大阪地方裁判所平成14年11月29日判決 判例時報1821号 41頁
(争点)
- 心臓カテーテル検査の適応の有無
- 心臓カテーテル検査についての説明義務違反の有無
(事案)
X(事件当時67歳の男性・会社代表者)は、昭和41年(35歳)ころ、糖尿病と診断され、平成9年5月、糖尿病性腎症のため、A大学附属病院に入院し、平成10年2月、糖尿病性腎症による腎不全のため、B病院において人工透析(HD)を開始した。B病院はXについて、糖尿病性の慢性腎不全、糖尿病、高血圧、腰部脊柱管狭窄症、腰椎すべり症、閉塞性動脈硬化症(ASO)等と診断された。
Xは、B病院通院中から足の血流が悪いことを自覚し、毎日、血流を促すための運動を行っていた。また、Xは、糖尿病等の治療のため、投薬や食餌療法の指導を受けていた。Xは、透析が導入されるまでは、アルコールを摂取してはならないという指導に従っていたが、透析導入後は、透析により血液が浄化されるため、厳しい食事制限は必要がないと考え、アルコールや高カロリー食を摂取することもあった。
平成10年8月、Xは、交通の便の都合から、Y医療法人の開設する病院(以下、Y病院という)に転院した。
Y病院は診療科目数22科目、病棟数70床であり、Y医療法人は、Y病院のほかに全国に23の病院、4の診療所、12の介護老人保健施設その他を開設している。
Y病院でXの診察等を担当したのはO医師(人工透析担当医)、H医師(循環器内科医)およびT医師(循環器内科医)であった。Xは、Y病院において、週3回程度、継続して人工透析を受けていた。
平成10年8月ころから、Xは、歩行すると息が切れると訴えはじめ、同年9月19日の心エコーでは、心臓の動きがやや低下し、拡張能減弱が認められた。
平成11年2月5日には、Xは、休息しないと歩けない、動悸がする、階段を上がると胸痛を自覚する等と訴えるようになり、胸部症状の増強が認められたこと等に照らすと、生命に重大な危険を伴う冠動脈疾患の存在が強く疑われる状況であったため、同年2月15日、心臓カテーテル検査(以下、本件検査という)が行われた。
本件検査は、カテーテルを血管内に入れ、先端を心臓の血管の根元まで進めて造影剤を注入することにより、血管内の閉塞している部分や狭窄している部分の有無を調べる検査である。
H医師は、本件検査のリスクについて出血や血栓症が起こることがあると述べただけで、本件検査の方法、本件検査により死亡、心筋梗塞、脳血管障害、末梢血管事故(血栓、塞栓、出血等)等の危険性があることや、その発生確率等について詳しい説明をしていなかった。
Xは、同年3月15日、右足趾の変色について、O医師の診察を受け、国立C循環器病センター(以下、Cセンターという)への転院を希望し、同月17日、Xは、Cセンターを受診した結果、右下肢の疼痛及び右足趾に紫色の変色、チアノーゼ(虚血趾)が認められたため、入院を指示され、同月23日、Cセンターに入院した。
同月29日、右下肢の血管造影が施行された結果、右膝窩動脈の完全閉塞が認められ、末梢の血管は造影されなかったため、Cセンター担当医らはカンファレンスを行い、血栓摘除又はバイパス手術の適応ありと判断したため、同月31日手術が施行された。手術では、右大腿動脈を露出し、右下肢の血栓摘除を施行したところ、3センチメートル長の赤色血栓が摘除されたが、その後も下腿の動脈が造影されないため、膝上部で膝窩動脈を露出し、再度、血栓摘除を行った。しかし、動脈の性状が悪く、結局、右下肢救肢目的で後脛骨動脈に自家静脈によるバイパス術を施行した。
術後、Xの右足趾の変色は著明には改善せず、右足趾の壊死病変が残存していたため、足尖部の処置目的での転院が必要であったため、Xは、同年4月28日、Y病院に転院した。Cセンターでは、Xについて、右下肢急性動脈閉塞、右足趾壊死等と診断した。Cセンターの医師は、Xが従来から罹患していた閉塞性動脈硬化症の急性増悪により、自他覚症状を起こす閾値を超えた可能性が高いと判断している。
同月30日、Xは、Y病院において、右足趾全部を切断する手術を受けた。
そこで、Xは、Yに対し、本件検査により、右膝窩動脈に血栓が発症し、右足趾全部切断に至った等として、債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償請求をした。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 4921万6000円
(内訳:逸失利益3471万6000円+慰謝料1000万円+弁護士費用450万円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 35万円
(内訳:慰謝料30万円+弁護士費用5万円)
(裁判所の判断)
1 心臓カテーテル検査の適応の有無
この点について、裁判所は、Xは、30年以上にわたり糖尿病を患い、経口血糖降下剤を服用し、高血圧、喫煙の習慣がある等、動脈硬化のリスクファクターを多く有し、実際にも、動脈硬化の一病態である閉塞性動脈硬化症(ASO)との診断を受けていたこと、XのASOの程度は極めて重篤であり、自覚症状として、足尖部のしびれや痛みが断続的に生じていたことを認定しました。
そして、動脈硬化は全身性の病態であるところ、Xは、平成10年8月ころから、歩行すると息が切れると訴えはじめ、同年9月19日の心エコーでは、心臓の動きがやや低下し、拡張能減弱が認められ、平成11年2月5日には、休息しないと歩けない、動悸がする、階段を上がると胸痛を自覚する等と訴えるようになり、胸部症状の増強が認められたこと等に照らすと、生命に重大な危険を伴う冠動脈疾患の存在が強く疑われる状況であったと判示しました。
以上の点に加え、本件検査前の平成11年1月30日に実施された心エコーでは、平成10年9月19日に行われた心エコーと比べても著明な変化を認めなかったが、心エコーのみでは心臓の血管病変の有無を必ずしも的確に判断し得ないことを併せ考慮すれば、本件検査により虚血性心疾患の有無を確認する必要性、利益が大きく、同検査により、血栓症等による死亡等の重大な危険が生じる可能性は一般的に1パーセント以下であることと比較すれば、本件検査の適応が認められると判断しました。
2 心臓カテーテル検査についての説明義務違反の有無
この点について、裁判所は、本件検査は、身体への侵襲を伴う検査であり、事故や合併症の危険性もあるのであるから、診療契約上、医師は、本件検査を行うことについての患者の承諾を得る際に、当該患者に対し当該患者の病状や本件検査の方法、必要性、利点、危険性等について、当該患者が十分理解でき、かつ、そのような検査を受けるかどうかを決定することができるだけの情報を提供する義務を負っていると判示しました。
Xに対し、本件検査の危険性について説明したのはH医師のみであるところ、H医師は、本件検査のリスクについて出血や血栓症が起こることがあると述べただけで、本件検査の方法、本件検査により死亡、心筋梗塞、脳血管障害、末梢血管事故(血栓、塞栓、出血等)等の危険性があることや、その発生確率等について詳しい説明をしていなかったことが認められ、Xが、本件検査を受けるかどうかを決定するについては十分な説明ではなかったと判断しました。
そして、Xは、O医師に対し、頻繁に足尖部のしびれや痛みを訴えており、足尖部の虚血を心配していたこと、Xは、強度の腰痛を持っていたことから、本件検査に必要な体位をとるのが困難であったこと、Xは、眼底出血が心配であるとの理由から、O医師が勧めたプロサイリンの抗薬を拒否したことが認められ、以上からすると、H医師が、本件検査には相当時間、仰臥位を保つ必要があることや、本件検査による血栓症等上記の危険性について今少し詳しく説明していれば、Xが、本件検査を受けなかった可能性があると判示しました。
そうすると、Y医療法人は、Xに対し、本件検査について必要な説明を行わなかったことにより、自己の判断により本件検査を受けるかどうかを決定するXの権利を侵害したというべきであるから、これによって被ったXの損害につき債務不履行に基づく損害賠償責任を負うと判断しました。
以上から、裁判所は上記の(裁判所の認容額)の範囲でXの請求を認めました。その後、判決は確定しました。