東京地方裁判所平成26年9月11日判決 判例タイムズ1422号357頁
(争点)
適切な食事介助を怠った過失ないし注意義務違反の有無
(事案)
平成19年3月31日の朝、X1(昭和22年生まれの男性・自営運送業経営)は、頭痛と手足のしびれを感じ、Y1医療法人が経営する病院(以下、Y1病院という)に緊急搬送された。Y1病院における頭部CT等の検査の結果、X1はクモ膜下出血(破裂脳動脈瘤)と診断された。X1は、同日、緊急手術(脳動脈瘤コイリング術)を受け、Y1病院に入院した。
X1に対しては、4月1日朝まで禁食の措置が執られ、1日昼からアイソトニックゼリーの経口摂取を開始し、同日の昼食にはむせが見られ少量の摂取にとどまったが、同日の夕食はほぼ全量を摂取し、翌2日には、意識状態の判定法であるJCS(Japan Coma Scale)で3(名前、生年月日がいえない)~10(普通の呼び掛けで容易に開眼する)の意識状態にある中、主治医の指示により、全粥食の摂取が開始された。その後むせなどの誤嚥の徴候はうかがわれず、ほぼ全量ないし3分の2程度を摂取し、4月3日の朝食にはロールパンが出されたが、X1はこれも問題なく摂取した。
4月5日午前3時頃及び午前6時頃、X1にアプニア(無呼吸状態)が見られた。午前9時頃の時点でも時々アプニアの症状は見られ、SpO2(酸素飽和度)は90%まで低下した。X1は声を掛けられてようやく開眼するという状態であり、意識状態はJCS10であった。朝食は3分の2の量を摂取した。
午後0時頃のX1の意識状態はJCS3~10であり、意識状態に変化は見られなかった。
午後0時10分頃、昼食を摂取している最中に、昼食に提供された蒸しパンを一口大にちぎることなく大きな塊のまま口に入れ、これを喉に詰まらせて窒息し、呼吸停止となった(本件事故)。心拍数は低下し、SpO2の測定が困難となった。すぐに吸引処置が講じられたものの、詰まらせた蒸しパンを吸引することはできず、チアノーゼの状態となり、主治医Y2が呼ばれた。
X1の呼吸が停止してから1分後に、主治医Y2により心臓マッサージ、挿管等の処置が行われ、呼吸、心拍数は回復したが、意識状態は同月8日までJCS200(痛み刺激で少し手足を動かしたり顔をしかめたりする。)~300(痛み刺激に反応しない)で推移した。
4月9日以降、X1の意識状態は回復し、同月14日以降は、おおむねJCS3~10程度で安定し、Y1病院を退院した時点における意識状態はJCS3であった。
Y1病院を退院後、X1は、複数の医療機関等に入院ないし入所し、平成21年6月23日、平成20年12月27日時点における現症として、血管性認知症と診断され、その後障害等級2級の精神障害者保健福祉手帳の交付を受け、平成22年10月30日、血管性認知症と診断された。
そこで、X1ら(患者および患者の妻子ら)は、Y1医療法人と主治医Y2に対し、Aが窒息したことについて、経口摂取の判断を誤った、あるいは適切な食事介助を怠ったなどの過失ないし注意義務違反があり、これによりX1は窒息に起因する精神障害2級の後遺症損害を負ったなどと主張して、Y1に対しては不法行為(使用者責任)又は債務不履行責任に基づき、主治医Y2に対しては、不法行為に基づく損害賠償を請求した。
(損害賠償請求)
- 請求額:
- 1億4678万4493円(患者と妻子合計)
(内訳:治療費23万0805円+入院雑費5万5500円+入院付添費24万0500円+休業損害33万6461円+将来の治療費1267万9284円+将来の付添介護費6362万7712円+逸失利益2757万0187円+後遺障害慰謝料2370万円+妻子の慰謝料計500万円+弁護士費用1334万4044円)
(裁判所の認容額)
- 認容額:
- Y1につき、4804万3545円(患者のみ)
(内訳:Y1病院における治療費6万2379円+入院雑費1万5000円+入院付添費6万5000円+Y1病院退院後の治療費218万0670円+自宅介護費用2629万4600円+逸失利益512万5896円+後遺障害慰謝料1000万円+弁護士費用430万円)
(裁判所の判断)
適切な食事介助を怠った過失ないし注意義務違反の有無
この点について、裁判所は、嚥下訓練に当たっては、患者の嚥下の状態を見ながら、ペースト食や刻み食、一口大食などと段階的に通常の摂食状態に近付けていくものとされていると判示しました。
本件当日は、手術から僅か5日しか経っておらず、原告X1の意識状態は午後0時頃の時点でJCS3~10、蒸しパンを口に入れた時点ではJCS3であったが、証拠によれば、JCS3の意識状態とは、良い状態であっても、辛うじて名前を言うことが出来る程度で、それ以上の質問には答えられないという状態であるから、してはいけないことやしても良いことを理解する能力が低下し、食事を摂取するに当たり、自分の嚥下に適した食べ物の大きさや柔らかさを適切に判断することが困難な状況にあって、食べ物を一気に口の中に入れようとしたり、自分の嚥下能力を超えた大きさの食べ物をそのまま飲み込もうとしたりする行動に出る可能性があるのみならず、嚥下に適した大きさに咀嚼する能力も低下しており、X1の食事介助に当たる看護師は、そのことを十分に予測することができる状況であったと認定しました。
さらに、証拠によれば、パンは唾液がその表面部分を覆うと付着性が増加するといった特性を有し、窒息の原因食品としては上位に挙げられる食品であること、このことはリハビリテーションの現場では広く知られていることが認められるとしました。
以上によれば、本件事故当時X1の食事の介助を担当する看護師は、蒸しパンが窒息の危険がある食品であることを念頭に置き、X1が蒸しパンを大きな塊のまま口に入れることのないように、あらかじめ蒸しパンを食べやすい大きさにちぎっておいたり、X1の動作を観察し必要に応じてこれを制止するなどの措置を講ずるべき注意義務を負っていたというべきであると判示しました。
しかしながら、本件においては、本件事故が発生した1分以内に吸引措置が講じられていることからすれば、X1が食事を摂っている間、看護師が近くにいたことは推認されるものの、食事介助を担当した看護師においては、蒸しパンを食べやすい大きさにちぎって与えられることをしなかったことは明らかであるが、それ以上に具体的にどのようにX1の動作を観察し、どのように対応したのかは証拠上不明であって、上記の注意義務を尽くしていたと認めることができないとしました。
Y1らは、本件事故は、X1が看護師の制止にもかかわらず、突然蒸しパンを一気に口の中に入れたことによって発生したものであって、瞬間的に起きたものであるから回避不可能であったと主張するが、この主張を裏付ける証拠はないし、当時同原告の意識状態はJCS3であって、制止することができないほどに俊敏な動作が可能であったとは考え難いとしました。
裁判所は、以上によれば、本件事故当時X1の食事介助を担当したY1病院の看護師には、X1に対する適切な食事介助を怠った過失ないし注意義務違反が認められるとしました。
以上より上記「裁判所の認容額」記載の支払いを命じる判決が言い渡されました。その後、控訴審で和解により裁判は終了しました。