った。そしてU医師は、再度喉頭鏡のブレードを口腔内に挿入し、喉頭展開した上、輪状軟骨圧迫下で声門を確認し、直視下に、気管内チューブ(内径3.0㎜)の気管挿入を試みた(以下「本件第1回挿管」という)。U医師は、気管内チューブが気管内に挿入されていると判断し、気管内チューブの固定を始めた。なお、気管内チューブからは、同チューブを固定している最中も酸素が供給されていた。
その直後、モニター上、Aの動脈血酸素飽和度が50%台に低下し、心拍数も70台に低下した。一方、Aの収縮期血圧は約140ミリヘモグロビンに上昇した。U医師は、チューブトラブルの疑いを抱き、いったん気管内チューブを抜去し、フェイスマスクで純酸素による人工換気をするとともに、硫酸アトロピンを点滴静注したところ、Aの動脈血酸素飽和度、心拍数は改善した。なお、気管内チューブを抜いてみたところ、気管内チューブには異常はなかった。
そこで、U医師は、動脈血酸素飽和度や心拍数の低下を一過性のものであると判断し、前回と同様輪状軟骨圧迫下で声門確認をし、再度気管内チューブ挿管(以下、「本件第2回挿管」という)を行った。その直後、Aの動脈血酸素飽和度及び心拍数が再び低下した。この時、J医師が手術室に入室した。
U医師は再度気管内チューブを抜去してフェイスマスクによる人工換気を行うことにして気管内チューブを抜去しようとしたところ、強い抵抗があり、管を抜くことが出来なかった。心拍数は50、動脈血酸素飽和度は40%に低下した。もっとも、用手人工換気における気道抵抗はなく、聴診上、両肺野の換気音には異常がなく、胸郭の動きも確認された。
U医師は、喉頭痙攣や気管支痙攣が起きたのではないかと疑い、気管内チューブを無理に抜去せずに、直ちに、マスキュラックス1ミリグラム等の点滴静注を行ったところ、心拍数が少し改善し、気管内チューブを少し動かしても抵抗がなくなった。
しかし、間もなく心拍数が低下したため、硫酸アトロピン0.05mgを続けて投与し、パルクスの点滴静注を開始したが心拍数は改善しなかった。そこで硫酸アトロピンに代えてイソプレテレノールの投与を1、2回続けて投与しても心拍数の改善は認められず、午前9時19分ころには動脈菅短絡音も聴取することができなくなったことから、Aに対して体外心マッサージ等が施行されたが、Aが回復することはなく、午後1時3分に死亡した。
Aの直接死因は、低酸素発作であり、低酸素発作の原因はファロー四徴症であると診断された。
そこで、Aの遺族である両親は、Aの死亡は病院の医師の過失によるものであったと主張して、Yに対し、診療契約上の債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づき損害賠償請求をした。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 7699万円
(内訳:逸失利益5171万9850円+Aの慰謝料2000万円+遺族固有の慰謝料両親合計2000万円+弁護士費用700万円。内訳の合計9871万9850円の一部を請求)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 4462万4515円
(内訳:逸失利益2062万4516円+Aの慰謝料1400万円+遺族固有の慰謝料両親合計600万円+弁護士費用400万円。相続人が複数のため、端数不一致)
(裁判所の判断)
1 患者が死亡するに至った機序
この点につき、裁判所は、本件第1回挿管後に生じた動脈血酸素飽和度の低下等のストレスや本件第2回挿管による刺激、ストレスにより、Aは、第2回挿管直後に動脈管が閉鎖し、それにより動脈血酸素飽和度が低下して低酸素血症に陥り、心収縮力が低下して心原性ショックが生じ、心臓が停止し死亡するに至ったものと推認しました。
2 患者の死亡は病院医師の過失によるものであるか否か
この点につき、裁判所は、まず、Aは本件第2回挿管直後に動脈管の閉鎖を来たし、低酸素血症に陥って死亡に至ったものであるところ、平成6年10月下旬以降、Aの動脈管は閉鎖傾向にあったものであり、かつ、そもそも動脈管は解剖学的に生後3ヶ月くらいまでに閉じてしまうと言われている不安定なものであるところ、同年10月21日にはAの月齢は3ヶ月になっていたことからすると、同年10月下旬ころ以降、Y病院医師においては、Aの動脈管が刺激、ストレス等で完全閉鎖する危険性があることを予見することが十分可能であったと判示しました。
そして、Aについては、同年10月21日、動脈血酸素飽和度の低下がパルクスの点滴静注によって改善しており、また、同月26日にこの点滴静注を中止したところ、翌27日に動脈血酸素飽和度が再び低下したことなどからして、動脈管がパルクスに対して反応性を有していた(パルクスの点滴静注は動脈管の開存にとって有効であった。)と認められるから、パルクスの点滴静注を術前予防的に行うべきで、それにより、本件における動脈管閉鎖を回避できた可能性があったと判示しました。
裁判所は、Aの動脈管の閉鎖傾向にかんがみれば、動脈管が本件手術における麻酔導入から血管吻合開始までの間に完全閉鎖する可能性が相当高かったと判示し、また、Aの左肺動脈の径は約2.6ミリと細く、左右の肺動脈の径は約2倍も異なる(断面積では4倍も異なる)状況にあったから、肺血流は主として右肺に流れていたと考えられるところ、このような状態において右肺への短絡手術を計画すると、血管吻合時に右肺動脈に鉗子を掛けた際に、元々右肺血流に依存しているため、致命的な肺血流の低下が生じる可能性があったのであり、また、左肺動脈への短絡手術を計画すると、左肺動脈が細いため、吻合が技術的に困難である可能性があるので、本件手術は元々非常に危険性の高いものであったと認定しました。
以上のような本件手術にみられる危険性にかんがみれば、Y病院の担当医師は、Aについては当初から体外式心肺補助装置を使用する術式を計画するか、あるいはいつでも迅速に体外式心肺補助装置を用いることができる態勢を敷いて手術に臨むべきであったと判断しました。そして、本件手術に際し、このような体外式心肺補助装置を準備していれば、Aの死亡は回避できたものと推認されると判示しました。
このように、Y病院の担当医師には、本件手術による刺激ないしストレスによりAの動脈管が完全閉鎖されることを予見して、このような動脈管閉鎖を防ぐため、術前予防的にパルクスの点滴静注を行い、更には、手術中における動脈管閉鎖などの危険に備えて手術開始当初から体外式心肺補助装置を用いるか、あるいはいつでも迅速に体外式心肺補助装置を用いることができる準備をして手術に臨むべきであったのにもかかわらず、かかる措置をとることを怠ったものであり、その結果として、本件第2回挿管後に動脈管閉鎖が生じたないしは動脈管閉鎖に対して適切な対応をとることができず、Aを死亡に至らしめたものであるから過失があると認定しました。
以上から、裁判所は上記(裁判所の認容額)の範囲で、遺族の請求を認めました。その後、判決は確定しました。