京都地方裁判所平成 28年2月17日判決 判例時報2332号 58頁
(争点)
- XとY医療法人との間におけるXのB型肝炎の治療を目的とする診療契約の成否
- Y医療法人の債務不履行の有無
- Y医療法人の債務不履行とXの肝硬変及び肝がん罹患との因果関係の有無
- 過失相殺の可否
(事案)
X(昭和27年生まれの男性)は、昭和52年、G病院第二内科においてB型肝ウイルスキャリアと診断された。
Xは、平成3年、手指の震えのためE病院を受診し、甲状腺機能亢進症の診断を受け、以後、B医師から診察及び治療を受けていた。その後B医師がF病院に異動したことから、同病院を受診するようになり、以後、B医師を主治医として治療を受けていた。
Xは、B医師がF病院から他県の病院へ転院することとなったため、B医師からY医療法人が開設するYクリニック(甲状腺疾患、糖尿病などの内分泌疾患、高脂血症及び痛風などの代謝性疾患を専門とし、Xはこれを認識していた)の紹介を受け、平成12年4月から平成17年8月まで、Yクリニックでの診療を受けた(平成12~14年は毎年各5回受診している)。Yクリニックにおいては、Y医療法人の代表者かつ医師であるA医師が専らXの診療を担当した。A医師は、B医師からの診療情報提供書(「紹介目的、患者に関する留意事項」として「1.バセドウ病 2.肝機能障害、B型肝炎ウイルスキャリア」との記載が、「症状経過及び検査結果・治療経過等」として「B型肝炎ウイルスキャリアであるため肝機能障害も少し注意が必要であること」などの記載がある)の外にXの肝臓の治療について、検査データ等の引き継ぎは受けていなかった。
Xは、平成12年6月12日、Yクリニックを受診し、A医師は、原告に対して腹部エコー検査及び腫瘍マーカー検査を実施した。そして、A医師は、B型肝炎の状態が悪化した場合にはG病院を紹介する趣旨で、カルテに「肝機能↑ならG紹介」と記載した。
Xは、平成15年6月4日、Yクリニックを受診し、血液検査が行われた。血液検査の結果、GOT値は97、GPT値は166、血小板数は8.7であった。A医師は、検査結果を受け、「肝機能↑」とカルテに記載した。
Xは、平成17年10月、右膝半月板損傷の手術のため入院したC病院で、手術前の検査により肝硬変及び肝がんの疑いがあるとの指摘を受け、同年11月7日、D病院において、肝腫瘍と診断され、平成18年3月10日以後、肝がん、B型肝硬変、食道静脈瘤と診断されるに至った。
Xは、平成19年2月14日、Yクリニックを訪れ、「知らない間に肝がん出ていて大変でした」と話し、甲状腺の管理を相談したため、A医師は、当時Xが診療を受けていたD病院消化器内科の医師宛に甲状腺管理に関する診療情報提供書を送信した。
また、Xは、平成23年12月頃、Yクリニックを訪れ、自身が肝がんに罹患したこと及びB型肝炎訴訟のためカルテ開示を求めたが、Yクリニックにおける診療行為について特段クレームを伝えることはなかった。
Xは、B型肝炎ウイルスを原因として肝硬変を発症したとしてB型肝炎訴訟を提起し、同訴訟において国から和解金3600万円の支払を受けた。
平成25年11月8日、Xは、Y医療法人との間で、B型肝炎の治療を目的とする診療契約を締結したにもかかわらず、A医師が適切な診療を怠った結果、肝硬変及び肝がんに罹患するに至ったと主張し、Yに対し、診療契約の債務不履行に基づく損害賠償請求訴訟を提起した。
(損害賠償請求)
- 患者の請求額:
- 1億2278万6628円
(内訳:既払治療費956万6390円+将来医療費3328万2619円+入院雑費21万4500円+逸失利益7472万3119円+慰謝料3000万円+弁護士費用1100万円の合計1億5878万6628円から、B型肝炎訴訟で支払を受けた和解金3600万円を控除後の金額)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- 954万4675円
(内訳:既払治療費243万6380円+将来医療費651万9554円+入院雑費21万4500円+逸失利益5530万4025円+慰謝料1000万円の合計額7447万4459円から4割を過失相殺として控除した4468万4675円から、B型肝炎訴訟で支払いを受けた和解金3600万円を控除後の金額+弁護士費用86万円)
(裁判所の判断)
1 XとY医療法人との間におけるXのB型肝炎の治療を目的とする診療契約の成否
この点について、裁判所は、医療機関における診療契約の内容は、医療機関における診療内容や医療機関が提供すべき医療行為の内容を確定させるものであるから、その認定については、当該医療機関を受診するに至る経緯、診療時の医師と患者のやりとりの内容、診療録の記載等を総合考慮して、患者と医療機関との間で、診療内容についてどのような意思の合致が認められるかにより判断するのが相当であると判示しました。
そして、本件についてみると、Xは、B型肝炎ウイルスキャリアと診断された後、平成17年11月にD病院において肝腫瘍と診断されるまでの間、B型肝炎について専門医療機関を受診しておらず、Yクリニックの紹介を受ける以前にも、主として甲状腺機能障害であるバセドウ病の治療のためにE病院及びF病院を受診しており、E病院ではB型肝炎の診療を受けていないことを指摘しました。
また、F病院においてB型慢性肝炎の管理を目的とするCT検査やMRI検査等が実施されていないから、Xは、F病院においても、B型慢性肝炎の治療を主として行ってきたわけではないと判示しました。そして、Yクリニックが、甲状腺疾患等の専門クリニックを標榜しており、B型肝炎について専門的な治療行為を行っている医療機関ではないこと、Xはそのことを認識していたこと、A医師は、B医師から診療情報提供書の外に肝臓の検査データ等の引継ぎを受けていなかったこと、Yクリニックでの診療当初の時期である平成12年6月12日の診察日の外には、Yクリニックで、Xに対して、腹部エコー検査及び腫瘍マーカー検査が実施されたことはなく、そのことに対し、Xから特段希望や苦情等の申出がなされた形跡はないこと、さらに、Xは、肝がんの罹患が発覚した後、Yクリニックにカルテの開示を求めた際にも、A医師の対応を批判するなどしておらず、Yクリニックにおいて積極的な肝炎の治療を受けていたとの認識までは有していなかったと考えられることなどの事情をも併せて考慮すれば、XとY医療法人との間で、バセドウ病の治療に加え、B型慢性肝炎に関する諸検査等を積極的に実施するなどの治療管理を内容とする診療契約が成立したと認めることは困難であると判断しました。
もっとも、F病院でXを診察していたB医師からXの紹介を受けたA医師は、XがB型肝炎ウイルスキャリアであり、肝機能障害に注意すべきである旨の引継ぎをふまえて、平成12年4月17日、第1回目の診察の際に血液検査を実施し、同年6月12日には、腹部エコー検査及び腫瘍マーカー検査を実施し、「肝機能↑ならG紹介」とカルテに記載していること、カルテには診療時の医師の所見や考えが表現されていることが通常であり、A医師も、カルテには治療方針について可能な範囲で明確に記載することを心がけていること、甲状腺機能亢進症の治療において処方されるメルカゾールにより肝機能が悪化することがあり、治療の際にも肝機能には注目しなければならないこと、前記のカルテの記載以後、A医師は、定期的にXの血液検査を実施し、GOT及びGPTの各値をカルテに記載していることからすれば、A医師は、平成12年6月12日の診察時に、バセドウ病の治療を継続する際に、肝機能に着目し、Xの肝機能が悪化した場合には、専門医療機関を紹介する必要があるとの意思を有しており、Xに対し、甲状腺専門医であるためB型慢性肝炎の治療を積極的にはできないが、肝機能の悪化が認められれば、肝臓専門医を紹介する旨話したと推認することができると判断しました。裁判所は、また、Xは、このようなA医師の申出に特段の異議を述べるなどせず、継続して診察を受けていることから、A医師の前記方針を承諾したといえると判示しました。
したがって、XとY医療法人との間の診療契約の内容として、同日、Xの肝機能が悪化した場合には、A医師が肝臓専門の医療機関を紹介することも含まれるに至ったというべきであると認定しました。
2 Y医療法人の債務不履行の有無
この点について、裁判所は、平成15年6月4日に実施された血液検査の結果は、肝硬変への進行が疑われるGOT値がGPT値を上回るような数値ではないものの、GOT、GPT値がそれぞれ、97、166といずれも急激に上昇しており、また血小板数が8.7であって10(1万/μι)を下回るに至っているから、検査結果上肝硬変への進行が疑われる数値が表れている。また、A医師自身も、検査結果をうけてカルテに「肝機能↑」と記載しているとしました。A医師は、肝臓の専門医ではないものの、当時内科学会及び臨床内科医会の認定医の資格を有しており、B型肝炎に関する一定の知識を有していたと推認できることを併せて考慮すると、A医師は、かかる時点において、Xの肝機能の検査結果は異常数値を示しており、B型慢性肝炎の進行可能性を予見することが可能であったと評価することができるから、A医師は、XをG病院等の肝臓の専門医療機関に紹介すべき義務を負っていたというべきであると判示しました。
しかし、同日時点において、A医師が、Xに専門医の受診を勧めたり、紹介状を作成する等した事実を認めるに足りる証拠はないから、Y医療法人は、かかる時点で前記診療契約上の義務に違反したと判示し、裁判所は、Yには、平成15年6月4日に診療契約上の債務不履行が生じたと認定しました。
3 Y医療法人の債務不履行とXの肝硬変及び肝がん罹患との因果関係の有無
裁判所は、(Y医療法人がXを肝臓専門医療機関に紹介すべき債務の不履行が認められる)平成15年6月4日の時点においては、血小板数は減少し、GOT、GPT値は上昇していたものの、肝硬変の進行を示すGOT値がGPT値を上回る状態にはなかったのであるから、適切な紹介措置を講じ、専門機関において治療を受けることができれば、B型慢性肝炎から肝硬変、肝がんへの進行が不可避であるとしても、少なくとも肝がんへの進行時期を遅らせることは可能であったというべきであると判示し、Y医療法人の債務不履行と、Xの肝硬変及び肝がんの罹患との間には因果関係が認められるとしました。
4 過失相殺の可否
この点について、裁判所は、債務者の債務不履行に関して債権者に過失があった場合には、損害の公平な分担の観点から、債権者に生じた損害から過失相殺がなされる(民法418条)としました。そして、医療機関と患者との間で締結された診療契約の債務不履行においては、債務者である医療機関側の債務不履行によって当該診療契約の一方当事者である患者の損害の発生に患者の従前の病歴等が寄与する場合があり、医療機関に対して全損害の賠償を認めることが損害の公平な分担の観点から是認されない場合もあるといえるから、損害の発生について債権者である患者の病歴や病状等の身体的素因が寄与していると認められる場合には、同条を類推適用し、これを斟酌した上で過失相殺が認められると解するのが相当であると判示しました。
その上で、Xは、昭和52年にB型肝炎ウイルスキャリアであると診断された後、特段生活を改めたり、仕事量を調節したりするなどしていないことから、B型肝炎について特段の配慮をすることなく、日常生活を送っていたといえると判示しました。また、B型肝炎が進行性の病変であり、肝硬変、肝がんへの進行が予想しうるものであること、Xは、甲状腺機能亢進症の治療のためE病院及びF病院に通院し、肝機能検査を受けていたことからすれば、Xは通常人に比して自己の健康状態、特に肝機能について、特に気を配る必要性が高かったというべきであると指摘しました。しかるに、Xは、YクリニックがB型肝炎について専門的な治療行為を行っている医療機関ではないことを認識しつつ、他の専門的医療機関を受診していないこと、Yクリニックで、Xに対して、平成12年6月12日以外には、腹部エコー検査及び腫瘍マーカー検査が実施されたことはなく、そのことに対し、Xから特段希望や苦情等の申出がなされた形跡はないこと、Xは、A医師から、平成16年11月15日、同17年8月19日、腹部超音波検査(肝エコー)を受検することを促されたが受検しなかったことのほか、Xは、平成13年ないし同14年頃からは、毎年職場で実施される法定の健康診断を受診せず、肝機能を計測する機会等を利用していないことなどの事情があり、Y医療法人の債務不履行による損害の発生及び拡大について、Xにも一定の落ち度があることは否定できないとしました。
裁判所は、また、Xは甲状腺機能亢進症及び糖尿病に罹患し、治療において肝機能の低下を招く薬の処方を受けていたこと、Yクリニック受診の相当以前(G病院で診断されてから23年程度が経過していた。)からB型肝炎ウイルスキャリアであり、Yクリニック受診時に病状が一定程度進行していたと考えられることからすれば、XがY医療法人の債務不履行により肝がんに罹患したのは、XがB型肝炎ウイルスキャリアであることが相当影響しているというべきであり、損害の公平な分担の観点から考慮するのが相当であると判示しました。
以上の検討から、Xに生じた損害のうち、Xの過失とXの病状の寄与を総合した上で、民法418条の適用及び類推適用により、4割を減じるのが相当であると判断しました。
以上より、上記の裁判所の認容額の支払いを命ずる判決が言い渡されました。
その後、判決は確定しました。